政治のことに口出しするのはあまり好きではないのだが、民主党が政権を担うようになって、補正予算の見直し等に絡めて様々な議論というか騒ぎが取り沙汰されている。その中で一番話題が多いのが国交省関係であろう。八ッ場ダムに始まって、只今はハブ空港の問題で物議をかもしている。これらの物議に関して、その正否、是非、要不要等をどう判断するかは、おかれた立場によって大いに異論のあるところであろう。
私の立場は、第三者である。これらの事業に関しては何の利得関係も無く、強いて言えばわずか(?)だけど、未だに納め続けている税金の使い道に関して、物申すという程度のことであろう。その立場から言えば、対象となっている事業計画の本質が何なのか、それを見極めることから物議の中身の是々非々を判断することが肝要と思っている。その判断基準から言えば、担当大臣の判断は概ね正しい。
大義名分と事業計画の実態とが最終的に一致していたといえるのは、過去の話であって、大型予算を要する事業に関しては、ダムも道路もその殆どが惰性の部分、すなわち事業費を消化するために事業の展開を計ってきたのが多いのではないか。莫大な予算の費消は、それに絡む利権の世界を温存増殖させ、抜きさしならぬ悪循環を繰り返しているのは明らかである。国のため、国民のためなどといいながら、己の利権の追及に走ってきた政治屋(政治家などと呼べる代物ではない)の何と多いことか。道路やダムは確かに国の発展に貢献しているには違いないが、それは当たり前のことであって、使った金にも使おうとしている金にも、想像を超えるようなムダが、必要悪という名のインチキ正当性を主張しながら浸み込んでいたことは明らかではないか。自ら立証した訳では無いけど、本気になって調べれば、週刊誌ならずとも話題に不足することは無い様に思う。
政治家というのは、一国の(今では全世界に繋がるという視点も不可欠)将来を、現時点でどうするかという慎重な判断を基にその案件を決断しなければならない。その中には私利私欲の部分など入る余地が無い筈だし、入れてはならないものだと思う。利権のことはどうしてくれるだ、などというような話が持ち込まれても、決してブレてはならないのだと思う。その意味において前原さんという方は信念を貫いて居られると思うし、これから先も貫いて欲しい。利権の臭いのする意見に妥協した瞬間に、政治家は政治屋に転落するのである。
八ッ場ダムもハブ空港も、その見直しや中止の話に、歯をむき出して騒ぎ立てる人が、過去から現在まで全く利権に関係なく惨めな扱いばかりを受けていたというなら、中止反対を叫ぶ資格を有していると思う。しかし今まで促進のために先頭に立ち、或いはその近くで旗を振ってきた人には、今までの利得を精算してから反対論を組み立てるべきではないか。ハブ空港に関しては、ダムとは違う意味があるように思うが、限られた金を使うには優先順位が不可欠であり、国際間の競争という前提では、日本国に二つのハブ空港を一度に設けるのは、やはり慎重を期す必要があるのではないか。いきなりハブ空港の話を持ち出すというやり方には問題があるとしても、その内容に関しての前原大臣の見解は正鵠を射ていると思う。
ところで、茨城県に生まれ、茨城県を終の棲家として選んだ者として、これらの話題に関して実に情けないというか、見識の無い行政の取り組みとして、茨城空港のことを取り上げなければならないと思っている。空港整備の問題に関して、造ったのは良いけど、経営が成り立たないという問題が頻発しているようである。それらの中で現在最後の98番目の空港として開港間近な空港が茨城県にあり、しばらくの間マスコミなどのまな板に載せられるのは必定であろう。
来年3月茨城空港なるものが開港する。場所は小美玉市の航空自衛隊百里基地である。つまり軍用と兼務の民間空港ということだ。小美玉市というのは、平成の大合併で小川町、美野里町、玉里村が一緒になって出来た市で、その新名称は各町村の頭文字を単純に寄せ集めて作ったという、何の感興も覚えない無味乾燥の名称である。しかし関係者はそれなりに苦心されたのではあろう。平成の合併では、このように足して母数で割るというような名称も結構多い。旅をしていると、そこが昔は何という所だったかを思い出すのに苦労する市町村が幾つも現出している。小美玉市もその一つである。
私はまだ小美玉市に行ったことが無い。旧美野里町は国道6号線が通っているので何度も走ったことがあるけど、その他の町や村には行ったことが無い。自衛隊の百里基地にも行ったことが無く、茨城県に生まれて22年を過し、戻ってきて6年、都合28年を過しているのに、一度もその辺りを通ったことも無い場所である。イメージとしては関東平野の真っ只中にある田園地帯であり、旅の対象にはならないエリアである。何か特別の用件でもない限り、或いは親戚や知人でもない限り訪れるチャンスは無いような場所なのである。
言い換えると、300万人近い茨城県在住者にとって小美玉市は、その90%くらいが普段は意識などしていない平和な田舎なのである。そこに空港が開設されることなど、県民の大半は最近になって気づいたというのが実情ではないか。6年前に戻ってきた私にとっても、空港が出来るという話を聞いて驚きを禁じ得なかったのだった。
空港開設に関して、そのホームページを見てみた。もっともらしい解説があれこれ書かれていたが、どうも信じがたい。はじめに国の金あり、県の出費はわずかで済むなら、おいらの県にも一つ空港というのを造ろうじゃないか、という発想がありありの感じがする。初めに空港が必要という前提で全てのコンセプトや能書きが示されている。どのような調査を行なったのか判らないけど、県民の意識や近隣県の状況調査などはされて無いのではないか。そのようなデータは何も無い。そうであって欲しいと描いた空港のニーズに、ちょっぴり数字などを添えて作文した感じがする。少なくとも真面目さ、真剣さが伝わっては来ない。
来年3月開港というのに、現在乗り入れを予定している航空会社は韓国の1社だけだという。昨日のニュースでは、地元で空港の支援サポーターを募って活動を開始したということだ。地元の方には気の毒だけど、ヨン様を呼んできても、その時だけで終わりであろう。空港の経営は、そのようなチョンのお祭り何んぞだけで、安定的に成り立つものではない。茨城県民の大半が、今頃になって空港の開港に気づき、それがどこにあるのかな、などと場所も碌に判らないような状況では、幾ら県の財政に負担をかけないなどと言っていても、そのようないい加減な話で済むようなことではないと思う。
それにしてもこの責任は誰が取るのか。不可解である。空港が閉鎖されても軍用基地としての機能は変わらないのだから、その点では他の民間専用空港よりはまだマシという考えもあるかも知れない。しかしこのままの状態で開港したとしても、営業が成り立たないのは明白である。全ての事業は顧客があって成り立つのである。空港のニーズは顧客のニーズに一致しなければならないのだ。しかし茨城空港はそれを度外視して造られているようである。その責任は誰が取るのか。不可解のままで良いのだろうか。