山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

浅草へ行く

2009-10-17 08:04:44 | くるま旅くらしの話

昨日(16日)、久しぶりに浅草へ行った。Tさんご夫妻と一緒に束の間の東京見物を楽しむことにした。東京には様々な顔があるけど、昔に繋がる表情を一番の売りにしている場所といえば、やっぱり浅草ではないかと思う。金龍山浅草寺を核とする浅草は、江戸時代のその昔から庶民の町、下町として発展してきた所である。日本のお寺の中で、最も集客力のあるお寺がどこなのか判らないけど、浅草寺が3本の指に入るのは間違いないのではないか。

つくばエクスプレス(TX)が開通して、守谷から浅草はグッと近くなった。快速電車なら20分そこそこで行くことができるのである。TXは新しく敷設された鉄道であり、営業を開始してから未だ5年も経っていない。電車の車両や性能が新しいだけでなく、レールの敷設技術等も最新のものが使われているようで、安全面も乗り心地も優れているのを実感できる。我が国の鉄道技術の最先端といえば、何と言っても新幹線だと思うが、TXもそれらの恩恵をかなり受けているのではないかと思う。それは電車に乗ってみれば分かることで、JRの常磐線の電車などに比べると、圧倒的に乗り心地が違うのである。振動も揺れも少なく、緩急のギャップも少ない。守谷市にはTXの車両基地があり、その所為なのか守谷駅までは運行本数が多く、終点のつくばへ行く倍くらいの数になっている。今のところこれが市の発展に大きく寄与しているようで、人口が増え続け今年の5月には6万人を突破している。

浅草は終点の秋葉原の二つ手前の停車駅であり、TXの改札口を出てしばらく地下道を辿って地上に出ると、そこは浅草の大衆娯楽街の中心エリアである六区である。浅草寺に向かって伝法院(でんぼういん)通りを歩き出すと、直ぐ右手に浅草演芸ホールがあり、芸人さんの幟旗などが風にひらめいている。伝法院とは、浅草寺の本坊のことであり、雷門から仲見世を通っての参詣コースとは違うことになるけど、混雑が少ない分だけ参詣は楽だということになる。尤も、その混雑を楽しむために来る人も多いわけだから、こちらからの参詣者は、先ずはお寺さんで手を合わせ終えてから混雑に参加すれば良い。

30分前の守谷の田舎風景とは大分に趣きの違う世界への突入の感があるが、今の時代はそのようなことに驚いていては、取り残されて行ってしまう。猛烈なスピードで経過する時間を、一々確認しながら味わおうなんて到底不可能であり、自分が気に入った所だけを適当に楽しめば、それを足して行って自分の人生が出来上がると考えるべきなのだろう。ふと、そのようなことを考えたりする。たまゆらの快楽の積み上げが人生の航跡であり、その中には残骸化し、風化した快楽が、まるで毒のように働いて、その終わりに近づく時間を刻んでいる。似非詩人は、現実とバーチャル(=仮想)の時間差を、そのように詠うのかも知れない。我が家から浅草の賑わいまでの時間の経過は、人工衛星を運ぶロケットよりも遙かに早いスピードのような気がする。

久しぶりの浅草訪問に、田舎者は少し戸惑い、たじろぐ感を否めない。Tさんご夫妻と家内をいれての4人、伝法院通りから一本奥に入った、その昔の奥山辺りへの道を、右手に五重塔を見ながら歩いてゆくと、前方に見えるはずの浅草寺の大屋根が、あらっ、無い。巨大なシートに包まれた状態になっているではないか。近づいてみると、2年をかけての大修理が始まったばかりだという。参拝の賽銭箱は今まで通りだったけど、大屋根の景色が失われて、何だかガッカリした。鳩たちの悪さの所為なのだろうか。それにしてもあんなにたくさんいた鳩たちは、今はどこへ行ってしまったのだろうか。

Tさんのメインの目的は、合羽橋の道具街を覗くこととお聞きしているので、参詣の後はその方への道を歩く。その前に、近くにある江戸下町伝統工芸館を見学する。ここには江戸の匠の工芸技術を受け継ぐ現代の匠の皆さんの作品が展示されていた、下町の工芸品ということから、その昔でいえば、飾り職人や建具師などの技術を活かした作品の数々があった。Tさんの木工クラフトとは少し趣が違っているけど、共通性は多いので、Tさんにとってはかなり興味関心を覚えるものが多かったようだった。

その後は合羽橋道具街へ。ここは日本有数の生活用具の専門販売店街とでも呼ぶのだろうか、それぞれの専門領域を担当するたくさんの店が、暮らしに必要なあらゆる領域の道具・小道具を揃えて、軒を並べている。製造と販売を一緒に行なっている店も多い。日本の暮らしの実際を知ろうと思ったら、ここを覗けばかなりの情報を得ることが出来るのではないか。初めて日本を訪れた外国人でも、1ヶ月も籠もって大小様々な生活用具の使途を徹底的に尋ね、調べてみれば、日本人の暮らしぶりが見えてくるはずである。無い物はないと言って良いほど、様々な生活用品が揃って売られている。

中老(中老というのは、辞書によれば50代を言うらしいけど、現代では一世代はランクアップして良いと思う)の4人は、時の経つのも忘れて、それから後しばらく様々な店の一つひとつを覗き回ったのだった。中には見たこともないアイデアグッズもあり、飽きることは無い。本当は少し飽きるくらいが身体には良いのだと思うけど、それを感じさせないほど各店はそれぞれの魅力を備えているのである。Tさんご夫妻も熱心に各店をチエックされていたようである。

私としては、実はマイ包丁が欲しいのだ。これはもうかなり前からの願望なのである。魚を捌くための出刃と刺身包丁が欲しい。普通の調理用のものは、何年か前に燕三条を旅で訪れた際にゲットしているのだが、魚用のものは、中途半端なものしか持っていない。包丁というのは、買えそうで買えないレベルの値段である。買えばいっぺんに小遣いが消えてしまうし、買わなければ魚捌きの腕を挙げることが出来ない。真に困った価格帯である。今回も店の人からいろいろ説明を聞き、何としても小遣いを溜めて買いに来るからなどと言って、店を後にしたのだった。小遣いが包丁に振り向けられる日がいつ来るのか、今のところその見通しは全く立ちそうもない。

4人それぞれが多少の買い物を楽しみながら、合羽橋の道具街を後にして、空いてきたお腹を満たすべく、食の浅草名物の一つである天ぷらの店に入る。駒形のどぜうも良いかなと思ったけど、どぜう(=泥鰌)の料理には癖があるので、今回は避けることとなった。どぜう屋にはちょっぴり残っている江戸の趣が、天ぷら屋には無いのが残念だったけど致し方なし。4人とも少し疲れて眠気を覚え出したようだった。(もしかしたら自分だけだったのかも)

Tさんは今日出発される予定なので、あまり遅く戻って支障が出てはいけないと考え、わずかな東京見物で申しわけないと思いつつも、その後はTX乗り場に向かい、帰途に就いたのだった。リタイア後は、都心に出向くことはめっきり少なくなって、年に数回くらいしかない。交通の利便性は益々良くなったのだが、それを使うチャンスは益々少なくなってゆく。くるま旅をするようになってからは、大都会を訪ねるチャンスは少なくなるというよりも避けるという気持ちが拡大しているようになってきているようだ。しかし、時にはこうして親しい友と一緒に大都会の喧騒を訪ねるのも良いなと思ったのだった。

コメント
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