山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

柿の実は残った

2009-10-10 04:26:39 | くるま旅くらしの話

台風18号が去って、昨日(8/8)の夕方いつもの散歩コースを歩いていたら、歩道橋の一つの上から南西の茜(あかね)空の彼方に富士山のシルエットがくっきりと浮かんでいた。台風一過ということばがあるが、それを破壊のあとと捉えるか、汚れを一挙に拭き浚(さら)った清新さと捉えるか、その状況によって感慨は複雑である。我が家では今朝までの強風で、大事にしていた皇帝ダリアが全滅してしまったが、久しぶりに茜空に富士山のシルエットを見ることが出来たのは、せめてもの慰めである。

たそがれの散歩道には、街路樹の木の葉や吹き千切られた小枝などが散乱し、時々それに混じって何処かの家の掃除用具や発砲スチロールの箱などが蹲(うずくま)っていたりしている。まだ落葉には少し早いケヤキや桂やハナミズキなどの街路樹もかなり痛めつけられたようで、中には丸裸にされかかっているものなども散見される。かなりの強風が吹き荒れたのであろう。倒木にまで至らなかったのは幸いであったと思う。

様々な樹木のありようを見ている中で、最も感動するのは、ビッシリと実をつけた柿の木の存在である。葉の殆どが吹き千切られボロボロの状態となっても、今年結んだ実はしっかりと枝に固定していて、ビクともしない。散歩道の傍には結構たくさんの柿の木を見かけるのだけど、この台風の風で落下した実は殆ど見当たらなかった。落ちているのは、風とは無関係に虫喰ったりしてダメになった実だけである。

会津身知らずという渋柿の品種があるが、これは福島県会津地方に多い柿で、そのたわわに実ったさまは、枝を反り曲げて折れてしまうほどたくさん実をつけるところから呼ばれていると聞く。つまり、我が身が壊れるのもふり返りもせずに目一杯実をつけるという、柿の強靭な結果精神を強調した命名なのではないかと思う。

会津身知らずだけではなく、一般的に柿の実と言うのはしっかり結実して落ちないようだ。我が家では皇帝ダリアは全滅してしまったけれど、柿の実の方は、全て難を免れたというか、試練を乗り越えて全個が残ってくれたのだった。これは嬉しい。何とも嬉しい。

この家に越して来た年に、小さな苗を買って来て植えたのだが、柿の品種も忘れてしまい、甘柿だったか渋柿だったかが判然としない状況だった。今では3mほどの高さに育って、去年初めて実がなった。虫食いなどを逃れて最後まで残ったのはたった一個だけだった。11月の初め頃にそれを採って食べたのだが、切ってみると中は真っ黒になっていて、無上の甘さの柿だった。久しぶりに本物の甘柿を口に入れて大いに感動したのだった。

この頃の甘柿は大体品種が決まっていて、食べてもあまり感動しなくなってしまった。我が家の柿は富有柿ではなく、別の品種のようである。どちらかといえば全体的に丸い感じがしていて、見た目には渋柿のような雰囲気だ。食べると富有柿よりも甘さが濃く、しかもさっぱりしている。嬉しい食感と味なのである。

今年は春先にたくさん花をつけたので、念のためにと2、3回消毒をしておいたのが良かったのか、たくさん実をつけてくれた。そのまま放って置くと隣の家まで枝が伸びて迷惑をかけるので、途中で枝の何本かを剪定したため、台風の前の時点で残っていたのは50個足らずだったのだが、それが強風にめげることなく一つも落ちるのが無かったというのは、真に感動的である。

山本周五郎の作品の中に「樅の木は残った」というのがあるが、今のところ我が家では「柿の実は残った」である。その中身は大分に違うけど、「残った」という点では大いに似ている。毀誉褒貶(きよほうへん)や権力盛衰の渦巻く人間の生き様も、嵐吹き募る自然の驚異も、それらを乗り越えて残るものにこそ、真の存在価値があるのかもしれない。樅の木の時間を刻む確実さに比べれば、柿の実なんぞは人間や鳥などに食われてしまうまでのわずかな時間しか数えはしないけど、難関を乗り越えるその瞬間のパワーは、同じものではないかとふと思ったのだった。まもなくそのパワーを頂戴できる時が近づいている。

我が家の庭先の柿の実たち。かなりの強風にもめげずに、見事に万難を乗り越えてくれたのだった。嬉しい。

コメント
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