村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

まつほの浦の夕なぎに

2020-06-22 23:13:55 | 短歌・俳句の事
 百人一首歌番号九十七
来ぬ人を
まつほの浦の
夕なぎに
焼くや藻塩モシオの
身もこがれつつ
 権中納言定家ゴンチュウナゴンサダイエ
『新勅撰集』巻13・恋3・849

藤原 定家フジワラノサダイエ、フジワラノテイカ
平安末期から鎌倉初期の公家・歌人。
藤原北家御子左流フジワラホッケミコヒダリリュウ
藤原俊成の二男。
最終官位は正二位・権中納言。


私の藤原定家のメモには
歌道の家
藤原北家・御子左家ミコヒダリケは
道長の六男の長家を祖とし
それから三代目が俊成
俊成の子が定家
定家の子が為家
その
為家の子の
長男為氏タメウジが二条家の祖
三男為教タメノリが京極家の祖
『十六夜日記』作者の
阿仏尼が
母の為相タメスケが冷泉家の祖
と書いてあった

写真は友人の和子さんが書いた葉書
「ドクダミの花を待っていたの
 テニスコートの道端に
 やさしく咲いていた」
和子さんとは病院で知り合った
抗がん剤を拒否し
亡くなった
それからもう30年位経った
生きてる限りは
元気で
面白くいよう
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