花・伊太利

日々の生活に関する備忘録です。

国のためは自分のため

2010-11-15 21:57:05 | Book
 先週、APECの物々しい警備に、かつての大喪の礼を思い出しました。その連鎖反応で、大喪の礼に至るまで日本中を覆った自粛ムードも思い出しました。これらの連鎖反応の勢いで、ノーマ・フィールド著「天皇の逝く国で」(みすず書房刊)へ行き着き、図書館で借りて読み始め、そしてAPECが終わる一日前に読み終わりました。
 この本には、世間の暗黙の了解を破ったため、精神的、肉体的な危害を加えられた三人の方々が登場しますが、そのうちの一人は元長崎市長の本島等さんです。1988年、昭和天皇が倒れられたちょうど同じ頃、当時の本島市長は、「天皇に戦争責任があると思うか?」と市議会で質問を受け、それに対して「あると思う」と答えたため、右翼に命を狙われ、またそれまでは支持者だった人たちからも猛烈な反発を受けます。本島市長は、それにも関わらず発言を撤回することはなく、その後も折あるごとに、自らの考えを、決して感情的にならず、淡々と語っていき、ついにはその代償として、一命は取り止めたものの、銃弾に貫かれることになりました。
 少数派が自分の意見を述べる時、しかもその意見が多数派から見てタブーに触れるものであった場合、少数派は排除されたり、非難、嫌がらせ、暴力などの仕打ちを受けることがあります。多数派が少数派の口を塞ごうとすることは、日本に限ったことではありません。例えば、ミャンマーには、つい先だって軟禁を解かれたアウン・サン・スー・チーさんがいます。アメリカにも公民権運動の血なまぐさい歴史があります。また、国内外を問わず、国家が少数派の前に立ち塞がることも少なくありませんでした。しかしながら、国家と言っても、それは私たちから遠く離れたところからやってきた何か得体のしれないものではなく、実際のところは、国家を支えている人間自身が立ち塞がっているのです。
 日本国憲法では、基本的人権の尊重が謳われています。私たちが国家を支えるのは、憲法の下、国家が私たちを護ってくれるからです。その意味では、私たちは国家を支えることを通じて、自分の人権を護っていると言えるでしょう。となれば、国家の名を借りて、少数派の意見を封殺しようとする行為は、国民を護らない存在に国家を変えようとしていることにほかなりません。国家が国民を護らないことがまかり通るようになれば、そのような流れに加担した人たちも、一旦少数派になるやいなや、今度は自分たちが排除される側になるということです。少数派の意見を尊重することは、国家の健全性を保ち、ひいては自分が尊重されることにつながることを忘れてはならないと思います。