新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

朝井まかて『眩(くらら)』『先生の御庭番』

2021年04月17日 | 本・新聞小説
日経新聞小説・浅井まかて『秘密の花壇』は滝沢馬琴が主人公でした。馬琴は偏屈な戯作者と言われながらも花を愛する意外な素顔も。とにかく朝井さんの「たおやか」と定評のある文章と市井の人間の捉え方がうまくて、他の本も読みたいと求めたのが『眩(くらら)』です。

表紙は、葛飾応為《吉原格子先図》。夜の光と影がラ・トゥールの《大工の聖ヨハネ》とぴったり重なりました。

北斎の娘・栄(応為)は離婚して父のもとで画業の手伝いをしながら絵を描くことへの意欲を持ち続けます。
すでに名を馳せていた北斎なのに台所はいつも火の車。そのうえ甥がトラブルを起こして金策に走るのが常で、その気苦労ははかり知れません。兄弟子である多才な渓斎英泉への恋情にも翻弄されます。
ある時、光が物の形を作っていることに気づきました。そして色をたくさん使わなくても濃淡を作ればいくらでも華麗さは出る・・・。ついに墨の他には岩紅、岩紺、岩黄だけで彩色した《吉原格子先図》が誕生します。
深い暗闇の中にろうそくで浮かびあがる静謐な景色、営みのけなげな美しさには人生の品格さえ感じられます。一度目にしたら忘れられない浮世絵です。
ストーリーだけでなくたおやかな文章表現に、もう一度読んでもいいなと思っています。

長崎出島に薬草園を作る依頼を受けて、いわば押し付けの形で15歳の植木職人・熊吉が担当することになりました。しかし熊吉は蘭語に興味をもちひそかに狙っていた仕事でした。
依頼主はシーボルト。薬草園の拵えや「ばたびあ」に送る茶樹の種の荷造りに夢中で働きます。
シーボルトが作った鳴滝塾の塾生の生活、出島の町並みと生活、商館長との人間関係、江戸参府、草木の採集、とシーボルトの動きが細かく書かれていて興味を深くします

植物を生きたまま船でオランダに運ぶことはシーボルトの念願でした。輸送期間は途中の係留期間を含めて7か月。この難題にシーボルトを慕っている熊吉は試行錯誤を繰り返し心底努力します。

そんな時に起きたのがシーボルト事件。たくさんの荷を積み込んだオランダへ戻る船が長崎湾内で大嵐にあって大破、荷物もたくさん流れ出しました。その中に持ち出し禁止の日本地図「伊能図」の写しが入っていたのです。
写しだとしたら他にもあるはずと幕府は躍起になります。幕府の追求は厳しく、シーボルトの周りにいた門人、絵師、通詞が次々に捕らえ、悲惨な最期を遂げた役人もいました。問い詰められてシーボルトが差し出したのは蝦夷の地図でした。
もう一枚の伊能図の写しはこの地図が先生の手元にあるだけで厄災になる」と、熊吉が散らばった荷物の中からとっさに自分の懐に入れていたのです。シーボルトは日本地図をオランダに持ち帰るという重大な使命を受けていたのです。

熊吉は草花を丁寧に押し花にして標本も作っています。シーボルトが好きなあじさいの押し花の標本の裏に地図を押し込め、それに手紙を添えてシーボルトが母への贈り物にするようにしました。幕府といえども私信にまでは手を出すはずはない・・・と。

門人の中には、シーボルトの依頼で論文に取り組んだことや地形調査にうまく利用されたのではないかと疑念を持つ者も出てきました。熊吉はそんな疑念を払拭して、ただひたすら忠実なお庭番に徹していきます。

オランダに送った草木1200箱のうちに260が無事に到着しており、「これで欧州が変わる。いろんな苦難に見舞われたが、学問上私が失ったものは何もなかった」というシーボルトの瞳に熊吉なりの理解をします。シーボルトが無事オランダの土を踏み、渇望した富と栄誉を掌中につかみとってほしいと。
このあとシーボルトは国外追放となり、再び日本の地を踏むことを禁じられ、妻と娘を残したままオランダに向かいました。

やがて日本は国を開きオランダとの間に通商条約を結び、シーボルトの追放令も解かれ、公儀は対外交渉の顧問として江戸に招きます。
ペリーに軍事を伴う急激な開国を迫らないように進言したのは他ならぬシーボルトで、その功績を公儀が認めたということです。この時に娘以祢(いね)に再会しています。
コメント