新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

’14 パリ~リヨン~南仏⑩

2014年06月28日 | '14 パリ・リヨン・南仏

10日間の旅は初日と最後二日間は飛行機の中。遠いのか近いのかは気持ち次第。実質旅行日は7日間ですが、夏場だったのでホテルに帰るのは夜10時ごろで、気候も良かったしかなり得した気分です。

Img_4157_2
ありふれた機内食ですが、皆が待ち遠しく思っている時間です。「ご飯」が「ご馳走」でした。年をとってくると、こんなにご飯に執着するものかと意外でした。

Img_4166
旅行中に遅くまで動き回る習慣がついてなかなか眠れません。小さいライトで文庫本を読んでいてふと気づくと、真っ赤に染まった雲海の中から太陽が昇り始めました。太陽が顔を出してしまうのは意外と速いのですね。

Img_4173

最後の軽食が終わりが、この旅の終わりが近づいてきた合図となります。何となく機内もざわつき始めました。イケメン機長さん自らが、1対1の対応で税関申告書を配り始めました。この演出も見事です。

飛行高度を少しずつ下げながら、7日朝8時半に福岡空港に到着。これが成田か関空経由だったら帰りは夕方になります。昨年から福岡⇔アムステルダム直行便ができて、フライトのスケジュールがシンプルになったことはラッキーでした。
まだバブルの余韻が残っていたころ、福岡発の英国、米国への直行便ができました。土日と連休を使って米国に5泊6日の旅を実行しましたが、その頃の日本はみんな浮わついていた・・・のかな~。私も・・・。
6歳の孫が「バブルって、大人たちがめっちゃ無駄遣いをしたことでしょ。」と、痛いところをついてきました。今はアニメでこんなことまでやっているそうです。わかり易い。

空港に到着してターンテーブルでスーツケースを待っていましたが、私のスーツケースが運ばれていないことがわかりました。前回のスイスから帰るときには、夫のスーツケースが届かず遅れて宅配されてきたので、よくあることと帰宅しましたが、お土産が遅れてしまいました。
二日後には宅配便で届けられましたが、その中に遅配のお詫びとKLMの割引券25€が入っていました。夫の時は他航空会社で何もなかったし、会社によりずいぶんサービスが違うものです。

どうして遅れたのか・・・、ロクシタンのハンドクリーム十数本が流動物として怪しまれたのかしら・・・、単なる手続きミスかしら・・・といろいろ想像するとあまり気持ちのいいものではありません。

10日間の気ままな旅は、初めてのTGV体験で南仏まで足を延ばしました。緊張もしましたが、一つひとつクリアするごとに充実感を覚えた旅でした。


Img_4036

パリの裏窓の風景。表通りに面したところと比べるとあまり統一感がありません。パリの表と裏をしっかり見てきました。それでも、最後の晩餐ならぬ最後の旅行地にどこを選ぶかと問われれば、やっぱり「フランス」にします。歴史と文化と芸術は奥が深く、街並みの美しさも飽きることがありませんから。

パリのホテルは古かったけど、目的地へのアクセス度は★★★★★で、使ったメトロの切符は28枚。ホテルの朝食のパンもおいしかったし、フロントは愛想よかったし。でも、もう一度と宿泊するかとなると、やっぱり止めておきます。

帰ってみるとあれもこれもと見損なったところがかなり出てきました。当分はフランスの余韻に浸れそうです。


ワールドカップの日本の結果はとても残念なものでしたが、サッカーがらみでもう一つ。

パリ・ガレ・リヨン駅の前のブラッスリーで夕食をしたときのこと。一人のアフリカ人が隣のテーブルに着くときに、何となく目が合ったので微笑みながら会釈をしました。
私が料理の量にびっくりしているときにも、顔を合わせて何となくニッコリしたり。食事が終わって携帯をかけていましたが、そのあとでその客の方から「ムッシュー」と声をかけてきて、主人とかなり長くしゃべっていました。
その人はカメルーンの国会議員で10日間の休暇でパリに来たとのこと。視察を兼ねてでしょうか。奥さんは仕事(どうも学校の先生みたい)が休めなくて一緒に来られなかったということでした。
二人はカメルーンのこれからの国の経済のことを話していました。夫もアフリカにはたびたび仕事で訪れていたし親しみがあったようです。最後にとっても楽しかったとお互いに握手を交わして別れましたが、いいひと時でした。

カメルーンも頑張ったけど一次予選敗退。日韓ワールドカップの時は、大分県の中津江村にカメルーンの選手たちが寝起きしてとても話題を呼びました。カメルーンの人たちは、その時も素朴で温かくて正直な印象がありましたが、今回もやはりそうでした。遠い国カメルーンに少し近づけた旅でした。 

コメント (10)