新・遊歩道

日常の中で気づいたこと、感じたこと、心を打ったこと、旅の記録などを写真入りで書く日記です。

’14 パリ~リヨン~南仏⑧

2014年06月23日 | '14 パリ・リヨン・南仏

Img_4038

 


最後のパリ街歩きはセーヌ右岸です。紅茶の店マリアージュに行こうとメトロの駅から地上に出るといきなり美しい市庁舎が目の前に。長方形のビルでなくベージュの壁と黒い屋根のコントラストが美しい、優雅で気品のある建物です。

Img_4044
やっと見つけたマリアージュは改装中。14年前に目をつけていたお店で、娘と歩いた日を思い出しました。別の場所にあるお店を探して、あの黒缶のマリアージュを買いたいのです。

Img_4041

ショーウィンドーの眼鏡。メガネで球形を形どったものでパリの香りがします。

Img_4043
コンフィズリー。カラフルなかわいい砂糖菓子がいっぱい。アーモンドに糖衣をかけたボンボンやヌガー。

 

ルーブル美術館へ。前回のパリ旅で見損なった16世紀、17世紀、18世紀のフランス絵画と半地下のルーブルの遺跡を見に行きます。


Img_4049
ルーブルにこんな遺跡があったことをテレビで初め知りました。拡張工事を進めるうちに美術館の下からフィリップ2世のルーブル要塞が発見されたのです。

12世紀の終わり頃セーヌを遡って攻めてくるノルマン人への備えでした。遺跡はどれも何百年も、何千年も前に住んでいた人たちの息遣いを伝えてくれるところに興味を持ちます。

Img_4092フランス絵画16,17,18,19世紀の作品を見ることが主な目的です。ことに16世紀の作品はフランス絵画の基礎をなすものだからしっかりと見ておきたいです。
 左の絵はフランソワ1世。16世紀、彼はフォンテンブロー宮殿で華麗な世界を作り上げ、宮廷でフォンテンブロー派を開花させます。内外ともに多事多難な時代であったにも関わらず、優雅でどこか冷たい女性美が創造されました。








下は、16世紀フォンテンブロー派「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人」。



官能的であるのに不健康な感じは与えません。妹のビヤールは、ガブリエル・デストレの右の乳房をつまんでいます。このちょっと変わったしぐさは、ガブリエルがアンリ4世の子供を懐妊したことを象徴していると解釈されています。

Img_4079
17世紀、シャンパーニュ「1662年の奉納画」。左上の銘文には、作者の娘が病気で足が動かなくなった時、神に祈りを捧げて奇跡的に恢復したことを感謝するために描いたとあるそうです。

真っ白い僧衣と赤い十字架が印象的。イタリア絵画なら神への感謝を豪華に描くが、ここでは上から差し込む光のみ。奥深い静謐の中にフランス的なものがあり、イタリアからも北方の絵画からも影響を受けながら、そこに独自の絵画を生み出した「フランスの勝利」と高階氏は言っています。

フランス人は17世紀のことを「偉大なる世紀」と呼ぶそうです。ルイ14世の治世下、芸術や文化において歴史に名を残した多くの人を輩出し、今日まで続くフランス文化の基礎を築きあげたからです。

Img_4061_218世紀、 「マラーの死」。これと同じものをベルギー王立美術館で見て感激しました。でも、なぜルーブルに・・・・?
よく見るとルーブルのものは、木の台に書かれている文字が違います。拡大して見ると手紙の文字も少し違います。

調べてみると、オリジナルはブリュッセルの王立美術館にあり、ルーブルのそれはオリジナルを忠実に複写したものだそうです。
好きな絵だから複写でも見ることが出来てラッキーでした。





Img_4107


18世紀、ヴァトー「シテール島への船出」。この絵によってアカデミー会員になります。「ピエロ」もあります。見たかった絵にやっと巡り会えました。

Img_4053
天井を見あげるとドキッとするような真っ青な色が!でも、こんな現代的な絵が古い宮殿によく馴染んでいます。アンリ2世の間にあるブラックの天井画。

4時間も昼食抜きで見ていたので、さすがにお腹がすきました。地下1階のフードコートに駆け込んでパエリアを注文。ずっとお米が恋しかったからです。???フランス人は水分の多いパエリアを食べるんだ・・・。


 

カルーゼル・デュ・ルーブルの地下2階には有名店が入っています。ロクシタンやマリアージュでお土産を買いちょっと荷物が増えました。


Img_4126

この後、地下鉄1号線の終点、ラ・デファンスへ。街並みが揃っている中心地と違って、パリ郊外の新開発地区。数十年前に仕事で訪れたという夫が、ここがどう変わっているかを確認したいということでした。
林立する超高層ビルには4000もの企業が入っているとか。アレバの本社もありました。ユニクロもありました。
左に半分だけ見えるのは「新凱旋門」。ここはシャンゼリゼ通りの都市軸上にあり、凱旋門から一直線につながっています。新都市と言えどもパリのシャンゼリゼ、凱旋門を突っ切ってここまでが一直線なのです。都市開発と伝統を見事に融和させたパリ。総合的な街づくりが素晴らしい都市です。
地下鉄1号線が他に先駆けて車両を新しくし、無人運転に切り替えたのは当然でしょう。あふれるビジネスマンの混雑をさばくためには、快適で迅速な運転が必要だったのです。パリに新市街もなかなか魅力的でした。ただ先頭車両に運転手が居なくて、乗客が座っているのはちょっと不安・・・。

歴史地区へ戻り、バスティーユ広場へ。1798年7月14日、パリ民衆は王政を倒すためにバスティーユ監獄を襲撃、フランス革命の発端となった事件です。監獄は解体されて今は超モダンなオペラ・バスティーユが誕生し、この日もドレスアップした人たちが開場を待っていました。


Img_4137_2


6日は、ちょうどノルマンディー上陸作戦70周年の記念日で、騎馬のパレードがゆったりと通り過ぎて行きました。馬を使うところがいいですね~。

Img_4141
運河には、水上生活用の船が浮かんでいます。水はあまり澄んではいませんでしたが、パリつ子の憧れだとか聞きました。

Img_4148

最後の夕食は夜の9時半。疲れが出てあまり食欲がありませんが、複数の飛行機雲を眺めながらオムレツを食べました。ホテルに戻れば荷物の詰め込みが待っています。

屋根の針状のシルエットは、暖房用の名物のパリの煙突。原則的に使用していないとか。今も使っている人は年に2度の煙突掃除が義務付けられているそうです。どの屋根にもこんな形の煙突があり、その煤で一昔前までは黒いパリだったとか。













  


 


コメント (8)