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2015年難民危機とバルカン諸国 21世紀の人の移動

『バルカンを知るための66章』より

バルカン諸国の中でも旧ユーゴスラヴィア諸国は、20世紀の最後の10年間に紛争に見舞われ、とりわけボスニア、クロアチア、コソヴォからは、多くの人びとが難民として、周辺国や西欧諸国に向かった。21世紀を迎え、武力紛争は終わりを迎えたが、バルカン諸国から西欧諸国を目指す人びとの移動の波がすぐに収束したわけではなく、その後も最近まで継続している。政治的迫害を理由として難民認定を求める人びとも多く、ドイツをはじめとする西欧諸国において難民認定を求めたが、実態としてはその多くは、EU諸国における手厚い難民保護の制度を知り、経済的理由からそれらの国々を目指す「偽装難民」であったとされている。ただし、旧ユーゴスラヴィアの多くの国では、紛争の収束後も民族間関係は必ずしも良好ではなく、特にマイノリティに属する人びとにとっては、就業の機会も限られるケースが多く、「迫害」が何の根拠もないことだったわけではない。

第二次大戦の惨禍を背景に、1951年に採択された「難民の地位に関する条約(難民条約)」は、1967年の「難民の地位に間する議定潜」により時間的・地理的な制約を取り払い、難民に対して権利を付与して保護するとともに、彼らを迫害の恐れのある地域に追放することを禁じている。ドイツなどでは、難民申請者に対して、現金給付を含む手厚い保護の体制がとられており、この制度自体が、バルカン諸国から「偽装難民」を惹きつけるものともなっていた。近年では特に、経済状況の悪いコソヴォやボスニアからドイツなどに向かう人びとが目立った。

EU諸国を目指す人の流れは、もちろんバルカン諸国からのものだけではない。長期間にわたって紛争地域であったアフガニスタン、イラクといった国や、アフリカの多くの国、あるいは、政変によって治安状況の悪化したリビアなどからも、多くの人びとが西欧を目指した。とりわけ、2011年以降のシリア内戦は、いわゆる「イスラム国」の伸張も招き、人口の5分の1に迫る400万人以上が国外に逃れたとされている。西欧を目指す多くの人びとがまずルートとして取ったのは、北アフリカから船でイタリアなどを目指すルートだった。しかし粗末な船に人びとを満載しての航海は危険が極めて多く、多くの人びとが遭難して命を落としている。

2015年には、地中海の海路ルートよりは危険の少ない、トルコから海路ギリシアに渡り、そこから陸路でドイツなどを目指す、いわゆる「バルカンルート」が人びとの流れの主流となった。人びとは携帯電話などで情報を収集し、最も容易に目的地に到達可能なルートに集中した。これらの人びとは、戦火のシリアを逃れた人びとが多くはあったが、その出身国はさまざまであった。こうした人びとは、どの立場に立つかによって、戦争や迫害を逃れる「難民」とも、経済的理由によるとのニュアンスの強い「移民」とも呼ばれるが、実際のところは「難民」と「移民」を明確な区別をすることはほとんど不可能である。経済的困窮が西欧を目指す動機であったとしても、その困窮がマイノリティの抑圧などの政治的背景を持つ場合も多く、また戦火を逃れた人びとが隣国の難民キャンプを出て西欧を目指すのには、経済的理由もあっただろう。

地中海を船で渡るよりは危険が少ないとされた「バルカンルート」ではあったが、もちろん安全であったわけではない。トルコからギリシアヘのボートなどでの移動に際しては、転覆事故も多く発生し、子どもを含む多くの人びとが犠牲になった。特に2015年9月はじめに沈没事故で亡くなった3歳の少年の写真は、世界に大きな衝撃を与えた。また、同年8月末には、保冷車に閉じ込められ窒息死したとみられる70人以上の難民の遺体がオーストリア東部で発見された。「バルカンルート」の拡大の背景に、難民の西欧への移動を請け負う犯罪組織が存在することを強く疑わせる事件であった。

こうして2015年の夏には、多数の難民が、バルカン諸国を通過して西欧を目指した。場合によっては一日で数千人に及ぶ雌民が国境通過を試みる中、これらの諸国では混乱が広がった。大量の難民を前に入国審査や難民申請の受付もままならず、多くの国がそのまま自国の通過を容認することとなった。主要駅の周辺には、宿泊場所のない難民がテントでしばらく暮らしたり、野宿したりといった光景が広がった。通過国の中には、セルビアやクロアチアとの間に鉄条網を設置して、物理的に難民の入国を遮断しようとした(ンガリーのように強硬策を取る国も現れた。難民の殺到を理由に、国境の一時閉鎖も見られ、交通や物流に大きな混乱が生じた。

こうした難民に対する強硬策は、実際のところは国内向けのアピールとしての側面が強い。2015年秋には、クロアチア国内でも、国境閉鎖や国境への物理的障壁設置の是非をめぐって議論が生じたが、これも同年の総選挙に向けたアピールの側面が強かった。逆に国内基盤の磐石なセルビアの政権は、難民問題への人道的対処を、加盟を志向するEUへのアピールの場とした。難民問題は国境を超える問題であり、難民の待遇を改善するためにも、各国が共同で対処する必要のある問題である。しかし、セルビア・ハンガリー間、セルビア・クロアチア間、クロアチア・スロヴェニア間などで、難民への対処をめぐる非難の応酬や対立が一部で見られ、ある種の「難民の押し付け合い」の様子を見せたことは残念であった。ただし対処能力を超えるような難民の殺到が背景にあることも確かであり、こうした殺到の背後に、難民問題への統一した方針を確立できないEU自体の問題も見て取れる。EU内では、難民受け入れに比較的積極的なドイツなどと、受け入れに反対する東中欧諸国の対立が見られ、難民問題への対処の速度は遅く、加盟国による16万人の難民割当も一致して決定することはできなかった。

「バルカンルート」の一般化により、バルカン諸国は否応なく難民問題に巻き込まれることになったわけだが、バルカンに暮らす人びとの、難民に対する連帯意識の強さは特筆に値するだろう。人道活動家に加えて、多くの普通の人びとが、難民に食料や衣服、さらには毛布を差し入れる姿が見られたとりわけ近い過去に紛争の歴史を抱える旧ユーゴスラヴィア諸国では、自らのかつての境遇と重ね合せる人びとも多く、難民に対する意識は総じて同情的である。また、バルカン諸国は難民の「通過国」であり、難民を社会に受け入れることになるという意識が希薄であることも理由かもしれない。

この難民問題、2015年秋の時点では解決の見通しは見えず、問題の長期化が予想される。冬を前に、西欧を目指す難民の波はますます大きくなっている。問題の性質上、バルカン諸国が自立して問題を解決することは不可能で、シリアにおける今後の紛争の展開、EUの難民政策といった点に依存する問題である。2015年11月にパリで発生したテロ事件を一つの契機として、各国は「紛争地」以外出身の人びとの送還を定めるなど、難民の選別に踏み出した。「イスラム国」の手によるテロの発生により、イスラム教徒難民に対する反感や危険視も広がった。しかし、難民もまた、「イスラム国」を原因とする紛争の被害者なのである。

バルカン諸国は、つい最近まで難民の送出国であったが、2015年には通過国となり、そして将来的には、欧州の一員として難民の受入国となっていくであろう。こうした経験を、どのようにこれからの難民問題への対処に生かすことができるのかが、今後の課題となるはずである。

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図書館 「社会装置」としての新たなモデルと役割

『ささえあう図書館』より 「社会装置」としての新たなモデルと役割の可能性

図書館運営とサービスを生み出す新たなモデル

 市民や利用者が図書館をささえる状況については、図書館に必要となる三つの資源を、すべて設置母体に依存するのではなく、「ひと」の協力を得て、「もの」を集め、「かね」を調達している事例を紹介してきた。各図書館の事例は、それぞれの資源を獲得するための独立した取り組みと見なすことができる。これらの事例は、図終-2に示したように「ひと」の協力を出発点として「もの」と「かね」が順次、獲得されていくことで、図書館運営とサービスを提供するためのモデルとなり得る。ここではこのモデルを形成し得る状況を説明しよう。

 まず、国政館の計画と設置にあたっては、各図書館の取り組みから勉強会を実施したり、建設準備委員会を発足させるなど市民と行政とが協働する状況を確認できた。また、「まちじゅう図書館」構想などを立ち上げることで、市民と文化の交流拠点として図書館をまちづくりに活かしていた。「まちじゅう図書館」構想は、まちの活性化につながるだけでなく、条例を制定することで読書活動の推進機関としての位置づけもなされていた。さらに、分館としての機能も果たしていた。図書館サービスの提供にあたっては、図書館友の会などのボランティアの協力を得ることで展開されていた。以上の状況から、図書館が「ひと」によってささえられていることがわかる。

 次に、図書館資料の収集にあたっては、市民や利用者による寄贈と、図書館が寄贈を募ることで、図書館は「もの」を集めていた。また、図書館運営とサービス提供のための資金調達にあたってば、クラウドファンディングを活用したり、有志からの寄付を募ることで支援と資金を同時に得たり、「ふるさと納税」や「光交付金」を活用することで新たな財源を確保している状況を確認できた。

 本章で紹介したいくつかの事例から、市民や利用者から提供される資源は、つながりを持つことで図書館をささえている状況を把握できた。たとえば、伊万里市民図書館では、図書館の開館後、市民が中心となって活動していた「図書館づくりをすすめる会」が発展的に解散し、図書館友の会の「図書館フレンズいまり」が発足して、図書館サービスの一部を担っていた。また、まちの再生を目指して「島まるごと図書館」構想を立ち上げた島根県海士町では、図書館と市民の有志が一体となり、蔵書の充実を目的にクラウドファンディングを活用して支援金を集めていた。こうした状況から、ひとつの図書館が、複数の資源を連鎖的に獲得していくことで、図書館運営とサービスを提供するためのモデルとなり得ると思われる。近年、「市民や利用者が図書館をささえる」取り組みが注目される傾向にあり、このうち、成功事例を図書館関係者で共有することによって、モデルヘの取り組みがしやすくなると考えられる。

図書館が地域や市民の活力源となる

 図書館が利用者をささえる状況については、市民が社会生活を送るなかで直面するであろうさまざまな川題や課題に対して、図書館が資料情報を提供することでサポートできる体制を整えている状況を確認できた。具体的には、図書館は、就業・起業、健康・医療、子育て、法律問題に関わる各種情報を提供することによって利用者をささえていた。また、図書館サービスの利用に困難を抱える人たちにもアウトリーチサービスや、施設内図書館においてサービスが提供されていた。一九四九年にユネスコ(UNESCO:国際連合教育科学文化機関)が発表した「ユネスコ公共図書館宣言」(一九七二、一九九四年改訂)では、マイノリティ、障がい者、入院患者、受刑者といった通常の図書館サービスや資料の利用ができない人たちに対して、特別なサービスと資料が提供されなければならないとしている。本書で取り上げた「ささえあう」図書館の取り組みは、まさにこの宣言の趣旨に沿うものと捉えられる。このように、図書館にささえられた利用者は、自らが抱える問題や課題を解決することができ、新たなステップを踏み出すことが可能となる。

 本章では、図書館と市民・利用者がともに「ささえあう」状況を本書で取り上げた事例を踏まえて整理してきた。この過程を通して、図書館は市民や利用者に場所を提供している状況を把握できた。具体的には、海士町中央図書館では、市民と文化の交流拠点としての役割を果たしていた。また、シャンティによる東日本大震災の被災地での移動図書館車によるサービスは、仮設住宅に暮らす被災者に集える場所を提供していた。以上のことから、図書館は市民や利用者に場所を提供していると捉えることができる。今後は、図書館と市民・利用者がささえあうなかで、図書館は市民や利用者同士が交流し、学び合う場所としての役割を果たしながら、双方のもつ能力を発揮することで、創造的な成果を生み出せるような新たな動きが期待されよう。こうした動きは、近年、全国各地に広がりつつある小さな私設図書館を通して、知識の共有、活動拠点の活性化、そして、参加者同士の交流などを目的とした「マイクロ・ライブラリー」の活動のなかに見出すことができる。マイクロ・ライブラリーの提唱者である礒井純充氏は、マイクローライブラリーの活動を五つに分類して捉えている。分類のひとつに、公共図書館が主体となり、市民の参加を得ながら運営を行い、まちの活性化や図書館利用の促進を目指す「公共図書館連携型」がある。たとえば、本章で紹介した恵庭市立図書館や小布施町立図書館の「まちじゅう図書館」の取り組みは、まさに「公共図書館連携型」の事例に当てはまるといえるだろう。図書館は、このような地域や市民の活性化を促進する場所として機能することで、法律で規定された社会教育機関としての位置づけから、文化活動を創造する新たな「社会装置」としての役割を担い得るようになると思われる。
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豊田市図書館の30冊

317.1『よくわかる行政学』

222.01『『史記』の戦い』図説 古代中国史を塗りかえた!

748『スズメ 光と風』

012.3『建築設計テキスト 図書館』

468『フィールドサイエンティスト』地域環境学という発想

369.27『見えない私の生活術』

494.02『外科医』明星と忘却のあわいに揺れる職業

015『ささえあう図書館』「社会装置」としての新たなモデルと役割

302.27『トルコ 中東情勢のカギをにぎる国』

913.6『帝都鳴動Ⅰ』

913.6『帝都鳴動Ⅱ』

493.25『高血圧の9割は「脚」で下がる!』降圧剤なし・減塩なしで正常値になるイシハラ式

706.9『ナチス・ドイツと〈帝国〉日本美術』歴史から消された展覧会 シリーズ 近代美術のゆくえ

376.11『子どものこころの発達を支えるもの』「アタッチメントと神経科学、そして精神分析の出会うところ」

367.9『にじ色の本棚』LGBTブックガイド

304『私の「戦後民主主義」』

369.31『16歳の語り部』

100『14歳の君へ』池田晶子 どう考え どう生きるか ⇒ 何はなくとも、池田晶子!

293.46『ウィーン オーストリア』ブタペスト プラハ わがまま歩き

549.9『液晶の本』トコトンやさしい 今日からモノ知りシリーズ ⇒ 長男が凸版で液晶を仕事にしているけど、シャープ・東芝を見ていると日本の「液晶」はどうなるのか?

673.8『ショッピングモールから考える』ユートピア・バックヤード・未来都市

280.4『図説 世界史を変えた50の指導者』

204『図説 世界史を変えた50の戦略』

980.2『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』

302.39『バルカンを知るための66章』

391.6『危機を覆す情報分析』~知の実戦講義「インテリジェンスとは何か」~

290.93『バルセロナ&近郊の町とイビサ島・マヨルカ島』

293.6『スペイン文化読本』

375.9『民主主義』文部省 〈一九四八-五三〉中学・高校社会科教科書エッセンス復刻版 ⇒ 今は亡き文部省。

933.7『チップス先生、さようなら』
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スタバのバリスタがおかしい

スタバのバリスタがおかしい

 カミコは結局、辞めたみたいです。もったいないと同時に寂しい。心が病んでいるとは知らなかった。乃木坂の真夏のように頑張っていると思っていた。

 ここ一年で三人、名前を知ったバリスタが居なくなった。スタバがヤバくなっている気がします。スタバの中で何かが起こっている。効率を求めるな。お客様ひとりに向き合おう。

 Iさんとかその同僚も店長がよし子さんから変わって、雰囲気が変わった。接する態度を変えざるを得なかった。

 バリスタと話していると、45歳差は気になりません。22歳だった彼女らは、私がスタバに通いだした2000年には、小学生だったけど。

 胸が空いているような感覚。そういう時は起きられない。そういう時はずっと寝ている。今日も1時から動き出した。スタバと図書館とえぷろんだけ。
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