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『国際社会学・超入門』

『国際社会学・超入門』

 『国際社会学・超入門』

移民問題から考える社会学

「ヨーロッパ難民危機」はなぜ「危機」だったのか?

Quizクイズ

Q4.12015年、シリアなどから「難民」と呼ばれる人々が多数ヨーロッパ連合(EU)の領域に流入し、社会問題になりました。その1年間で何人が流入したでしょうか。A.1万2000人以上6.12万人以上c.120万人以上d.1200万人以上

Q4.22015年、EUに流入した「難民」と呼ばれる人々は、EUの加盟国のうち、どの国をめざしていたでしょう。最も多くの難民申請がなされた国を答えてください。A.ノルウェーb.スイスc.ウクライナd.ドイツ

Q4.3「難民」は国際法で定義された存在です。次のうち、国際法上、「難民」と見なされる可能性が最も高いのはどれでしょう。A.環境難民b.条約難民c.経済難民d.ネットカフェ難民

Q4.4道徳的に劣っているとして社会的に確立した体制、それを代表する人々や諸集団を敵対視し、自分たちだけが人民を代表すると主張して他の考えを持つ人々を認めない政治的な考え方、または政治手法は、次のうちどれでしょう。A.ネオリベラリズムb.グローバリズムc.ポピュリズムd.アナキズム

Answerクイズの答え

A4.1C.120万人以上

シリア以外にも、アフガニスタン、イラク、コソボ、アルバニアなどからEUへと移動していきました。

A4.2d.ドイツ

ちなみに、a、ノルウェー、b.スイス、c.ウクライナは2015年時点でEUの加盟国ではなく、2023年7月時点でも加盟していません。

A4.3b.条約難民

条約難民は、1951年難民の地位に関する条約(難民条約)の定義に当てはまると判断された人々のことで、「政治難民」とほぼ同じ意味で使われています。A.環境難民は環境破壊によって、b.経済難民は経済的に困窮することで、住むところを失った人々を指すことが多いです。しかし、いまだ法的な定義はなく、「難民」として保護される対象ではありません。D.ネットカフェ難民は、住居がなくネットカフェで寝泊まりする人々を指すことが多いようですが、これも国際法上の「難民」ではありません。

A4.4C.ポピュリズム(populism)

  1. ネオリベラリズム(neoliberalism)とは、経済や社会保障などへの国家の介入を最小限にし、公的領域に市場原理を貫徹することを望ましいとし、個人の自己責任を強調する政治的な考え方とその手法のことです。B.グロハーバリズム(globalism)とは、個々の国家やローカルな地域の独自性、個々人の生活などよりも、モノ、資金、人、文化・情報などの国境を越えた移動と、それにともなう制度や規範の世界規模での画一化を望ましいものだとする考え方です。D.アナキズム(anarchism)とは、国家や宗教などの権力や権威を否定し、対等な個人がその自由を最大限発揮しつつ社会をつくり上げるべきだとする考え方のことです。

Chapterstructure本章の構成

EUへの庇護申請者の殺到

なぜ、人々は移動したのか?
「難民危機」はなぜ「危機」だったのか?
解決策は妥当か?
「難民危機」が生み出したもの

「難民危機」をめぐる問い

2015年のことです。「ヨーロッパ難民危機」と呼ばれる出来事(以降では、「難民危機」とも表記します)が、日本においてもメディアによって大々的に報道されました。報道されたからには、よく知られているかと思いきや、意外にも何が起きていたのかを理解されていないようです。その理由は、第1に複雑で奥の深い現象であり、第2に比較的新しい事件であり、最後にある意味、現在(2023年)も継続している出来事だからといえます。

しかし「難民危機」は、なぜ危機だったのでしょう。この問いを国際社会学的に検討することで、難民および移民という存在がもたらす社会的影響を明らかにしましょう。

後に見るように、「難民」(refugee)とは国際条約に基づいて受け入れ国が認定してはじめて得られる法的な地位のことです。難民になることを希望して移動する人のことは、「庇護希望者」(asylumseeker)と呼ばれます。難民の要件を満たさなかったり、そもそも難民になるつもりがないような「移民」も少なからず国境を越えていきます。そこで、本章では国境を越えて移動する人々のことを「難民・移民」という表記で示しておきましょう。そして、次の3つの問いを導き手として「難民危機」に検討を加えていきましょう。1つめに、「難民危機」という名称の下でいったい何が起こったのでしょうか。2つめに、国際社会学的に見て、「難民危機」はなぜ「危機」だったのでしょうか。最後に、解決策といわれるいくつかの方策は有効なのでしょうか。

1「難民危機」において何が起こったのか?

EUへの庇護希望者の殺到

難民申請の急増

1つめの問いから見ていきましょう。「難民危機」において何が起こったのでしょうか。まずは事実の確認からです。図4.1は、ヨ―ロッパ連合(EU)加盟国全体において2015年の1年間に行われた難民申請数を示したものです。

これを3カ月ごとに区切ると、まず1月から3月までは18万9690件の申請があり、コソボ(26%)、シリア(16%)、アフガニスタン(7%)の出身者からの申請が多くありました。次に4月から6月には21万7455件と増え、出身国は頻繁に報道されたシリア(21%)を先頭に、アフガニスタン(13%)、アルバニア(8%)、イラク(6%)、コソボ(5%)などが占めました。7月から9月になると、難民申請数は42万2880件に跳ね上がり、シリア出身者(33%)とアフガニスタン出身者(14%)が多くなりました。10月から12月になると、難民申請数は落ち着きをみせ始め、39万245件に減少します。しかし、合計すると、2015年の難民申請数は、122万270件を数え、過去最多となったのです。

EU領域内への人の大量移動

翌2016年に難民申請数はさらに減少し落ち着きをみせたものの、海路でやってきた者に着目すると同年1月1日から2月11日までだけで8万3201件に上りました。このように、まず「難民危機」において何が起こったのかという問いへの1つめの答えは、難民・移民が大量にEU領域内に移動したという事実になります。そしてその筆頭はシリア出身者だったのです。

新しいルートの開発

バルカンルート

「難民危機」という名称の下で起こったことの2つめは、「新しいルートの開発」でした。

難民・移民がEU領域内へ入るルートとして2000年代に入ったあたりから注目されてきたのは、「中央地中海ルート」です。アフリカ大陸の北に位置するリビアなどから、海路でイタリアへ向かう船が多数現れるようになったのです。とくに、地中海に浮かぶイタリアの領土であるランペドゥーサ島は、イタリアのシチリアからだと220キロメートルなのに、チュニジアからは113キロメートルしかありません。イタリアからよりもアフリカ大陸からのほうが近いのです。それゆえ、EU領域へ入る「入口」として利用すべく多数の船が到着しました。

中央地中海ルートは2023年現在も難民・移民を乗せた船が少なからず移動しており、右派ポピュリスト政党の「イタリアの同胞」や「同盟」、左派ポピュリスト政党の「五つ星運動」などが渦巻くイタリアの政界が、厳しい態度をとっています。
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