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『論理哲学論考』目次

事実の総体としての世界、可能性の総体としての論理空間
 物が集まっただけでは世界にならない
 事柄のすべてが「論理空間」を構成する
事実と事態、事態と物(対象)
 物(対象)は事態から分節化される
 物が事態のなかに現れる可能性は、論理空間のなかではすべて予定されている
不変のものとしての対象、移ろうものとしての対象の配列
 対象の形式はあらかじめ確定しているが、実際の世界のあり方は確定していない
 対象それ自体は不変であり、移ろうのは対象の配列の仕方である
現実と事実
 現実と事実の違い
 現実の総体と事実の総体の一致
 現実の総体(=事実の総体)と論理空間の違い
像と写像形式
 我々は像=現実の模型を用いて事態を表現する
 命題という、最も強力な像
 像はひとつの事実である
 「写像」という表現関係=「像が現実を写し取る」という関係
 像とそれが写し取る現実は、写像形式を共有している
 論理形式と論理像--『論考』の議論の次元
 写像形式は語りえず、示される
像とア・プリオリ性
 像の意味はあらかじめ確定しているが、その真偽は確定していない
思考と像、像と論理空間
 思考とは、像をこしらえることである
 語りうることの可能性(=思考の可能性)と世界の可能性は一致する
命題と語
 命題は対象(物)であり、かつ事実である
 命題が語へと分節化される
名と要素命題
 「名(単純記号、原記号)」とは何か、「完全に分析された命題」とは何か、という難問
 『論考』で想定されている言語とは、最大限の表現能力をもつ言語である
 「名」と「要素命題」は、語りうることの可能性を最大限担保するために要請される
 どれほど表現能力のある言語でも語りえないこととは何か、という課題
 名が単純であるなら、対象もまた単純である
解明と定義
 対象の形式、記号の使用
 語の解明とは、その語が使用されている命題のことである
 三・二六三節は「探究のパラドックス」に陥っているのか
シンボル(表現)と関数
 シンボル(表現)とは、命題とその部分の本質的な側面である
 命題は、シンボルを定項とする関数の値として捉えうる
 シンボルとは本来、要素命題とその部分(=名)の本質的な側面である
日常言語 (自然言語)と人工言語
 シンボルの混同が哲学的混乱を誘発する
 混乱の解消法①--記号の使用をよく見通す
 混乱の解消法②--人工言語を開発する
 記号の論理的構文論(論理的文法)を忠実に反映した人工言語の要請
 求めるべき人工言語は記号論理学上にある
 日常言語(自然言語)が論理的に不完全であるわけではない
個別性の軽視、個別性の可能性の重視
 事態が特定の日常言語の命題で表現されることは、経験的=偶然的=恣意的なことである
 事態が何らかの日常言語で具体的に表現されうることは本質的に重要である
言語の全体論的構造
 日常言語の限定された全体論的構造
 〈究極の言語〉の文字通りの全体論的構造--命題のネットワークは論理空間全体に及ぶ
「言語批判」としての哲学
 『論考』では言語に関して、現実の像としての側面のみに焦点を当てる
 日常言語の目的と、『論考』の人工言語の目的
 『論考』における「言語批判」とは何か
 哲学という病いの治療としての哲学
命題の意味の確定性と、命題の無限の産出可能性
 現実の像としての本質は、象形文字でも表音文字でも変わらない
 命題は、真か偽であるのに先立って、すでに意味をもっている
 命題は、既存の表現を並べ替えることで新しい意味を伝えなければならない
『論考』の根本思想
 「論理定項」とは何か
 論理定項は名ではない、論理は語りえない
否定と否定される命題の関係
 論理的場を反転させる操作としての否定
哲学と科学
 真なる命題の総体としての諸科学
 哲学とは学説ではなく、活動である
 語りうることすべてを最大限に明晰に語ることで、語りうることの限界を内側から引く
 語りえないこととは、論理形式(論理的性質、形式的性質、内的性質)とは何かである
 言語の限界は、〈究極の言語〉の想定において最もよく際立つ
世界のあり方と、世界があること
 ア・プリオリに要素命題を挙げることは不可能である
 世界があるという、根源的な「経験」
 「世界が存在する」というのは、無意味な命題もどきである
 世界があることは、世界のあり方に先立ち、論理に先立つ
独我論と哲学的自我
 独我論が生まれるところ
 主体は世界の限界そのものであり、世界のなかには属さない
 主体は視野のうちには現れない
 独我論を主張しようとすると、独我論が言わんとすることからずれていく
 独我論を徹底させるとは、純粋な実在を語ることである
 ア・プリオリに存在するもの・しないものについて語ることは、世界の限界を超え出ている
説明の終端
 因果的関係は必然的ではなく、偶然的なものである
 世界記述の各形式は、説明の終端である
意志と世界
 偶然性への抵抗
 相対的価値と絶対的価値
 倫理や美は語りえない
 倫理は超越論的である
 世界の外にありつつ、世界全体の強弱を変える意志
 幸福な生のア・プリオリな条件
永遠の相の下に
 私の死は、私の世界(=私の生)のなかの出来事ではない
 生きることそれ自体の問題は、生き続けるということによっては解決しない
 「世界がある」ことの無意味と意味
 現在に生きる者は永遠に生きる
 認識の生はなぜ幸福な生と言えるのか
 結論--謎と答えの一致
投げ棄てるべき梯子としての『論考』
 『論考』のなかで重要なのは、書かれなかった部分である
 語りうることの外側に越境する『論考』
 「梯子」のひとつの側面--使い捨ての触媒としての『論考』
 「梯子」のもうひとつの側面--おのれの存在の意味を消滅させるための書物としての『論考』
 沈黙という倫理
『論考』序文

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