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新刊書の運搬

久しぶりのフル。本の重さを感じる。本当に重たい。来年3月以降はどう運ぼうか。電子化してほしい。

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多文化間カウンセリング

『カウンセリング心理学』より カウンセリングの諸領域
文化とは、民族や社会の風習、伝統、思考方法、価値観など、次世代へ受け継がれていくものの総称であり、人間の知識、信念、行動などの人間が築き上げた生活様式全体を指す。文化はさまざまな集団や個人のパーソナリティの形成に影響を与えるといわれ、カウンセリングにおけるクライエントの理解には、文化的背景の把握が非常に重要になる。文化が違えば集団や個人の思考回路、行動様式も異なり、社会的属性や伝統,行事,信念,生活規範なども多様となる。
多文化間カウンセリングとは、このような多楡陛や多文化への配慮を混合した心理援助のことを指し、異文化カウンセリングとも呼ばれてきた。多文化間カウンセリングでは、人種による差別や障がいの問題、女性のキャリア形成の問題など、平等の権利を確保できなかったマイノリティの人々が尊重される多文化共生社会、つまり、人々が多様な文化を柔軟に認め受容することを常にめざしている。
1960年代の米国では公民権運動の継続やベトナム戦争の深刻化など不這石社会的背景があり、人種的マイノリティの人々に対する認知や理解の低さが問題視されていた。心理援助においても多文化への配慮が指摘されるようになり、アメリカ心理学会とアメリカカウンセリング学会が、人種的・民族的マイノリティグループに対し、効果的な支援を行う方針を固め、1980~90年代にかけて、多楡匪への配慮に関するガイドラインを両学会の倫理・教育規範に取り入れていった。たとえば、「レズビアン、ゲイ、両性愛のクライエントを対象とした心理療法のためのガイドライン」はその一つである。LGBT (lesbian、gay、bisexual、and transgendered)は、性的志向の多様な集団を構成し、民族・人種のマイノリティと同様、多くの差別や偏見を受け社会から抑圧されてきた。このガイドラインにある①当事者への態度、②人間関係と家族、③多楡匪の問題、④教育という四つの項目は、LGBTのみならず、社会・文化的に非難の対象とされてきた人々への支援に不可欠な視点であるとともに、広く異なる社会や文化に生きる人々や家族に対する心理援助に重要な観点でもある。また、日本においても、「会員は、基本的人権を尊重し、人種、宗教、性別、思想及び信条等で人を差別したり、嫌がらせを行ったり、自らの価値観を強制しない」と臨床心理士の倫理綱領刎こ明記されたり、多文化の相談に関する専門性を認定する「多文化間精神保健専門アドバイザー」の資格が発足するなど、実践への関心が高まっている。
多文化間カウンセリングでは、文化的に考慮されるべき要因への理解をとくに深めていく必要があるが、プロチャスカとノークロスはそれらに年齢と世代の影響、障がいの程度、宗教、民族性、社会的地位、性的志向、地域特有(土着)の伝統、民族の起源、ジェンダー(性の自己認識)の九つを挙げ、クライエントのアセスメントに役立てるべきとした。また、ペダーセンは、カウンセラーの多文化意識の訓練がカウンセリングの一次予防になるとし、①気づき、②知識、③スキルの3段階の訓練モデルを推奨している。気づきは、文化に対する物事の視点やとらえ方を正確に比較し、選択的に生じた態度や思考、価値への潜在的な優先順位を関連づけたり、ポジティブやネガティブな概念を識別したりして、多様な文化的状況を把握することができる。また、自己の多様性への理解の限界も知ることができる。さらに知識により、自己の文化の視点から異文化を理解したり、意味づけたりすることを可能にし、事実と情報にアクセスするのも容易になる。そして、スキルにより、多文化の人々の行動を観察、理解し、相互に影響しあいながら助言を行うことができ、多様な課題を効果的に扱うことが可能となる。このような多文化意識の啓発や訓練は、グローバル化・少子化の進展に伴って今後、さらに重要になってくる。
これまで日本の多文化間カウンセリングの多くは、スクールカウンセリングや大学の学生相談の留学生支援や労働者の海外赴任の支援(地域在住の外国人支援も含む)、男女共同参画の専門機関におけるDV支援、女性のキャリア支援などの領域で実施されてきた。たとえば教育現場における実践として、井上7)はコミュニティアプローチを重視した多文化教育臨床を紹介しており、留学生の個別のカウンセリングだけではなく、グループでの仲間作りワークショップ、異文化交流の促進プログラムなど留学生か援助を受けやすい環境作りの実践などがまとめられている。
また、教育現場だけでなく、家族療法も多文化を代表する臨床実践である。家族とは女性と男性、親と子どもといういわば異文化のメンバーが共生する身近な小集団であるため、家族カウンセリングをはじめとする家族支援の現場においても、多文化間カウンセリングは有効とされてきた。「男性は仕事、女性は家庭」という価値観は、女性に育児や介護などの家族内ケアを過度に期待し、夫婦関係や親子関係に悪影響を与え、女性の労働者としてのキャリア形成の中断を迫るなどして、家族のあり方に大きな影響を長く及ぼしてきた。1985年の男女雇用均等法の施行により、現在は、女性も差別されることなく、労働能力を発揮できる環境がより身近になり、家族内役割、子育てや教育などのありようも時代とともに変化している。このような時代的変化によりさらに多様な文化の文脈が作られ、それに伴って新たな問題が顕在化する家族もある。家族カウンセリングは、そのような多文化がもたらす問題を扱いながら、家族構成員一人ひとりの存在と多様な価値観を認め、エンパワーし、家族全体を支えていくものであり、まさに多文化間カウンセリングの実践ともいえる。
カウンセリングにおける多文化への配慮は、どの心理援助や現場においても念頭に置かれるべきである。価値観の多様化する教育現場において、アサーション教育を導入する学校も出てきている。アサーションとは、「自分の気持ち、考え、欲求などを率直に、正直に、その場の状況にあった適切な方法で述べること」8)であり、「自分も相手も大切にする自己表現」である。アサーションは、多様な価値観が存在する社会で自己と他者を尊重し共生していく意味をまさに伝える実践であるが、多文化社会における心理支援活動の一環として、今後ますます注目されることだろう。

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AI時代にソ連型社会主義は可能か

『純粋機械化経済』より AI時代にソ連型社会主義は可能か
社会主義経済計算論争
 計画経済が市場経済のように円滑に機能するのかどうかといった問いをめぐる一連の議論を、社会主義経済計算論争という。この論争には、ミーゼス、ラング、ハイエクといった経済学者が関わっている。
 まず、オーストリアの経済学者ルートヴィヒ・ミーゼスが、自由競争的な市場経済でなければ価格の決定は不可能だと言って、計画経済の不可能性を示した。
 それに対し、ポーランドの経済学者オスカー・ランゲは、計画経済でも価格は決定できるし、中央計画当局は模索過程を経ることで需給均衡をもたらす価格を決定できると主張した。
 模索過程というのは、まず中央計画当局がとりあえずの価格を提示し、その価格の下で需要が供給を上回るのであれば当局が価格を引き上げ、逆に下回るのであれば価格を引き下げるというものだ。
 そのような模索過程の末に需給均衡価格が得られるというわけだ。市場経済とは違って、個々の企業や店舗ではなく、中央計画当局が試行錯誤しながら適切な価格を見出すのである。
 ハイエクは、価格を決定するために必要な需要と供給に関する無数の情報を一カ所に集めることは現実的に不可能だと言った。このような情報の局在性ゆえに計画経済では妥当な価格の決定はできない、と論じている。
 身近な例を挙げておこう。大学近くのコンビニエンスストアは、大学入試の実施日には利用者が激増するので、普段よりも多くのおにぎりや弁当、使い捨てカイロなどを供給する必要がある。ただし、昼時におにぎりを用意してもほとんど売れないかもしれない。
 なぜなら、一度キャンパス内に入ったら入試が終わる夕方まで受験生は外に出てはいけないとルール付けている大学もあるからだ。私が非常勤講師を務めている早稲田大学にはそのようなルールがある。
 その場合、受験生は朝、入試が始まる前におにぎりを買っていくことになるので、店舗側は朝方に大量のおにぎりを用意する必要がある。
 店舗で働いている人ならば知り得るそうしたこまごまとした情報が、本社の会議室で議題として取り上げられることはまずないだろう。ましてや、中央政府が一国のすべての店舗で必要なそのような決定を逐一とり行うことなど現実的には不可能だ。
 ネットを利用すれば、局在的な情報を一箇所に収集することかできるので、計画経済が可能だという人もいる。しかし、数値化できない現場の情報をいちいちドキュメント化して送信するのも、それを受信して解読するのも不問が掛かる。
 決定する主体と作業する主体が離れている場合には、悄報伝達のフリクション(摩擦)や遅延が避けようもなく発生してしまう。実際に作業する人かその近くにいる人が決定を下す方が、迅速に事が運ぶ。
 そうであれば、現場にいる個々の経済主体が意思決定を行う分権的なシステムの方が、より効率的と言えるだろう。実際、資本主義経済における企業は、近年特に分社化によって意思決定を分権化する傾向にある。計画経済ではその真逆で、意思決定が一極に集権化されているので、効率が悪いことこの上ない。
 これに関して、ハイエクは、
  組織化された価格の体系と、市場によって決定される価格の体系との違いは、各隊、各兵が、特別の指揮と正確な本部の遠隔指令によるのでなければ動き得ないような戦闘部隊と、各隊と各兵が彼らに与えられたすべての機会を利用して動く軍隊との違いと同じようなものであるように見える       --ハイエク『個人主義と経済秩序』
 と述べている。
 計画経済は遠隔指令でのみ動く軍隊に、市場経済は前線の兵が現場の判断で自己決定できる軍隊に対応している。遠隔指令のやり取りをしている間に前者の軍隊が後者の軍隊に撃破されてしまうことは、想像に難くない。
 分権的な経済システムたる市場経済を計画経済によって再現することの不可能性は、ハイエクによって理屈の上で示されただけでなく、ソ連の崩壊によって実地に確かめられもした。結局のところ、それは人の手に余る難事だった。
 レーニンとともにロシア革命を主導したレフ・トロツキーは、革命の反対勢力に対し「おまえたちは歴史のゴミ箱行きだ」などと宣告したが、その70年ほど後には彼らが建設した社会主義国家がまるごと歴史のゴミ箱行きとなった。人の見える手は神の見えざる手の代わりになり得なかったために、社会主義体制の崩壊は免れられなかったのである。
人工知能と社会主義
 20世紀のAI研究とソ連型社会主義は、設計主義という同根の要因によって失敗している。リゾームシステムである人間の脳や市場経済を還元的に(つまりツリー状に)理解し設計主義的に再現できるという人間の驕り、思い違いがそれらの根っこにある。
 それを象徴する出来事がある。マイケル・ポランニーが暗黙知の理論を思い立ったのは、1935年にモスクワでニコライ・ブハーリンと会話を交わしたことがきっかけだった。ブハーリンは、レーニン亡き後の有力な指導者の一人だ。
 「純粋な科学的探求は必要ない」という意見をブハーリンから聞いたポランニーは、ソ連の指導者が人問社会のすべてはメカニカルに把握でき、コントロールできるといった僣越的な意識を抱いていると感じ収ったようだ。
 そのことか元で、ポランニーは折‥学的思考を深めていき、暗黙知の理論を提示するに至る。言葉や論理によっては明確に表し難い身体知や経験知があると主張したのである。ポランニーが、暗黙知の例として挙げたのは人の顔の識別だった。すなわち、それは20世紀のAIには困難だった画像認識である。なお、ブハーリンはこの3年後、スターリンの指示で銃殺された。さらにその48年後にチェルノブイリ原発事故が発生し、技術のすべてを人間がコントロールできるといった僣越的な意識が打ち砕かれた。
 以上の議論を踏まえて言うならば、純粋機械化経済の上にソ連型社会主義のような体制を築いても、望ましい結果はもたらされないだろう。
 神のような知性を持ち、あらゆる工場・店舗の現場の情報を知悉している超AIが中央計画当局に鎮座しており、供給量や価格を完全にコントロールしてくれるというのであれば、一切はその超AI様にお任せすれば滞りなく万事がとり運ばれることになる。
 ハイエクも、
  「偏在し、全能である」ばかりでなく、全知でもあり、したがってすべての価格を、必要とされるちょうどその分だけ、時期を失することなく変更することができるような集団主義的経済の指令機関を考えること自体は、論理的には不可能ではない --ハイエク 『個人主義と経済秩序』
 と述べている。
 神のごとき知性の超AIならば、そのような指令機関(計画当局)の仕事を完璧に務めることができるはずだ。その場合、神の見えざる手に代わって神的AIの見える手が、経済システムを良いあんばいにコントロールしてくれることだろう。ところが、第2章で論じたように、今世紀中に全脳エミュレーションは不可能なので、人間そっくりに振る舞えるAIは出現しない。それゆえ、不測の事態に備えて店舗や工場を責任持って管理する人間の労働者が必要とされ続ける。
 そうしたマネジメントばかりでなく、ホスピタリティやクリエイティヴィティに関わる仕事における人間の活躍も当面は続くことになる。彼らは企業を経営したり、イノベーションを起こしたり、新商品を企画したり、映画を作ったり、保育や介護に携わったりするだろう。
 企業や組織をすべて国営化し、中央計画当局がすべてをコントロールする集権的な経済に移行したら、分権的な経済の強みは失われてしまう。
 適切な価格付けがなされないだけでなく、局所的な情報に基づく商品・サービスの改善やイノベーションが起きにくくなり、ソ連と同じ失敗が繰り返されることになる。純粋機械化経済への移行に際し、「歴史のゴミ箱」からソ連型社会主義を拾いLげてリサイクルしても、望ましい結果はもたらされないだろう。

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豊田市図書館の26冊

389『暴力と輝き』叢書 人類学の転回
361『生きることの社会学--人生をたどる12章』
141.5『へんな問題』ハーバード・スタンフォード流「自分で考える力」が身につく
332.1『現代日本経済』
332.34『エウレギオ 原経済圏と河のヨーロッパ』
007.13『純粋機械化経済』頭脳資本主義と日本の没落
335.12『日本経営哲学史--特殊性と普遍性の統合』
312.1『武器としての世論調査--社会をとらえ、未来を変える』
160.36『宗教事象事典』
210.1『日本人はなぜ「頼む」のか--結びあいの日本史』
361.45『対話をデザインする--伝わるとはどういうことか』
210.76『語り継ぐ昭和平成の時代』戦後74年はじめて年表
371.3『想像力を拓く教育社会学』
289.1『帰ってきた 日々ごはん⑤』
914.6『生きながらえる術』
184『「身軽」の哲学』
116『論理学超入門』
312.9『世界地図を読み直す 協力と均衡の地政学』
312.1『なぜリベラルは敗け続けるのか』
210.19『戦略は日本史から学べ』壬申の乱から関ヶ原の戦いまで「戦い」のシナリオを紐解く
297.6『キプカへの旅』
146.8『カウンセリング心理学』キーワードコレクション
334.31『河合雅司の未来の透視図』目前に迫るクライシス2040
234.07『図説 モノから学ぶナチ・ドイツ事典』
235『歴史家ミシュレの誕生』一歴史学とがミシュレから何を学んだか
289.3『ヘンリー五世--万人に愛された王か、冷酷な侵略者か』世界歴史叢書

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