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超資本主義から超民主主義へ

『物欲なき世界』より 資本主義の先にある幸福へ ⇒ ジャンク・アタリは面白い

資本主義と民主主義の両立を破壊するもの

 しかし、その対立するふたつの考えの奇跡的な両立が今、崩れようとしている。そのひとつの徴候が、先進国病となった失業率の高さ、中でも若者の失業率の高さだ。もうひとつは先進国内における格差の拡大だ。

 最初の失業率の問題は、特に既に成熟した先進国であるヨーロッパ諸国において危機的状況に達している。ギリシャ、スペインの失業率は二五%に達し、イギリスは七・五%、EUの優等生と呼ばれるドイツで五・三%である。中でも若年層の失業率の高さが顕著で、ギリシャでは五七・三%、イタリアでは三九・五%にも達している。

 ふたつ目の格差の問題は、まさに前述のピケティの本の主要テーマとなっているもの。先進国は、全体としての経済成長がないため、国内において富める者と富めない者の格差を拡大させることで、資本家が利潤を出そうとしているということだ。ピケティの調査によると、二〇一〇年のアメリカでは、国富において上位一〇%の富裕層は国民所得の七〇%を所有している。日本においても上位一〇%の富裕層の所得が全体に占める割合は四〇%に達し、彼は「日本の格差は欧州の多くの国より深刻です」と「東京新聞」のインタビューで語っている。

 このような失業の増加と格差の拡大によって、民主主義を支える中心的母体である中産階級が急速にやせ細っている。アメリカの例では、中産階級(アメリカ国民全体を年収別に超富裕層、富裕層、中間層、貧困層、超貧困層の五分割した中の真ん中の層)の年収が二〇〇一年から二〇一一年にかけて六・八%減少。日本でも世帯平均年収が一九九四年から二〇一一年にかけて一二七万円減少、貧困世帯割合も五~一〇%増えている。健全な民主主義社会を維持するには、中産階級が大きな比重を占め、富裕層と貧困層に二極化しない社会であることが重要とよく語られるが、急速に中産階級の層が減り、二極化が進んでいることが浮き彫りになっている。

巨大企業に対抗する世界国家の構想

 これらの事例が示すように、もはや多国籍企業はひとつの国家の課税システムでは把握しきれない規模に達している。では、それら国家の課税から逃げ続ける多国籍企業や資本家から、いかに税金を徴収し、社会全体に再分配するか。

 ピケティは世界規模の資本課税が必要だと唱え、水野氏は巨大資本に対抗するための世界国家の必要性を説く。「グローバル資本主義の暴走にブレーキをかけるとしたら、それは世界国家のようなものを想定せざるをえません。金融機関をはじめとした企業があまりにも巨大であるのに対して、現在の国民国家はあまりにも無力です。世界国家、世界政府というものが想定しにくい以上、少なくともG20が連帯して、巨大企業に対抗する必要があります。具体的には法人税の引き下げ競争に歯止めをかけたり、国際的な金融取引に課税するトービン税のような仕組みを導入したりする。そこで徴収した税金は、食料危機や環境危機が起きている地域に還元することで、国境を超えた分配機能を持たせるようにするのがよいと思います」。

超資本主義から超民主主義へ

 彼らの説にきわめて近い考えを以前から提唱しているひとりに、フランスの経済学者で歴史学者であるジャック・アタリがいる。サルコジ元フランス大統領のブレーンなどを務めるョーロッパ最大の知性とも称される彼の著作『21世紀の歴史』(作品社 二○○八年)において、彼は多国籍企業が国家を超えた権力を持つ時代の到来を予見する。アタリはそれを「超資本主義」と呼ぶ。学校も警察も軍隊も一部、または全面的に民営化され、国家が関与する領域が限りなく小さくなる世界が来るという。まるでSF小説のような世界観のように思えるが、学校教育の中心が私立となり、民間警備会社や民間軍事会社が表舞台に立っている今のアメリカを見ていると、あながち空想の物語でもないように感じる。

 その超資本主義状態で、すべてが市場化され、政治も治安も軍事もお金で買える世界が到来する。しかし、それに対抗する勢力も拡大し、その勢力も国境を超えたネットワークを構築し、世界的な人権の擁護と再分配を目指して積極的な活動を展開し、最後に世界政府を樹立し、超資本主義に歯止めをかけるだろうとアタリは続ける。これが彼の言う「超民主主義」。この予見も、アメリカのみならず、世界中で続々と誕生する環境系NGOやNPO、多国籍企業の活動をウォッチするさまざまな監視団体の広がり、京都議定書で注目を集めたような超国家的な環境規制などの活動を見ていると、これも既に起きている事例でもある。

 未来は、利益と人権の激しいせめぎあいの中で、着地点を見つけるのだろう。それがハードランディングなのかソフトランディングなのかはわからない。ただ言えるのは、その着地点に先に到達した国家、都市、企業や社会が、二一値世紀においてアドバンテージを持った存在になるはずだ。水野氏も断言する。「近代資本主義の土俵の上で、覇権交替があるとは考えられません。次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が握ることになります」。

果たして自分は何か欲しいのか?

 さまざまな予見を紹介してきたが、資本主義はそう簡単に終息するとは思えない。ただ、その臨界点はかなり視野に入ってきたといえるだろう。だが既存の経済システムの維持を、そして富のさらなる集中化を望む者たちは死に物狂いの延命策を図るだろうから、その延命行為がさらなる社会の軋轢を生むはずだ。日本という国の累積赤字が危険水域に達しているように、資本主義の過剰な格差を生み出す運動も同じように危険水域に達しており、今の経済システムが早晩機能しなくなるのは、もはや自明の理だ。だが次なるシステムヘの準備をしないと、すみやかに移行する前に人々も環境もより荒んでしまう。(ーマン・デイリーも『エコロジー経済学』の中でこう語っている。「許されないのは、現状維持では何も解決しないことが明らかなときに、座して何もしないことである」。

 現在進行中の、そしてさらに顕在化されるであろう「物欲なき世界」は、貧しいわけでも愚かなわけでもない。むしろ今まで以上に本質的な豊かさや知性を感じられる世界になれるはずだ。ただ、「何をもって幸せとするか」を巡る価値観の対立は今まで以上に激しくなるだろう。これまでの見える価値=経済的価値を信奉する守旧派と、見えない価値=非経済的価値を提唱する新興勢力とのせめぎ合いはあらゆる局面で顕在化してくるに違いない。

 そのような時代の到来の中で、多くの人々はより自問するだろう、「果たして自分は何か欲しいんだろう?」と。それに対する解答を、経済の言葉ではなく語れる人が、来るべき「物欲なき世界」を謳歌できるはずだ。
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「消費をやめる」という生き方

『物欲なき世界』より 共有を前提とした社会の到来

カー・シェアリングの広がり

 住宅と並んで、消費や所有の象徴だったものが車だ。こちらのシェアリングも急激に進んでいる。カリフォルニア大学バークレー校の調査(二〇一四年)によれば、アメリカにおけるカー・シェアリングサービスの会員数は二〇一一年から二〇一四年までの三年間で、六四万人から二(三万人と二倍以上増加している。アメリカ国内だけで、一三四万人の会員がいるという。

 カー・シェアリングサービス世界最大手だった「zipcar/ジップカー」は、二〇一三年に世界的レンタカー企業の「AVIS/エイヴィス」に約五億ドルで買収されている。買収当時、約四億ドルとされていた米カー・シェアリングの市場規模を考えれば、相当な高額買収だ。市場の期待が如実に表れている。

 日本では、時間貸し駐車場を営むタイムズがカー・シェアリングサービスを展開し、国内最大手となっている。会員数は二〇一四年九月時点で四〇万人を突破。シェア住居の浸透度と同じように欧米から数年遅れてはいるか、確実にカー・シェアリングは日本にも根付いてきている。同社がマツダレンタカーを買収してレンタカー・サービスとの連携が行われている点も、エイヅィス+ジップカーの動きに近い。広義のレンタカー・ビジネスとして、カー・シェアリングは市場から注目を集めていることがわかる。

 人々がマイカーよりもカー・シェアリングやレンタカーを選ぶ理由は、やはり経済的合理性にある。二〇一三年一一月、トヨタが運営する自動車ポータルサイト「GAZOO.com」にこんな試算が掲載された。

  トヨタレンタカーでヴィッツを借りると、一二時間で七三五〇円(免責補償込み)。ここにガソリン代が加わります。仮にガソリン価格を一五〇円/詔、燃費を一五・〇㎞/詔とすると、一㎞あたりのガソリン代は一〇円。高速道路でロングドライブをしなければ、一日に走る距離は一〇〇~二〇〇㎞。ガソリン代は一〇〇〇~二〇〇〇円。すると、レンタカー二日あたりの費用は八〇〇〇~九〇〇〇円。毎週使うと仮定すれば、月間コストは三二〇〇〇~三六〇〇〇円です。最近話題の力ー・シェアリングは、短時間の利用ならお得になるものの、丸一日借りるとレンタカーと同じぐらいのコストになります。

 マイカーを所有した場合の月間コストを計算してみます。レンタカーをヴィッツでシミュレーションしたので、同じような大きさのクルマで考えてみましょう。クルマの維持費はケースバイケースなので、二〇代後半の人をモデルケースに、ざっくりした計算をしていきます。単純に維持費だけを考えて、駐車場代一五〇〇〇円(毎月)、自動車税二九五〇〇円(年間)、自動車任意保険一二〇〇〇〇円(車両保険っき、年間)、車検費用一五〇〇〇〇円(二年ごと)として月間維持コストを算出すると、三三七〇八円。レンタカーのときの条件に合わせると、月のガソリン代は八〇〇〇円(八○○㎞走行)になりますから、月間維持費はおよそ四一〇〇〇円となります。

 最後に忘れちやいけないのが、車両購入費用です。新車のリッターカークラスで、諸費用を含めた乗り出し価格を一五〇万円として考えてみましょう。五年乗って三〇万円で売却できるとすると、月あたりの車両コストは二〇〇〇〇円。維持費、ガソリン代、車両購入費用を合算すると、月間トータルコストは六〇〇〇〇円強になります。

 つまりトヨタの運営するサイトで、同じ頻度で車を利用するなら、車を購入するよりもレンタカーを利用する方が断然安いという試算を公式に謳っているのだ。短時間のカー・シェアリングなら、なおさら安く済む。つまり、車が趣味であればかまわないが、都市生活者がレンタルやシェアではなく、車を買うことの経済的合理性はもはやない。

「消費をやめる」という生き方

 こわまでほてきた事例のように、消費や物欲は、自然かつ自発的なものばかりではないどころか、企業が、そして資本主義社会が人々にそれを強いているという構造が見えてくる。まだモノが少なく、市井の人々が高度経済成長の恩恵を味わっている時代はそれでも良かったのだろう。しかし、この成長なき時代の中で、収入も上がらないにもかかわらず以前と変わらず消費することだけを煽られ続けている中で、今までのような過剰な消費をすんなりとやめることができるのだろうか? いやできますよ、とあっさり語る人がいる。平明で飾らない語り口で人気の評論家、思想家の平川克美氏は自著『消費をやめる』(ミシマ社 二〇一四年)という直球ど真ん中のタイトルの本で、消費主義が迎えた転換点をこのように語っている。

 「アノニマス(匿名的)な消費者」というポジションは、半ば自分たちで選び取り、半ばは企業、株式会社がつくってきたものですが、消費行動を変えることで、消費社会にどっぷり浸かった状態から、少しは外れることができるのではないか、ということです。消費を変えるなんてことができるのかというと、わたしの実体験からいえば、けっこうできるものなのです。しかも、かなり簡単に。

 平川氏は、アノニマスな消費者は、最近までの日本社会に存在していなかった集団だという。それがひとたび社会に出現すると、逆説的にアノニマスな存在であるからこそ、他の消費者との違いを求めるようになる。人間は他人との差異を求める生きものだからだ。身体性から切り離された存在としてのアノニマスな消費者においては、同じアノニマスな存在であるお金の多寡だけが差別指標になるのだという。「おカネを持っているかどうか、あるいはカネ離れがいいかどうかということが、他の消費者との違いを出すために、重視されるようになります」。

 そうなると何か起きるか。消費社会に生きている消費者も、お互いを特徴づける指標として、記号的なお金やブランドに傾斜せざるをえなくなる。さらにはお金の力が絶対的に高まり、何でもお金があれば買えると錯覚させられる社会になる。お金がなければ生きていけない社会というのは、働いて稼いだお金がすぐに出ていくようになり、余ったお金も欲望を喚起されてどんどん使わせる仕組みになる。つまり、使うために稼ぎ、稼ぐために働くラット・レースを延々と続けているような社会になっていると平川氏は憂慮する。「一見アクティヴでイノべーティヴな社会であるかのようですが、実際には社会全体が買い物病に冒された、すべての質的なものをお金の量に還元してしまう、人間性の希薄な歪な社会だといわなければなりません」。

 すべてをお金に還元することが資本主義の病の根本なら、お金に還元しない指標、資産、価値を生み出す仕組みが必要となるだろう。

 「人間も社会も、お金以外の部分で成長しても、そこに目が向かない仕組みになっています。そうではない、いわば〝インビジブル・アセット(目に見えなぃ資産)〟を発見して評価するシステムを、つくっていかなければなりません)。
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ポートランドのフードコープの理念

『物欲なき世界』より ポートランド

ポートランド的なものが持つグローバルな普遍性

 「ポートランドに住む人々は他の地域の人が気にかけないようなシンプルなものの真価を認めている。私たちも日頃編集作業をしながら、ポートランドが持つ自然の偉大さに感銘を受け、時には裸足で柔らかい芝生に触れる。そういった意識に常に立ち返るようにしています」。

 そう語ってくれたのは、雑誌『キンフォーク』副編集長のケイティ・ウィリアムスだ。ポートランドにベースを置き、オーガニックな食事や、自然を意識した生活、アウトドアでのアクティヴィティなどを発信し続けてきたこの雑誌は、まさにポートランド的なカルチャーの象徴と言える。ポートランドの編集部を訪れると、広々としたロフトのようなスペースで、ソファーやキッチン等があり、まるで大きな自宅のような居心地の良さ。日本版に続き、韓国版、中国版、ロシア版も発行され、日本でもアクタスと組んだファッション・ブランド「Ouur by KINFOLK」をスタート。その編集方針のスケールはローカルを遥かに超えたものがある。

 「私たちは『キンフォーク』の普遍性をアピールし、読者がどこに住んでいても関係ないような、世界中で通用する製品・コンテンツをメディアに取り入れるように努めています。ただ、仮に私たちが意図的に〝ポートランド的美意識〟を誌面上から取り払おうとしても、ポートランドにいれば自然と〝良い食事〟をとり〝アウトドア〟に動き〝意識的な生活〟を送るようになります。この土地の自然な流れが雑誌全体に影響を与えていると思うんです。

 この雑誌は、丁寧に暮らすことの大切さを気付かせるきっかけのようなもの。世界規模のスケールをキープすれば、このトレンドはそのまま恒常的ストレスや近代的生活から解放された未来へとつながり、人々が人生における優先事項を再確認し始めるきっかけになるんじやないかと信じています」。

ポートランドのフードコープの理念

 アメリカの食の世界は、ブラッドペリーのような新しい作り手の増加だけでなく、流通の世界にも大きな変化が起きている。先のバイ・ビンさんが語っていた大手オーガニック・スーパーマーケット・チェーンのホールフーズ・マーケットの売上が二〇一一年に九〇億ドル(約一兆円)を超え、二〇一四年で一四二億ドルに達し今や二兆円に迫ろうとしている。つまりユニクロの世界売上を超える規模なのだ。またオーガニック・スーパーで全米二位のトレーダー・ジョーズの売上も一三〇億ドルに上る。このように、オーガニックーフードはもはや一部の自然食愛好家向けのビジネスではもはやない。今やアメリカにおけるメジャーなフードービジネスとなっている。

 そのような環境を醸成するのに大きく役立っているのが、各地にあるフードコープ、日本で言うところの生協だ。

 私もアメリカのさまざまなフードコープを見てきたが、何度か訪れたブルックリンのパークスロープ・フードコープに並ぶ強い印象を与えたものに、ポートランドのピープルズ・フードコープがある。二〇一四年八月にポートランドを訪れた際に伺ったこの店は、全米各地の巨大コープのようなスケールはないが、品揃えが素晴らしく、お店のエネルギーからゴミまで徹底的に環境配慮してあり、多くの商品が量り売りで、包装ゴミを極力減らす徹底した姿勢を持っていた。さらに地元ならびに近郊農家との強い結びつきを伝える表示、店の内外での多種多様なフードーイペント、そしてそれらを伝えるフリーペーパーとウェブなど、独自のコミュニティ活動を活発に展開している。そこには、チェーン展開するスーパーにはない利害を超えた連帯感があった。「これは単なるビジネスではない」と思わせる姿勢があるのだ。

 この店のマーケティング・マネージャーのジェンナ・チェンは私のメール・インタビューにこのように語ってくれた。

  「ピープルズ・フードコープが目指しているのは、人々と深く結びついた、知識を持った、情熱的なコミュニティです。私たちは、倫理的で持続可能な食材を提供しようと努力しています。値段よりも品質と価値で食べるものを選択するコミュニティを作りたいのです。また私たちは、困難な時期に手を取り合い、共に助け合い、開かれた、そして安心出来るコミュニティを目指しています」。

 チェンは、大手スーパー、特にウォルマートのような大量生産品を主に扱う激安スーパーが未だ主流を占めるアメリカの消費者の気持ちに大きな変化があると語る。

  「アメリカでは食物の値段は非常重要視されています。景気が低迷する中、食物の値段は上がっているからです。これらの要因が、生活防衛のため、食物の品質よりも価格に目を向けるように強いています。さらに人々はひとつの大きな店ですべてを買おうとする傾向があります。しかしながら、一部の人々は、よりよいものを探し始めています。私たちの客は、食物がどこから生まれるか気にしていますし、自分たちが口にするものの生産現場と近い関係でありたいと思っています。そういう客が、注意深く消費し、地元の農園をサポートしようと行動し、オーガニック食材を購入し、コープで買い物をしています」。

 オーガニック運動はこの一〇年で急成長していると断言する彼女。それは食に関する知識、情報が増えていることがあるという。

  「オーガニックが広がった背景には、人々は以前とは違う食生活を始めているからです。人々は、遺伝子組み換え食品を食べたくないし、また農薬が散布された食材を食べたくないと認識し始めています。彼らはもっと良い食のあり方を探し始めているのです」。

 人々の食に対する関心はますます高くなっているが、反対に先進国の人々のラグジュアリー製品に対する消費が落ちているという調査結果がある。これについても伺った。

  「それは何が一番重要なものか、人々が認識し始めているからだと思いますね」。

 アメリカでよく語られる「消費は投票」という言葉は、まさにオーガニックな消費に適した言葉だ。投票的に消費することは、彼らの理念と合致する。

  「ええ、何かを買う行為は、その会社や団体を支援すると表明することですからね」。

 最後にピープルズ・フードコープにとってお金よりも大事なことは何かを聞いてみた。

  「もちろん、私たちは財政的に持続的でなくてはいけません。私たちの一番のゴールは、私たちの情熱的なコミュニティに可能な限り最良の食材を提供することです。そして人類と土地と動物の問の関係をより良くすることです。これらの活動を通して利益を出せるなら、それは素晴らしいことではないですか!」。
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世界一の通信インフラを持ちながら活かせない日本

『日本の未来を考えよう』より インフラ編

日本の成長のカギを握るICT

 労働人口が縮小に向かう中で、企業や国、そして自治体が国際競争力を上げていくにはICT(情報通信技術)の発展と活用が欠かせません。スマホ、SNS、クラウドなどの例を挙げるまでもなく、ICTの進化は私たちのライフスタイルをより便利に、より快適に変化させてきました。それは今後も続くでしょうし、むしろ続かせないといけません。

 総務省が2011年に発表した「ICT基盤に関する国際比較」という資料があります。各国の情報通信インフラの整備状況に主眼を置いた資料です。本項では、この報告書の詳細をひも解く形で日本のICT事情について見ていきましょう。

ICT総合進展度は世界3位

 「ICT基盤に関する国際比較」では、大きく分けて「利活用」[基盤(普及)」「基盤(整備)」の3つのレイヤー(計8分野16指標)でそれぞれ細かい評価を下し、最終的な「ICT総合進展度」という総合順位を導き出しています。

 調査対象30力国中、トップに立ったのは韓国でした。2位はスウェーデンで、日本は世界3位。そして4位ノルウェー、5位デンマークと続きます。

 日本は「基盤(整備)」のレイヤーでは他国を大きく引き離して1位。逆に「基盤(普及)」(12位)、「ICTの利活用」(18位)で大きく順位を下げたことが響いています。

 ではここから各レイヤーの詳細についてふれていきましょう。

通信インフラは世界1位

 まずは世界1位とされた「基盤(整備)」のレイヤーから。このレイヤーにおける総合2位はスウェーデン、3位は韓国でした。アメリカも4位にランクインしています。日本に2位以ドに5・6ポイント差をつけて引き離していますので優位にあるのは間違いありませんが、各国ともブロードバンドの推進には国家レベルで力を人れているので、日本もうかうかしていられません。評価の対象となった分野は3つありあり、そのうち、「先進性」と[許容性]で日本は1位です。

 「先進性」とは具体的に「固定ブロードバンド最高速度(1位)」と「第3世代携帯比率(1位)」のこと。「許容性」では「インターネットホスト数(11位」」が少ないものの、「光ファイバ比率(I位)」が他国に比べて高いことが高評価につながっています。

 もう1つの分野である「安定性」(「固定ブロードバンド品質(2位)」「安全なサーバ数(15位)」)については世界3位。1位は韓国。2位にネーデルランドが入っています。

 結論としては、日本では大きなデータをより速くやり取りできる世界最高水準の通信インフラが整備されているということです。

日本のネット料金と携帯料金は高すぎ

 世界12位という結果の出た「基盤(普及)」のレイヤーでは、評価対象となるのは、「固定ネット心目及率」と「モバイル普及率」の2分野です。ネットは12位、モバイルは16位と意外と低い結果になっていました。同レイヤーの総合1位はデンマーク。2位はフィンランド、3位はスウェーデン、4位はノルウェーと北欧諸国が上位を占め、5位に韓国が入っています。

 この5カ国のうちスウェーデン、ノルウェー、韓国は、先ほど見た「基盤(整備)」でもTOP5入りしています。一般的に考えればインフラが整備されていれば普及率が高くなりそうですが、日本だけは例外のようです。

 「固定ネット普及率」のトップはまたしても韓国。日本は普及率(「インターネット普及率(11位)」「固定ブロードバンド普及率(14位)」)が低いことが順位を下げる主な原因になっていますが、「固定ブロードバンド料金(9位)」の高さもネックになっていると考えられそうです。

 「モバイル普及率」の分野では、さらに世界と差をつけられています。この分野の1位はUAE。16位の日本と17・8ポイントも差があります。たしかに中東の人はいつも携帯で話しているイメージがありますが、まさか世界のトップだとは僕も知りませんでした。

 モバイル普及率を項目別に見ると、「モバイルブロードバンド普及率(3位)」は高いものの「携帯普及率(25位)」自体は低く、さらに日本の場合は高すぎる「携帯電話料金(27位)」が大きく順位を下げる要因となっています。

ICTは活用しなければ意味がない

 最後にICTの「利活用」のレイヤーについてふれましょう。このレイヤーの上位5カ国は韓国、スウェーデン、カナダ、アメリカ、シンガポール。日本は18位で、韓国には11・9ポイントも差をつけられています。

 評価の分野は「個人」「企業」[政府]に分かれていて、なかでも日本の順位を大きく下げる原因になっているのは「政府の利活用」です。指標を見ると[国民向けサービス充実度(11位)」「行政内部効率化貢献度(26位)」のいずれも散々な結果です。ここに日本のICTの大きな課題かおるとも言えるでしょう。

 ただ、日本の場合は政府以外の「個人の利用率(12位)」と「企業の利用率(7位)」も、TOP5入りできていません。個人の利用率はさておき、企業の利用率が低いというのは国際競争力の観点からも由々しきことです。といっても僕もアナログ人間なのであまり大きな声では言えませんが……。

 世界一の通信インフラがあるのに、料金が高くて普及率は遅れている。しかも、利用できる立場にあっても十分に活用していない。これが日本のICTの現状です。せっかくの強みを活かしていくためにも、ハードからソフトヘの転換が求められています。
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小さな発見でつながる喜び

小さな発見でつながる喜び

 ツイッターに小さな発見を書きましょうか。アレキサンドリア図書館の蔵書消失にカエサルが絡んでいるのは、知っていたけど、まさか、自分で書いているとは、知らなかった。

 歴史はつながりです。つながった瞬間はスッキリします。その繋がりの一つ一つをツイッターで述べていきます。

 本同士をつなげます。そこに書かれていることはあまりにもプアです。一つの本で全てを表現することはできない。関係性をどう持って行くのかがバラバラです。それをつなげていきます。

最低限の生命維持

 万歩計を持ち歩きます。何しろ、歩くことです。散歩とか運動とかは関係ないです。

 あと、納豆を単独で食べましょう。バナナと納豆とか、パンと納豆とか、組合せには拘らない。野菜サラダに納豆を掛けるのもありです。万歩計はとりあえずはケータイで行います。外へ行く時には持っているのだから。

 それと原動力です。誰かを好きにならないといけない。

入力の日課

 それと夜、入力することを日課にしましょう。だけど、夜の時間は何かをやっているから、いい加減になる朝の時間にしましょう。

 今日やったこと、今日考えたこと、明日の私にやってほしいこと。スケジュール表は残します。掟上今日子でないので、身体の代わりに書き込みます。もっと、ワザとらしいものにしないと。なれたら、明日へのメモはツイッターに載せます。

ICレコーダーの入力もれ

 (オンとオフがずれて、メモが残っていない)

 ブログへの反映が終わりました。本がまだ、三冊あります。

10年前に民間図書館の発想をした

 エコットの図書室を民間図書館にできないか? エコットという名前が邪魔になるけど。

 20年前に「どこでも図書館」の発想の確認で、美瑛図書館に行ったこともあります。あの頃は、日本のどこへも行くことができた。全国の販売店を相手にしていたから。

 年寄りを引き付ける要素を持っている。歩いて来れるかどうかがポイントです。だけど、町なかよりもいいでしょう。

 だけど、木曜日の100円コーヒーと一緒にすれば、応対はできます。コーヒーと異なり、一日そこに居てもいい。場所は狭いので、オープンスペースにしないといけない。
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