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ヘーゲルの歴史哲学における理念

人類の進化

 人間の進化はひょんなことから新しいものが生まれて、始まる。それは論文で決まるのではなく、生活がどうなるのか、生き残れるかどうかで決まる。画期的なモノは簡単にできるものです。ただ、残ることは画期的ではない。

 ひょんなことからという意味では、私自身の存在もひょんなことからできたかもしれない。それで何を為すかによって、変わってくる。Iさんのひょんなことから結婚したという内容も一回聞きたいです。ポイントは愛して結婚したのか、愛されて結婚したのか、どちらが幸せか。

 バイキングはアメリカで、インディアンにミルクを出して、腹を下されて、追い出された。これは大きな視点です。バイキングはその時点でミルクを飲むことに免疫を持っていた。だけど、アメリカインディアンは免疫を持っていない。

 乳を飲むというのは、子孫との関係が大きなファクターです。乳をふだん飲んでいない限り、それを拒絶します。母乳しかないから。それは赤ん坊のモノです。

 ちなみに、この地球が生まれたのは、38億年前です。単細胞ができたのは、それより、はるかに後です。その時の地球のパラメーターで単細胞ができるとは思っていなかった。割と簡単な条件で出来てしまった。問題はそれが生き残ることです。

ヘーゲルの歴史哲学における理念

 理念は個別のことと関係なく、無傷の傍観者でいる。理念に対して、個人は情熱でもって支払うことになる。個人の存在とその目的の満足が犠牲にされる。理念は個人を超えたものになる。

 人間が自己を目的といえるのは、理性があるからです。その活動として、明確な姿を取ると自由と名付けられるものになる。自由を自己目的とする考え方が出てくる。

 神の計画の実行は世界史である。⇒なぜ、こうもすぐに神に結び付けるのか。責任逃れだろう。そんなものは存在しない。神が存在するぐらいならば、こんな世界に放り込まれることはない。

ヘーゲルの歴史哲学と国家との関係

 完全に、国家というモノが幻想に紛れている。共同体そのものを国家というカタチに押し込めている。これはムリです。大きすぎるし、一つの線を引くことができない。

 そういう意味では、ヘーゲルが居たドイツの特殊要因かもしれない。世界はもっと、色々なバリエーションに溢れている。ドイツは元々は、地方分権の塊でした。アーヘンが首都であった頃は、そういうカタチでした。フリードリッヒが出てくるまでは。

 その意味では、国民国家が崩壊した後の世界の歴史哲学として、描くことが重要です。国家どまりでは理念がなくなります。未来を描く歴史哲学になります。

 どうも、国家は法律と一緒になっているみたいです。法律が共同体をなくというのは、大きな幻想です。上から下には行きようがないです。

本当の自由って何でしょうか

 本当の自由を目的にしているみたいだけど、理性的で、かつ、概念的な自由は法律に縛られている自由です。本当の自由とは何か? この世界に放り込まれた、その瞬間が一番自由なんでしょう。ただ、訳もなく。自由をキーワードにするにしても、その本当の意味、どうあるべきなのかをどうやって知るのか。

 そこで初めて、存在の力が出てきます。意思の力で規制されるものでも、法律の力で規定されるものでもない。私にとっての自由は、より多くの人が生きていけるものであり、それが幸福であること。それがエネルギーがふんだんにあれば、出来るのか、お金があればできるのか。そこら辺から出発しました。

 ちなみに、ヘーゲルでは、自由とは思考の活動によって、見出され、やがて、感覚的な意思に適用され、感覚的な意思を理性的なモノに変えていく。そういう普遍的、かつ本質的な対象であるのが目的である。自由と目的をつなげている。

 気に入らないのは、社会や国家が自由を実現する場にしているけど、あくまでも、一人一人の中に自由がある。組織たるものは、意思の力でしか、力を発揮できない。

 それで自由になったとしても、組織として、大きく縛られます。一人一人が自由でないから、全体の中の一人と自由ということは、企業の中の論理と同様です。20世紀になくなった論理です。

スタバでの出待ち

 朝、スタバに行ったのに、Iさんがいなかった。木曜日に来るということで、楽しみに行ったのに。昼間に行ったら、ANさんから、Iさんは近くの別のスタバだと言われた。そこで、近くのスタバに行きました。

 火曜日のトラウマのことを話したけど、受け答えが過剰反応せずに、受け入れてくれた。本当に癒されます。今日は6時半までだから、帰りに寄ることにしました。完全に出待ちの世界です。

 5時30分ぐらいに出掛けて行きました。会社では、パートナーのミーティングが脇机で行われていた。暗い感じです。パートナーの苦しい顔を見たくないので、早めに行きました。

 レジを見たら、いません。レジに並んでいたけど、奥の方から手が上がりました。こっちだよ、という合図でした。奥に行ったら、バリスタをやっていた。

 何も買わずに、店内で立ち話をしました。名鉄のスタバのクローバーのことなどの情報交換を行いました。

 あの笑顔は何にも勝ります。
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