未唯への手紙
未唯への手紙
バナナ・フラペティーノ
「アラブの春」の諸事情
「アラブの春」が石油産油国でないところで起こったのには、意味がある。
石油産油国では、すぐに国民に金をばらまいて、懐柔した。納税していないものには、それで十分な対策ができた。
スタバのバナナ・フラペティーノ
スタバは、今日からバナナ・フラペティーノです。忙しくなりそうです。Iさんは、朝から3時までの勤務です。笑顔がそれまで持つかどうか。
バナナ・マスターというプレートを貼っていました。
夕方、帰る時にスタバの前を通ったら、女性がずらっと並んでいた。
家での電話相談
パートナーからは昨日に引き続いて、ケータイに電話するという予告があった。8時過ぎと言っておいたけど、8時には掛かってこなかった。まあ、10時まで来ればいいのかな。こちらからは電話しないのが、鉄則です。
頭の中を整理するのが必要でしょう。実際はそのために電話していくのでしょう。答は全て、パートナーの中にある。やはり、頼らずにやること、そして夢を追うことを推奨していくしかない。
その意味では、パートナーはプロジェクトにとっては救世主です。ジャンヌダルクです。最期は火あぶり?
「アラブの春」が石油産油国でないところで起こったのには、意味がある。
石油産油国では、すぐに国民に金をばらまいて、懐柔した。納税していないものには、それで十分な対策ができた。
スタバのバナナ・フラペティーノ
スタバは、今日からバナナ・フラペティーノです。忙しくなりそうです。Iさんは、朝から3時までの勤務です。笑顔がそれまで持つかどうか。
バナナ・マスターというプレートを貼っていました。
夕方、帰る時にスタバの前を通ったら、女性がずらっと並んでいた。
家での電話相談
パートナーからは昨日に引き続いて、ケータイに電話するという予告があった。8時過ぎと言っておいたけど、8時には掛かってこなかった。まあ、10時まで来ればいいのかな。こちらからは電話しないのが、鉄則です。
頭の中を整理するのが必要でしょう。実際はそのために電話していくのでしょう。答は全て、パートナーの中にある。やはり、頼らずにやること、そして夢を追うことを推奨していくしかない。
その意味では、パートナーはプロジェクトにとっては救世主です。ジャンヌダルクです。最期は火あぶり?
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中分類の変更 4
7.5 考えられる生活つくり
7.5.1 社会を知るための生活
7.5.2 内なる生活でまとめる
7.5.3 知るための行動
7.5.4 考えられる生活
7.6 社会の位相化をめざす
7.6.1 社会の構造を変える
7.6.2 エッセイを出版
7.6.3 集合知としてまとめ
7.6.4 サファイア生活の例示
7.7 全てを知り、全てを表わす
7.7.1 全てを知る
7.7.2 全てを表わす
7.7.3 全てを蓄える
7.7.4 未唯空間から結論
7.8 歴史の変節点を預言
7.8.1 新しい数学を示す
7.8.2 社会の変わる力
7.8.3 歴史の変わる力
7.8.4 存在の無に至る
8.販売店
8.1 販売店要望の絞り込み
8.1.1 店舗をコミュニティ化
8.1.2 簡単に使える武器
8.1.3 お客様状況を把握
8.1.4 お客様とつながりたい
8.2 スタッフに情報を集約
8.2.1 安心して発信
8.2.2 知識系
8.2.3 意識系
8.2.4 基幹系
8.3 メーカーがお客様とつながる
8.3.1 お客様の発信に対応
8.3.2 お客様・メーカー・販売店の循環
8.3.3 クルマを使うこと
8.3.4 メーカー施策を展開
8.4 いい町・いい社会を志向
8.4.1 お客様の声を聞く
8.4.2 スタッフが店舗を変える
8.4.3 店舗から地域へ拡張
8.4.4 店舗は知識と意識の場
8.5 情報共有でつながる
8.5.1 ソーシャルで柔軟な開発
8.5.2 個別対応が可能
8.5.3 外の世界と情報共有
8.5.4 内の世界で情報共有
8.6 コミュニティに知識と意識
8.6.1 分化でお客様への関心
8.6.2 コミュニティに知識と意識
8.6.3 意思決定から行動
8.6.4 個別対応のナレッジ化
8.7 マーケティングが変わる
8.7.1 情報共有が存在の力を誘発
8.7.2 社会に発信
8.7.3 企業と生活者がつながる
8.7.4 生活者からのマーケティング
8.8 企業で環境社会をつくる
8.8.1 市民が変わる
8.8.2 地域からシャア社会
8.8.3 個人から組織が変わる
8.8.4 企業が環境社会に対応
9.環境社会
9.1 地球規模課題と環境社会
9.1.1 人口増減から環境問題と格差
9.1.2 国の方針は不明確
9.1.3 静脈系の不備で循環しない
9.1.4 地域から循環させる
9.2 国と地域が循環
9.2.1 地球規模課題を地域で対応
9.2.2 多様な市民の知恵
9.2.3 市民主体の民主主義
9.2.4 企業は地域を支援
9.3 環境社会で対応
9.3.1 技術から環境社会
9.3.2 循環型社会の配置
9.3.3 意識を変える
9.3.4 合意方法を変える
9.4 環境社会での地域の姿
9.4.1 分化から自立
9.4.2 危機感から意識変革
9.4.3 地域の分散自律
9.4.4 税と権限の委譲
9.5 分化と統合の社会
9.5.1 LAN/WANのネット
9.5.2 分化と統合の位相化
9.5.3 地域が企業を変える
9.5.4 多くの人が働ける
9.6 シェアする社会
9.6.1 持続可能な社会
9.6.2 お互い様の世界
9.6.3 地域での優先順位
9.6.4 コミュニティで儲ける
9.7 国民国家からの脱却
9.7.1 分配と雇用を保証できない
9.7.2 市民意識を発揮できる規模
9.7.3 地域の人的資源活用
9.7.4 多様な意見を反映
9.8 超国家と地域の二元化
9.8.1 グローバル化と多様化に対応
9.8.2 超国家で対応
9.8.3 同一価値観のつながり
9.8.4 日本のシナリオ
10.次の世界
10.1 分化で生き残る
10.1.1 多くの市民が生きる
10.1.2 安心・安全な場を提供
10.1.3 多様化に対応
10.1.4 コミュニティが個人と組織をつなぐ
10.2 環境哲学から共有意識
10.2.1 哲学は作られてきた
10.2.2 発信から変われる
10.2.3 情報共有で意識を変える
10.2.4 企業から意識を変える
10.3 市民主体民主主義
10.3.1 循環を見える化
10.3.2 LmGからGmLに変わる
10.3.3 社会の位相化で変質
10.3.4 革命と維持
10.4 情報共有で社会の位相化を実現
10.4.1 周縁から全体を変革
10.4.2 状況把握で活性化
10.4.3 コミュニティで情報共有
10.4.4 グローバルは社会の推進力
10.5 歴史哲学が歴史を変える
10.5.1 意思の力が歴史を動かしてきた
10.5.2 歴史哲学で考える
10.5.3 存在の力を入れ込む
10.5.4 市民主体の社会
10.6 個人=超国家の未来を想定
10.6.1 LLとGGがつながる
10.6.2 放り込まれた存在で生きる
10.6.3 点と集合がつながる
10.6.4 行政がコミュニティを支援
10.7 全てを知ることで存在を確認
10.7.1 全てを知り、存在を確認
10.7.2 存在の力から先を知る
10.7.3 未唯空間にまとめる
10.7.4 問われれば応える
10.8 存在と無から存在の無へ
10.8.1 自己肯定のプロセス
10.8.2 用意された偶然
10.8.3 数学者の役割を完遂
10.8.4 さいごまで生きる
7.5.1 社会を知るための生活
7.5.2 内なる生活でまとめる
7.5.3 知るための行動
7.5.4 考えられる生活
7.6 社会の位相化をめざす
7.6.1 社会の構造を変える
7.6.2 エッセイを出版
7.6.3 集合知としてまとめ
7.6.4 サファイア生活の例示
7.7 全てを知り、全てを表わす
7.7.1 全てを知る
7.7.2 全てを表わす
7.7.3 全てを蓄える
7.7.4 未唯空間から結論
7.8 歴史の変節点を預言
7.8.1 新しい数学を示す
7.8.2 社会の変わる力
7.8.3 歴史の変わる力
7.8.4 存在の無に至る
8.販売店
8.1 販売店要望の絞り込み
8.1.1 店舗をコミュニティ化
8.1.2 簡単に使える武器
8.1.3 お客様状況を把握
8.1.4 お客様とつながりたい
8.2 スタッフに情報を集約
8.2.1 安心して発信
8.2.2 知識系
8.2.3 意識系
8.2.4 基幹系
8.3 メーカーがお客様とつながる
8.3.1 お客様の発信に対応
8.3.2 お客様・メーカー・販売店の循環
8.3.3 クルマを使うこと
8.3.4 メーカー施策を展開
8.4 いい町・いい社会を志向
8.4.1 お客様の声を聞く
8.4.2 スタッフが店舗を変える
8.4.3 店舗から地域へ拡張
8.4.4 店舗は知識と意識の場
8.5 情報共有でつながる
8.5.1 ソーシャルで柔軟な開発
8.5.2 個別対応が可能
8.5.3 外の世界と情報共有
8.5.4 内の世界で情報共有
8.6 コミュニティに知識と意識
8.6.1 分化でお客様への関心
8.6.2 コミュニティに知識と意識
8.6.3 意思決定から行動
8.6.4 個別対応のナレッジ化
8.7 マーケティングが変わる
8.7.1 情報共有が存在の力を誘発
8.7.2 社会に発信
8.7.3 企業と生活者がつながる
8.7.4 生活者からのマーケティング
8.8 企業で環境社会をつくる
8.8.1 市民が変わる
8.8.2 地域からシャア社会
8.8.3 個人から組織が変わる
8.8.4 企業が環境社会に対応
9.環境社会
9.1 地球規模課題と環境社会
9.1.1 人口増減から環境問題と格差
9.1.2 国の方針は不明確
9.1.3 静脈系の不備で循環しない
9.1.4 地域から循環させる
9.2 国と地域が循環
9.2.1 地球規模課題を地域で対応
9.2.2 多様な市民の知恵
9.2.3 市民主体の民主主義
9.2.4 企業は地域を支援
9.3 環境社会で対応
9.3.1 技術から環境社会
9.3.2 循環型社会の配置
9.3.3 意識を変える
9.3.4 合意方法を変える
9.4 環境社会での地域の姿
9.4.1 分化から自立
9.4.2 危機感から意識変革
9.4.3 地域の分散自律
9.4.4 税と権限の委譲
9.5 分化と統合の社会
9.5.1 LAN/WANのネット
9.5.2 分化と統合の位相化
9.5.3 地域が企業を変える
9.5.4 多くの人が働ける
9.6 シェアする社会
9.6.1 持続可能な社会
9.6.2 お互い様の世界
9.6.3 地域での優先順位
9.6.4 コミュニティで儲ける
9.7 国民国家からの脱却
9.7.1 分配と雇用を保証できない
9.7.2 市民意識を発揮できる規模
9.7.3 地域の人的資源活用
9.7.4 多様な意見を反映
9.8 超国家と地域の二元化
9.8.1 グローバル化と多様化に対応
9.8.2 超国家で対応
9.8.3 同一価値観のつながり
9.8.4 日本のシナリオ
10.次の世界
10.1 分化で生き残る
10.1.1 多くの市民が生きる
10.1.2 安心・安全な場を提供
10.1.3 多様化に対応
10.1.4 コミュニティが個人と組織をつなぐ
10.2 環境哲学から共有意識
10.2.1 哲学は作られてきた
10.2.2 発信から変われる
10.2.3 情報共有で意識を変える
10.2.4 企業から意識を変える
10.3 市民主体民主主義
10.3.1 循環を見える化
10.3.2 LmGからGmLに変わる
10.3.3 社会の位相化で変質
10.3.4 革命と維持
10.4 情報共有で社会の位相化を実現
10.4.1 周縁から全体を変革
10.4.2 状況把握で活性化
10.4.3 コミュニティで情報共有
10.4.4 グローバルは社会の推進力
10.5 歴史哲学が歴史を変える
10.5.1 意思の力が歴史を動かしてきた
10.5.2 歴史哲学で考える
10.5.3 存在の力を入れ込む
10.5.4 市民主体の社会
10.6 個人=超国家の未来を想定
10.6.1 LLとGGがつながる
10.6.2 放り込まれた存在で生きる
10.6.3 点と集合がつながる
10.6.4 行政がコミュニティを支援
10.7 全てを知ることで存在を確認
10.7.1 全てを知り、存在を確認
10.7.2 存在の力から先を知る
10.7.3 未唯空間にまとめる
10.7.4 問われれば応える
10.8 存在と無から存在の無へ
10.8.1 自己肯定のプロセス
10.8.2 用意された偶然
10.8.3 数学者の役割を完遂
10.8.4 さいごまで生きる
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中分類の変更 3
5.その他
5.1 皆の夢をかなえる
5.1.1 事務・技術・販売を経験
5.1.2 システムをつくる
5.1.3 皆の夢をかなえる仕事
5.1.4 作ることより使えること
5.2 サファイア循環を見つけた
5.2.1 ローカルで考える
5.2.2 ローカルを活性化
5.2.3 グローバルとして企画
5.2.4 グローバルでモノつくり
5.3 サファイア循環をモデル化
5.3.1 ネットでつなげる
5.3.2 店舗の活動を保証
5.3.3 コミュニティから発想
5.3.4 販売店環境の先を考える
5.4 販売店の二重ループ
5.4.1 メーカーとお客様を支援
5.4.2 お客様と直接つながる
5.4.3 メーカーとつながる
5.4.4 クルマ社会の変化に対応
5.5 販売店環境をシステム化
5.5.1 メッセージ系
5.5.2 意思決定系
5.5.3 コンテンツ系
5.5.4 ネットワーク系
5.6 お客様とつながりたい
5.6.1 経営者から要望を聴く
5.6.2 社会変化に対応する
5.6.3 お客様とのつながりを要望
5.6.4 使えるシステムを要望
5.7 クルマ社会の姿
5.7.1 存在理由を問う
5.7.2 地域へ拡大
5.7.3 シェア社会を支援
5.7.4 使う社会を構築
5.8 コミュニティを地域に展開
5.8.1 情報共有を支援
5.8.2 市民要望を実現
5.8.3 意識変革をアピール
5.8.4 クルマ社会のインフラ構築
6. 本・図書館
6.1 図書館から市民の分化が始まる
6.1.1 図書館と本に関わる
6.1.2 多読で分化と発信
6.1.3 図書館は市民生活そのもの
6.1.4 図書館を観察し、提案
6.2 図書館が町を活性化
6.2.1 新刊書は広範囲の興味を満たす
6.2.2 市民の多様なニーズに対応
6.2.3 本を読める環境
6.2.4 町の活性化を図る
6.3 著者の思いを市民に拡げる
6.3.1 著者の世界観を引き継ぐ
6.3.2 本に対する思いをつなげる
6.3.3 生涯学習につなげる
6.3.4 共有の概念を地域に展開
6.4 図書館はコミュニティを支える
6.4.1 コミュニティの知識ベース
6.4.2 市民のコミュニティ化
6.4.3 本から知恵を発信
6.4.4 意識を育成
6.5 情報センターとして位置づけ
6.5.1 知の入口の情報センター
6.5.2 コミュニティに情報を提供
6.5.3 市民の状況を把握
6.5.4 議論の場を提供
6.6 ライブラリ環境で思いをまとめる
6.6.1 I love Libraryで市民アピール
6.6.2 情報を知識に変換
6.6.3 図書館を連携
6.6.4 ソーシャル接続
6.7 図書館コミュニティの役割
6.7.1 議論して、意思決定
6.7.2 メッセージの一元化
6.7.3 市民をつなげる
6.7.4 バーチャル図書館
6.8 本で今を知り、未来を考える
6.8.1 全てを知りたい
6.8.2 市民の関心事を蓄積
6.8.3 未来を語る
6.8.4 集合知から社会変革
7. 生活
7.1 考え抜く生活
7.1.1 独りぼっち
7.1.2 好奇心の発露
7.1.3 与えられたツール
7.1.4 与えられた時間
7.2 内なる生活を追求
7.2.1 家族・身体は外なる生活
7.2.2 行動しないミッション
7.2.3 内なる生活を追求
7.2.4 多様な役割を担う
7.3 孤立から社会に向かう
7.3.1 独我論に生きる
7.3.2 夢から存在を楽しむ
7.3.3 思いから社会に向かう
7.3.4 知識と偶然で未来を描く
7.4 存在の力で全てを知る
7.4.1 興味の範囲の拡大
7.4.2 対話で自分を超える
7.4.3 生きている理由を求める
7.4.4 全てを知るための努力
5.1 皆の夢をかなえる
5.1.1 事務・技術・販売を経験
5.1.2 システムをつくる
5.1.3 皆の夢をかなえる仕事
5.1.4 作ることより使えること
5.2 サファイア循環を見つけた
5.2.1 ローカルで考える
5.2.2 ローカルを活性化
5.2.3 グローバルとして企画
5.2.4 グローバルでモノつくり
5.3 サファイア循環をモデル化
5.3.1 ネットでつなげる
5.3.2 店舗の活動を保証
5.3.3 コミュニティから発想
5.3.4 販売店環境の先を考える
5.4 販売店の二重ループ
5.4.1 メーカーとお客様を支援
5.4.2 お客様と直接つながる
5.4.3 メーカーとつながる
5.4.4 クルマ社会の変化に対応
5.5 販売店環境をシステム化
5.5.1 メッセージ系
5.5.2 意思決定系
5.5.3 コンテンツ系
5.5.4 ネットワーク系
5.6 お客様とつながりたい
5.6.1 経営者から要望を聴く
5.6.2 社会変化に対応する
5.6.3 お客様とのつながりを要望
5.6.4 使えるシステムを要望
5.7 クルマ社会の姿
5.7.1 存在理由を問う
5.7.2 地域へ拡大
5.7.3 シェア社会を支援
5.7.4 使う社会を構築
5.8 コミュニティを地域に展開
5.8.1 情報共有を支援
5.8.2 市民要望を実現
5.8.3 意識変革をアピール
5.8.4 クルマ社会のインフラ構築
6. 本・図書館
6.1 図書館から市民の分化が始まる
6.1.1 図書館と本に関わる
6.1.2 多読で分化と発信
6.1.3 図書館は市民生活そのもの
6.1.4 図書館を観察し、提案
6.2 図書館が町を活性化
6.2.1 新刊書は広範囲の興味を満たす
6.2.2 市民の多様なニーズに対応
6.2.3 本を読める環境
6.2.4 町の活性化を図る
6.3 著者の思いを市民に拡げる
6.3.1 著者の世界観を引き継ぐ
6.3.2 本に対する思いをつなげる
6.3.3 生涯学習につなげる
6.3.4 共有の概念を地域に展開
6.4 図書館はコミュニティを支える
6.4.1 コミュニティの知識ベース
6.4.2 市民のコミュニティ化
6.4.3 本から知恵を発信
6.4.4 意識を育成
6.5 情報センターとして位置づけ
6.5.1 知の入口の情報センター
6.5.2 コミュニティに情報を提供
6.5.3 市民の状況を把握
6.5.4 議論の場を提供
6.6 ライブラリ環境で思いをまとめる
6.6.1 I love Libraryで市民アピール
6.6.2 情報を知識に変換
6.6.3 図書館を連携
6.6.4 ソーシャル接続
6.7 図書館コミュニティの役割
6.7.1 議論して、意思決定
6.7.2 メッセージの一元化
6.7.3 市民をつなげる
6.7.4 バーチャル図書館
6.8 本で今を知り、未来を考える
6.8.1 全てを知りたい
6.8.2 市民の関心事を蓄積
6.8.3 未来を語る
6.8.4 集合知から社会変革
7. 生活
7.1 考え抜く生活
7.1.1 独りぼっち
7.1.2 好奇心の発露
7.1.3 与えられたツール
7.1.4 与えられた時間
7.2 内なる生活を追求
7.2.1 家族・身体は外なる生活
7.2.2 行動しないミッション
7.2.3 内なる生活を追求
7.2.4 多様な役割を担う
7.3 孤立から社会に向かう
7.3.1 独我論に生きる
7.3.2 夢から存在を楽しむ
7.3.3 思いから社会に向かう
7.3.4 知識と偶然で未来を描く
7.4 存在の力で全てを知る
7.4.1 興味の範囲の拡大
7.4.2 対話で自分を超える
7.4.3 生きている理由を求める
7.4.4 全てを知るための努力
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中分類の変更 2
2.6 社会の位相化
2.6.1 考える生活規範
2.6.2 ジャンルで展開
2.6.3 疑似空間で全体を把握
2.6.4 位相化の現象解析
2.7 新しい数学で変革シナリオ
2.7.1 特異点を解消
2.7.2 近傍の連結で多様な空間
2.7.3 組織の分化を誘発
2.7.4 周縁から中核の変革
2.8 LL=GGで究極の姿
2.8.1 存在の力をカタチにする
2.8.2 個人の分化から行動
2.8.3 コミュニティが位相化の核
2.8.4 LL=GGで個人と超国家がつながる
3.社会
3.1 社会の全体像を捉えたい
3.1.1 生活に密着するコンビニ
3.1.2 政治・経済の動きが見えない
3.1.3 本と仕事から情報を入手
3.1.4 地域から全体を見ていく
3.2 地域と全体との関係
3.2.1 市民として行政を分析
3.2.2 ボランティアで地域を見る
3.2.3 トポロジーで全体を解析
3.2.4 地球規模課題に対応
3.3 環境社会への対応
3.3.1 環境問題に対応するハメンリンナ
3.3.2 地域NPOの活動
3.3.3 市民と行政との協働
3.3.4 地域活性化を支援
3.4 地域主体の循環
3.4.1 画一的な分配は限界
3.4.2 地域への権限移譲
3.4.3 静脈系を自己組織化
3.4.4 コミュニティで市民とつながる
3.5 クライシスへの対応
3.5.1 自律分散で対応
3.5.2 地域に合わせたエネルギー
3.5.3 地域インフラ構築
3.5.4 存在の力でコミュニティ化
3.6 コミュニティに知識と意識
3.6.1 意識と知識を集約
3.6.2 地域の知恵から集合知
3.6.3 コラボで同一価値観
3.6.4 状況把握から情報共有
3.7 コミュニティから新しい行政
3.7.1 サファイア機能で武装
3.7.2 市民のライフスタイルを変革
3.7.3 雇用・社会保障を変える
3.7.4 参加できる合意形成
3.8 分化と統合の社会
3.8.1 生活者としての価値観
3.8.2 組織に依存しない市民
3.8.3 スマートなインフラ
3.8.4 社会の位相化
4.歴史
4.1 国民国家から現代を見る
4.1.1 ナチは合法的に作られた
4.1.2 共産主義はカリスマ支配
4.1.3 グローバル化が地域を圧迫
4.1.4 地域の自立化
4.2 国民国家の形態
4.2.1 国民国家の経緯
4.2.2 各国の歴史認識
4.2.3 歴史の未来から考える
4.2.4 地球規模課題で歴史は加速
4.3 国民国家の次のカタチ
4.3.1 国を超えた
4.3.2 民族で括れない
4.3.3 分配から支援に向かう
4.3.4 ソーシャルでの情報共有
4.4 分化と統合で幸せな社会
4.4.1 多くの人が幸せになれる
4.4.2 存在の力で新しい歴史哲学
4.4.3 分化と統合の社会
4.4.4 サファイア循環を適用
4.5 クライシスで歴史は進化する
4.5.1 意思の力の歴史
4.5.2 地域で意思決定
4.5.3 耐えたものが順応する
4.5.4 小さな単位で対応
4.6 存在の力の歴史哲学
4.6.1 意思の力の歴史
4.6.2 自由は依存を誘発
4.6.3 存在の力を活かす
4.6.4 地域と超国家の二元社会
4.7 二元社会のカタチ
4.7.1 価値観を共有
4.7.2 多様性の活用
4.7.3 国を超えた組合せ
4.7.4 市民主体社会を作る
4.8 内なる歴史でLL=GGの未来予測
4.8.1 分化と統合
4.8.2 社会の位相化
4.8.3 二元社会
4.8.4 存在の力でつながる
2.6.1 考える生活規範
2.6.2 ジャンルで展開
2.6.3 疑似空間で全体を把握
2.6.4 位相化の現象解析
2.7 新しい数学で変革シナリオ
2.7.1 特異点を解消
2.7.2 近傍の連結で多様な空間
2.7.3 組織の分化を誘発
2.7.4 周縁から中核の変革
2.8 LL=GGで究極の姿
2.8.1 存在の力をカタチにする
2.8.2 個人の分化から行動
2.8.3 コミュニティが位相化の核
2.8.4 LL=GGで個人と超国家がつながる
3.社会
3.1 社会の全体像を捉えたい
3.1.1 生活に密着するコンビニ
3.1.2 政治・経済の動きが見えない
3.1.3 本と仕事から情報を入手
3.1.4 地域から全体を見ていく
3.2 地域と全体との関係
3.2.1 市民として行政を分析
3.2.2 ボランティアで地域を見る
3.2.3 トポロジーで全体を解析
3.2.4 地球規模課題に対応
3.3 環境社会への対応
3.3.1 環境問題に対応するハメンリンナ
3.3.2 地域NPOの活動
3.3.3 市民と行政との協働
3.3.4 地域活性化を支援
3.4 地域主体の循環
3.4.1 画一的な分配は限界
3.4.2 地域への権限移譲
3.4.3 静脈系を自己組織化
3.4.4 コミュニティで市民とつながる
3.5 クライシスへの対応
3.5.1 自律分散で対応
3.5.2 地域に合わせたエネルギー
3.5.3 地域インフラ構築
3.5.4 存在の力でコミュニティ化
3.6 コミュニティに知識と意識
3.6.1 意識と知識を集約
3.6.2 地域の知恵から集合知
3.6.3 コラボで同一価値観
3.6.4 状況把握から情報共有
3.7 コミュニティから新しい行政
3.7.1 サファイア機能で武装
3.7.2 市民のライフスタイルを変革
3.7.3 雇用・社会保障を変える
3.7.4 参加できる合意形成
3.8 分化と統合の社会
3.8.1 生活者としての価値観
3.8.2 組織に依存しない市民
3.8.3 スマートなインフラ
3.8.4 社会の位相化
4.歴史
4.1 国民国家から現代を見る
4.1.1 ナチは合法的に作られた
4.1.2 共産主義はカリスマ支配
4.1.3 グローバル化が地域を圧迫
4.1.4 地域の自立化
4.2 国民国家の形態
4.2.1 国民国家の経緯
4.2.2 各国の歴史認識
4.2.3 歴史の未来から考える
4.2.4 地球規模課題で歴史は加速
4.3 国民国家の次のカタチ
4.3.1 国を超えた
4.3.2 民族で括れない
4.3.3 分配から支援に向かう
4.3.4 ソーシャルでの情報共有
4.4 分化と統合で幸せな社会
4.4.1 多くの人が幸せになれる
4.4.2 存在の力で新しい歴史哲学
4.4.3 分化と統合の社会
4.4.4 サファイア循環を適用
4.5 クライシスで歴史は進化する
4.5.1 意思の力の歴史
4.5.2 地域で意思決定
4.5.3 耐えたものが順応する
4.5.4 小さな単位で対応
4.6 存在の力の歴史哲学
4.6.1 意思の力の歴史
4.6.2 自由は依存を誘発
4.6.3 存在の力を活かす
4.6.4 地域と超国家の二元社会
4.7 二元社会のカタチ
4.7.1 価値観を共有
4.7.2 多様性の活用
4.7.3 国を超えた組合せ
4.7.4 市民主体社会を作る
4.8 内なる歴史でLL=GGの未来予測
4.8.1 分化と統合
4.8.2 社会の位相化
4.8.3 二元社会
4.8.4 存在の力でつながる
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中分類の変更 1
2014年04月16日(水) 中分類の変更
1.自分
1.1 存在と無からの出発
1.1.1 存在と無で絶対的な孤独にいる
1.1.2 存在の証しを真理に求める
1.1.3 真理は数学にある
1.1.4 生まれてきた意味を求める
1.2 存在の力からμが生まれた
1.2.1 もう一人の私
1.2.2 夢を聞く
1.2.3 偶然を意識する
1.2.4 考えることが生きること
1.3 存在することは考えること
1.3.1 宇宙の旅人として生きる
1.3.2 存在するのは考えるため
1.3.3 社会を知ることで存在を確認
1.3.4 数学的思考で分類
1.4 サファイア循環を見出す
1.4.1 社会につぶやく
1.4.2 考えたことを分類
1.4.3 ボランティアで社会行動
1.4.4 サファイア循環を意識
1.5 内なる自分から全てを知る
1.5.1 内なる自分に入り込む
1.5.2 考えることが存在と無をつなぐ
1.5.3 全てを知り、全てを無にする
1.5.4 内なる自分から未唯空間
1.6 未唯空間で考えを体系化
1.6.1 考えを体系化
1.6.2 分化と統合
1.6.3 考えを言語で表現
1.6.4 未唯空間を位相化
1.7 未唯空間から社会の変革
1.7.1 個人の分化を示す
1.7.2 ライフログで発信
1.7.3 コミュニティの共有意識
1.7.4 共有意識から社会の変革
1.8 全てを知ることで自己肯定
1.8.1 歴史の変革シナリオ
1.8.2 究極の目的は多くの人の幸せ
1.8.3 未唯空間で全てを表わす
1.8.4 全てを知ることで自己肯定
2.数学
2.1 真理があるとしたら、数学にある
2.1.1 真理とは不変である
2.1.2 数学は全体が見える
2.1.3 近傍から全体をつくる
2.1.4 空間を創造する
2.2 社会内部のモデル化
2.2.1 ゼロから空間をつくる
2.2.2 社会をモデルで表す
2.2.3 複雑性の考えで社会現象を理解
2.2.4 思考・行動でモデル化
2.3 トポロジーは社会変革の先駆け
2.3.1 算数はモノの関係を理解
2.3.2 デカルト平面は次元の呪い
2.3.3 トポロジーで数学は独立
2.3.4 社会の変革を示す
2.4 サファイア循環を発見
2.4.1 近傍から全体が見れる
2.4.2 数学を仕事に適用
2.4.3 近傍をコミュニティで表現
2.4.4 サファイア循環でまとめ
2.5 サファイア循環
2.5.1 {思考、行動}×{地域、全体}の空間
2.5.2 対応するfireの機能
2.5.3 近傍が全体を規定
2.5.4 基本空間が位相
2.6 社会の位相化
2.6.1 考える生活規範
2.6.2 ジャンルで展開
2.6.3 疑似空間で全体を把握
2.6.4 位相化の現象解析
2.7 新しい数学で変革シナリオ
2.7.1 特異点を解消
2.7.2 近傍の連結で多様な空間
2.7.3 組織の分化を誘発
2.7.4 周縁から中核の変革
2.8 LL=GGで究極の姿
2.8.1 存在の力をカタチにする
2.8.2 個人の分化から行動
2.8.3 コミュニティが位相化の核
2.8.4 LL=GGで個人と超国家がつながる
3.社会
3.1 社会の全体像を捉えたい
3.1.1 生活に密着するコンビニ
3.1.2 政治・経済の動きが見えない
3.1.3 本と仕事から情報を入手
3.1.4 地域から全体を見ていく
3.2 地域と全体との関係
3.2.1 市民として行政を分析
3.2.2 ボランティアで地域を見る
3.2.3 トポロジーで全体を解析
3.2.4 地球規模課題に対応
3.3 環境社会への対応
3.3.1 環境問題に対応するハメンリンナ
3.3.2 地域NPOの活動
3.3.3 市民と行政との協働
3.3.4 地域活性化を支援
3.4 地域主体の循環
3.4.1 画一的な分配は限界
3.4.2 地域への権限移譲
3.4.3 静脈系を自己組織化
3.4.4 コミュニティで市民とつながる
1.自分
1.1 存在と無からの出発
1.1.1 存在と無で絶対的な孤独にいる
1.1.2 存在の証しを真理に求める
1.1.3 真理は数学にある
1.1.4 生まれてきた意味を求める
1.2 存在の力からμが生まれた
1.2.1 もう一人の私
1.2.2 夢を聞く
1.2.3 偶然を意識する
1.2.4 考えることが生きること
1.3 存在することは考えること
1.3.1 宇宙の旅人として生きる
1.3.2 存在するのは考えるため
1.3.3 社会を知ることで存在を確認
1.3.4 数学的思考で分類
1.4 サファイア循環を見出す
1.4.1 社会につぶやく
1.4.2 考えたことを分類
1.4.3 ボランティアで社会行動
1.4.4 サファイア循環を意識
1.5 内なる自分から全てを知る
1.5.1 内なる自分に入り込む
1.5.2 考えることが存在と無をつなぐ
1.5.3 全てを知り、全てを無にする
1.5.4 内なる自分から未唯空間
1.6 未唯空間で考えを体系化
1.6.1 考えを体系化
1.6.2 分化と統合
1.6.3 考えを言語で表現
1.6.4 未唯空間を位相化
1.7 未唯空間から社会の変革
1.7.1 個人の分化を示す
1.7.2 ライフログで発信
1.7.3 コミュニティの共有意識
1.7.4 共有意識から社会の変革
1.8 全てを知ることで自己肯定
1.8.1 歴史の変革シナリオ
1.8.2 究極の目的は多くの人の幸せ
1.8.3 未唯空間で全てを表わす
1.8.4 全てを知ることで自己肯定
2.数学
2.1 真理があるとしたら、数学にある
2.1.1 真理とは不変である
2.1.2 数学は全体が見える
2.1.3 近傍から全体をつくる
2.1.4 空間を創造する
2.2 社会内部のモデル化
2.2.1 ゼロから空間をつくる
2.2.2 社会をモデルで表す
2.2.3 複雑性の考えで社会現象を理解
2.2.4 思考・行動でモデル化
2.3 トポロジーは社会変革の先駆け
2.3.1 算数はモノの関係を理解
2.3.2 デカルト平面は次元の呪い
2.3.3 トポロジーで数学は独立
2.3.4 社会の変革を示す
2.4 サファイア循環を発見
2.4.1 近傍から全体が見れる
2.4.2 数学を仕事に適用
2.4.3 近傍をコミュニティで表現
2.4.4 サファイア循環でまとめ
2.5 サファイア循環
2.5.1 {思考、行動}×{地域、全体}の空間
2.5.2 対応するfireの機能
2.5.3 近傍が全体を規定
2.5.4 基本空間が位相
2.6 社会の位相化
2.6.1 考える生活規範
2.6.2 ジャンルで展開
2.6.3 疑似空間で全体を把握
2.6.4 位相化の現象解析
2.7 新しい数学で変革シナリオ
2.7.1 特異点を解消
2.7.2 近傍の連結で多様な空間
2.7.3 組織の分化を誘発
2.7.4 周縁から中核の変革
2.8 LL=GGで究極の姿
2.8.1 存在の力をカタチにする
2.8.2 個人の分化から行動
2.8.3 コミュニティが位相化の核
2.8.4 LL=GGで個人と超国家がつながる
3.社会
3.1 社会の全体像を捉えたい
3.1.1 生活に密着するコンビニ
3.1.2 政治・経済の動きが見えない
3.1.3 本と仕事から情報を入手
3.1.4 地域から全体を見ていく
3.2 地域と全体との関係
3.2.1 市民として行政を分析
3.2.2 ボランティアで地域を見る
3.2.3 トポロジーで全体を解析
3.2.4 地球規模課題に対応
3.3 環境社会への対応
3.3.1 環境問題に対応するハメンリンナ
3.3.2 地域NPOの活動
3.3.3 市民と行政との協働
3.3.4 地域活性化を支援
3.4 地域主体の循環
3.4.1 画一的な分配は限界
3.4.2 地域への権限移譲
3.4.3 静脈系を自己組織化
3.4.4 コミュニティで市民とつながる
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歴史における理性とはなにか 自由の実現体たる国家
へーゲル『歴史哲学講義』より 歴史における理性とはなにか
第三の問題は、右の手段によって実現された目的とはどういうものか、つまり、目的が現実にとる形態がどういうものか、ということです。手段についてはすでにのべましたが、主観的で有限な目的を実現する際には、もう一つ、材料というものが必要で、それは、あらかじめそこにあることもあれば、調達されねばならないこともある。とすると、理性的な究極目的を実現するための材料がなんであるかも、当然問われることになります。答えとしては、ここでもまず、主観的なもの、人間の欲望、ないし、主観性一般をもちだすしかない。人間の知や意思を材料として、理性的な目的は現実に存在するものとなるのです。歴史において考察されるのは、偉大な世界史的情熱に突きうごかされた主観的意思が、どのようにして現実の真理に合致した目的をもつか、ということです。特殊な情熱にとらわれた主観的意思は、一定の枠内にとどまるもので、その枠内で特殊な目的を実現するにすぎないが、一方また、主観的意思は共同体を生きる場ともしていて、そこでは、共同体の本質にふれるような動きをし、その本質を自分の生きる目的ともしています。この本質とは、主観的な意思と理性的な意思とを統一したもののことで、ここに共同体としてのまとまり--国家--が登場します。国家とは、個人が共同の世界を知り、信じ、意思するかぎりで、自由を所有し享受するような現実の場です。とはいえ、個人の主観的意思が共同意思にたすけられて自分の思いをとげる、とか、共同意思が主観的意思の手段になる、とかと考えてはならない。また、主観同士がたがいにその自由を制限しあい、そのなかで、それぞれに小さい場所をあたえられて自分なりの満足感をいだく、というのでもない。共同意思としてあるのは、むしろ、法、道徳、国家であって、それこそが自由をなりたたせる積極的現実です。限定された自由は、特殊な欲望に関係する恣意なのです。
主観的な意思や情熱が目的を実現する活動力であり、理念が歴史の内面をなすとすれば、国家は現実に存在する共同の生活です。というのも、国家は一般的かつ本質的な意思と主観的意思との統一体であり、そこに共同の精神がなりたつからです。この統一体のうちに生きる個人は、共同の生活に参与し、個人としての価値を公的にみとめられます。ソフォクレスの悲劇に登場するアンティゴネーは、神の命令はきのうやきょう発せられたものではなく、永遠の生命をもつもので、いつ発せられたかはだれにもわからない、という。共同体の掟は偶然の存在ではなく、理性そのものです。共同体精神が人びとの現実の生活や心情のなかに生き生きと存在し、維持されるようにするのが、国家の目的です。国家という共同体の存在することが、理性の絶対の関心事であって、未発達なものにせよ、国家を建設したことが英雄の英雄たるゆえんをなす功績です。
世界史においては、国家を形成した民族しか問題とならない。というのも、これはぜひとも知っておいてもらいたいが、国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられないからです。精神の現実性とは、人間の本質たる理性的なものを対象として知ることであり、理性的なものが、客観的な、形のある存在として目の前にあることです。そのときはじめて人間は共同体を意識し、人とつながり、法と道徳にかなった国家生活をおくるのです。共同体の真理とは、公共の精神と主観的精神が統一されることであり、公共の精神とは、普遍的かつ理性的な国家の法律のうちに表現される。国家は、神の理念が地上にすがたをあらわしたものです。
かくて、世界史の対象を明確に定義すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ、ということになる。というのも、法律とは精神の客観的なあらわれであり、意思の真実のすがたであって、法律にしたがう意思だけが自由だからです。意思が法律にしたがうことは、自分自身にしたがうこと、自分のもとにあって自由であることです。父なる国家が共同の生活を保障し、人びとの主観的意思が法律にしたがうとき、自由と必然の対立は消滅します。理性的な共同体が必然的なものであり、共同体の法律を承認し、その共同精神を自分の本質でもあると考えてそれにしたがう人間が、自由であるとすれば、ここでは、客観的意思と主観的意思が調和し、純一な全体がなりたっているのです。
もともと国家の共同精神は、各人の自覚的な反省の上になりたつ道徳精神ではありません。近代世界ではそういう形をとることも少なくないが、真の古代世界では、各人ははじめから義務を負わされている。アテネ市民は自分の義務をいねば本能的にはたしたのです。近代人のように、自分の行為の対象を反省すれば、行為に意思がともなうのをいやでも意識せざるをえませんが、もともと共同の倫理とは、共同体の要求する義務であり、第二の自然と名づけられるものです。(人間の第一の自然が自然のままの動物的生活を意味するとすれば、共同の倫理を第二の自然とよぶのは理にかなっています。)
第三の問題は、右の手段によって実現された目的とはどういうものか、つまり、目的が現実にとる形態がどういうものか、ということです。手段についてはすでにのべましたが、主観的で有限な目的を実現する際には、もう一つ、材料というものが必要で、それは、あらかじめそこにあることもあれば、調達されねばならないこともある。とすると、理性的な究極目的を実現するための材料がなんであるかも、当然問われることになります。答えとしては、ここでもまず、主観的なもの、人間の欲望、ないし、主観性一般をもちだすしかない。人間の知や意思を材料として、理性的な目的は現実に存在するものとなるのです。歴史において考察されるのは、偉大な世界史的情熱に突きうごかされた主観的意思が、どのようにして現実の真理に合致した目的をもつか、ということです。特殊な情熱にとらわれた主観的意思は、一定の枠内にとどまるもので、その枠内で特殊な目的を実現するにすぎないが、一方また、主観的意思は共同体を生きる場ともしていて、そこでは、共同体の本質にふれるような動きをし、その本質を自分の生きる目的ともしています。この本質とは、主観的な意思と理性的な意思とを統一したもののことで、ここに共同体としてのまとまり--国家--が登場します。国家とは、個人が共同の世界を知り、信じ、意思するかぎりで、自由を所有し享受するような現実の場です。とはいえ、個人の主観的意思が共同意思にたすけられて自分の思いをとげる、とか、共同意思が主観的意思の手段になる、とかと考えてはならない。また、主観同士がたがいにその自由を制限しあい、そのなかで、それぞれに小さい場所をあたえられて自分なりの満足感をいだく、というのでもない。共同意思としてあるのは、むしろ、法、道徳、国家であって、それこそが自由をなりたたせる積極的現実です。限定された自由は、特殊な欲望に関係する恣意なのです。
主観的な意思や情熱が目的を実現する活動力であり、理念が歴史の内面をなすとすれば、国家は現実に存在する共同の生活です。というのも、国家は一般的かつ本質的な意思と主観的意思との統一体であり、そこに共同の精神がなりたつからです。この統一体のうちに生きる個人は、共同の生活に参与し、個人としての価値を公的にみとめられます。ソフォクレスの悲劇に登場するアンティゴネーは、神の命令はきのうやきょう発せられたものではなく、永遠の生命をもつもので、いつ発せられたかはだれにもわからない、という。共同体の掟は偶然の存在ではなく、理性そのものです。共同体精神が人びとの現実の生活や心情のなかに生き生きと存在し、維持されるようにするのが、国家の目的です。国家という共同体の存在することが、理性の絶対の関心事であって、未発達なものにせよ、国家を建設したことが英雄の英雄たるゆえんをなす功績です。
世界史においては、国家を形成した民族しか問題とならない。というのも、これはぜひとも知っておいてもらいたいが、国家こそが、絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は、国家をとおしてしかあたえられないからです。精神の現実性とは、人間の本質たる理性的なものを対象として知ることであり、理性的なものが、客観的な、形のある存在として目の前にあることです。そのときはじめて人間は共同体を意識し、人とつながり、法と道徳にかなった国家生活をおくるのです。共同体の真理とは、公共の精神と主観的精神が統一されることであり、公共の精神とは、普遍的かつ理性的な国家の法律のうちに表現される。国家は、神の理念が地上にすがたをあらわしたものです。
かくて、世界史の対象を明確に定義すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ、ということになる。というのも、法律とは精神の客観的なあらわれであり、意思の真実のすがたであって、法律にしたがう意思だけが自由だからです。意思が法律にしたがうことは、自分自身にしたがうこと、自分のもとにあって自由であることです。父なる国家が共同の生活を保障し、人びとの主観的意思が法律にしたがうとき、自由と必然の対立は消滅します。理性的な共同体が必然的なものであり、共同体の法律を承認し、その共同精神を自分の本質でもあると考えてそれにしたがう人間が、自由であるとすれば、ここでは、客観的意思と主観的意思が調和し、純一な全体がなりたっているのです。
もともと国家の共同精神は、各人の自覚的な反省の上になりたつ道徳精神ではありません。近代世界ではそういう形をとることも少なくないが、真の古代世界では、各人ははじめから義務を負わされている。アテネ市民は自分の義務をいねば本能的にはたしたのです。近代人のように、自分の行為の対象を反省すれば、行為に意思がともなうのをいやでも意識せざるをえませんが、もともと共同の倫理とは、共同体の要求する義務であり、第二の自然と名づけられるものです。(人間の第一の自然が自然のままの動物的生活を意味するとすれば、共同の倫理を第二の自然とよぶのは理にかなっています。)
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歴史のとらえかた 哲学的な歴史
へーゲル『歴史哲学講義』より 歴史のとらえかた
一般的にいって、歴史の哲学とは、思考によって歴史をとらえることにほかなりません。わたしたちはいついかなる場合にも思考をやめることができない。人間が動物とちがうのは、思考するからです。感覚のうちにも、知識や認識のうちにも、衝動や意思のうちにも、それらが人間の活動であるかぎり、思考がはたらいています。が、このように思考がもちだされるのに不満をおぼえる人もいるかもしれない。というのも、歴史においては、あたえられた存在に思考が従属し、思考はあたえられた存在を基礎とし、それにみちびかれるのにたいして、哲学本来の思考とは、あたえられた存在にとらわれることなく、自発的に思索をうみだしていくものだとされるからです。哲学が自前の思考をたずさえて歴史におもむくと、歴史を一つの材料としてあつかい、それをそのままにしておかないで、思考によって整序し、いねば歴史を先天的に構成することになる。ところが、歴史の課題は、現在と過去の事件や行為をありのままにとらえるところにあって、あたえられた事実に執着すればするほど真理に近づくことになるはずだから、歴史のめざすところと哲学の仕事は矛盾するのではないか、というわけです。この矛盾と、この矛盾ゆえに哲学的思索にあびせかけられる非難については、ここできちんと説明し、誤解を解いておかねばなりません。とはいっても、歴史の目的や利害やとらえかたや、歴史と哲学との関係やについて、いまはやりの、そして、これからもつぎつぎとあらわれるはずの、数知れぬ、特殊な、あやしげな見解を一つ一つ訂正していくつもりはありませんが。
哲学が歴史におもむく際にたずさえてくる唯一の思想は、単純な理性の思想、つまり、理性が世界を支配し、したがって、世界の歴史も理性的に進行する、という思想です。この確信と洞察は、歴史そのものにかんしていえば、一つの前提事項ですが、哲学にとっては前提事項ではない。理性--という表現をここでは神と関係づけることなくつかっておきますが、その理性が、実体であり、無限の力であり、みずから自然的生命および精神的生命をなりたたせる無限の素材であり、この内容を活性化させる無限の形式でもあることが、哲学的認識をつうじて証明されるのです。理性が実体だというのは、あらゆる現実が、理性によって、理性のなかに、存在し、存在しつづけるということであり、--無限の力であるというのは、理性がたんなる理想像ないし目標にとどまって、どこか現実の外に、たとえば何人かの人間の頭のなかに特殊なものとして存在するような、そんな無力なものではないということであり、--無限の内容だというのは、あらゆる実在と真理が理性であり、理性は活動の素材を自分で自分に提供するということ、いいかえれば、有限の活動の場合のように、外からあたえられる材料や手段を利用して、それをみずからの活動の糧とし対象とするような、そういうものではないということです。理性はおのれを糧とし、自分自身を材料としてそれに手をくわえる。理性にとって前提となるのは理性そのものだけであり、理性の目的が絶対の究極目的である以上、理性の活動や生産は、理性の内実を外にあらわすことにほかならず、そのあらわれが、一方では自然的宇宙であり、他方では精神的宇宙--つまり、世界史--なのです。そうした理念こそが力強い永遠の真理であり、その理念が、いや、その理念と理念の栄誉と栄光だけが、世界のうちに啓示されること--それが、すでにいったように、哲学の証明するところであり、歴史においては、証明ずみの真理として前提される事柄です。
みなさんのなかに哲学のことをまだよく知らないという人がいたら、わたしはその人たちに、理性を信じ、理性的認識を手にいれたいとの欲求をもって、この世界史の講義に出席してくださるようおねがいしたい。もとめられているのは、いうまでもなく、理性的な洞察ないし認識であって、学問研究にむかおうとする人が主観的に手にいれたいなと思うような、知識の集積は二の次です。世界史にむかうにあたって、思考や理性的認識をいまだもちあわせない人がいらっしゃるかもしれない。が、そういう人も、世界史のうちに理性が存在すること、知と自覚的意思の世界は、偶然の手にゆだねられるのではなく、明晰な理念の光のうちに展開すること、そのことだけはしっかりとゆるぎなく信じるべきです。
いや、じつをいうと、そうしたことを信じよとあらかじめ要求するのは行きすぎかもしれない。わたしがいまのべてきたことや、これからのべることは、歴史哲学にかんする事柄にしても、たんなる前提事項というだけでなく、全体をながめわたしたあとに得られる結論事項でもあって、その結論をわたしが知っているのは、わたしがすでに全体を認識しているからです。世界史が理性的にすすむこと、世界史が世界精神の理性的かつ必然的なあゆみであることは、世界史を考察することによってはじめてあきらかになることであって、どの領域にあっても同一の本性を保持する精神が、にもかかわらず、世界という現実の場でその本性の一面を展開してみせたのが世界史です。そのことが、すでにのべたように、歴史の成果としてあきらかにされねばなりません。が、歴史を前にしては、わたしたちはそのありのままのすがたをうけいれる必要がある。史実を経験に即して追っていく必要がある。
一般的にいって、歴史の哲学とは、思考によって歴史をとらえることにほかなりません。わたしたちはいついかなる場合にも思考をやめることができない。人間が動物とちがうのは、思考するからです。感覚のうちにも、知識や認識のうちにも、衝動や意思のうちにも、それらが人間の活動であるかぎり、思考がはたらいています。が、このように思考がもちだされるのに不満をおぼえる人もいるかもしれない。というのも、歴史においては、あたえられた存在に思考が従属し、思考はあたえられた存在を基礎とし、それにみちびかれるのにたいして、哲学本来の思考とは、あたえられた存在にとらわれることなく、自発的に思索をうみだしていくものだとされるからです。哲学が自前の思考をたずさえて歴史におもむくと、歴史を一つの材料としてあつかい、それをそのままにしておかないで、思考によって整序し、いねば歴史を先天的に構成することになる。ところが、歴史の課題は、現在と過去の事件や行為をありのままにとらえるところにあって、あたえられた事実に執着すればするほど真理に近づくことになるはずだから、歴史のめざすところと哲学の仕事は矛盾するのではないか、というわけです。この矛盾と、この矛盾ゆえに哲学的思索にあびせかけられる非難については、ここできちんと説明し、誤解を解いておかねばなりません。とはいっても、歴史の目的や利害やとらえかたや、歴史と哲学との関係やについて、いまはやりの、そして、これからもつぎつぎとあらわれるはずの、数知れぬ、特殊な、あやしげな見解を一つ一つ訂正していくつもりはありませんが。
哲学が歴史におもむく際にたずさえてくる唯一の思想は、単純な理性の思想、つまり、理性が世界を支配し、したがって、世界の歴史も理性的に進行する、という思想です。この確信と洞察は、歴史そのものにかんしていえば、一つの前提事項ですが、哲学にとっては前提事項ではない。理性--という表現をここでは神と関係づけることなくつかっておきますが、その理性が、実体であり、無限の力であり、みずから自然的生命および精神的生命をなりたたせる無限の素材であり、この内容を活性化させる無限の形式でもあることが、哲学的認識をつうじて証明されるのです。理性が実体だというのは、あらゆる現実が、理性によって、理性のなかに、存在し、存在しつづけるということであり、--無限の力であるというのは、理性がたんなる理想像ないし目標にとどまって、どこか現実の外に、たとえば何人かの人間の頭のなかに特殊なものとして存在するような、そんな無力なものではないということであり、--無限の内容だというのは、あらゆる実在と真理が理性であり、理性は活動の素材を自分で自分に提供するということ、いいかえれば、有限の活動の場合のように、外からあたえられる材料や手段を利用して、それをみずからの活動の糧とし対象とするような、そういうものではないということです。理性はおのれを糧とし、自分自身を材料としてそれに手をくわえる。理性にとって前提となるのは理性そのものだけであり、理性の目的が絶対の究極目的である以上、理性の活動や生産は、理性の内実を外にあらわすことにほかならず、そのあらわれが、一方では自然的宇宙であり、他方では精神的宇宙--つまり、世界史--なのです。そうした理念こそが力強い永遠の真理であり、その理念が、いや、その理念と理念の栄誉と栄光だけが、世界のうちに啓示されること--それが、すでにいったように、哲学の証明するところであり、歴史においては、証明ずみの真理として前提される事柄です。
みなさんのなかに哲学のことをまだよく知らないという人がいたら、わたしはその人たちに、理性を信じ、理性的認識を手にいれたいとの欲求をもって、この世界史の講義に出席してくださるようおねがいしたい。もとめられているのは、いうまでもなく、理性的な洞察ないし認識であって、学問研究にむかおうとする人が主観的に手にいれたいなと思うような、知識の集積は二の次です。世界史にむかうにあたって、思考や理性的認識をいまだもちあわせない人がいらっしゃるかもしれない。が、そういう人も、世界史のうちに理性が存在すること、知と自覚的意思の世界は、偶然の手にゆだねられるのではなく、明晰な理念の光のうちに展開すること、そのことだけはしっかりとゆるぎなく信じるべきです。
いや、じつをいうと、そうしたことを信じよとあらかじめ要求するのは行きすぎかもしれない。わたしがいまのべてきたことや、これからのべることは、歴史哲学にかんする事柄にしても、たんなる前提事項というだけでなく、全体をながめわたしたあとに得られる結論事項でもあって、その結論をわたしが知っているのは、わたしがすでに全体を認識しているからです。世界史が理性的にすすむこと、世界史が世界精神の理性的かつ必然的なあゆみであることは、世界史を考察することによってはじめてあきらかになることであって、どの領域にあっても同一の本性を保持する精神が、にもかかわらず、世界という現実の場でその本性の一面を展開してみせたのが世界史です。そのことが、すでにのべたように、歴史の成果としてあきらかにされねばなりません。が、歴史を前にしては、わたしたちはそのありのままのすがたをうけいれる必要がある。史実を経験に即して追っていく必要がある。
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