未唯への手紙
未唯への手紙
森毅 叔父さんはええかげん
281.0オ『おじさんの哲学』 2014/04/20 8:53 午後
ええかげん。ちゃらんぽらん。ものぐさ。気まぐれ。はみだし。
森毅のエッセイには、こういう言葉がよく出てきます。タイトルになっている本も多い。どれもふつうは否定的なニュアンスで使われる言葉です。それを肯定的に使うようになったのは、森毅からではないかと思います。
森は数学者ですが、人気を集めたのは「ええかげん」や「ものぐさ」を推奨した教育エッセイ(あるいは「反教育」エッセイ)によってです。ぼくも彼の数学の本は、ほとんど読んだことがありません。せいぜい数学エッセイ・対談の『対談・数学大明神』(安野光雅との対談)や『世話噺数理巷談(さろんのわだいにすうかくはいかが)』ぐらいです。
『世話噺数理巷談』ははじめ平凡社から出て、のちに『森毅の学問のススメ』とタイトルを変えてちくま文庫に入りましたが、ぼくははじめの『世話噺数理巷談』のほうが好きです。これを「さろんのわだいにすうがくはいかが」と読ませるところかすばらしい。
『世話噺数理巷談』を編集したのは浅田彰です。ぼくが森毅の名を知ったのは浅田彰の師匠としてでした。つまり八○年代のニューアカデミズムのころ。森は浅田について、フランス現代思想について詳しいとかそういうことは重要ではなく、浅田の本当の才能は編集にある、というようなことをいっています。この場合の「編集」は出版物の編集というよりも、さまざまな知識を集めて再構成するという意味です。あと、浅田が忙しくなって家に来てピアノを弾いてくれる機会も減り、老妻が寂しがっている、というような話も記憶にあります。
『まちがったっていいじゃないか』は中学生や高校生に向けて書かれたエッセイです。創隆社という出版社から出たのが一九八一年。同じ年に太郎次郎社から『学校ファシズムを蹴っ飛ばせ』を、翌年も太郎次郎社から『教育舞芸帳 学校を笑え』を出しています。八○年ごろというのは、愛知県などの管理教育か問題になった時期です。戦時中の軍事教練もどきの行進をさせたり、のちの君が代斉唱・日の丸掲揚につながっていく復古調で国家主義的な教育があちこちで始まりました。右翼の人たちは日教組の左翼教育が日本をダメにしたといいたがるけど、八○年代の管理教育を受けた人たちはもう四十代の働き盛りです。いまの日本がダメだというのなら、日教組のせいというよりもむしろ管理教育のせいじゃないのかな。
森毅の「ええかげん」「ものぐさ」「チャランポラン」は、日本の教育がひたすらくそ真面目で休みなく一直線を求めることに対するアンチテーゼです。
今回、森毅について書くために、『まちがったっていいじゃないか』を読み直しました。八○年代以降のぼくが、自分の生き方の指針としてきたことが、この本にたくさん詰まっているのに改めて驚きました。
たとえばいちばん初めにある「やさしさの時代に」という文章。〈やさしさの時代、と言われてきた。/そこに、少し皮肉なひびきのあることが、気になる。なぜなら、そうしたなかから、「りりしさ」を求める声が、生まれやすいからだ。/ぼくの子どもの時代、ヒットラーの少年たちが現れた。それは、澄んだ瞳の、りりしい少年たちだった〉
「いい子」がファシストになった、と森毅は書いています。じゃあ、「いい子」が悪い大人にだまされてファシストになったのかというと、それもちがう。「いい子」をファシストにした大人たちの大部分は「人のいいおじさんたちだった」。
「善人がファシストになること、それがファシズムというものだ」と森毅はいいます。
ぼくが『不良のための読書術』を書いたいちばん大きな動機はこれでした。人はほうっておくと善人になるし、善人はファシストになる。だから不良になるよう心がけよう。本を読んで不良になろう、というのがぼくの読書術です。
森毅は「りりしさ」という言葉に警鐘を鳴らします。「やさしさ」の時代には、「りりしさ」への誘惑があるという。いまだと「草食系」への嘆きと、「肉食系」への期待みたいなものでしょうか。
そういえば、安易に使われる言葉に「凛とした」があります。あまりにも便利なので、メディアでは「凛とした」がインフレ状態です。ぼくはできるだけ使わないようにしていますし、雑誌の記事などで「凛とした」を見つけると、「センスのない編集者だなあ」と思います。写真のキャプショソなどに便利なんですよね。でも、こういう「凛とした」のインフレ状態の背景には、「りりしさ」への誘惑があるのだと思います。
ええかげん。ちゃらんぽらん。ものぐさ。気まぐれ。はみだし。
森毅のエッセイには、こういう言葉がよく出てきます。タイトルになっている本も多い。どれもふつうは否定的なニュアンスで使われる言葉です。それを肯定的に使うようになったのは、森毅からではないかと思います。
森は数学者ですが、人気を集めたのは「ええかげん」や「ものぐさ」を推奨した教育エッセイ(あるいは「反教育」エッセイ)によってです。ぼくも彼の数学の本は、ほとんど読んだことがありません。せいぜい数学エッセイ・対談の『対談・数学大明神』(安野光雅との対談)や『世話噺数理巷談(さろんのわだいにすうかくはいかが)』ぐらいです。
『世話噺数理巷談』ははじめ平凡社から出て、のちに『森毅の学問のススメ』とタイトルを変えてちくま文庫に入りましたが、ぼくははじめの『世話噺数理巷談』のほうが好きです。これを「さろんのわだいにすうがくはいかが」と読ませるところかすばらしい。
『世話噺数理巷談』を編集したのは浅田彰です。ぼくが森毅の名を知ったのは浅田彰の師匠としてでした。つまり八○年代のニューアカデミズムのころ。森は浅田について、フランス現代思想について詳しいとかそういうことは重要ではなく、浅田の本当の才能は編集にある、というようなことをいっています。この場合の「編集」は出版物の編集というよりも、さまざまな知識を集めて再構成するという意味です。あと、浅田が忙しくなって家に来てピアノを弾いてくれる機会も減り、老妻が寂しがっている、というような話も記憶にあります。
『まちがったっていいじゃないか』は中学生や高校生に向けて書かれたエッセイです。創隆社という出版社から出たのが一九八一年。同じ年に太郎次郎社から『学校ファシズムを蹴っ飛ばせ』を、翌年も太郎次郎社から『教育舞芸帳 学校を笑え』を出しています。八○年ごろというのは、愛知県などの管理教育か問題になった時期です。戦時中の軍事教練もどきの行進をさせたり、のちの君が代斉唱・日の丸掲揚につながっていく復古調で国家主義的な教育があちこちで始まりました。右翼の人たちは日教組の左翼教育が日本をダメにしたといいたがるけど、八○年代の管理教育を受けた人たちはもう四十代の働き盛りです。いまの日本がダメだというのなら、日教組のせいというよりもむしろ管理教育のせいじゃないのかな。
森毅の「ええかげん」「ものぐさ」「チャランポラン」は、日本の教育がひたすらくそ真面目で休みなく一直線を求めることに対するアンチテーゼです。
今回、森毅について書くために、『まちがったっていいじゃないか』を読み直しました。八○年代以降のぼくが、自分の生き方の指針としてきたことが、この本にたくさん詰まっているのに改めて驚きました。
たとえばいちばん初めにある「やさしさの時代に」という文章。〈やさしさの時代、と言われてきた。/そこに、少し皮肉なひびきのあることが、気になる。なぜなら、そうしたなかから、「りりしさ」を求める声が、生まれやすいからだ。/ぼくの子どもの時代、ヒットラーの少年たちが現れた。それは、澄んだ瞳の、りりしい少年たちだった〉
「いい子」がファシストになった、と森毅は書いています。じゃあ、「いい子」が悪い大人にだまされてファシストになったのかというと、それもちがう。「いい子」をファシストにした大人たちの大部分は「人のいいおじさんたちだった」。
「善人がファシストになること、それがファシズムというものだ」と森毅はいいます。
ぼくが『不良のための読書術』を書いたいちばん大きな動機はこれでした。人はほうっておくと善人になるし、善人はファシストになる。だから不良になるよう心がけよう。本を読んで不良になろう、というのがぼくの読書術です。
森毅は「りりしさ」という言葉に警鐘を鳴らします。「やさしさ」の時代には、「りりしさ」への誘惑があるという。いまだと「草食系」への嘆きと、「肉食系」への期待みたいなものでしょうか。
そういえば、安易に使われる言葉に「凛とした」があります。あまりにも便利なので、メディアでは「凛とした」がインフレ状態です。ぼくはできるだけ使わないようにしていますし、雑誌の記事などで「凛とした」を見つけると、「センスのない編集者だなあ」と思います。写真のキャプショソなどに便利なんですよね。でも、こういう「凛とした」のインフレ状態の背景には、「りりしさ」への誘惑があるのだと思います。
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