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「卒論・修論を書く」のスタート

『卒業論文・修士論文作成の要点整理』より

Ⅰ 「卒論・修論を書く」のスタート:1つの文献を読んで、テーマと第1次目次を書く

 1 テーマ探し:書きたいものを見つける

  【テーマをどのように設定するのか:テーマ側の条件vs.みなさん側の条件】

   テーマは卒論・修論の題目であり、取り組む問題です。テーマをどのように設定すればよいのでしょうか。どのようなテーマが卒論・修論のテーマとして適当なのでしょうか。読み手に「このテーマはおもしろい」と思われるようなものを設定しましょう。

   テーマを設定するときには、「テーマそのものの条件」と「みなさん一人ひとりの条件」の2つを考えねばなりません。

  【ただし、テーマをころころと変えるのは厳禁】

   「何を書けばよいのか分からない」とこぼしたり、テーマを決めても、テーマが再三変わるゼミ生か少なからずいます。卒論・修論の評価採点を行うときの基準の1っは「この卒論・修論作成にはどれくらいの時間がかかったのか」というものです。論文の質の問題はありますが、大量の時間を投入して作成された卒論・修論は投入時間という基準からは良い評価を受けます。ですから、テーマをころころと変えて、結局は短時間で論文を書かざるを得なくなることは厳禁です。

  【卒論・修論で取り組む問題設定の心得】

   卒論・修論の新鮮味は問題設定です。良い問題の設定は、良い論えにつながります。しかし、みなさんは、まずこの問題設定で苦労するでしょう。限られたタイム・スケジュールの中で、何を、どこまで明らかにできるのかを見極めることはたしかに難しいことであり、これは論文を作成してはじめて分かるものです。まずは、最も興味のある事柄から調査・分析し、それを書き留めることです。また、書き留めたことについて、人とディスカッションすることです。書き始めると、上下、左右に議論が展開しはじめるものです。また、人とディスカッションすると、相手の反応から、設定した問題が意味あるものかどうか知ることができます。

 2 テーマ探しと文献探しは同時:文献なしでは論文は書けない

  【テーマと文献はワン・セット】

   みなさんは「テーマを決めてから文献を見つける」と考えがちですが、実際の作業では、「文献を見っけながらテーマを決める」に近いかもしれません。テーマと文献はワン・セットです。テーマが決まらないと文献を探せませんが、文献を探せないとテーマは変更されねばなりません。あるいは、テーマとは関係ない、しかし良さそうな文献が見つかると、テーマを変えたほうがよいかもしれません。絶対不可欠な文献・データが利用できるかどうかを確かめてからテーマを決めましょう。

  【テーマ設定の心得】

   卒論・修論のテーマとは、論文で取り上げる問題のことです。論文を作成している学生を見ていると、何を問題として取り上げて書けばよいのか一向に分からないままに時間が経過し、いよいよ提出期限が近づいて、あわてて何かやさしそうなテーマを拾うということがあります。「Aというテーマが面白そうだと思ったが、図書館に行っても文献が見つからない。Bというテーマについては、いろいろ本が出ているようだが、Bのテーマのためには高等数学ができないと取り組めないらしい。Cのテーマなら書けそうだが、面白くなさそうである。しかし、時間がないので、Cのテーマに決定した。」ということがしばしば見られます。これでは、研究のモティベーションも低く、研究時間も限られているので、良い論文を書けるはずがありません。卒論・修論のテーマを設定するための出発点は「問題意識」です。みなさんは、きっと「もっと深く知りたいと思う疑問点」や「心を惹いた問題」をもっているはずです。しかし、論文作成に取り組みはじめたとき、みなさんは、どの問題の、どの点を、論文のテーマとして設定してよいのか判断できないのが普通です。

  【小さいテーマを設定すれば、読む文献は限られる:テーマの大小】

   テーマには大小いろいろあると言われていますが、「テーマの大小」とは何でしょうか。それは文献(本・雑誌)の題名・目次構成を見れば、見当がっくと思います。本の題名になりうるテーマ、本の章になりうるテーマ、本の節になりうるテーマ、論文の題目になりうるテーマから、テーマの大小を判断できるはずです。大きな問題に取り組んではいけないというのは、みなさんのチャレンジ精神にケチをつけることになりますが、大問題は1本の卒論・修論のテーマとして不向きです。限られた時間・ページ数の中で論述しなければならないので、取り組む問題が大きすぎると、どうしても論文内容が浅薄になります。大きいテーマに取り組むと、これまでの研究蓄積をサーベイするだけで忙しく、みなさんがこれまでの研究蓄積の上にさらに新しく付け加える時間がなくなります。みなさんの問題意識を絞って、「より小さいテーマ」を設定しましょう。
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ローザ・ルクセンブルク

『資本蓄積論』より

一九八九年のベルリンの壁の崩壊を契機として、ソ連邦や東欧の社会主義諸国が崩壊して以来、社会主義とりわけマルクス主義の思想や理論は影響力を失い、いまだ混迷を脱していない。

それに代わって影響力を持つにいたったのが、社会科学の分野でも、政治の世界でも、新自由主義の潮流である。この潮流は一九七〇年代以降、市場を通じて商品・労働力・資本・資源の効率的配分を行うべきだとする立場から、国有企業の民営化、経済に対する政府規制の緩和・撤廃を主張し、実践した。しかし、新自由主義的な実践が進む中で、社会と経済のあらゆる分野での格差の拡大が顕著に現れるようになり、新自由主義が軽視してきた社会保障・社会福祉の問題、あるいは非正規雇用の増大の問題が注目されるようになり、現代の社会問題を解決するための政策は、新自由主義ではなく社会主義の思想を基礎にせざるを得ないという認識が、徐々に広がりつつある。

このたび、我々がその選集(経済論集および政治論集)を刊行しようとするローザ・ルクセンブルクは、一八七一年にロシア領ポーランド王国のザモシチに生まれた。若くして社会主義運動に入ったが、一八八九年、官憲の手から逃れるためにスイスのチューリヒに亡命した。一八九三年には、ポーランド王国社会民主党の結成に加わり、パリで発行されたその機関紙『スプラヴァ・ロボトニチャ(労働者問題)』の編集に携わった。一八九八年にはベルリンに転居し、ドイツ社会民主党(SPD)に入党し、活動の拠点をドイツに移したが、ポーランドの労働運動に終生かかわり続け、ポーランド語論文も多数著している。

彼女は、二〇世紀の新しい状況に合わせてマルクス主義を発展させようと試みた一人であり、マルクス理論についての深い理解に基づき、二〇世紀初頭の欧米先進国および植民地の政治経済状況の分析を試み、社会主義運動を発展させ社会主義の理想を実現しようとした。そのため彼女は、二〇世紀の社会主義運動において最も取り上げられた人物の一人であった。特に急進的な社会主義勢力は、しばしば彼女の理論や戦略を自己の運動の武器にした。

彼女は二〇世紀への転換期に繰り広げられた修正主義論争においては、ベルンシュタインの修正主義論を批判し、二〇世紀初頭の帝国主義論争においては、カルヴァーやシッペルの保護貿易論、あるいはベルンシュタインやヴァン・コールの植民地是認論を批判した。さらに、一九〇五年の第一次ロシア革命の際に生じた政治的大衆ストライキ論争においては、政治的大衆ストライキを労働者の最後の手段とするSPD中央派の抑制的・受動的な立場を批判し、より積極的な攻撃の手段と見なす立場をとった。この意見対立は、一九二〇年に大衆ストライキ論争が再燃した時に、彼女やカール・リープクネヒトを中心とした急進左派が、ベーペルやカウッキー等のSPD中央派と決定的に対立する原因となった。

SPDの主導権は、その後一九一三年に、党内の革命的勢力と改良主義的勢力の調停者の役割を果たしていたべーペルが死去すると、改良主義者でありプラグマティストでもあるエーベルトの手に移り、このような状況の下でSPDは、▽几一四年に第一次世界大戦を迎えた。このとき同党は、帝国主義戦争に反対することを義務づけた一九一二年の第ニインターナショナルーバーゼル決議に反して、ドイツ帝国議会において戦時公債法案に賛成票を投じ、「祖国防衛≒城内平和」の立場をとり、第ニインターナショナルを崩壊せしめた。

ローザ・ルクセンブルク等のマルクス主義的急進左派グループは、党の戦争協力政策を批判して直ちにグルッベ・インタナツィオナーレを結成し(その後スパルタクスグルッペ、さらにスパルタクスブントヘと名称を変更)、反戦闘争を組織した。ローザ・ルクセンブルクは戦前の反戦演説を理由にした裁判の判決に基づいて▽几一五年二月に投獄され言一年四ヶ月間)、カール・リープクネヒトは、一九二六年にベルリンのメーデーにおいて反戦・反政府演説を行ったために投獄された(二年六ヶ月間)。

しかし、戦争がドイツの侵略戦争であることが明確になるにしたがい、帝国議会議員団の中にも、党の規律を破って戦時公債法案に反対票を投じる者が増加した。一九一六年に彼らはSPD帝国議会議員団から除名されたため、独自の会派を結成した。戦争の長期化とともに次第に反戦闘争が高揚する中で、一九一七年にはドイツ独立社会民主党(USPD)が結成された。しかし、スパルタクスグルッペも参加した同党は、革命的マルクス主義者から改良主義者にいたるまでの雑多な勢力の寄せ集めにすぎず、目前に迫りつつあった革命を指導する能力を備えていなかった。

一九一八年一一月、敗戦必至の状況下でドイツ革命が勃発した時、革命に反対していたエーベルト指導下のSPDは、革命の流れに巧みに合流し、USPD右派指導部を引き入れて臨時革命政府を樹立し、その指導権を握った。同時にエーベルトは、陸軍最高指令部のグレーナー少将と秘密協定を結び、帝政の解体によって危機に瀕していた軍・将校団の温存を確約し、「ボルシェヴィズム」の脅威に当たらせようとした。USPD右派指導部は、妥協に妥協を重ねていた。一二月半ばに開催された第一回全国労兵評議会大会は、一九一九年一月一九日に国民議会選挙を実施するというSPDの方針にそった決議案を採択するとともに、労兵評議会を最高権力機関とするというUSPDの方針にそった決議案を否決し、最高権力機関としての労兵評議会の存続に自ら終止符を打った。これ以降、急進的勢力とSPDとの対立が激化し、USPD左派の支配下にあった人民海兵団と正規軍との流血の衝突が起こった。これに抗議する党末端組織の圧力を受けてUSPD右派指導部は、一二月二九日、臨時革命政府から去り、こうして臨時革命政府はSPDが単独で率いることになった。
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自前主義のバイアス

『不合理だからうまくいく』より

なぜ「自分」のアイデアは「他人」のアイデアよりいいのか わたしはときどき自分の研究成果を、企業の重役集団に紹介することがある。よりよい商品作りに役立ててもらおうというのが、目的の一つ。それに、アイデアを社内で活用したら、じっさいにどうなったかというデータを、わたしに教えてほしいという魂胆もある。

そういう会合の一つで、ある銀行の幹部集団と話す機会があった。わたしは、もらった給料を右から左へ使ってしまう消費者に、老後資金の貯蓄を促すのに役立つアイデアを、いくつか紹介した。それからお金の機会費用(「いまあの新車を買ってしまったら、将来何をがまんすることになる?」)について考えなくてはならないとき、だれもが経験する問題について説明した。いまお金を使うことと、将来のために貯蓄することのメリット・デメリットを、顧客にわかりやすく具体的に示す方法を提案した。そうすれば消費者はお金について賢明な判断を下すことができるし、銀行にとっても、顧客基盤を強化するとともに、顧客の信頼を勝ちとれるというメリットがあると、わたしは熱弁をふるった。

ところが残念なことに、銀行家たちはわたしの言い分に、胸を揺さぶられなかったようだ。なんとか関心をもってもらおうと奮闘していたとき、ふとマークートウェインの“Some National Stupidities”(国民的愚かしさについて)と題したエッセイが頭をよぎった。トウェインはこのエッセイの中で、ドイツ製ストーブを絶賛し、それにひきかえアメリカ人ときたら、だれかがつきっきりで世話しないと燃やし続けることもできない、醜怪な薪ストーブを、相も変わらず使い続けていると嘆いている。

世の中には、よその地域で生まれた貴重な考えを、なかなか採り入れないという、まったくふしぎで不可解な風潮がある。こういった愚かしさは、一部の地域社会や国だけのものではなく、世界にあまねく見られる現象だ。じっさい人間というものは、よそで生まれた貴重な考えをなかなか採り入れないどころか、まったく採り入れようとしないことすらある。

ドイツ製ストーブが、その好例だ。部屋の片隅に置かれ、天井に向かってそびえる、あの巨大な白い磁器の塔。いかめしく、そっけなく、死や墓すら連想させる。それが、ドイッ以外のいったいどこにあるというのか? わたしはドイツ語圏外では一度も見たことがないと、断言できる。しかしこのストーブが、これまでに発明されたなかで、いちばん便利で経済的な、最高のストーブであることはたしかだ。

トウェインによれば、アメリカ人がドイツ製ストーブを鼻であしらったのは、それにまさるものをアメリカ人自身が開発できなかったからだという。わたしがこの会合で、ずらりと並ぶ仏頂面と向かい合っていたのも、まったく同じ事情からだった。わたしは、かれらのためになるアイデアを提案していた。それも、ただの漠然としたアイデアではなく、確かなデータに裏づけられたアイデアだ。しかしかれらが、ただそこにすわっているだけで、わたしの提案について考えようともしていないのは明らかだった。ひょっとすると、かれらが乗り気でなかったのは、アイデアを思いついたのがかれらではなく、わたしだったからなのだろうか。もしそうなら、このアイデアが--少なくともその一部が--重役たちの頭から出てきたと、思わせればいいのだろうか? そうすれば、ちょっと試してみようという気になってくれるだろうか?

この状況は、少し前によく流れていた、フェデックスのテレビCMを思わせた。シャツとネクタイ姿の社員たちが、会議用テーブルを囲んでいると、上座にすわる、背広を着こんだ上司が、社を挙げてコスト削減に邁進するぞ、と言い放つ。すると憂僻な顔つきをした巻き毛の社員が、ぼそっとつぶやくのだ。「フェデックスのオンラインアカウントを利用すれば、送料がすべて一割引になりますけど?」上司は瞑想でもするかのように手を合わせながら、黙って聞いている。一同が顔を見合わせ、固唾をのんでしばらく見守っていると、上司は突然、両手で空を切るジェスチャーをしながら、たったいま、悲しげな目をした社員が提案したとおりのことを宣言するのだ。一同がへつらうように喝采を送るなか、提案した社員だけが怪訪そうだ。自分もいま、同じことを言ったのに? 「だけどきみは、こういうふうにやらなかったろ?」とボスは茶目っ気たっぷりに言って、両手で力強く空を切ってみせるのだ。

このユーモラスなコマーシャルは、「人が自分や他人のアイデアをどのように受けとめるか」という重要な問題を表わしているように思えた。わたしたちが何かのアイデアを高く評価するには、それを自分で思いつくか、少なくともそれが自分のアイデアだと感じる必要があるのだろうか?

人が自分のアイデアにこだわりがちだということについては、ビジネスの世界にも戒めがあり、重要なビジネスプロセスのように、この現象にも俗称がつけられている。「ここで発明されたものではない」バイアス(自前主義バイアス)というのが、その呼び名だ。簡単に言ってしまうと、「自分(たち)が発明したものでなければ、あまり価値がない」という考え方である。
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フェイスブック

『R30の欲望スイッチ』より SNS 見えと都合

○みんな、「手紙」が欲しかった

 フェイスブックの人気の理由は、よく言われているように「つながりたい」欲求を満たせるツールだったことにある。基本的に知り合い同士でつながるものであるために、ツイッターと比べても結びつきが強い。じゃあフェイスブックにおける「つながり」とは具体的にどういった種類のものなのだろうか。ひとくちにつながると言ってもいろいろあって、「電話」と「メール」と「チャット」ではつながり方が全然違う。フェイスブックは公開日記などとも言われているが、世の中にあるもので一番近いのは「写真つきの手紙」や「絵はがき」、あるいは「年賀状」などだろう。

 疲れた体で仕事から帰ってきて家の郵便受けを開けたときに、友達からの手紙や絵はがきが入っていたらちょっと嬉しい。フェイスブックが好まれたのは、そういう嬉しさを毎日最大限に昧わえる仕組みを作ったからだ。だから単純に言ってしまえば、みんな「手紙が欲しかった」のだ。

 考えてみると、手紙は様々なコミュニケーションメディアによって長いあいだ隅に追いやられていた。まず電話ができたことによって、近況報告をそれで済ませる人が増え、その後メールが普及して「簡単さ」と「安さ」で手紙のポジションを奪ってしまった。ちょっとした用事ならば、ほとんどの人が電話かメールで済ませるようになり、手紙は古典的なコミュニケーションメディアとして、ビジネスの場や限られた用事のためにしか使われなくなったのだ。でもそのあいだ手紙が人々に望まれていなかったかというとそうではなくて、単に書いて出す手間がかかるのが面倒臭がられていただけだった。やはり貰うと嬉しいものだし、その嬉しさは(メールに押されながらも続いていた)年賀状が証明している。

 そして変化が訪れたのは、ミクシィが出てきたときだ。あれはまだ文章メインの公開日記でしかなかったが、日々の出来事をみんながネット上で報告するようになった。ただ、ユーザーはあくまでも若年層が中心で、当時はまだスマートフォンも普及しておらず、パソコン環境がないと使えなかった。しかしスマホの台頭によってそれらの問題も解決し、そこにフェイスブックが入ってきたのだ。速さと気軽さはコミュニケーションを活性化させ、投稿が写真をメインにして成り立つことも〝近況報告をする〟というハードルを下げた。要するにフェイスブックは「手紙が持っている温かみ」が、ツールの進歩によって「楽に享受できるようになった」メディアなのだ。

 ただ、フェイスブックを長く続けることで見えてきたものもあるのではないか。それは結局のところ、求めているのは「親しい人とのつながり」だったということだ。興味本位で昔の同級生や知り合いとつながりはしたものの、最終的にはタイムライン上で探しているのは仲のいい人の投稿だという人は多いだろう。言うなれば、興味のない人からの手紙(投稿)は「DM」になっていったというわけだ。だから親しい人が多ければ(あるいはその人たちが定期的に投稿していれば)フェイスブックはきっといつまでも楽しいし、そうでなければ見ることすら億劫なものになっていく。DMだらけの郵便受けなんて、見ても疲れが溜まるだけだからだ。

 もちろんフェイスブックが誰にとってもメリットがないものかと言うとそうではなくて、知り合いに何かを一斉に報告するときにはこの上なく便利なツールではある。一人一人にいちいち手紙やはがきを書く手間が省けるし、ネットができる環境さえあれば費用も一切いらないからだ。

 個人的にはフェイスブックから離れた人が、手書きの良さを再認識して手紙や年賀状を出すようになってほしいなと思う。親しい人への報告もメールがあれば十分ではあるけれど、手間ひまをかけるからこそ生まれてくる人間関係というのが世の中にはあると思うのだ。

○他人から良く思われたい「見栄」

 「手紙がほしい」が受け手の欲望のひとつだとするならば、もう一つフェイスブックを見ていて思うのは「他人から良く思われたい」欲望が見え隠れすることだろうか。

 わかりやすいのが「いいね!」ボタンだ。同じ「いいね」でも「見たよ」程度の印から、本当に仲がいい人に対する励ましや肯定まで幅広いのだが、記事を投稿する人で「いいね」が欲しくない人はまずいないだろう。〝承認欲求〟とも言われるけれど、もしこの仕組みがなかったら、フェイスブックの楽しさは大幅に減ると言っていい。

 また、写真を投稿する際にも、同じように良く思われるための工夫がされている。わざわざ言うことでもないかもしれないが、多くの人が「写真の加工や調整」をしているからだ。

 フェイスブックに投稿する写真をいい加減に決めて載せている人はまずいない。厳密に言えば、撮るときに構図を考えているわけで、その次に撮れた写真の中からいいものを選び、さらにこだわる人はフィルターなどをかけて加工しているのだから、2~3の過程を経てOKになったものだけがアップされていることになる。そしてそれぞれの審査の際に重要視されるのは「どうすれば印象が良くなるか」なのだ。それだけでなく、複数枚アップするときは並べたときのバランスも考慮されている。多くの場合はそこに文章もっくわけで、これも写真の魅力が増すように形が整えられてい

 若い人はこういうことをごく当たり前にやっているのだけれど、客観的に見ると、この「調整の技術」は相当すごいものがある。昔からできたわけではないので、この何年かで若者が飛躍的に伸ばした技術だと言えるだろう。今や多くの人がカメラマンを兼ねた編集者になっているようなものなのだ(この辺りは世代間の溝も深いところで、年配の人が「とりあえず撮れればOK」くらいの適当な感じで携帯カメラで撮影しているのを見ると、若者は「えっ、なんで…」と引いてしまうことがある)。

 それからフェイスブックでは、最初は楽しかったのだけど、友達申請を許可しすぎて、そんなに親しくない人ともつながってしまった人が多いと思う。欲しくもない「いいね」やコメントをもらったりするのも僻陶しいし、親しい人なら報告したいことでも、それ以外の人が見ていると思うと及び腰になったりもするだろう。また、特に興味がない人たちのつまらない近況報告をたくさん見て、自分はこんなふうになりたくない、ちょっと報告しようかと思ったこともあったけど、わざわざ言うことでもないか、と投稿をやめてしまう人もいるんじゃないだろうか。でもそういうのもすべて「他人に良く思われたい」がゆえなのだ。もっと言えば、フェイスブックのアカウントを持っていない人でさえ、その気持ちを持っている。自分はプライペートの自慢大会には参加したくない、そんなにバカじゃないと思っていたりするからだ。もちろん本当に興味がないならいいのだが、やっている人を見下す気持ちがある限り、自分はフェイスブックなんてやらない良識のある人間だと思われたいと言える。

 僕もフェイスブックを「他人に良く思われたい」がゆえに利用して、同じ理由でやめてしまった人間なので言うのだが、この水面下の「見栄」こそが、フェイスブックを始めとするSNSの世界にはびこる一番の欲望だと思う。本当はみんなそんなことを気にせずにやればいいのだ。でもそれができない辺りに、現代の日本が持つ独特の空気がある。
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未唯空間の深堀

未唯空間の深堀

 各項目の深堀をしましょう。今週は徹底的にやりましょう。

 マーケティングが変わると言っても、どのように変わるのか。買うための行動では、マーケティングが変わるとは言えない。やはり、使うための行動が変わることです。メーカーの役割そのものが変わることになります。シンプルにしましょう。まずは食べるものです。
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岡崎図書館の10冊

281『おじさんの哲学』

674『現代 宣伝・広告の実務』宣伝会議の基礎シリーズ マスからデジタルまで広告マーケティングのノウハウ

336『クラウドソーシングの衝撃』雇用流動化時代の働き方・雇い方革命

367.4『婚活コンシェルジュ』

369『社会と制度の理解』新・介護福祉士養成講座

235『フランスの肖像』歴史・政治・思想

319.5『ヘンリー・スティムソンと「アメリカの世紀」』

323.1『いちばんやさしい憲法入門』

302.3『不均衡という病』フランスの変容 1980-2010

786.5『女性のためのサイクリングガイド』おしゃれでカッコいい 自転車のライフスタイル
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