古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

那須塩原マラソン紀行(1)

2008-11-05 | 旅行
 各地のマラソン大会を走破することを楽しみにしているランナーは大勢います。そんなランナーに大会で出会うと「おや、またお会いしましたね」ということが良くあり、それがきっかけで友人になった知人が数人います。

 那須塩原市に住むKさんもそうした友人の一人です。今年は那須塩原マラソンを一緒に走ることになり、2日、10時過ぎの新幹線で東京へ。そのまま東北新幹線に乗れば早いのですが、時節柄経費節約で、上野に回り、東北本線の各駅停車に乗りました。各駅停車は「関東平野はずいぶん広いのだ」と、実感させてくれます。なにしろ、那須塩原は東京と仙台の中間ですから。

宇都宮でホームの向かい側に待つ黒磯行きに乗り換え、3時25分那須塩原駅に着く。

 Kさんが、ランドクルーザーを運転して、駅まで迎えに来てくれました。

 今回のマラソンは楽です。いつもマラソン旅行は、走ること以外にいろいろ気を使うものです。予約した旅館を探す。食事はどうしよう。明日、旅館を出る時間は?等々。マラソンを終わった後は、疲れた身体を動かして帰りの荷造り。帰りのバス停はどちち?時間は? これらが疲れている時は大変ですよ。自分が好きでやっているのだから仕方ないですが・・今回は、総てKさんにお任せです。走るのは自分でやらないといけないが、それ以外は総て面倒を見てもらえます。

 「一寸、青木邸を見てから温泉に行きましょう」とKさん。

 「とちぎ 明治の森記念館 旧青木家那須別邸」という建物が道の駅の横にあった。

http://www.mapple.net/spots/G00900108901.htm

 青木とは、青木周蔵。明治中期に外務大臣。日英通商条約の改正交渉で活躍した。青木家は長州藩の藩医の家柄。周蔵は明治初年、ドイツに留学して医学を学んだが、帰国後外交官を志し、ドイツ公使、駐米大使など歴任した。先年、ペルーで起きた日本大使館襲撃人質事件の際の青木ペルー大使は曾孫とのこと。

 青木周蔵は、明治14年、那須野が原に農場を開設、この地の開拓に努めた。農場の拠点だった別邸が、今日、市が管理する博物館になっているというわけ。

 中に入ってみるが、要するに犬山の明治村と同じ、と感じました。

 この那須の地は、明治のはじめ、維新の元勲たちの間に、国土の開発が流行ったらしく、山県有朋、大山巌、乃木稀典、松方正義などの別邸が那須野が原に現存するそうです。

 見終わった後、「塩原温泉の源泉に行きましょう」。三連休の中日の所為か、車の列が長く続いている。「これだけ遊びに来る人はいると、不景気なんてどこの話?と思うね」等々雑談をしながら山をどんどん上って、ひなびた民家風の旅館兼温泉についた。硫黄のにおいがきつい。地元の人しか知らない穴場らしい。

http://www.siobara.or.jp/kokyo.stm

 30分ほど湯につかり、外に出ると、もう陽はとっぷり暮れている。「家内がアルバイトに出ていますので、外食しましょう」と、レストランに案内してくれた。

 「実は身体を故障してこの4週間、練習していないので、明日のマラソンは棄権です。走ることは走りますが、10km辺の家の近くまで走って棄権します。4週間も走らなくて、いきなり21kmを走るのは無謀ですから」とKさん。しばし雑談が弾んだ。

 Kさんはマラソン以外に、犬が趣味だ。家には5頭の愛犬を飼っている。時々、マラソンを一緒に走ると言う。日頃Kさんが特訓をしているので、1km4分ぐらいなら平気で走ると言う。先回、この那須塩原マラソンを走った時、愛犬とともに走ったら、10km辺りのKさん宅に近づいたら、突然マラソンコースを外れて我が家に向かって疾走した。仕方が無いから、Kさんも家迄疾走し愛犬を鎖でつないでから、マラソンコースに戻った。

 Kさん宅に向かう。周囲は別荘が立ち並ぶ。家に入ると、5頭の犬が、歓迎のつもりか「ウー、ワンワン」とにぎやか。猫も一匹いた。これだけペットがいると、人間様の食事代より、お犬様の食事代の方が高くつくのでは?

Kさん宅でゆっくり休ませてもらいました。(続く)