古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

グリーンスパンの評価

2008-11-08 | 経済と世相
 11月5日中日夕刊の「大波小波」のコラムにこんな記事。

 【経済危機を生んだ米金融当局の責任をめぐって、一昨年まで18年間余り連邦準備制度理事会議長の座にいたグリーンスパン氏が米下院委員会に呼ばれた。査問並みの厳しい追求だったと米紙は伝えている。

 問われたのは、金融混乱の原因を作ったサブプライムローンや債務を金融機関間で保証する金融商品を野放しにした咎だ。議員側は「あなたには無責任な貸し出しを止める権限があった。そのツケを米経済は払わされているのだ」と迫った。

 同氏は住宅バブルの見通しの誤りを認めたうえ「銀行のリスク評価の能力を読み違え、彼らが自己利益を考えて行き過ぎを自制すると思ったのが誤りだった」と反省を語った。

 日本のバブル経済発生とその退治で、日銀の副総裁、総裁を務めた三重野康氏も同じような意見を言っているのが興味深い。同氏は「銀行間の競争が健全な市場原理が働くシステムにならず、リスク管理が不十分で、(不正を防ぐ)コーポレートガバナンスも不備だった」と記している。両中央銀行総裁とも「銀行を信用したのが間違いの源」との思いのようだ。銀行は信用が売りだったのだが・・・】

 かつて、「神様、仏様、グリーンスパン様・・」だったのが・・

 さて、クルーグマン(今年度経済学ノーベル賞受賞)さんの本『嘘つき大統領のデタラメ経済』では、グリーンスパンをどう評価しているのかな?とのぞいてみると、2002.9.3付け『FRBと日銀の言い訳』というコラムがありました。

【共産主義が崩壊する数年前、私はなにかで最適なる計画経済に関する協議について読んだことがある。ソビエト代表団によると、計画局は状況が許す限り最善の努力を尽くしてきたという。したがって、ソビエトの計画経済は常に最適なものだったという。】

【アラン・グリーンスパンは、そのソビエトの役人と実に意見が合ったに違いない。グリーンスパンはFRB議長として、金融市場の巨大なバブルに自分は何の責任もないと主張している。彼の政策は正しかったと言っているのである。なぜなら彼自身の最善を尽くしたからだという。】

【グリーンスパンのコメントは、過去数ヶ月私が抱いてきた心配を深めている。後から後から増え続ける経済問題に対して、FRBの高官は行動ではなく、言い訳で応じようとしているのではないかという心配である。】

【我々は同じようなことが日本でもあったことを見てきた。最初、日銀の高官は、日銀には景気停滞と戦う責任はない。日銀に課せられた唯一の責任は、物価を安定させることだけだと主張していた。その後、インフレがデフレに変わっていくと、物価の安定さえ日銀の責任ではなくなった。つまり、言い換えるなら、日本の経済問題を解決しようと努力し、失敗するかもしれないリスクを取るよりも、日銀は繰り返しその責任を定義し直すほうを選んできたのである。】

銀行も銀行ですが、中央銀行総裁もまた中央銀行総裁ということですか・・・