古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

那須塩原マラソン紀行(2)

2008-11-06 | マラソン
 3日、朝食後、支度をして茶の間に行くと、TVを見ていた奥さんが「フランク永井が死んだそうですよ」。10月27日、肺炎で死去していたとのこと。昭和は確実に遠くなりつつある。小生は、「有楽町で会いましょう」より、「なんで泣きはる、泣いてはる。・・・女であること ああ夢みる」の「こいさんのラブコール」が好きだ。閑話休題です。

 8時ごろ、Kさんの車で会場の黒磯運動場へ。駐車場が満杯です。整理員の誘導で一番遠い第4駐車場に車を置き、受付に行く。

 受付票をスタッフに渡すと、ゼッケン、ランナーズチップ、選手名簿を渡しながら「ああ1155番はシルバー賞です」と賞品をくれた。

 戴けるものは総て戴きますと受け取り車に戻り、選手名簿を見る。ハーフは1013名のエントリー。年齢を見ていくと、最高齢者は73歳の1名、72歳の小生が二番目の高齢者だ。「シルバー賞」(ASICSのブランド名が入ったタオルでした)を戴けたわけです。

 ゲストランナーは市橋有里さん、シドニー・オリンピックでQちゃんと走った選手だ(15位)。滋賀県の土山マラソンでゲストランナーで来ていたと思い出す。現在、地元宇都宮に住んでいるとのこと。多分、ハーフでなく5kmに出場だろう。

「あ、今年はコースが変わった」と名簿に付いている地図を覗き込んだKさんが言う。「アウトレットが出来たんですよ。アウトトレットに入る車の規制が難しいのでコースを変えたのですね。これだと、前半ずうっとだらだらの上り坂ですよ。

私の家の傍を通らないから、途中でコースをそれて一旦帰宅し、自転車でここに来ます。帰りは自転車をこの車に載せられますから。ゴールでお待ちしています。」


10時スタート、走り出しました。10分ぐらいでKさん(スタート前トイレに行ったので最後列からスタート)が追いついてきた。私の前を先導するように走ってくれた。途中で棄権するつもりなので、私のスピードに合わせて走ってくれる。ペースメーカーだ。

Kさんは7km前で走るのを止めて「ゴールで待ってます」とコースを離れた。

8kmで第1給水所。たいした勾配ではないが、上り坂が9km辺りまで続く。お天気が良ければ遠くの山並み綺麗だろうが、あいにく曇っている。雨にはならないだろうが・・・

10kmを1時間4分、「20kmが2時間8分か、2時間15分かかるかな?」

ところが後半は下り坂が多い。折り返しコースでなく、周回してフィニッシュのコース、14km地点で第2給水所。走り続ける。持久力は大丈夫!18km前に第3給水所。フィニッシュはスタートした運動場を4分の3周してゴール。ゴールの時計は2時間8分48秒を指している。やはり後半の下りでタイムを稼げた。

ともあれ完走できました。これで栃木県では3回走りました。足尾銅山マラソン(H1年6月)、佐野シテイマラソン(H9年12月)、そして今回の那須塩原マラソンです。

「完走証は?」と聞くと「後日郵送です」。汗が引くと急に寒くなってきたから気温は、放送はなかったが、12~13度か。気温が低ければ、まだ2時間10分は切れるなと思った。

Kさんが「早かったね」と、ねぎらってくれる。車に戻り、後部座席で着替えが済んだと思ったら、もう那須塩原の駅に来ていた。

Kさんにお礼を言って別れ、13時1分の宇都宮行きに乗れました。

4時前東京駅、16:03のひかりに乗車したが、たいへんな混みようで、私は幸い坐る席を確保できたが、浜松までは立っている乗客が多かった。

 余談ですが、日本の新幹線は素晴らしいシステムだと思う。鉄道技術や運行技術も素晴らしいが、それよりも、これだけ大勢の、金を払って新幹線に乗る国民がいるということが素晴らしい。本人でなく会社が払っているかもしれないが、そうであってもそれだけの金を稼ぎ出しているのが日本だ。その日本の経済力をつぶしてしまうような政策を、取らないでほしいもの。

18:10名古屋に着きました。今年の大会出場は、これでオシマイ。