古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

補論・小泉首相論

2007-12-06 | 経済と世相
 20年ぐらい前ですが、社内研修会が湯ノ山温泉(三重県)のホテルで行われ、社内講師として出席しました。社外講師としてリクルートの先生が見えていて、私の話を聞いてみえました。終わって、帰ろうとしたらリクルートの先生も、仕事が終わったから一緒に帰るといいます。近鉄電車の中で、先生が言いました。
「あなたの話し方には、クセというか特徴がありますね」、「Aである。なぜAだというと、これこれだから。Bである。なぜBかというと、これこれだからを、繰り返していることです」。
 私は「そうですね。子供の時からのクセですから」。(このクセのため小学生の時「ハカセ」の綽名がついた)。子供の時からのクセは直らないものです。 なにしろ「酔っ払って転倒して頭に瘤を作った」というそれだけの話も、「なぜ酔っ払うと転倒するか」の説明をつけないと、気が済まない。「雀百まで踊り忘れず」です。

 ところが、小泉さんの話には、これが全くないのです。例をあげましょう。
「構造改革なくして景気回復なし」と言います。なぜ、構造改革がないと、景気回復がないのでしょう。話を聞いていると、「公共投資にいくらカネをつぎ込んでも景気が回復しないじゃないか」と言う。確かに、公共投資をじゃんじゃんやったが、景気回復ははかばかしくなかった。でも、だからといって「構造改革すれば景気が良くなる」ことの証明にならないでしょう。
 私が思うには、「構造改革したから景気回復しなかった」。何故かというと、景気対策とは一言で言うと、「国内にお金が回っていくようにする」ことです。90年以前は、公共投資を盛んにすれば、国内にお金が回っていった。ところが経済のグローバッル化で、国内に回る筈のカネが海外に行ってしまう。また、国内で消費される筈のカネが中国などからの安い輸入品に使われてしまう。
 つまり、経済のグローバル化という「構造改革」が行われたから、従来の景気対策手法が通用しなくなった。
だから、この場合の選択肢は、新しい構造に通用する景気対策手法を開発するか、構造を前の構造に戻して(グローバル化を止める)旧来の景気対策を行う。
後者を取ることは、ことここに至っては、ほとんど不可能ですが、改革の速度を遅くすることで、弊害を少なくできるかもしれない。

 小泉さんには、「構造改革なくして景気回復なし」の説明はまったくなかった。いやそもそも、「構造改革」とは何を意味するかの説明もなかった。
その他の発言も、なぜそうなのかの説明がなく、ただ断定を繰り返すだけでした。
 何故、国民はそうしたお粗末な小泉理論を支持したのか?
 私は、国民が「考えること」をしなくなった。「考えること」を自分で行わず、アウトソーシングするようになった、からだと思います。
 他人に「考えること」を任せて平気になって、首相が「構造改革なくして景気回復なし」と言うのだから、首相がそう考えてくれたのだろう、と平気で信じた。ところが首相は何も考えていなかった、というのが小泉政治だった。
 目下、「新テロ対策法」が参院で審議中です。所が、何故、インド洋で無料のガソリンスタンドを営業すると、テロ対策になるのかの説明がない。インド洋上で、テロ集団の船が動き回っているのでしょうか。それなら、うかうか洋上で給油等していられないでしょう。

 藤原正彦先生は「国民の教養不足」と言います。高村薫さんは「言葉を大事にしない」。小生は「考えない人が多くなった」と言いました。柳田邦男さんは「日本人が壊れている」。皆、同じ意味だと思います。

追伸:坂出市の祖母と幼い姉妹の殺人事件の容疑者は、報道によると、祖母に恨みがあって殺しに行くが、たまたま姉妹がいたので邪魔になり殺害したとのこと。この容疑者は、殺しに出かけた時、第三者がいたらどうするかをまったく考えずに、現場に出かけた?
 考えない人の典型!壊れた日本人!こういう人が「普通の人」(近所の人の証言)だというから怖い世の中です。

続・藤原先生、吼える!

2007-12-04 | 経済と世相
 続いて藤原先生は、なぜ日本がそうなったかについて、「経済至上主義」が国を誤らせた。【「経済至上主義」を弱め、日本人としての誇りと自信を取り戻し、傷つけられた国柄を少しでも取り戻す方策が「教養主義」の復活】だと説きます。

 【数年前の統計によると、日本の生徒は先進国中もっとも本を読まない生徒となりはてた(高校生)。 受験戦争から開放された大学生でさえ本を読まない。石川達三や丹羽文雄の名を知っている学生は、私の学生では十人に一人程度である。私のゼミに所属する学生が3人とも新田次郎を知らなかった時はかなり腹が立った。

 私はよく学生たちに「旧制高校の教養主義は素晴らしかった。帝国大学への進学が保証されていたから学生は心おきなく文学書や哲学書などを耽読することができた」と言う。学生たちはすぐに反論する。「それほど教養のある人々が大勢いて、どうしてあの愚かな戦争を許したのでしょうか」。

 教養が戦争をストップできない、というのは事実である。実はいかなるものも戦争をストップできない。・・・

これが世界史である。人間がそれほど下等ということである。

 だからと言って、戦争をストップできないものは無価値と言うことにはならない。もしそうなら、ヒットラーを熱狂的に支持して大戦争を二度も起こしたドイツの文化、芸術、学問はすべて無価値となる。

 それでは教養がなぜ人間にとって、経済と並立するほど大切なのだろうか。

 第一は大局観である。日常の細々とした破談は、論理的に考えたり経験に即して考えたりするだけで足りる。しかし大局観とか長期的視野といったものはそうはいかない。

・・現在、我が国の食料自給率は40%を切っているが、経済至上主義を貫く立場からいえば放置していてよいことになる。

一方、日本の古典文学に教養のある人はそうは思わないだろう。農家が潰れたら、日本の美しい田園は荒れ果てる。美しい自然こそは世界に冠たる日本文学を生み出した「もののあわれ」など美しい情緒の源泉である。これを失ったら日本が日本でなくなる。経済成長を多少鈍らせてもよいから農業を振興し自給率を上げるべきと言うだろう。

国民が教養を土台とした大局観や多面的思考により物事を判断することができる、というのは、実は民主主義成立の条件でもある。ウィンストン・チャーチルは「民主主義は最悪の制度だ。これまでに試みられてきた他のいかなる制度よりもまし、というだけだ」と言った。これは、成熟した判断力を持つ国民がかつて存在したことはなく、これからも存在しないという意味であろう。大局的多面的に考えること、そのために教養をもつことは容易でないが大切ということでもある。】

藤原先生は現在の日本人の教養不足を嘆く。【民主政治とはテレビ政治、と日米ともになっているのは、国民の教養不足が主たる原因である。】更に、かつての日本人は世界に冠たる教養ある民族だったと詠嘆する。【文化文政期に函館で幽閉されたロシヤ軍人ゴローブニンはこう述べた。「日本人は世界一教育の進んだ国民である。この聡明で、模倣力があり、忍耐強く、仕事好きな国民の上に、ピョートル大帝ほどの王者が君臨したなら、多年を要せず日本は全東洋に君臨するだろう」。】

 つまり藤原先生は、小泉政権を支持した政治家と有権者の教養の低さを嘆き、教育は「教養を主眼におくべし」と主張したい。それが「教養立国ニッポン」の本旨のようです。

 最後に、教養は愉しみでもあると瀬戸内寂聴さんの言葉を紹介しています。

【人生の愉しみは、食べること、セックスすること、そして読書することに尽きるのではないでしょうか】。

追伸:藤原先生の言うように、教養不足の人が多くなったかどうかは知りませんが、「考えない人」が多くなったということは、小生も感じます。

藤原先生、吼える

2007-12-03 | 経済と世相
『教養立国ニッポン』と題して、藤原正彦さんが、文芸春秋12月号の巻頭論文を寄稿しています。
これが、実に痛快。全編、まさにこれ、藤原先生、吼える!です。

 まず、構造改革は完璧な失敗だったと、痛烈にこき下ろします。

【・・・90年代中ごろから大改革が矢継ぎ早に始まったのである。

 キーワードはグローバルスタンダード・・・成果主義や社外取締役制度を喧伝し、終身雇用を基本とした日本型経営や、株式持合いなどの日本型資本主義を悪玉に仕立て上げ始めた。・・ムーデイーズやS&Pといったアメリカの格付け会社が、日本の銀行や証券会社を格下げし始めた。世界最優良と言ってよいトヨタ自動車までが、何と終身雇用を採っているという理由で格下げされた。

 日本改造へのアメリカの強い意思と圧力は、その後もあからさまに続いた。ビッグバン、BIS規制から最近の郵政民営化、三角合併解禁に至るまで、いわゆる構造改革のほとんどは、アメリカ政府が「年次改革要望書」や「日米投資イニシアテイブ報告書」として日本政府につきつけられたものの実施にすぎなかった。この流れは今も続いている。WHOが世界でもっともすばらしいと評した、国民皆保健を軸とする日本の医療システムまでが、いま劣悪なものに改革されようとしている。】

 【誤った緊縮財政を継続したため、税収は伸びず、財政赤字はふくらみ、政府債務は160兆円も増加した。近頃、政府により増税が語られるようになったが、これは市場原理による構造改革の大失敗を物語るものでしかない。】

【市場原理とは自由競争のことである。規制をなくして自由な競争にまかせれば強者が勝ち続け弱者が負け続けるのは必定である。弱肉強食の世界となる。けだものの世界は自由競争の世界である。】

【無論、日本は資本主義社会なのだから格差はあってよい。・・・格差問題の本質は、国民の大多数が属すべき、勝者でも敗者でもない中間層が薄くなりつつあることである。・・社会から中流をなくしてしまうような経済学は、どのような美しい論理で飾っていようと誤りである。】と完膚ない。

【戦艦でもタンカーでも、船腹には多くの仕切りが設けられ、魚雷や衝突により一ヶ所に穴があいても被害が全体に及ばないようにしてある。カネとモノが国境をこえて自由に移動するということは、実に効率的ではあるが、仕切りなきタンカーのようなもので、一ヶ国の破綻が世界の破綻を引き起こすという脆弱なものなのである。

これら改革のわが国への影響は経済に止まらない。グローバル化と言いながら内実はアメリカ化であったから、経済とは切っても切れない社会や人心までが変質してしまった。わが国の至宝ともいうべき国柄が片端から壊され、日本は今、ごく凡庸な国へと坂道を転げ下りている。】

【ここ10年の「構造改革」は、もはや改革とは言えないレベルに達し、未だ続いている。熱病と言っても破壊活動と言ってもよい。・・・とりわけ小泉政権以降の7年間を一言で評すると、「よくぞこれほど祖国日本の国柄を壊してくれた」である。】(続く)