古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

続・藤原先生、吼える!

2007-12-04 | 経済と世相
 続いて藤原先生は、なぜ日本がそうなったかについて、「経済至上主義」が国を誤らせた。【「経済至上主義」を弱め、日本人としての誇りと自信を取り戻し、傷つけられた国柄を少しでも取り戻す方策が「教養主義」の復活】だと説きます。

 【数年前の統計によると、日本の生徒は先進国中もっとも本を読まない生徒となりはてた(高校生)。 受験戦争から開放された大学生でさえ本を読まない。石川達三や丹羽文雄の名を知っている学生は、私の学生では十人に一人程度である。私のゼミに所属する学生が3人とも新田次郎を知らなかった時はかなり腹が立った。

 私はよく学生たちに「旧制高校の教養主義は素晴らしかった。帝国大学への進学が保証されていたから学生は心おきなく文学書や哲学書などを耽読することができた」と言う。学生たちはすぐに反論する。「それほど教養のある人々が大勢いて、どうしてあの愚かな戦争を許したのでしょうか」。

 教養が戦争をストップできない、というのは事実である。実はいかなるものも戦争をストップできない。・・・

これが世界史である。人間がそれほど下等ということである。

 だからと言って、戦争をストップできないものは無価値と言うことにはならない。もしそうなら、ヒットラーを熱狂的に支持して大戦争を二度も起こしたドイツの文化、芸術、学問はすべて無価値となる。

 それでは教養がなぜ人間にとって、経済と並立するほど大切なのだろうか。

 第一は大局観である。日常の細々とした破談は、論理的に考えたり経験に即して考えたりするだけで足りる。しかし大局観とか長期的視野といったものはそうはいかない。

・・現在、我が国の食料自給率は40%を切っているが、経済至上主義を貫く立場からいえば放置していてよいことになる。

一方、日本の古典文学に教養のある人はそうは思わないだろう。農家が潰れたら、日本の美しい田園は荒れ果てる。美しい自然こそは世界に冠たる日本文学を生み出した「もののあわれ」など美しい情緒の源泉である。これを失ったら日本が日本でなくなる。経済成長を多少鈍らせてもよいから農業を振興し自給率を上げるべきと言うだろう。

国民が教養を土台とした大局観や多面的思考により物事を判断することができる、というのは、実は民主主義成立の条件でもある。ウィンストン・チャーチルは「民主主義は最悪の制度だ。これまでに試みられてきた他のいかなる制度よりもまし、というだけだ」と言った。これは、成熟した判断力を持つ国民がかつて存在したことはなく、これからも存在しないという意味であろう。大局的多面的に考えること、そのために教養をもつことは容易でないが大切ということでもある。】

藤原先生は現在の日本人の教養不足を嘆く。【民主政治とはテレビ政治、と日米ともになっているのは、国民の教養不足が主たる原因である。】更に、かつての日本人は世界に冠たる教養ある民族だったと詠嘆する。【文化文政期に函館で幽閉されたロシヤ軍人ゴローブニンはこう述べた。「日本人は世界一教育の進んだ国民である。この聡明で、模倣力があり、忍耐強く、仕事好きな国民の上に、ピョートル大帝ほどの王者が君臨したなら、多年を要せず日本は全東洋に君臨するだろう」。】

 つまり藤原先生は、小泉政権を支持した政治家と有権者の教養の低さを嘆き、教育は「教養を主眼におくべし」と主張したい。それが「教養立国ニッポン」の本旨のようです。

 最後に、教養は愉しみでもあると瀬戸内寂聴さんの言葉を紹介しています。

【人生の愉しみは、食べること、セックスすること、そして読書することに尽きるのではないでしょうか】。

追伸:藤原先生の言うように、教養不足の人が多くなったかどうかは知りませんが、「考えない人」が多くなったということは、小生も感じます。