古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

豊後水道

2007-12-13 | 素晴らしき仲間たち
演歌の話題です。
 『豊後水道』という演歌があります。作詞 阿久 悠、作曲 三木たかしの「津軽海峡・冬景色」のコンビによる演歌、昭和63年発売で、唄は川中美幸でした。
 昭和63年というのは、私が埼玉県に初の単身赴任をした年でした。通勤途中にあった西友のCDショップで、この『豊後水道』を見つけ買って帰り、気に入って、毎晩就寝前に聞いていました。
歌い出す前の前奏が、とても気にいったのです。
 東京にAさんという友人がいました。彼と会って夕食を共にすると、よく「カラオケ行こうか」と一緒にカラオケを楽しみました。
彼は馴染みの店に案内してくれて、店に入ると、私が何も言わないうちに、この曲をオーダーして「NOZUEさん、『豊後水道』入ったよ」。
 Aさんは「NOZUEさん、カラオケは巧いとは言えないが、この唄は雰囲気が出て、聞かせる」と、けなしてるのか誉めてるのか分からない。
 その彼、10数年前、突然、50歳前の若さで、この世を去りました。肺がんでした。『豊後水道』を唄う川中美幸をTVで見る度にAさんを思い出します。
 奥様からは、彼の死後も、毎年、年賀状を頂いていますが、今年の賀状には「主人の命日に孫が生まれました」とありました。
 この唄は阿久 悠さんが大分県知事だった平松さんから「大分県の演歌を作ってくれ」と頼まれて作ったもののようです。
今夏逝った阿久 悠さんの本を、今読み直しています。
『歌謡曲の時代』(新潮社04年9月刊)は、彼が自作の演歌に思うことを書き綴ったエッセイを蒐集した本ですが、この『豊後水道』についてこう書いています。

【前の大分県知事の平松守彦氏とは、個人的に友情を感じたつき合いであるが、その平松氏から、演歌の南限の歌を大分を舞台に作ってくれないか、と言われたことがある。演歌の南限とは面白いテーマだと思った。・・・・大体に演歌は北向きとか、北を舞台にしたものが多いと思われている。いや、思われているだけではなく、実際に数的にいえば圧倒的に北のもので、ぼくが書いたものでも「北の宿から」「津軽海峡・冬景色」「舟歌」「北の蛍」「能登半島」「おもいで岬」など、数え切れないほどある。
 南国に悲恋がないわけではないし、哀愁を感じないわけでもなし、人間がいて、男と女の組み合わせがあれば、悲恋も失恋もありますとぼくは言った。
 そこで、作曲の三木たかしと一緒に大分へ行き、ちょっと実感を掴みましょうと大分から佐賀関までクルーザーで行った。その日はややあれ気味で、波頭から波頭へ飛び魚のように飛んだ。その衝撃が「豊後水道」というタイトルを思いついたというのは嘘だが、海猫が棲む南限だともいわれる島を見て、これはそそられた。

 春は何日早かった 風もうららで甘かった
 海猫の棲む島をぐるりと一まわり
 何を思うか 豊後水道・・・・】