古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

河口湖へ

2011-06-15 | 旅行
 12~13日は河口湖一泊の旅でした。昭和47年、現在の自動車総連部品労連の前身である部品労協の創立に関係した縁で、部品労連から年一度「役員のOB会をやるから出て来い」という案内状を貰います。今年は河口湖の労連指定旅館です。

 「河口湖まで、電車の乗り換え乗換えで行くのも大儀だナ、今年はやめようか」と思っていたら、Mさんから「Oちゃんの車で一緒に行かないか」と誘われ「連れてってくれるなら行きます」と返事した次第。

 12日9時、O君が、Mさんと一緒に、自宅まで迎えに来てくれた。名古屋高速に乗り、東名を走り、浜名湖SAで休憩。スタバの珈琲を飲む。高速道路にスタバが出店していることを初めて知りました。

 富士I.Cで高速を下りて139号線を走り、「時間があるから白糸の滝を見て行こう」と立ち寄りました。以前来たことがありますが、その折は水量が少なくてチョロチョロでしたが、今日は豊富な水量の滝でした。

 朝霧高原を通り、「本栖湖に寄ろうか」と車中話していましたが、お天気が悪く、雨は降っていないが、富士山の見られない本栖湖では面白くない」とパス。3時前河口湖の旅館に着きました。

 20名弱が集まっていた。会の会計報告などの後、近況報告。ほとんどが現役を下りているが、皆元気な報告でした。

 6時から懇親会。

 日発のNさんが言う。「日発にいたKOJIMAをご存知ですか」。フルマラソン完走回数日本一の小島義一さんのことだ。「もちろん知っています。確か18年前ですが、徳島県勝浦町のフルマラソンを走った時、偶々民宿の同じ部屋に同宿し、知り合いました。それからフルマラソンの大会に行く度、度々出会いました。でも、4年前の5月、金沢の犀川のマラソンで会って以来会いません。元気でやっていますか?」

「いやぁ、それが体を壊してしまって、もう走らなくなりました」と言う。

 あれだけ走っていたら、体を壊すのは当然だろう。徳島であった時、フルマラソン完走200回を越えていたが、最後にあった金沢では800回を越えていた(最終的には1000回を越えたらしい)。年50回以上も走り続けた。金沢で見たとき、既に走れなくなって、42kmを歩いて完走していた。「

 体を壊してでも走り続けたあの執念は一体なんだったのだろう。彼の場合は極端過ぎるとしても、人間は執念で生きるのかもしれない。人間は、経済学で定義する経済人」、合理性を基準に行動するような生き物ではない。小生なんかも、他人から見れば、なんであんなことやってるのだろう?と見られているのかも知れない。

 懐かしい顔ぶれと2時間、懐旧談を楽しみました。

 さすがにMさんもO君も年をとった所為か、10時前にはお休み。私も同じでした。(続く)



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