『1970年体制の終焉』という面白い題名の本を読みました。著者は、原田泰さん(東洋経済新報、98年10月刊)です。
この本の意図を、著者は最初の章でこう説明している。
【戦後経済の「過ち」を説明する理論として、私たちはすでに1940年体制論という理論を持っている。この理論によれば、戦後の高度成長の特徴となった日本的雇用や間接金融システムが成立したのは、1940年ごろであり、その時代に感性したシステムが現在の日本経済を呪縛しているというのだ。また、戦後、農業、流通業などの小規模サービス業の生産性格差にもかかわらず所得格差が拡大しなかったのは、官僚が経済に広範に介入したからであるが、その介入システムもまた1940年前後に成立したものであるという。「1940年体制論」は、このシステムは戦後の高度成長に役立ったが、今後の日本経済には桎梏になると主張する。(野口悠紀雄『1940年体制――さらば「戦時経済」』、1995年)】
この論に対して、著者の反論は
【1940年体制は、戦争遂行の手段としてすら成功しておらず、国民の評価もきわめて低かった。】、さらに、【1940年体制は、40年体制は戦後の高度成長になんら役立っていなかった。高度経済成長は、40年体制の統制経済から自由化が進む過程で起きたことであり、40年体制が、戦後の高度成長に役立ったという事実は認められない。】
著者は、「1940年体制論」に反対するだけでなく、日本経済の低迷は、1970年前後に問題があった、と説く。
【戦後の大改革で日本経済に自由がもたらされ、その結果、1950年代後半からの高度成長が実現した。しかし、1970年代になって、経済の復興に満足した人々は発展より安定を求め、安定のためのシステムの様々なシステムを導入した。その安定のためのシステムが、日本経済の足枷になっている。
本書は、1970年体制がどのように成立してきたかを記述し、それがどのように日本経済の停滞をもたらしたかを分析し、日本経済復活のための改革の道筋を示すものである。】
著者のいう足枷のシステムの一例を「電力料金」をみてみよう。
【通産省の資料によると、1994年9月時点では、日本の料金を100とすると、家庭用電気料金では、アメリカ67、イギリス59、ドイツ77、フランス69であり、産業用電力料金では、アメリカ59、イギリス62、ドイツ72、フランス57になっている。格差のもっとも小さいドイツと比べても、電灯料金で約3割、電力料金では約4割も日本の電気料金は割高になっている。】
日本の電力事業は、1965年施行の電気事業法により厳格に規制されてきた。
【電力会社に地域独占が認められてきた主な理由は、電気事業においては規模の経済性によって自然独占が発生すると考えられてきたからである。自然独占制とは、産業の技術的な特性から、一企業によって独占的に生産がなされるほうが、多数企業によって生産がなされるより生産費用が低くなるという性質である。
電力業は、発電、送電、配電からなるが、発電には規模の経済性があり、送電、配電にはネットワークの経済性もあるとされてきた。そこで、参入規制によって一企業に技術的効率を達成するとともに、独占利潤を発生させないように料金規制をするというのが、電気事業法の考えである。ところが、遅くとも70年代後半には、従来型大規模発電の自然独占制の喪失と分散型発電の技術革新が生じていたと考えられる。
アメリカでは、1978年の公益事業規制政策法が制定され、発電分野は、従来認められてこなかった風力や地熱などを利用した小規模発電や天然ガスなどを利用したコージェネレーシヨン・システムが発電などに参入することを認めた。同時に、発電、送電、配電の設備をすべて保有する伝略会社に対して、一定基準を満たす小規模発電やコージェネレーシヨン・システムの余剰電力を、州が設定した価格で無条件で引き取ることを義務付けた。
イギリスにおいても、1983年エネルギー法によって発電分野における規制緩和を実施した。主な内容は、小規模発電やコージェネレーシヨン・システムによる民間からの参入を認めることであった。国営の配電事業者地域配電局には、発電分野の限界費用に相当する価格で新たな発電分野に参入する民間事業者からの買電を義務づけた。】
日本での参入規制の緩和は、95年の電気事業法の改正まで待たねばならなかったが、日本の電気事業法の規制緩和が、どの程度のものか、日経ビジネスオンラインの次の記事を見ると、よく理解できる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110930/222923/?mlh1&rt=nocnt
著者の主張を要約すると、経済を発展させるものは、国民の自由な発想と自由な経済行動であり、この自由な経済行動を規制するシステムは経済成長を阻害する。こうした自由を阻害するシステムの多くは70年代に出来上がった。実際、70年代のオイル危機以後、成長率が半減したのは、日本のみである。
尚、この本は、(古い本ですので)県図書館の書庫から探しだしました。先日、「日本の失われた10年」という本を読んでいたら、【日本の構造改革は70年代から必要だった】という旨の記述があり、これについて、詳しい解説を読みたいと探してこの本をみつけました。
この本の意図を、著者は最初の章でこう説明している。
【戦後経済の「過ち」を説明する理論として、私たちはすでに1940年体制論という理論を持っている。この理論によれば、戦後の高度成長の特徴となった日本的雇用や間接金融システムが成立したのは、1940年ごろであり、その時代に感性したシステムが現在の日本経済を呪縛しているというのだ。また、戦後、農業、流通業などの小規模サービス業の生産性格差にもかかわらず所得格差が拡大しなかったのは、官僚が経済に広範に介入したからであるが、その介入システムもまた1940年前後に成立したものであるという。「1940年体制論」は、このシステムは戦後の高度成長に役立ったが、今後の日本経済には桎梏になると主張する。(野口悠紀雄『1940年体制――さらば「戦時経済」』、1995年)】
この論に対して、著者の反論は
【1940年体制は、戦争遂行の手段としてすら成功しておらず、国民の評価もきわめて低かった。】、さらに、【1940年体制は、40年体制は戦後の高度成長になんら役立っていなかった。高度経済成長は、40年体制の統制経済から自由化が進む過程で起きたことであり、40年体制が、戦後の高度成長に役立ったという事実は認められない。】
著者は、「1940年体制論」に反対するだけでなく、日本経済の低迷は、1970年前後に問題があった、と説く。
【戦後の大改革で日本経済に自由がもたらされ、その結果、1950年代後半からの高度成長が実現した。しかし、1970年代になって、経済の復興に満足した人々は発展より安定を求め、安定のためのシステムの様々なシステムを導入した。その安定のためのシステムが、日本経済の足枷になっている。
本書は、1970年体制がどのように成立してきたかを記述し、それがどのように日本経済の停滞をもたらしたかを分析し、日本経済復活のための改革の道筋を示すものである。】
著者のいう足枷のシステムの一例を「電力料金」をみてみよう。
【通産省の資料によると、1994年9月時点では、日本の料金を100とすると、家庭用電気料金では、アメリカ67、イギリス59、ドイツ77、フランス69であり、産業用電力料金では、アメリカ59、イギリス62、ドイツ72、フランス57になっている。格差のもっとも小さいドイツと比べても、電灯料金で約3割、電力料金では約4割も日本の電気料金は割高になっている。】
日本の電力事業は、1965年施行の電気事業法により厳格に規制されてきた。
【電力会社に地域独占が認められてきた主な理由は、電気事業においては規模の経済性によって自然独占が発生すると考えられてきたからである。自然独占制とは、産業の技術的な特性から、一企業によって独占的に生産がなされるほうが、多数企業によって生産がなされるより生産費用が低くなるという性質である。
電力業は、発電、送電、配電からなるが、発電には規模の経済性があり、送電、配電にはネットワークの経済性もあるとされてきた。そこで、参入規制によって一企業に技術的効率を達成するとともに、独占利潤を発生させないように料金規制をするというのが、電気事業法の考えである。ところが、遅くとも70年代後半には、従来型大規模発電の自然独占制の喪失と分散型発電の技術革新が生じていたと考えられる。
アメリカでは、1978年の公益事業規制政策法が制定され、発電分野は、従来認められてこなかった風力や地熱などを利用した小規模発電や天然ガスなどを利用したコージェネレーシヨン・システムが発電などに参入することを認めた。同時に、発電、送電、配電の設備をすべて保有する伝略会社に対して、一定基準を満たす小規模発電やコージェネレーシヨン・システムの余剰電力を、州が設定した価格で無条件で引き取ることを義務付けた。
イギリスにおいても、1983年エネルギー法によって発電分野における規制緩和を実施した。主な内容は、小規模発電やコージェネレーシヨン・システムによる民間からの参入を認めることであった。国営の配電事業者地域配電局には、発電分野の限界費用に相当する価格で新たな発電分野に参入する民間事業者からの買電を義務づけた。】
日本での参入規制の緩和は、95年の電気事業法の改正まで待たねばならなかったが、日本の電気事業法の規制緩和が、どの程度のものか、日経ビジネスオンラインの次の記事を見ると、よく理解できる。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20110930/222923/?mlh1&rt=nocnt
著者の主張を要約すると、経済を発展させるものは、国民の自由な発想と自由な経済行動であり、この自由な経済行動を規制するシステムは経済成長を阻害する。こうした自由を阻害するシステムの多くは70年代に出来上がった。実際、70年代のオイル危機以後、成長率が半減したのは、日本のみである。
尚、この本は、(古い本ですので)県図書館の書庫から探しだしました。先日、「日本の失われた10年」という本を読んでいたら、【日本の構造改革は70年代から必要だった】という旨の記述があり、これについて、詳しい解説を読みたいと探してこの本をみつけました。