古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

日本の失われた10年(1)

2011-10-03 | 経済と世相
『日本の失われた10年』(原田泰著、日経新聞99年12月刊)という本を読みました。

今日では「失われた20年」というべきでしょうが、

99年に出た本ですから「失われた10年」になっています。

でも読了してみて、著者の主張は概ね今日でも妥当である。

つまり、著者の指摘する問題点が改善されないため、失われた10年が失われた20年になっていると、思いました。

 前半で、日本の経済成長を、後半で日本の必要とする構造改革を論じています。

まず前半。

 1980年代末からの日本経済を誤らせた大きな要因は、金融政策の失敗。

金融政策には、二つの政策がある。一つは、経済全般にどれだけの信用を供与すべきかを決定する政策。

これを貨幣政策(マネタリーポリシー)と呼ぼう。もう一つは、

決済システムの安定性を維持するための政策。これを信用秩序維持政策(プルーデンス・ポリシー)と呼ぶ。

 第一の貨幣政策について、著者の結論はこうです。

  『日本の中央銀行の金融政策思想は根本的に誤っている。

過ちの第一は、「マネーは民間部門の資金需要に受動的に供給するものである」という思想である。

第二の誤りは、「マネーサプライは結果であって政策変数ではないのだから、

貨幣政策によってコントロールすることはできない」という思想である。

過ちの第三は、「先送りすれば問題は解決される」という哲学である。

金融政策思想の誤りと、先送り政策が、

世界史的にもあまり例がない巨額の不良債権問題をつくりだしたのである。』

中央銀行はマネー(量)をコントロールできる。

日本経済の低迷は、マネーサプライのコントロールの失敗に因る。

金利をこれ以上下げられないところまで下げているから、金融は十分緩和しているというが、

名目金利が下がっても実質金利が下がっているとはいえない。名目金利を安定させても景気安定効果がもてない。

実物投資は、名目金利でなく、物価上昇率を考慮した実質利子率によって行われるからだ。

 真の金融緩和は、名目金利でなく、マネーの量だと著者は強調します。



 次に、信用秩序維持政策について。著者の推計によると、98年までの5年間で、

(低預金金利によって)預金者から銀行に移転した所得は12兆円という。

 銀行業は特別な存在であって、国民のポケットからお金を取り上げて金融業のポケットに入れてやると、

景気がどんどん良くなるようなそんな特別な産業なのだろうか。

 銀行は特別であるとして、銀行システムに政府が介入する根拠は

① 預金者保護

② 銀行取付の危険

③ 取り付けに関連しての銀行連鎖倒産の防止

④ 優良な借り手の保護

⑤ 銀行倒産に伴う信用収縮
①は預金者を救うことと銀行を救うことは別である。

②~④については根拠がないこと、⑤については北海道拓殖銀行のケースを取り上げて、その事実はないことを実証している。

銀行は特別な産業ではないのだから、銀行だけに公的資金をつぎ込んで救済しなければならないという理由はない、と主張します。

(つづく)