古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

日本の失われた10年(2)

2011-10-04 | 経済と世相
後半です。
「改革なければ成長なし」とかつて小泉内閣時代喧伝されました。
その「構造改革」と「規制緩和」とは具体的に何を意味したのか?定義が明らかにされずに政策論議が行われてきたのですが、小泉内閣登場以前の本書で、「構造改革」と「規制緩和」を明確に述べていました。
 著者は「構造改革」とは、「内外価格差」を生じさせる構造と規制を改めることだと定義しているのです。そして、既に70年代初頭から構造改革の必要性が生じていた。その証拠に、バーレル4.3ドルから12.5ドルまで3倍に上がった石油ショックの以前と以後で、日本ほど大きな実質成長率の低下した国は存在しないと言います。
 そして、日本の産業のあり方について、著者は興味深い指摘をしている。

 輸出、輸入について、日本と各国との産業別の構成比の相関係数を調べる。これが1に近ければ競争関係にあり、0に近ければ競争関係にないことになる。そこで、横軸に1人当たりGDP、縦軸にこの相関係数をとって、各国のデータをプロットする。
 すると、グラフから分かることは、中国は日本と競合せず、韓国は所得の割りに日本と競合度が高く、香港は所得が高い割りに競合度は低い。韓国が日本と競合度が高いのは、日本と同じような産業構造を維持しようとする政策の結果?それは韓国民の実質所得を低下させた可能性がある。香港は日本と競合度は低いが、韓国よりもずっと豊かである。
 これは人と違うことをするのが成功の秘訣だということを示している。
 世界経済のグローバル化時代、交易によって、国民が豊かになったかどうかを知るには、交易条件(輸出価格と輸入価格の比)と輸入依存度を知る必要がある。
 日本とアメリカの交易条件と輸入依存度(原燃料は除く)の推移を見ると、交易条件は、70年代から、日本が変動しながら上昇しているのに、アメリカは停滞している。日本の交易条件は、冷戦が終結し、すべての国が世界市場での競争に参画しはじめた90年代においてこそ、上昇している。メガ・コンペチシヨンは、日本にとって有利な交易条件をつくりだした。
 一方、輸入依存度は、アメリカが70年代の初めの4%から10%に上昇しているのに対して、日本は6%から5%へ低下している。特に90年代は日本が低下したのにアメリカはさらに上昇した。
 (一国の)生産性を高めるには二つの方法がある。一つは生産性の低い産業の生産性を高める方法だが、もう一つは生産性の低い産業をやめて輸入に置き換える方法である。日本は前者に失敗し、アメリカは後者の方法によって成功した。
 筆者の言いたいことは、交易条件が上昇したのだから、多く輸入する方が有利なのに、輸入増加策をとることはなかった。それは、輸入を増やすと輸入商品を生産する産業の雇用が脅かされるからである。
 公共投資も雇用の維持のため効率が無視された傾向がある。
これまで日本が莫大な公共投資をしてきたにもかかわらず、それが経済の負担にならなかったのは軍事負担が少なかったからだという田中直樹氏の説がある。たしかに、軍事費と公共投資を足すと、1990年以前には、アメリカ、イギリスなどでは10%を越えるときもあり、日本の公共事業の負担は相対的に目立たない。しかし、冷戦の終結によって、世界的に軍事費の負担が低下し、日本の負担が目立つようになっている。
人口高齢化により貯蓄率が低下するから、日本は、投資効率を高めるべきだ。
 限界資本算出比率というデータがある。一単位のGDPを増大させるために何単位の資本の増加が必要かという指標で、投資をGDPの増分で割って求める。投資が分子にあるので、大きいほど資本の効率が悪いことを示している。
 日本の限界算出比率は、60年代にはむしろアメリカより低かったが、70年代に上昇して7程度にまで高まった。90年代にはさらに急速に悪化し、現在20を超える驚異的な高さである。 90年代の日本はGDPの30%の投資をして1%余りの成長しかしていない(アメリカは15%の投資で3%の成長)。
面白い指摘と思いました。