古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

佐川美術館とびわこの宿

2011-05-29 | 旅行
5月24,25日、佐川美術館と石山寺の旅でした。
 24日朝、名古屋駅に9時半。浜松のSさんと落ち合い駐車場に向かう。小牧のJさんの車がまだ来ていない。Sさん、「ケイタイしたのですが、渋滞に巻き込まれて遅れてるよう」。まもなく、Jさんの車。直ぐスタート。Jさん「この駐車場、20分未満は無料です」。なので、名古屋駅で落ち合う時は、ここが待ち合わせ場所になる。
 名古屋高速に入り一宮から22号線、21号線を経て、西岐阜駅でHさんを拾う。
 メンバーが揃い、11時羽島ICから名神に乗る。養老で喫茶店に寄り、小休憩。昼食は多賀SA、栗東ICで高速を下りて湖岸道路に向かう。琵琶湖大橋手前の佐川美術館に着いたのは、午後2時だった。
 ここは8年前の秋、同じメンバーで訪れたことがある。佐川急便がスポンサーになって13年前開設された美術館だ。今回の目的は、平山郁夫画伯の作品展と、この3月30日、満99歳を目前に亡くなられた彫刻家佐藤忠良の「ブロンズの詩」展、それに8年前にはなかった楽吉左衛門館です。(入場チケット¥1000、入場者は駐車料金無料)
 http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/cgi-bin/index.cgi
「平山郁夫展 日本の美を描く」の膨大な作品群に圧倒されました。
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/cgi-bin/news/detail.cgi?file_id=20110301_00000052
 続いて、佐藤忠良館。ここもたくさんの彫刻。解説の中の忠良さんの言葉が面白かった。。
氏はシベリヤに3年抑留されたそうだが、抑留中の苦労について「彫刻家になるための苦労に比べれば、あんなものはなんでもありません」
 下積みの苦労について、「売れるようになるまで50年はかかった」
 王選手の本塁打世界記録の記念塑像、「王さんと彫刻で勝負した」。
忠良さんについては、小生は「女優佐藤オリエさんの父君」としか認識がなかったが、かなりユニークな人生を歩まれた方のようだ。
 楽吉左衛門館は、水庭に埋設された地下展示室。改めて「本当に贅沢に作った美術館だ」と再認識した。
http://www.sagawa-artmuseum.or.jp/cgi-bin/raku/index.html
 4時半まで見学、その後記念写真を撮影し、4時50分美術館を辞去、湖岸道路(別名さざなみ街道)を走って旅館に向かう。「この道路は本当に信号が少ないから、高速並みだね」。
「平山郁夫と佐藤忠良を組み合わせたセンスがすばらしい」、「プロデユーサーの設計がすばらしい」と、車内の会話でした。
 旅館は草津市新浜町。近江大橋の手前にあった。5時半着。大風呂に入浴後、6時から30分、Sさんの報告「遠州山辺の道」。Sさんは浜北区のボランテイヤで、区内の古遺跡と歴史を歩く「遠州山辺の道」の選定と歴史調査をされているそうだ。Sさんの住む浜北区根堅は、「本州で初めて年代が確認された旧石器人骨の出土地」だそうです(われわれのグループのこの旅行会、毎回、交替で発表会をやっています)。
6時半から夕食。ミニ会席、これがおいしかった。魚を中心にした会席料理だが、この店は、本店が丹後の天橋立近くにあり、「元祖日本一 船料理」というのが売りとのこと。本店はこの店の親父さんが経営しているが、創業者のお祖父さんは漁師だったそうだ。
時節柄、「地震や津波は大丈夫?」という話題になったが、「滋賀県は台風も地震も大丈夫よ」と給仕の女性が言う。
料理にすっかり満足して、「この旅館が今回最大のヒット」と、皆さんご満悦だったので、企画担当の小生、面目を施しました。インターネットで探した旅館で、価格も一泊2食¥10500ですからリーズナブル。「これは他人にも勧められる旅館だナ」と思いました。
2時間ほどで中締めにして部屋に引き上げました。廊下には部屋の前に、ぼんぼり風の部屋灯が灯され、和風旅館の風情を漂わせます。部屋でもブランデイを傾け、世相を論じました。(つづく)