古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

Mt・Fujiに向かって走る

2011-05-09 | マラソン
Mt・Fujiに向かって走る。以下、 第35回富士裾野高原マラソン大会参加の記です。

8日6:20の名古屋始発ひかりに乗車しました。7:14静岡に着き、20分ほど待って静岡始発のこだまに乗り換え、三島駅に8:06着。長い地下道を南口(在来線側)に抜け、改札口を出ると、富士急の大会会場行きの臨時バスが待っていました。乗り込むとほぼ満員でスタート。10分ほどで御殿場線の裾野駅。ここで大勢のランナーを拾って会場の裾野市陸上競技場には、8時45分に着きました。

 受付でゼッケン、選手名簿、Tシャツなど貰う。胸のゼッケンの裏にはリグと証する発信子が貼り付けてある。ゴールの絨毯を踏むと完走タイムがコンピュータに入るしかけです。背中のゼッケンは、通常は、ゼッケン番号とスポンサー企業名が書かれているが、今回は「東日本大震災復興支援 がんばろう日本」と大書し、下に小さくゼッケン番号。なるべく節約して余したお金は義捐金にするらしい。そのため、完走後のトン汁サービスなどもないようだ。

 競技場の観覧席に上り、席の裏側で着替えをした。9時には準備完了。医務室に医師と看護婦が閑そうな顔をしていたので覗いてみた。「血圧測ってくれない?」「どうぞ」「上が156ありますね。下はいいわ、83です。いつもどのくらい?」「150ぐらい、スタート前はいつも少し高くなります」。「どちらから?」「名古屋、朝一番の新幹線です」「名古屋からでも間に合うのですか」「名古屋から日帰りで出場できる一番遠いマラソン大会です」と雑談。「今日は水をしっかり取ってスタートしてください」と言う。実際、日差しが強くなった。リュックから、ウーロン茶の缶を1本取り出し。水分補給。開会式のアナウンスが流れる。大会のゲストランナーは、尾崎朱美さんだ。

 折角、富士まで行くのだから、富士山の麗姿をカメラに収めようとデジカメを持参したが、残念ながら山は雲に隠れている。

 選手名簿を見ていたら、60歳以上男子の出場者は145名、うち70歳以上が14名で、74歳の小生が最高齢だ。「今日は最高齢選手だ」とこの時思ったが、女子の部に76歳で出場のスーパー元気なおばあさんが二人もいた。「負けたなぁ、女子の70歳以上は珍しい」。

 10時、ハーフの部の1536名が一斉スタート。46秒でスタート線を踏む。246号線に出ると正面に富士山。雲が消えて美しい姿を現した。「すばらしい景色だ。日本のマラソンコース100選に選ばれるだけある」。しかし、延々と上り坂。富士山に向かうのだから当然だ。「ゴールはスタートに戻るのだから、上っただけ下りがある筈、上りはきつくても下りで楽が出来るはずだ」。5kmで220m上る。「石川県の宝達山マラソンでは550m駆け上がり駆け下りた。それに比べれば!」と思ったが、あれは10年も前。その頃と筋肉が全然違う。それに暑い!一昨日が立夏だから不思議でないが、夏のマラソンだ。

 5kmで時計を見ると、42分。1kmを8分もかかる。「これでは時速8kmだ」。5km過ぎると富士裾野の周回コース約6kmに入る。ここを2周する。

 直ぐに先導車が来た。「先頭の選手がきます。ランナーは左によってください」。先頭ランナーは6km先を走っていることになる。次々と先行ランナーが追い抜く。もたもたしている我々に「頑張ってください」と声をかけて追い抜いていくランナ-もいる。この周回コ-スも上がったり下ったりで、大変だ。周回コースの最後辺りに関東自動車東富士工場があった。

 それにしても遅かった。周回2度を終えた時(17kmあたり)、2時間10分。ずっと時速8kmで走っているようだ。「もう制限時間2時間半は無理だ」と思った。しかし、制限時間の関門が見当たらない。公表の制限は2時間半だが、制限時間を越えても最後まで走らせてくれるらしい。

 結局ゴールした時、2時間38分12秒。今まで200回以上ハーフを走っているが、2時間半を切れなかったのは初めて!暑さとコースの勾配を考慮しても筋力の衰えは明らかだ。同年輩のランニング仲間が次々とレースから引退していくのも、この筋力の衰えのためだろう。しかし、考えてみると、2時間半を越えても走り続ける体力はあったのだから、満足すべきかもしれない!

 リグを渡して完走証を受け取る。気温21度、湿度66%。男子60歳以上で118位とあった。まだ後ろが27名いたのだから大丈夫だと思うことにする。

 折角の富士山、ゴールしたときにはまた雲に隠れてしまった。

 帰りは1時15分のバスで、三島駅1:59のこだまに乗車した。4時15分帰宅しました。