古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

1ドル50円時代(2)

2011-05-04 | 読書
 第3章では、日本の問題を論ずる。

 やせても枯れても日本は世界最大の債権国である。日本が持っているカネの流れ方がグローバル経済の行方を左右する。その意味で、日本円は<隠れ機軸通貨>である。

 円が<隠れ機軸通貨>的な力を持っていることを示したのが<円キャリートレード>でありリーマン・ショックである。リーマン・ショックに至るきっかけは世界的な金余り現象であり、この世界的カネ余りの発祥の地が日本であった。

 つまり、日本が90年代終りからリーマン・ショックに至るまで、10年を越える非常に長い期間ゼロ金利、あるいは量的緩和という政策を採り続けたことで、世界に低金利資金があふれ出ていくことになる。結局、これがリーマン・ショックをもたらした。

 日本のカネの流れが、悪さをすることで、世界中がこれだけ振り回されるのは、それだけ円の<隠れ機軸通貨>機能が高まっていることを示唆する。

 では円は<表機軸通貨>になるだろうか。それはないと筆者は述べる。私も同感です。なぜなら、<表機軸通貨>を有する国の金融政策は、世界経済のあり方を構想する構想力が要求される。それが、日本にあるとは、私には思えない。

 ドルの命運についてキャステイング・ボードを握っているのは、中東の湾岸諸国だ。

 ドルの資産を持ちすぎていて、その価値が下がると困るという点では、中東も中国も同様の立場にある(日本もそうだが、アメリカにとって日本は物言わぬ株主だ)。

仮に中東諸国や中国が1$=50円になるという見通しを共有した場合には、どのような行動をとるだろうか。彼らの逃げ足は案外早いかもしれない。ただし、その退避先は限られている。円なのか金なのか、それともユーロにも向かうだろうか。前述したようにユーロの先行きはあぶなっかしい。(最近の円高の背景にこれがあるのだ)。

 第4章では、中国について述べる。

 「中国はいまや世界の工場になった」という言い方が盛んにされるようになった。この言い方は正しくない。中国が自力で世界の工場になったのではない。世界が中国を工場にしているのである。世界中の企業が中国に投資し、中国を生産拠点にしている。工場がある場所は確かに中国だ。だが、その工場群を形成しているのは、多くは中国企業ではなくて、中国にやってきた世界の企業たちなのである。こうした状況(中国が世界の工場)が生まれるのも、グローバル時代ならではのことだ。

 かくて、どの国の通貨も基軸通貨たり得ない時代になると筆者は説く。機軸通貨と決済通貨は同義語として使われる場合があるが、本質的な意味では誤用だと思う。決済のための便宜的手段としての通貨と、通貨金融秩序の要としての通貨はやはり次元が異なる。前者がおのずと後者の役割を果たすとは限らない。ドルも円もユーロも元も、決済通貨としては、ワン・オブ・ゼムとして使われていくが、機軸通貨はない時代に向かっていく