古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

1ドル50円時代(3)

2011-05-05 | 読書
第5章は、日本の通貨政策について。

1985年のプラザ合意。あの時が日本の通貨政策の大失敗の始まりであった。85年初には250円台だった円ドル相場は86年末160円、87年には120円台。円高不況を恐れる声が高く上がり、政府は対応に追われた。

財政面からは(この頃から既に財政再建が課題になっていた)政府が出来ることには限界があった。円高不況阻止の大役はもっぱら金融政策に課せられた。かくして日銀は、大幅な金融緩和に踏み切った。金融大緩和はマネーサプライの急膨張をもたらしバブルを生んだ。そのバブルが破綻して「失われた10年」がやってきた。

もし「失われた10年」がなければ、小泉純一郎という奇人政治家が出てきて、日本をさらに一段の混迷に追い込むこともなかっただろう。

筆者は「円高をひたすら脅威と受け止め、その不況効果を減殺することばかりに神経を集中した」ことが誤りで、円高のメリットを生かせる日本経済の構造転換に努力すべきだったという。

以下、第6章で、「政治に経済は変えられない」。政治はあくまで経済的変化に反応し、対応すべきもので、政治の都合で経済を振り回すと、後でしっぺ返しを受ける。基本姿勢としては、政治・安全保障上の考慮が経済を振り回すことは控えるのが得策と、「尖閣問題」などに言及する。

そして、これからの経済のキーワードは、「Think Local、Act Global」と、資本もヒトも「去る者は追わず来る者は拒まず」と説く。

第7章では、「行政のあり方」。それぞれの自治体が「Think Local、Act Global」。道州制について、「財政難からどう脱却するか」でなく、「地域主導をどう実現するか」の発想からスタートすべしと、と地域主権と経済との関係を述べる。

筆者は、英国のサッチャー政権について面白い指摘をしている。

イギリスでは1箇所だけ金融のバブルに乗って高く舞い上がったロンドン経済が、リーマン・ショック以来の金融危機で、一気に暗転してしまった。

サッチャー政権の末期から90年代の半ばぐらいまで、イギリスの製造業といえばその実態は概ね日本メーカーばかりという様相を呈していた。それはそれで上手に人のふんどしで相撲をとっていたわけだが、その間にイギリスの中小企業、あるいは衰えを見せていた大企業たちが技術的な力を上げて復活していったかというと、そうはならなかった。

イギリスにおける日本の製造業が割高なポンドによって価格競争力を失い、EUに新規加盟してきた東欧諸国などに生産拠点を移していくと、結局はまた空洞化時代に逆戻りだった。イギリスで一極集中が進み、地方が疲弊してしまったのは、サッチャーリズムが想定された以上に経済の集中化を進めてしまったためである。

第8章で、今後の政治。

「民主党政権発足時の鳩山前首相の初心表明演説はよく出来ていた(私も同感)。民主党政権は初心にもどるべきだ」と述べています。



追伸:この本は、大震災の前に刊行されました。大震災で、国力を弱めた日本が、1ドル50円を実現するとは思えなくなりました。そのことは、日本にとって不運なのか、あるいは幸運なのか。いずれにしても、興味深い著作でした。