西田佐知子のヒット曲では「アカシアの雨がやむとき」、「コーヒー・ルンバ」、「東京ブルース」あたりが売り上げトップ3だと思うが、彼女の場合、世間的にはそんなに売れなかった曲の中にも素晴らしい作品が少なくない。いわゆるひとつの隠れ名曲というヤツだが、そんな裏名盤の筆頭に挙げたいのが「くれないホテル」(1969)である。
この曲は邦楽史上最強の作曲家、筒美京平先生が初めてさっちゃんに提供した作品で、バタくさい歌謡曲とは対極に位置するような、バート・バカラック風の粋なワルツ・ナンバーだ。当時の他の歌謡曲が古き良き時代の “懐メロ” という感じなのに対し、この曲はとても40年以上も前の曲とは思えないような洒落たメロディーと斬新なアレンジによって、時代を超越した瑞々しさを感じさせるのだ。逆にそのあたりが「アカシア」や「エリカ」あたりの古き良き王道歌謡曲路線に慣れ親しんだファンの耳には地味に響いて売り上げが伸びなかったのかもしれない。まぁ時代を先取りしていたというか、10年早かったというところだろう。
京平先生の最大の功績は、日本独自の音楽ジャンルである “歌謡曲” に洗練された “洋楽テイスト” を巧くブレンドすることによって “歌謡ポップス” という新しい世界を構築したことだと思うのだが、この「くれないホテル」ではお洒落なムード歌謡をベースにしながらも、そこにワルツやボサノバといった様々な要素を取り入れるという当時の常識からすれば前衛的ともいえる試みによって、ウエットな失恋ソングに陥ることなくカラッと乾いた質感の中に自然な潤いを感じさせるという不思議な感覚を持った楽曲に仕上げているのが凄い。歌謡ポップス百花繚乱時代の黎明期にあたるレイト60'sに作られた京平ワークスの中でもミコたんの「渚のうわさ」と並ぶ最重要作と言えるのではないだろうか?
この曲がリリースされた1969年というのは彼が橋本淳とのコンビで「ブルーライト・ヨコハマ」を大ヒットさせ、他にも「太陽は泣いている」や「涙の中を歩いてる」といった名曲でいしだあゆみをスターダムに押し上げた頃なのだが、この「くれないホテル」を “ジャパニーズ・クール・ビューティー” こと西田佐知子に歌わせたのはまさに慧眼。さっちゃん以外の歌手が歌っていたらこの微妙な味わいは出せなかっただろう。歌い手選びの妙にも京平先生の天才を見る思いがする。
この曲は歌詞、メロディー、ヴォーカル、そしてバックの演奏という4つの要素が高い次元で見事に融合、当時の歌謡曲の範疇を超えたエヴァーグリーンな魅力を持った作品へと昇華した稀有なナンバーで、“くれない” というタイトルに巧く引っ掛けた “深紅のベッド” というライン、そして悲しみが “暮れない” くれないホテルという発想はこの曲のイメージに独特の彩りを添えている。絶妙なタイミングで挿入されるストリングスや哀愁舞い散るブルースハープの音色にも涙ちょちょぎれるし、ズゥゥ~ンと響く重低音ベースも隠し味として効いている。一つ一つの楽器の音が筒美マジックによって “もうこれしかない!” という感じで絶妙に配置されているのだ。
又、ジャジーなムード横溢のワルツ調にさっちゃんの鼻にかかったアンニュイなヴォーカルが怖いくらいにマッチ。他の誰にも真似できない柔らかさと温かさを併せ持ったその歌声が独特の雰囲気を醸し出し、この曲に時代を超えた世界観を与えている。特に “あ~ぁ くれない~ くれない~♪” と引っ張っておいて “くれないぃぃ ホッテェルゥ~♪” でシメるところなんかもうたまりません(≧▽≦) 歌詞を味わい、メロディーを楽しみ、歌声に酔い、器楽アレンジに唸る... 1曲で4度オイシイという、グリコもビックリのキラー・チューンなのだ。
私が初めてこの曲を聴いた時に感じたのは “声も歌い方も何となく中島みゆきに似てるなぁ” ということ。もちろん実際はその逆で、中島みゆきの方がさっちゃんに似ていたのだが...(笑) そんなアホな、と思われた方は一度、この曲と彼女の「わかれうた」を続けて聴いてみて下さい。ちょっと投げやりで気怠い感じの歌い方がクリソツです。本家が引退同然でその歌声を聴けなくなってしまった今こそ、その正統後継者たる中島みゆきが「西田佐知子を唄う」なんていう企画アルバムを作ってくれたら最高やのにと思ってしまう。みゆきが歌う「くれないホテル」、一度でいいから聴いてみたいなぁ... レコード会社さん、この企画何とか考えてくれない???
くれないホテル SACHIKO NISHIDA 1969 (海外向け最高音質版/220)
この曲は邦楽史上最強の作曲家、筒美京平先生が初めてさっちゃんに提供した作品で、バタくさい歌謡曲とは対極に位置するような、バート・バカラック風の粋なワルツ・ナンバーだ。当時の他の歌謡曲が古き良き時代の “懐メロ” という感じなのに対し、この曲はとても40年以上も前の曲とは思えないような洒落たメロディーと斬新なアレンジによって、時代を超越した瑞々しさを感じさせるのだ。逆にそのあたりが「アカシア」や「エリカ」あたりの古き良き王道歌謡曲路線に慣れ親しんだファンの耳には地味に響いて売り上げが伸びなかったのかもしれない。まぁ時代を先取りしていたというか、10年早かったというところだろう。
京平先生の最大の功績は、日本独自の音楽ジャンルである “歌謡曲” に洗練された “洋楽テイスト” を巧くブレンドすることによって “歌謡ポップス” という新しい世界を構築したことだと思うのだが、この「くれないホテル」ではお洒落なムード歌謡をベースにしながらも、そこにワルツやボサノバといった様々な要素を取り入れるという当時の常識からすれば前衛的ともいえる試みによって、ウエットな失恋ソングに陥ることなくカラッと乾いた質感の中に自然な潤いを感じさせるという不思議な感覚を持った楽曲に仕上げているのが凄い。歌謡ポップス百花繚乱時代の黎明期にあたるレイト60'sに作られた京平ワークスの中でもミコたんの「渚のうわさ」と並ぶ最重要作と言えるのではないだろうか?
この曲がリリースされた1969年というのは彼が橋本淳とのコンビで「ブルーライト・ヨコハマ」を大ヒットさせ、他にも「太陽は泣いている」や「涙の中を歩いてる」といった名曲でいしだあゆみをスターダムに押し上げた頃なのだが、この「くれないホテル」を “ジャパニーズ・クール・ビューティー” こと西田佐知子に歌わせたのはまさに慧眼。さっちゃん以外の歌手が歌っていたらこの微妙な味わいは出せなかっただろう。歌い手選びの妙にも京平先生の天才を見る思いがする。
この曲は歌詞、メロディー、ヴォーカル、そしてバックの演奏という4つの要素が高い次元で見事に融合、当時の歌謡曲の範疇を超えたエヴァーグリーンな魅力を持った作品へと昇華した稀有なナンバーで、“くれない” というタイトルに巧く引っ掛けた “深紅のベッド” というライン、そして悲しみが “暮れない” くれないホテルという発想はこの曲のイメージに独特の彩りを添えている。絶妙なタイミングで挿入されるストリングスや哀愁舞い散るブルースハープの音色にも涙ちょちょぎれるし、ズゥゥ~ンと響く重低音ベースも隠し味として効いている。一つ一つの楽器の音が筒美マジックによって “もうこれしかない!” という感じで絶妙に配置されているのだ。
又、ジャジーなムード横溢のワルツ調にさっちゃんの鼻にかかったアンニュイなヴォーカルが怖いくらいにマッチ。他の誰にも真似できない柔らかさと温かさを併せ持ったその歌声が独特の雰囲気を醸し出し、この曲に時代を超えた世界観を与えている。特に “あ~ぁ くれない~ くれない~♪” と引っ張っておいて “くれないぃぃ ホッテェルゥ~♪” でシメるところなんかもうたまりません(≧▽≦) 歌詞を味わい、メロディーを楽しみ、歌声に酔い、器楽アレンジに唸る... 1曲で4度オイシイという、グリコもビックリのキラー・チューンなのだ。
私が初めてこの曲を聴いた時に感じたのは “声も歌い方も何となく中島みゆきに似てるなぁ” ということ。もちろん実際はその逆で、中島みゆきの方がさっちゃんに似ていたのだが...(笑) そんなアホな、と思われた方は一度、この曲と彼女の「わかれうた」を続けて聴いてみて下さい。ちょっと投げやりで気怠い感じの歌い方がクリソツです。本家が引退同然でその歌声を聴けなくなってしまった今こそ、その正統後継者たる中島みゆきが「西田佐知子を唄う」なんていう企画アルバムを作ってくれたら最高やのにと思ってしまう。みゆきが歌う「くれないホテル」、一度でいいから聴いてみたいなぁ... レコード会社さん、この企画何とか考えてくれない???
くれないホテル SACHIKO NISHIDA 1969 (海外向け最高音質版/220)