1980年という年は私の人生において最悪の1年だった。大学入試を控えてクソしょーもない受験勉強を強いられる鬱陶しい日々を過ごしていたからではない。我が人生において最も崇拝する2人のうち、まずポールが大麻所持で逮捕され夢にまで見た来日公演がキャンセルされ、まるで奈落の底へ突き落されたような気持ちで1年がスタートし、その年の暮れにはジョンが射殺されるという、ビートルズ・ファンにとっては呪われたような1年だったからだ。
その前年、私は必死の思いでポールの大阪フェスティバル・ホール公演のチケットをゲットし、当時破格の1万円もした(他のアーティスト達の相場はみんな判で押したように3千円だった...)プラチナ・チケットを毎日眺めてはニヤニヤしながらついに生ポールが見れる(^o^)丿と一日千秋の思いで来日を心待ちにしていた。そして運命の1月16日、学校から帰った私の目に飛び込んで来たのは “ポール・マッカートニー、大麻所持により成田で逮捕!” という衝撃的ニュース...(゜o゜) 当然コンサートは中止、寒風吹きすさぶ中、新大阪にあるウドー音楽事務所までチケットの払い戻しにのこのこ出かけて行き、逆にその場で売っていた幻の来日公演パンフレット(←何ちゅーアクドイ商売するねん!)を3千円出して買って喜んでいたのが今となっては懐かしい思い出だ。
大麻に関しては “ポールは日本をナメてる!” とか “誰かをかばっているのでは?” とかいった噂がまことしやかに流れたものだが、真相は分からない。ただ、後々のインタビュー等でわかってきたのは当時のポールがウイングスとしての活動にあまり乗り気ではなかったということ。ポール会心の傑作「バック・トゥ・ジ・エッグ」のチャート成績がイマイチだったのもその一因かもしれないが、とにかくこの頃からポールの頭の中では“ウイングスを解散してソロでやっていく” という考えが芽生えつつあったように思う。そしてそれが実際に形となって表れたのが逮捕→海外退去から4ヶ月経ってリリースされた通算2枚目の完全ソロ・アルバム「マッカートニーⅡ」である。
この頃になるとポールに対する放送禁止措置も既に解除されており、逮捕の話題性もあってかラジオやテレビで 1st シングルの①「カミング・アップ」がガンガンかかり始めた。世間ではそのテクノっぽいサウンドに賛否両論が渦巻いていたが、何よりも特筆すべきは曲そのものの出来の良さだった。それが証拠にシングルB面に入っていた同曲のウイングスによるグラスゴー・ライブ・ヴァージョンではテクノのテの字もない熱気溢れるノリノリのバンド・サウンドが楽しめ、アメリカではこっちのヴァージョンの方がウケがよかったためにAB面を入れ替えた結果、当時圧倒的な強さで首位を独走していたリップスの「ファンキータウン」を蹴落として3週連続全米№1を記録する大ヒットになったのだ。それと、ポールがシャドウズのハンク・マーヴィンやスパークスのロン・メイル、更にはビートルズ時代の自分にまで扮して一人で何役も演じるチープな作りがたまらないビデオ・クリップも必見だ。私が特に好きなのは曲のアタマで画面左からポールがノソノソと登場し、いきなり正面を向いて歌い出すシーン、このポールの動きが何とも言えず可笑しい。襟なしスーツを着て首を振り振りプレイするポールが昔と全然変わってへんのも凄いなぁ... (≧▽≦) そういえば同時期に出たYMOのアルバム「増殖」に入ってた「ナイス・エイジ」という曲の間奏部分で元ミカ・バンドの福井ミカ姐さんがポールの逮捕ネタ(“ニュース速報” のくだりで、22番というのは留置場でポールに付けられた番号のこと。この曲のタイトルを連呼してはります...)をブチかましてたりして、とにかく話題満載のナンバーだった。
大名曲①が終わり、②「テンポラリー・セクレタリー」のイントロが聞こえてきた瞬間、私も含めてポール・ファンのほぼ全員が3メートルはブッ飛んだに違いない。バリバリの、じゃなかったピコピコのテクノ・サウンドである。しかしそれはあくまでも表面的なコーティングに過ぎず、曲そのものはいつものマッカートニー・ミュージック。そもそも天下のポール・マッカートニーがテクノなんぞに色目を使ったなどという世評は的外れもいいところで、ただ単に世間で流行ってて面白そうだからちょっと遊んでみた、という感じではないかと思っている。次作ではブラコン・サウンドまでしれっと作ってしまう天才ポールにとって、テクノで遊ぶなんて朝めし前だったに違いない。それとこのアルバム全体がテクノ一色のような誤解を与える論評もよく聞いたが、全11曲中ピコピコは②⑥⑧の3曲だけではないか!一体どこを聴いとんのじゃ、とツッコミを入れたくなる。
ウイングスで演れば「レッティング・ゴー」みたいになったかもしれない③「オン・ザ・ウェイ」、ポールな魅力全開のシンプル・イズ・ベストを地で行く美しいバラッド④「ウォーターフォールズ」、数年後の「プレス」を想わせる底抜けに明るい曲想とラフな音作りが楽しい⑤「ノーバディ・ノウズ」、ゲーム・ミュージックみたいなチープな味わいが楽しいBGM⑥「フロント・パーラー」、もっとちゃんと歌詞を付けてプロデュースすれば屈指の名曲に昇格しそうな壮大にして重厚なバラッド⑦「サマーズ・デイ・ソング」、日本人に対する蔑称を使ったタイトルが物議を醸したYMO憑依曲⑧「フローズン・ジャップ」、ポールが “なりきりエルヴィス” してる多重ヴォーカルとアダム&ジ・アンツ風なビートが楽しい⑨「ボギー・ミュージック」、ポールの持つ前衛性が最も好ましい形で発揮された感じでワケわからんけど何度も聴いてるうちにクセになる⑩「ダーク・ルーム」(←これホンマにオモロイ曲です!)、アルバムを締めくくるアコースティックなバラッド⑪「ワン・オブ・ジーズ・デイズ」と、聴き応え十分だ。
“テクノなポールなんて(>_<)” とこのアルバムを敬遠していた人は無責任極まりない世評に惑わされずに、今一度先入観を捨てて真っ白な心で聴いてみてはいかがだろう?天才のお遊びにつきあってみるのも一興、と思えてくる実に面白いアルバムだと思う。
その前年、私は必死の思いでポールの大阪フェスティバル・ホール公演のチケットをゲットし、当時破格の1万円もした(他のアーティスト達の相場はみんな判で押したように3千円だった...)プラチナ・チケットを毎日眺めてはニヤニヤしながらついに生ポールが見れる(^o^)丿と一日千秋の思いで来日を心待ちにしていた。そして運命の1月16日、学校から帰った私の目に飛び込んで来たのは “ポール・マッカートニー、大麻所持により成田で逮捕!” という衝撃的ニュース...(゜o゜) 当然コンサートは中止、寒風吹きすさぶ中、新大阪にあるウドー音楽事務所までチケットの払い戻しにのこのこ出かけて行き、逆にその場で売っていた幻の来日公演パンフレット(←何ちゅーアクドイ商売するねん!)を3千円出して買って喜んでいたのが今となっては懐かしい思い出だ。
大麻に関しては “ポールは日本をナメてる!” とか “誰かをかばっているのでは?” とかいった噂がまことしやかに流れたものだが、真相は分からない。ただ、後々のインタビュー等でわかってきたのは当時のポールがウイングスとしての活動にあまり乗り気ではなかったということ。ポール会心の傑作「バック・トゥ・ジ・エッグ」のチャート成績がイマイチだったのもその一因かもしれないが、とにかくこの頃からポールの頭の中では“ウイングスを解散してソロでやっていく” という考えが芽生えつつあったように思う。そしてそれが実際に形となって表れたのが逮捕→海外退去から4ヶ月経ってリリースされた通算2枚目の完全ソロ・アルバム「マッカートニーⅡ」である。
この頃になるとポールに対する放送禁止措置も既に解除されており、逮捕の話題性もあってかラジオやテレビで 1st シングルの①「カミング・アップ」がガンガンかかり始めた。世間ではそのテクノっぽいサウンドに賛否両論が渦巻いていたが、何よりも特筆すべきは曲そのものの出来の良さだった。それが証拠にシングルB面に入っていた同曲のウイングスによるグラスゴー・ライブ・ヴァージョンではテクノのテの字もない熱気溢れるノリノリのバンド・サウンドが楽しめ、アメリカではこっちのヴァージョンの方がウケがよかったためにAB面を入れ替えた結果、当時圧倒的な強さで首位を独走していたリップスの「ファンキータウン」を蹴落として3週連続全米№1を記録する大ヒットになったのだ。それと、ポールがシャドウズのハンク・マーヴィンやスパークスのロン・メイル、更にはビートルズ時代の自分にまで扮して一人で何役も演じるチープな作りがたまらないビデオ・クリップも必見だ。私が特に好きなのは曲のアタマで画面左からポールがノソノソと登場し、いきなり正面を向いて歌い出すシーン、このポールの動きが何とも言えず可笑しい。襟なしスーツを着て首を振り振りプレイするポールが昔と全然変わってへんのも凄いなぁ... (≧▽≦) そういえば同時期に出たYMOのアルバム「増殖」に入ってた「ナイス・エイジ」という曲の間奏部分で元ミカ・バンドの福井ミカ姐さんがポールの逮捕ネタ(“ニュース速報” のくだりで、22番というのは留置場でポールに付けられた番号のこと。この曲のタイトルを連呼してはります...)をブチかましてたりして、とにかく話題満載のナンバーだった。
大名曲①が終わり、②「テンポラリー・セクレタリー」のイントロが聞こえてきた瞬間、私も含めてポール・ファンのほぼ全員が3メートルはブッ飛んだに違いない。バリバリの、じゃなかったピコピコのテクノ・サウンドである。しかしそれはあくまでも表面的なコーティングに過ぎず、曲そのものはいつものマッカートニー・ミュージック。そもそも天下のポール・マッカートニーがテクノなんぞに色目を使ったなどという世評は的外れもいいところで、ただ単に世間で流行ってて面白そうだからちょっと遊んでみた、という感じではないかと思っている。次作ではブラコン・サウンドまでしれっと作ってしまう天才ポールにとって、テクノで遊ぶなんて朝めし前だったに違いない。それとこのアルバム全体がテクノ一色のような誤解を与える論評もよく聞いたが、全11曲中ピコピコは②⑥⑧の3曲だけではないか!一体どこを聴いとんのじゃ、とツッコミを入れたくなる。
ウイングスで演れば「レッティング・ゴー」みたいになったかもしれない③「オン・ザ・ウェイ」、ポールな魅力全開のシンプル・イズ・ベストを地で行く美しいバラッド④「ウォーターフォールズ」、数年後の「プレス」を想わせる底抜けに明るい曲想とラフな音作りが楽しい⑤「ノーバディ・ノウズ」、ゲーム・ミュージックみたいなチープな味わいが楽しいBGM⑥「フロント・パーラー」、もっとちゃんと歌詞を付けてプロデュースすれば屈指の名曲に昇格しそうな壮大にして重厚なバラッド⑦「サマーズ・デイ・ソング」、日本人に対する蔑称を使ったタイトルが物議を醸したYMO憑依曲⑧「フローズン・ジャップ」、ポールが “なりきりエルヴィス” してる多重ヴォーカルとアダム&ジ・アンツ風なビートが楽しい⑨「ボギー・ミュージック」、ポールの持つ前衛性が最も好ましい形で発揮された感じでワケわからんけど何度も聴いてるうちにクセになる⑩「ダーク・ルーム」(←これホンマにオモロイ曲です!)、アルバムを締めくくるアコースティックなバラッド⑪「ワン・オブ・ジーズ・デイズ」と、聴き応え十分だ。
“テクノなポールなんて(>_<)” とこのアルバムを敬遠していた人は無責任極まりない世評に惑わされずに、今一度先入観を捨てて真っ白な心で聴いてみてはいかがだろう?天才のお遊びにつきあってみるのも一興、と思えてくる実に面白いアルバムだと思う。