津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

史料を読む「御大工棟梁・善藏より聞覺控」 その(六)

2012-11-05 10:16:23 | 地図散歩

                                はじめは杉島に  目をつけなはっ
                                たが摂津守の方とあってざんねんなが
                                らとりやめになんなはつたばい
                                おれはそのころあとからおともいたし
                                まわったがどどのさいごのばしょが
                                茶うす山だつた
                                お城かたつとすれば主はどうしてん
                                町もこれにでけんといかんけんさてさ
                                うなつてくっとお城のたてかたのぎん
                                みときた 
                                かうなつてくるとまずお城のつくりかた
                                のみかたたい あづちと大坂などのお城
                                のくみあわせのみつもりをせにゃならん
                                お殿様からその申付がわつちにあったけ
                                んわるがへんとっつあんをつれてたひ
                                立した
                                高麗の御陣のときにゃずいぶんとくるし
                                目にあほたばつてんこのよそんお
                                城をいくつもみてまわったことも一とお
                                りのなんぎくろうしやなかったぞ
                                図引きや主がへのとっつあんがさし
                                たがさてもどってきてからいよ/\
                                茶うす山の図引となつたときや岩
                                野の御武家で宗久隆さんがこの役に
                                になんなはつたばい
                                町は下津さんが図引きの役お城の
                                図引のでけ上った后でそれを御
                                先々様がいひ田・もり本さん
                                達とちへを出しあはせて長んか間ギん
                                みをしなはつたこつをおぼへておる
                                おしろが茶うす山手にきまつてから山
                                の地ならしときたばいこるが大事で
                                あつてその次にや材木と石のせんぎ
                                こるがぎょうさんほねがおれた
                                このほかにかはらやきは江戸ヨリ下し
                                になつていひだ山の下でやかせ
                                になつた
                                ざいもくのぶんなあそきくち茶うす
                                山きんほごんげん山の方からも
                                きり出しになり石は六かう山
                                きおん山とおかみだけつのう
                                らあたりからもとりよせなはつ
                                たばい
                                きんま道から木と石を運んだが車
                                のあつたけんでけたつたい 男山と
                                女山のさかい目をたち切ってもとの
                                くにから茶うす山に引きなほしな
                                はった大しかけははじめのしろゟ
                                もことぎょう山な大ふしんであった 

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人々消息

2012-11-04 15:12:10 | memo

     元和八年大坂御仕置御普請之儀被成御尋ニ付申上叓
一 伊藤金左衛門ハ手廻シ之儀下奉行ニ申付候とも廻り申候事
一 寺尾左介是ハ三月八日ヨリ十一月卅日迄毎日夜之七ツ時分御丁場ニ相詰申候
   中比煩を仕候 其外ハ一日もかゝさす精を出シ申候事
一 国友半右衛門ハ老寄之儀ニ御座候ヘハ御普請ニ肝煎申儀も無御座候へ共毎日
   御丁場ニ夜七ツ時ゟ相詰くるまニつき水上ケなとを仕候事
一 寺本八左衛門ハ三月八日ヨリ十一月卅日迄夜之七ツ時ゟ相詰申候 中比少煩申
   候 其外由段なく仕候事
一 千手新左衛門ハゑのこ嶋ニ而しわくゟ参候舟の石つゝミうつし之御奉行仕候 私
   ハ京橋かぎ丁場ニ相詰申候間しかと存不申しわくゟ石舟不参候時ハ毎日御丁場
   ニ相詰きもをいり申候事
一 窪田善介ハ新左衛門同前ニ仕候ヘ共少煩申候事
一 香山与介ハ毎日御丁場ニ相詰くるまなとニつき申候 一日もかゝさすきもをいり申
   候事
一 小川五郎七是も御丁場ニ相詰きもをいり申候 少煩申候事
一 臼杵半左衛門是も御丁場ニ相詰申候 すへニなり候てくり石日用ニもたせ申候時
   くり石請取御奉行仕事
一 中間市大夫ハ大石置場之御奉行仕候間上とも中とも書上ケ不申候事
一 野瀬喜兵衛ハくり石船ノ御奉行仕候間是も上とも中とも見及不申候事
一 木原権太夫ハ御買物御奉行仕候間是も能仕候も悪仕候茂存不申候 金左衛門・
   左介両人可存候事
右之通被成御尋ニ付去年於大坂私見及申処有増致言上候 以上
    元和九年
        十一月廿三日            魚住加介 判印
            井田才兵衛殿 

   

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中国ソフトを退治する

2012-11-04 10:31:28 | 徒然

 なににどう触れたのか知らないが、数日前に中国の「hao123」に侵入され、今朝ほど「Google Crome」を一度削除し再インストールしたら今度は「Broter soft」に侵入されてしまった。この頭にくる中国ソフトは「すべてのプログラム」にも表示されないから簡単に削除できないとあって70爺は頭が混乱してしまった。Webで検索して解決策をご教授願うが、どうもいけない。なんとか息子の手を借りて退治することができたが、朝から気分が悪くてしようがない。せっかくの日曜日だというのに・・・・・・・

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史料を読む「御大工棟梁・善藏より聞覺控」 その(五)

2012-11-03 20:00:36 | 地図散歩

                      ここのお城のでくる前だったか御
                                  先々代様のおほせによつておらあ下津
                                  さんけらいのしゅうと大坂とあづち
                                  表にいくことになつた
                                  それは熊本の城下をおたてになる
                                  ためだつた 下津さんなもとはなんでも
                                  京のおくげさんのすへ辺のお方げな 
                                  なにことであっちのお寺におんなはつた
                                  つば御先々代さまが
                                (一行空白)       このお方はなか
                                  /\もちこみの子かい方であつたかぼ
                                  んさんであつたのを御先々代さまがぜひとも
                                  というてさそふて京からこっちにつれてお出でになつた
                                  ときいておつた
                                  御なんどのこつは一さいこの方にまかせきり
                                  であつたとかでここに御城下のでける
                                  やうになつたつはこの人のす〃めな
                                  はつたことがもとだつたつげな
                                  そもそも府中じゃどうしてんこうしてんば
                                  しょがせまかけんこつちに うつしになつた
                                  がそれから古町に町がでけはじめた
                                  次第でこの一方にはお城をおこさにや
                                  ならんちゅうふうになつてきたと
                                  きひておつた
                                  そこでおしろのはしよをきめるとき
                                  に御先々代様は御国入のずうつと後
                                  かねてあつちこつちとおひまのとき御
                                  巡見になつた 

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明治4年4月14日撮影

2012-11-02 20:39:25 | 徒然

 明治四年四月浅草で写されたと言う正真正銘の写真なのだが、新聞記事からスキャンしたので裏の記事の大きな見出し文字が写りこんでしまった。
熊本藩の藤本吉太郎の肖像写真である。1871年の8月9日、「士農工商四民の斬髪勝手たるべき事」という太政官布の発令後、早々に断髪していることがわかる。洋服・高下駄に大刀をもつという、いささか異形ではあるが、この時期このような出で立ちの人が闊歩していたわけである。吉太郎は熊本で言うところの「わさもん」 だったのだろう。新聞の解説によるとこの時期29歳、西南戦争には長男を連れて西郷軍に従軍したという。

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我が家検索リスト・7 (68-6-2 熊本所分絵図 向寺原・建部之絵図-2)

2012-11-02 13:27:40 | 地図散歩

 米田家・有吉家などの家老や、長岡和泉、長岡監物などの下屋敷が多くあったが、国道3号線が南北に貫き町は分断された。
しかし七曲りなどの古い道筋は藩政時代そのままに残されていて、往時をうかがい事が出来る。中央にある見性寺は米田家の菩提寺である。

                                      藩士リストは少々お待ち下さい         

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史料を読む「御大工棟梁・善藏より聞覺控」 その(四)

2012-11-01 14:35:28 | 地図散歩

                           それから毎年のなつには 川ひらきの
                           まつりをおやりになつてあびかたの
                           けいこを家中のしゅうにやらせになり
                           御自分もおよいで居んなはつた
                           太かおからだの御殿さまはあひかた
                           はなかなかたつしゃでござつた
                           ふげいでござれよみかき山海川
                           のことから下々のもののとせいのみちに
                           いたるまでくわしかつたあのかたの
                           おとくのほどはどうしてんわする々
                           こつあできんところなんというてん
                           御とうこくの神さまばい
                           熊本御城下のこういうふうにりつ
                           ぱになつたもとは御先々代さまのおじ
                           ひのおかげとおもわな朝な夕なにお
                           がまんわけにはゆくまい
                           おるかほつけしゅうになつたつのは
                           こうしたわけからたい 
                           三年ごしや五年ごしの川さらへ
                           は御先々代さまのときからでこるば
                           ふしょうなこつをやるとまさかの
                           ときにやじぶんじぶんにこまるけん
                           みんあこころをあわせてやりおつ
                           た
                           今のとんさんもよくやんなはるが何
                           うしても加藤家のときとはず
                           いぶんちがうごたる おいさき
                           みぢか々おどんないづれたかせさ
                           んひつこうで往生きわをよくする
                           やうにせにや ここで朝夕お城
                           をみつとなみだがで々やるせが
                           なか 
                           これくらひのおもひでにと々めさせて
                           くれ あんまりいろ/\とおもひ
                           にふけつてむかしばなしをすつ
                           と加藤の御家がむげっこっでなら
                           んからこれからさきはモいわ
                           せてくんな たのむ/\あとはなみ
                           であつた じぶんもききあるひはたずね
                           ながら しまひにともになみだ
                           にむせかへつてしまうたああ
                              くわんへい十年はる              
                                         善三郎 

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