津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■6月例会

2021-06-19 18:17:19 | 熊本史談会

 朝方まで降っていた雨もすっかり上がり、御天気となる中例会に出かける。
今回は「蒙古襲来絵詞」の白描図の展観ということで、「まんぼう」も解禁となった中で一般の方が多数参加された。
そんな中、絵詞の所蔵者である会員・大矢野氏(当会・副会長)の熊本弁を交えたユーモアあふれる解説を拝聴、出席者全員が身近に貴重な絵詞を拝見した。
私共は三回目の拝見の機会となったが、会員であるが故の特権である。

 一方、私が事務局を退任させていただいてから、会の充実ぶりは目を見張るばかりである。
大矢野副会長の手で、会旗まで出来上がり、今回寄贈された。
講演者もほとんど今年度分は埋まってしまい、運営委員会諸氏のご努力にただただ感謝である。
これで前任者として、何も心配することもなく一会員として、楽しく皆勤で参加するばかりである。

   
   公演中の大矢野氏 窓際に17mの白描図を展観              新調された会旗
   出席者は後ろの方も満員です。

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■天草本渡の祗園橋

2021-06-19 06:20:40 | 熊本

                                                                 

  天草島原の乱の前哨戦は肥前唐津藩の富岡城代・三宅藤兵衛と一揆軍がこの祗園橋あたりで激突して、川面は血の海と化したと伝えられている。
ここにも川瀬巴水は訪れたのだろう。このような作品が残されていた。
私は半世紀前ほど前に一度だけここを訪れている。誰が説明してくれたのかはよく覚えていないのだが、島原の乱当時からこの橋が存在したものだと思い込んできた。
間違いに気づいたのは、私が歴史狂いしてからのことである。
この祇園橋は天保3年(1832)に大谷健之助なる当時の庄屋が、切支丹殉教戦二百年祭を目途に、地元の有力者や住民の協力を得て着工したものだとされる。
ここを訪れた当時は、この橋を眺めながら「ここで」と言われたので、橋も存在していたと間違って記憶していたが、人に話したこともないから迷惑はおかけしていない。
川瀬巴水もこの川中で、血を流しながら戦うキリシタンと、迎え撃つ藤兵衛以下の戦いを思い描いたことだろう。
穏やかにゆっくりと水は流れていた。

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