津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■隠し目付

2021-06-10 19:33:11 | 人物

 蒲池喜左衛門という「肥後もっこす」の典型と思えるような人物がいる。13歳で父を亡くし四人扶持の御中小姓となった。
二年後(元文二年・1737)100石を拝領した。
重賢公が初入部の年(寛延元年、1748)、犬を引くように仰せつけられたところ、これは犬曳きに仰せつけられるように申し上げ従わなかった。(熊本経済録では猿だと記されている)
重賢公はご機嫌が悪かったとされるが、その後役儀も解かれたが、五日後には都合千石の奉行に仰せつけられた。
いつのころかは定かではないが、熊本経済録が記するところによると、重賢公は喜左衛門にひそかに「隠し目付」を仰せつけられたという。
喜左衛門はかしこまってこれを受け、ひそかに人を選び探索方を申し付け、数々の不正が摘発され恐れられたという。
このような人材を得て、宝暦の改革は断行されていく。


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■私の人生の痛恨事

2021-06-10 06:36:25 | 徒然

 私の祖父は、シューベルトかベートーベンか知らないが、レコードで交響曲を聞き始めて、いつまでたっても歌手が歌いださないと言ったというくらいの音楽音痴である。若くして死んだ父親がどうであったのかは、母から聞き漏らしたので判らないが、レコードを回したのは父かもしれない。
母もたまに唱歌を口ずさんでいたくらいのことで、得手であったとは思えない。姉も歌を歌っているといることに遭遇したことがない。
私はといえば「平凡」「明星」といった雑誌の付録にあった、歌詞集からコード記号がふられた簡単な英語の歌にはまっていたことがある。
たとえば"Puff, the magic dragon" とかである。
ビートルズに傾注することはなかったが、ポールアンカとかエルビスプレスリーとかの歌をよく歌っていたものだが、もう歌詞も忘れて歌うこともできない。
結婚して子供が生まれると、お決まりは日曜日の朝からはターンテーブルを回していろんな曲を聴いたものだ。
これが子供たちに影響し、みんな音楽好き人間になって長男次男はドラムをたたき、長女はクラリネットを吹いた。
奥方も子供のころピアノを習っていたらしいが、私は楽器といえばハーモニカくらいで、何もできないのが人生の痛恨事である。
祖父さまも曾孫たちが音楽を楽しんでいるとは夢にも思わないだろうし、少なくとも音楽音痴の血は受け継がれていない。
かってギターやウクレレも我が家にあって、いささかの練習をしたが、なんとか数種類のコードを覚え、一曲だけひけるようになったがそれっきりになってしまった。
最近、YouTubeではギターレッスンがなされているようだし、また「絶対楽譜は誰でも読める」という本などを見かけるにつけ気になって仕方がない。
我が家でギターなどを引き出すと、これはもう確実に公害だから、FM放送でも聞いいてうさを晴らしている。

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