先の「■花畑邸・披雲閣召出し」に於いて、「披雲閣御次之間 帳臺御間之東 陽春御間之御床之後なり」という記載がある。
「陽春御間」が帳臺構(ちょうだいかまえ)の部屋であったことを示唆している。
「帳臺構」とは熊本城本丸御殿の「昭君の間」がまさしくこれであり、もっとも格式ある部屋である。
右手の部分の框が上り、彩色された戸が建て込まれている。
花畑邸の場合、左右逆勝手になっているようで、主殿である昭君の間の正面の飾り床の左手に、大きな床框に四枚の板障子が建て込まれている。
この奥が「帳臺=御帳台」といわれ、花畑邸の場合「氷室山之御間」が帳臺の間に該当している。帳臺構の歴史は寝殿造りに端を発しているが、三方がかべとなった「塗籠(ぬりごめ)」という独立した部屋で、御帳台をおき寝室として用いていた。
武家造に於いてもつくられるようになり、この中で主君の警固の者が幾人か息を殺して身構えていたとも言われるが、用途としては否定する見解があるが、映画やドラマなどではよく見受けられる。
披雲閣に召出された人たちが、退出するとき「落ち間を通って」と記されているが。「氷室山之間」の床が平常の部屋よりも框の高さ分上がっていたのだろうと考えられ、その前室にあたる通路部分は下がっているため「落ち間」と呼称していたのではないかと推測しているが如何だろうか。
建築設計を生業としてきた私だが、古建築は正直なところよくわからない。しかし「披雲閣召出し」の文言などから、この時代の建築様式が垣間見えて大変興味深い。