津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■花畑邸の「帳臺構」

2021-06-02 10:11:23 | 歴史

先の「■花畑邸・披雲閣召出し」に於いて、披雲閣御次之間 帳臺御間之東 陽春御間之御床之後なり」という記載がある。
「陽春御間」が帳臺構(ちょうだいかまえ)の部屋であったことを示唆している。
「帳臺構」とは熊本城本丸御殿の「昭君の間」がまさしくこれであり、もっとも格式ある部屋である。

                                            
                                                      右手の部分の框が上り、彩色された戸が建て込まれている。
      
花畑邸の場合、左右逆勝手になっているようで、主殿である昭君の間の正面の飾り床の左手に、大きな床框に四枚の板障子が建て込まれている。
この奥が「帳臺=御帳台」といわれ、花畑邸の場合「氷室山之御間」が帳臺の間に該当している。帳臺構の歴史は寝殿造りに端を発しているが、三方がかべとなった
「塗籠(ぬりごめ)」という独立した部屋で、御帳台をおき寝室として用いていた。
武家造に於いてもつくられるようになり、この中で主君の警固の者が幾人か息を殺して身構えていたとも言われるが、用途としては否定する見解があるが、映画やドラマなどではよく見受けられる。
披雲閣に召出された人たちが、退出するとき「落ち間を通って」と記されているが。「氷室山之間」の床が平常の部屋よりも框の高さ分上がっていたのだろうと考えられ、その前室にあたる通路部分は下がっているため「落ち間」と呼称していたのではないかと推測しているが如何だろうか。
建築設計を生業としてきた私だが、古建築は正直なところよくわからない。しかし「披雲閣召出し」の文言などから、この時代の建築様式が垣間見えて大変興味深い。

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■花畑邸・披雲閣召出し

2021-06-02 06:32:58 | 史料

 花畑邸に披雲閣と命名された部屋が在る。藩主の私的に使われる部分の一番奥まったところにある、下図で「御居間」とある部屋(1)である。
よほど特別なことがない限り、この部屋への家臣の召出しはなかったであろうことが下記の文章でよくわかる。
もっとも残されている僅かな種類の絵図から、この部屋は改築により何度も様変わりしていることが判る。

以下に示す文章がいつ著されたのか定かではないが、文中に「文化」云々とあるから「文化の後期~文政前期」かと推察される。
どうやら殿様は齊茲公らしい。
その時期の絵図が存在しないので、寛政期のものだとされる「36‐御花畑絵図」をベースにして検討をしてみたい。
この文章は、三卿家老有吉家に残る、諸御規式の手扣「年中行事抜粋」に記載ある文章である。   

 

                                                                               

一、御用月番者此之御間ニて之召出無之御平常臨時被召出候事
   御用月番(月番家老)は、この御間(披雲閣)にての召出しは平常はく、臨時に召出されることが在る。

一、御用人より案内有之例之通歌仙御間座着猶案内之節披雲閣被為■有之候脱劒等諸事例之通ニて御取
  次第坐着之八畳敷東之杉戸より入帳臺之御間を 陽春之北之御間之事也 通罷出候事
   御用人より案内が有り、歌仙の御間(7)へ座着し、尚案内があった節披雲閣へ進む節、脱剱(刀を取る事)などは諸事例(決まり事)
      の通りにて取り(脱剱)次第座着している八畳敷(7の上?)東之杉戸より入り、帳臺の間(4=氷室山間?)を通り罷りでること。

一、夫より披雲閣御次之間 帳臺御間之東陽春御間之御床之後なり 御屏風之角ニ罷出御三拝儀仕御居間御境ニ御
  障子建居候節ハ今少進出御辞儀仕候、右手添御敷居際まて罷出候、尤御意ニ応御敷居内へ罷出候事
   それより披雲閣御次の間(2)
の屏風の角に罷りでて三拝の儀を仕、御居間御境にある障子が建居されているときは(閉ざされている
              意か)もう少し進み出てお辞儀をする事。

          但大勢之節ハ御間狭有之候間御同間ヘハ難入候、其節ハ右之方坐上ニ罷出候事
     但大勢の時は部屋が狭いので披雲閣には入りきれず、その時は右の方の座上(?)へ罷り出る事。
一、此召出之節ハ御用人并御取次已下落間まてハ下り不申、鹿之御間北之御入側まて下居候間退去之節も
  致会尺候事
   この召出しが在った時は、御用人・御取次以下の者は「落ち間」(?)までは下らず、鹿の御間(?)北側の御入側に下り居る
      ので、退去の節は会釈をすること。
  

 

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