津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■公式記録・百石取りの家計

2021-06-13 10:21:58 | 史料

以下は文化11年(1814)6月における、「百石取一ケ年暮方大数見積」と名付けられた、百石取の家庭に於ける一年分の家計見積りである。
この時期、藩財政は最悪の状態にあり、四百石取が六十九石余が四十三石(10.75%)に、三百石で五十四石余が三十五石(11.67%)に、二百石で三拾六石が二十三石(11.5%)に、百石で二十七石が十八石(18%)に減額された。主食は米と粟が半々であることがわかる。
そしてこの年は水害が重なり、その後は干ばつとなり稲は虫食いはなはだしく、損耗18万石余に上り、非常倹約令が発せられている。

このように、100石取りの家では3石8升の赤字であることを、公が認めている。

(一)弐人・隠居夫婦、(一)弐人・自身夫妻、(一)三人・子供、(一)壱人・小者、合八人。
右之人数にして、一ヶ年暮方見積左之通。
 (一)米七石壱斗、八人分粮米一之年分拾四石二斗之内、半方粟にて取続申にして残分。

 (一)銭四百四拾八匁、右半方分粟弐拾八俵代。(一)米七斗五升、味噌・醤油用大豆三俵代。
 (一)銭四拾八匁、右同麦三俵代。(一)銭弐拾目、塩置物・漬物用之塩四俵代。
 (一)銭四拾八匁、燈油一ヶ月壱升宛にして一ヶ年分。(一)銭弐百六十目、万小遣、一ヶ月弐拾目宛にして。(一)銭拾五匁、漬物大根代。
 (一)銭弐拾五匁、焼炭一ヶ年七俵にして代銭。(一)銭五拾目、一ヶ年薪代山薪残買入候分。
 (一)銭百五拾目、暮仕廻・医師・師家付届、其外万払方分。(一)銭四十目、増奉公人給銀。
 (一)銭五拾目、臨時之手当。
    合米七石八斗五升、銭壱貫百五拾目、此米拾三石弐斗三升米、合弐拾壱石八斗

百石取一ヶ年分入方見込
付箋
「此節しらべ帳面減候所にて、(一)米十八石、百石取十人扶持宛手取可相成分。本行差引、米三石八升不足、此銭弐百六十目余。
 此分一躰之所猶省略を以取賄可申哉」

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■新市街通りの間向こうに見えたもの

2021-06-13 07:40:43 | 熊本

 戦前の「熊本百景・新市街 辛島町通り」という写真がある。
真正面に金峰山が見えているから、正面が北方向であることが判る。ここにある四つ角、市電が通っていないから辛島町の四つ角ではない。
だとすると、南に下って考えると、右手が下通り、正面に伸びる道路が新市街だと推察される。
今は高層建築にさえぎられてうかがうことができないが、この写真を見て、新市街の間向こうに金峰山が位置することを改めて思い至った。
金峰山を地図を確認してみると、この道の軸からやや右に傾いているので真正面とは言い難いが、ほぼ正面であり間違いない。。
そうすると、右の洋館の建物、左の和風の建物が大いに気になる。
「戦前の」とあるが時代的にはいつなのか、これらの写真の略歴を知りたいものだ。
人力車が走り、自転車も見える。着物姿の男性や、洋傘をさした女性の姿も見える。
昭和の初期の風情かな~・・・

          

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