徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

エミ・マイヤーとまめ藤さん

2016-12-09 14:26:10 | 音楽芸能
 Facebookのお友達である竹中さんから素敵な映像発見のお知らせをいただいた。
 アメリカのシンガー・ソングライター、エミ・マイヤーが、化粧品ブランド「タチャ」とコラボした、彼女の曲「ギャラクシーズ・スカート」のリミックスバージョンのPVのようだ。
 注目すべきは映像でフィーチャーされている舞妓さんが、今年5月、舞妓を引退して熊本阿蘇に帰ったまめ藤さんだということ。もちろん引退前に撮影されたものだろうが、今となっては貴重なお宝映像だ。
 ちなみに、エミ・マイヤーは日本人の母親とアメリカ人の父親の間に京都で生まれたそうだ。

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今日は75年目の「太平洋戦争開戦の日」

2016-12-08 09:08:44 | 歴史
 その日は意外と早く目が覚めた。それと言うのも、この日は朝八時から防空監視哨当番の日であった。いつになく早起きしたし、間もなく六時というので、珍しくラジオのスイッチを入れた。すると間髪を入れず「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます」というアナウンサーの声。何事ならんと耳を傾けると、「大本営陸軍部発表、帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」というニュースであった。そしてその後は軍艦マーチが鳴り止まず・・・。これこそ正に青天の霹靂であった。ラジオの前にしばし呆然としていた私はハッと我にかえり、奇しくもこの開戦に当り、熊本市防空監視哨の一番立ちの任務につくことに異常な興奮と身の引締まる思いで一ぱいだった。朝食もそこそこに教練服に身を固め、監視所に急いだが、私が現地に着くと班員は既に集合を終えていた。正八時、いよいよ上番との交代である。この頃になると在熊の防空部隊が手に肩に高射機関銃や実弾の一ぱい入った弾薬箱を携え、続々と監視所のある屋上に詰めかけ、たちまち辺り一帯は緊迫した雰囲気に包まれた。防空監視哨というのは、昭和12年に防空法が公布され、各都市において空襲に備えて置かれた監視哨である。大方の町や村では青年学校の生徒をその要員としていた。熊本市には当時十数校の青年学校があったが、島崎校区には第七青年学校があり、陸軍歩兵伍長の資格を持つ私は島崎校の教練指導員も兼務していたので、島崎校が当番の日には班長として指揮をとったのである。監視所は紺屋町の元九電熊本支店の屋上にあった。任務は望楼に立つ見張員が敵の機影あるいは爆音を耳にした場合は、直ちにこれを班長に報告。班長はこれを確認し間違いなしと見れば電話で市の防空監視哨長に報告するのである。この報告が場合によっては警戒警報あるいは空襲警報、避難命令となって市民に伝えられるのである。監視哨はいわば市民の尊い生命財産を守る尖兵というわけだ。防空監視哨の創設以来、わが国が最初の空襲を受けたのは昭和13年5月、中国軍機が熊本県の球磨芦北地方に反戦ビラをまいたのが嚆矢である。これ以来太平洋戦争開戦まで空襲はなかった。こうして開戦第一日の任務についたのであるが敵機の来襲もなく、緊張とは裏腹に平穏な一日が過ぎ、気合抜けの感があった。
※2000年に他界した父の備忘録に書かれている開戦当日の様子です。

戦時中、父が勤務した三菱熊本航空機製作所で製造された爆撃機「飛龍」
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セカンドライフ20年

2016-12-07 17:06:32 | 
 会社を早期退職して20年が過ぎた。20年前の今ごろは、翌年春のパソコン教室オープンに向けて準備の真っ最中だった。
 僕は会社勤務時代のある期間、産業医や保健師・看護師などの医療専門職と近い立場にいた。産業医のサポート、医療専門職の採用などを担当した。医療の知識については門前小僧に過ぎなかったが、パソコン教室を開いて最初の生徒さんが、不思議なことに女医さんだった。以来、なぜか病院関係者が多数習いに来た。時には具体的な仕事のサポートを頼まれることもあった。医療データの統計解析や研究発表のプレゼンテーション作成などだった。お蔭で門前小僧の経験が大いに役立った。
 教室をオープンした頃、姪が生まれて間もない娘を連れてよく教室に遊びに来た。その娘が年が明ければ成人式を迎える。こちらが歳をとるわけだ。前撮りしたという成人式の写真を姪が送ってくれた。
 そういえば、同級生のはつ喜月若さんも成人式。感慨もひとしおである。




こんなんなりました!

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民謡「五十四万石」のはなし。

2016-12-06 18:25:38 | 音楽芸能
 熊本の代表的な民謡の一つ「五十四万石」。「おてもやん」と同様、熊本の年配者はこの曲が流れると合わせて歌う方が多い。
 ところで、この歌の歌詞をよくよく聞くと、腑に落ちないとまでは言わないが、「エ?」と思う箇所がいくつかある。この歌が世に出たのは昭和10年1月、コロンビアレコードから藤本二三吉の歌で発売された。この頃、「新民謡」今でいう「ご当地ソング」づくりがブームになっていて、この歌もそんな世の中の流れに乗ったものだったのだろう。ただ、熊本市ではその年の3月から5月にかけての50日間、水前寺公園北郊で「新興熊本大博覧会」が開催されており、それにタイミングを合わせた発売だったのかもしれない。


「新興熊本大博覧会」の公式ガイドブックより


 作詞したのは童謡・民謡の作詞家として北原白秋、西條八十とともに、三大詩人と謳われた野口雨情。
 まず、歌い出しの「♪ 五十四万石~」から「細川様は」と来る。熊本ではだいたい「セイショコさん」が先に来るのが普通。なぜ「細川様」なのか。茨城県出身の雨情が、熊本の清正公人気を知らなかったとも思えない。僕の個人的な推測だが、五十四万石の大大名である細川様だが、その礎を築いたのは清正公だという構成になっているのか、あるいは、結果的に清正公は五十四万石となるのだが、それは関ヶ原の後。最初から五十四万石で入封したのは細川忠利公なので、ということなのか。ここら辺の事情をご存じの方がいらっしゃればお聞きしたいものだ。
 三番の歌詞が最近ではあまり歌われないのは、以前にもこのブログで取り上げたが、二本木遊郭など、昭和10年頃の熊本市を題材にしているので違和感を感じるのかもしれない。
 四番の最後に登場するのが宇土櫓。この歌が作られた昭和10年頃は、大小天守閣はまだ再建されていない。第三の天守と呼ばれた宇土櫓で最後を締めくくるしかなかったのだろう。




作詞:野口雨情 作曲:大村能章
[映像]
2014年10月25日 熊本城本丸御殿 秋夜の宴
振付:中村花誠
立方:花童(くるみ・あやの・あかね・ゆりあ)
地方:( 唄 )西村直子・吉里満寿美・宮本道代
   (三味線)本條秀美・本條秀咲・蒲原サヤ子・勇美智子
   (鳴 物)中村花誠・花と誠の会
   ( 笛 )今井冽
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晩秋の岩戸の里

2016-12-05 19:18:16 | 熊本
 今日は所用で玉名市大浜町の母の生家へ行った。帰りはいつものように河内から山越えし、雲厳禅寺を経由して紅葉を楽しみながらの行程。山からの下りは久しぶりに「檜垣のこぼし坂」を通り、松尾川に沿って降りた。



雲厳禅寺境内の落葉


境内から里を眺める(前方の木立辺りが檜垣嫗が後に庵を結んだという山下庵跡)


境内入口に、宮本武蔵が霊厳洞で修業した時代から屹立する二躯の仁王像が


岩戸山から里へ降りる道


岩戸の里の遠景(中央の銀杏の辺りが雲厳禅寺)


檜垣のこぼし坂を下り上松尾の集落へ


 平安時代の閨秀歌人、檜垣嫗(ひがきのおうな)は、白川縁の蓮台寺辺りから、信仰する岩戸観音へ閼伽の水を供えるため水桶を担いで四里の道を日参したと伝えられる。松尾川沿いの急な山道の胸突き八丁が、後に「檜垣のこぼし坂」と呼ばれる難所。檜垣嫗の足もとがふらつき、水桶の水をこぼしこぼし登ったのでこう呼ばれるようになったという。


2013.4.6 熊本城本丸御殿  くまもとをどり2013
作詞・作曲: 杵屋六花登   作調:中村花誠
立方:城北高等学校ダンス部
地方:中村花誠と花と誠の会およびサポートメンバーの皆さん
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56年の時の流れ

2016-12-04 22:30:48 | 熊本
 今から56年前の昭和35年(1960)、熊本国体が開催された。それを期に、熊本城の大小天守閣などが復元された。城内にはその他、県営プールや藤崎台県営野球場などが造られた。
 9月27日には熊本県の天皇杯獲得をかけて、少年男子水球の決勝戦、熊本対京都戦が県営プールで行われた。当時中学3年だった僕はこの試合を見に行きたかったが、この日は平日で登校日、教室でドキドキしながら朗報を待った。残念ながら熊本の済々黌は敗れ、天皇杯は東京が獲得した。翌年、僕は済々黌に入学し、水球部に入部した。


昭和35年(1960)熊本国体水球決勝、濟々黌(熊本)対鴨沂高(京都)の熱戦



 それから56年目の今年、4月の熊本地震により、熊本城は天守閣を始め各所で甚大な被害を蒙り、痛々しい姿を見せている。
 地震被害の修復が終わり、営業を再開した桜の馬場城彩苑の涌々座。ここで僕は舞踊団花童の舞台を見ながら、ふと56年前のことを思い出し、しばし感慨に耽った。その舞台の下には、かつて先輩たちが汗と涙を流した県営プールがあったのだ。




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この番組に注目! 「15歳 私たちが見つけたもの~熊本地震 3年3組の半年~」

2016-12-03 16:23:50 | 熊本
 過去の番組で取材を受けたことのあるNHK熊本のディレクターから、ぜひ見てほしいという番組の紹介がありました。それが、下記の番組です。
 熊本地震で壊滅的な被害を蒙った益城町の子どもたち。彼らはこの半年余りにどんな体験をし、そしてそれは、これからの人生にどう影響するのでしょうか。多くの皆様にぜひ見ていただきたい番組です。

ETV特集「15歳 私たちが見つけたもの~熊本地震 3年3組の半年~」
12月10日(土)午後11時00分~ 午前0時00分(NHK-Eテレ)全国放送


「番組紹介より」
 多感な15歳の子どもたちは、大地震で何を感じ、どう生きていくのか。震度7の大地震が2度襲った熊本県益城町立木山中学校3年3組の半年を見つめた。
 震源のまちにある木山中学校268人の生徒に犠牲者は出なかったが、半数以上の子どもの自宅が破壊された。不自由な車中泊、避難所暮らし、壊滅したまち。先が見えない日々が続いた。しかしそんな情況にあっても、子どもたちは部活動を続け、体育大会を開き、合唱コンクールに励む。死に直面した体験を抱えながら、互いに支え合い、たくましく生きていた。災害をバネに、自らを問い直しながら歩む、様々な15歳の青春を記録した。
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熊本城本丸の大銀杏

2016-12-02 19:40:17 | 熊本


 いまだ立入禁止となっている熊本城本丸の大銀杏が鮮やな黄色に色づき、今日テレビで映像が公開された。
 加藤清正公による築城時、多くの銀杏が植えられたことから、「銀杏城(ぎんなんじょう)」とも呼ばれた熊本城。その象徴がこの本丸の銀杏だ。熊本市文化財専門相談員としておなじみの富田紘一さんの話によれば、清正公の時代に植えられたと言えるのは、この本丸の1本と加藤神社の拝殿脇にある1本の計2本だけ。よく銀杏は籠城時にその実を食料とするために植えたという伝説が語られるが、この2本いずれも雄株で実は生らない。また、本丸の銀杏が天守閣と同じ高さまで伸びた時に異変が起こると清正公が言い遺し、実際にそうなった時に西南戦争が起きたという伝説もあるが、本丸の銀杏は台風や落雷などで何度も折れたり倒れたりしている。しょせん伝説というのはその程度のものと富田先生は言う。
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漱石悶々

2016-12-01 17:31:28 | 
 今年は漱石没後100年ということで、漱石を題材にしたドラマが盛んだ。先般は妻・鏡子の視点から漱石との波乱万丈な夫婦生活を、尾野真千子と長谷川博己のコンビで描いた「夏目漱石の妻」(NHK総合)が放送された。
 そして今度は、漱石と京都祇園の茶屋「大友」の女将・磯田たか女とのエピソードを豊川悦司と宮沢りえのコンビで描く。12月10日のNHK・BSプレミアムで放送される単発ドラマ「漱石悶々」がそれ。(後7:30~9:00)

 漱石が明治40年(1907)に職業作家として初めて朝日新聞に連載した「虞美人草」は、祇園の旅館で執筆したという。友人の高浜虚子とともに初めて「都をどり」を見たり、祇園の一力で舞妓たちと雑魚寝をした一夜の話や、茶屋「大友」で倒れ、10数日寝込んだ話などが虚子の随筆「漱石氏と私」の中に出てくる。下記はその一部。



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肥後米の積出し

2016-11-30 18:16:25 | 歴史
 大代寅次郎さんの画集「水絵にのこす山鹿」(熊日新聞社刊)を見た。この画集は、大代さんの心に残る山鹿の明治、大正、昭和の風景を描いたもの。そのなかの最初に掲載されているのが「菊池川筋」の「大舟橋場近し」と題する下の絵だった。
 次のような説明が添えられていた。

 山鹿に集積された肥後米は、大橋際の米出し場から舟に積まれ、川を下り、高瀬から海路大阪へ運ばれた。菊池川は今日では想像もできない舟運の往還であった。帰りには黒砂糖や昆布などが積まれて、人力で山鹿まで遡行された。三つの瀬を越え大橋も近づくと自然掛声もはずんでくる。さんざめく橋の出迎えの人波には、妻子の顔も見えたに違いない。

 今まで僕は、過去に住んだこともある高瀬(玉名市)の目線でしか肥後米の積出しをとらえていなかったので、帰りの舟が人力で山鹿まで遡行されていたとは考えもしなかった。高瀬・山鹿間は日頃、車でよく行き来するので距離感がわかるが、あの距離を人力で舟を引っ張るとは・・・。先人たちの労をいとわない姿は感動的だ。





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出雲阿国のふるさと

2016-11-29 21:04:02 | 歴史
 先週25日、島根県江津市在住の熱烈な舞踊団花童ファン、竹下さんの熊本訪問が実現した。Facebookを通じて交流を深めておられた花童サポーターの栗田さん(大分市在住)のご尽力で、玄宅寺舞踊会場で竹下さんは念願の花童との対面を果たされた。会終了後には話もはずみ、来年は花童の島根県訪問をという話まで飛び出すほど和やかな交歓が続いた。 

 島根といえば、歌舞伎の始祖とされる出雲阿国のふるさと。歌舞伎舞踊を本旨とする舞踊団花童にとって、もし実現するならばとても意義深いこと。そんなことを考えていたら、以前、ブログに書き込んだこんな話を思い出した。

 戦国武将、薩摩の島津家久が天正3年(1575)に薩摩から京に上った時の旅日記「家久君上京日記」の中に、一行が帰路、温泉津(ゆのつ:島根県大田市)で、能でもなく神舞でもない不思議な踊りを演じる出雲衆と出会うくだりがある。

一 廿五日打立行に肝付新介ニ行合候、加治木衆三十人ほと同行、さて西田の町を打過、湯津に着、
  其より小濱といへる宮の拜殿にやすらふところに、伊集院に居る大炊左衛門、酒うり持参、さて
  湯に入候へは、喜入殿の舟に乗たる衆、秋目船の衆、東郷の舟衆、しらハ衆、各すゝを持参り候、
  其より小濱のことくまかり出雲之衆、男女わらハへあつまりて能ともなし、神まひともわかぬおひいれ、
  出雲哥とて舞うたひたる見物し、
其より小濱のはたこやにつき、亦湯乃津のことく歸り候へハ、・・・


 杵築大社(出雲大社)の巫女だったという出雲阿国が文献に初めて登場するのは、この7年後、天正10年の「多聞院日記」。この時お国11才と書かれているので、家久君が温泉津で出会った出雲衆の中に、もしお国がまじっていたとすれば、わずか3歳ぐらいということになる。しかし、それはありえないことではない。現に、舞踊団花童のきみかちゃんは3歳の時からちゃんと舞台を務めていた。
 上の日記の中にある「男女わらハへ」というのは「男女の童部(わらわべ)」つまり子供ということであり、後に「ややこ(稚児)踊り」と呼ばれた阿国の踊りの原点だったのだろうか。家久君は幼い頃の出雲阿国と出逢っていたのかもしれない。




 出雲阿国が始めた「能でもない神舞でもない」初期のかぶき踊りの様子を色濃く残しているといわれる新潟県柏崎市の綾子舞(国指定重要無形民俗文化財)

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くまもと全国邦楽コンクールの結果

2016-11-29 12:48:08 | 音楽芸能
 先週の25日(金)に行われた第22回くまもと全国邦楽コンクールの結果が、いつまでたっても主催者の熊本市からアナウンスされないのでクレームをつけた。
 回答によれば大会翌日、熊日新聞に掲載し、ホームページやFacebookは今週中に更新の予定だという。
 おいおい! 熊日新聞は地方紙だし、この大会は全国大会じゃなかったのかい! 
 熊本以外にお住まいの方で、この大会に注目されている方は多いと聞いている。Facebookに結果を掲載するぐらい、ものの数分でできるはずだ。お役所仕事と言ってしまえばそれまでだが、このIT時代になんというスピード感のなさ!
 このブログにおたずねになる方もいらっしゃるのでとり急ぎ掲載することにした。



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西日本屈指の荒祭り 「裸坊祭」

2016-11-28 17:14:25 | イベント
 山口県防府市の防府天満宮で26日、西日本屈指の荒祭り「裸坊祭(はだかぼうまつり)」が行われた。千年以上の歴史を有する行事で、大宰府に左遷された菅原道真公が立ち寄ったときの送り迎えを再現したものといわれる。寒空の下、道真公の御霊を乗せた重さ500キロの「御網代輿(おあじろこし)」を運ぶ白装束の裸坊数千人が「兄弟ワッショイ」のかけ声も勇ましく、菅公上陸の地とされる勝間の浦の御旅所まで練り歩く。
 僕が防府に勤務していた頃、ブリヂストン防府工場として初めて裸坊祭に参加したが、事務局として数十人分の用品の手配をしたことなどを懐かしく思い出す。また、御神幸の際、御網代輿を乗せる台車の木製の車輪が路面を傷つけないよう、現在は車輪のトレッド部分を、ブリヂストン熊本工場製のゴムクローラ(ゴム製キャタピラ)で覆っている。いろんな意味でご縁があるので、熊本県外の祭りでは最もなじみ深い。


拝殿への階段下で御網代輿の到着を待つ台車。車輪はゴムクローラで覆われている。



先んじて御網代輿のご利益にあずかろうと裸坊たちのもみ合いが始まる



御旅所への御神幸の道中には各所に振舞い酒が用意されており、帰る頃にはすっかり出来上がる
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民謡好きのための民謡祭典!

2016-11-27 20:00:39 | 音楽芸能
民謡「唄と三味線の会」30周年記念大会
◆日 時 11月27日(日)
◆会 場 熊本市植木文化ホール


会主・本條秀美さんのご挨拶


本條流祝儀曲「松」~ 俚奏楽「伊勢木遣」


鳴物の今井さんと今村さん


四部合奏「おてもやん」


端唄「桃太郎」


おてもやん


網起こし木遣歌


合唱「いかとり唄」


俚奏楽「島めぐり」
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クリスマスに“邦楽”もオツなもの!

2016-11-26 16:49:39 | 音楽芸能
第52回 熊本県邦楽協会 演奏会

◇と き 平成28年12月25日(日)13:00開演
◇ところ 熊本市国際交流会館6Fホール
◇入場料 1500円





▼第51回熊本県邦楽協会演奏会より(2016.1.10 熊本市国際交流会館)
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