徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

日本民謡フェスティバル2016

2016-08-28 20:16:40 | 音楽芸能
 今月7日にラジオ(NHK-FM)で放送された「日本民謡フェスティバル2016」が、今日、テレビ(NHK総合)で放送された。出場者が実際に歌っている姿を見ながら聴いていると、ラジオの時とは随分印象が変わるものだ。審査員を務めていた本條秀太郎さんの「声自慢じゃないんだから、もっと民謡そのものの良さを聞かせて」との辛口のコメントはまさに言い得て妙。
 出場した50組のうち、成績上位の30組が放送されたが、わが熊本関係では、花童の舞台でも地方としてお世話になっている中山康子さんの「正調ひえつき節」が放送されたのは嬉しかった。期待の若手、梅元遥香さんの「おてもやん」は残念ながら放送されなかったが、9月25日(日)11:00からNHK-FMで放送される「日本の民謡」で放送されるそうなので要チェックだ。


中山康子さんの「正調ひえつき節」。三味線は福島竹峰さん
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海達公子 生誕100年記念祭

2016-08-27 20:21:31 | 文芸
 今日は大分からやって来る栗田さんに、厚かましくも迎えに来てもらい、会場の荒尾総合文化センターへ向かう。途中、「評伝 海達公子」の著者、規工川佑輔先生のお宅へ立ち寄る。ご不在。電話連絡した奥様から先生が介護施設に入られたことを知る。海達公子顕彰の最大の功労者が、この生誕100年記念祭に立ち会えないことが残念でならない。奥様も本人が可哀想だと仰る。顕彰活動の屋台骨を失ったようで今後がちょっと心配。
 記念祭そのものは概ね予想通りの展開で、来場者もまぁまぁ集まったのでひと安心。パネルディスカッションには、海達公子ゆかりの、北原白秋、與田準一、金子みすゞの各顕彰会関係者も集い、公子との関係を紹介しながら、今後の顕彰のあり方について意見を交わした。ただ、やはり規工川先生がもし出席しておられれば、もっと深い話が聞けたと思う。それが残念だ。
 ともかくこのイベントが記念館建設のきっかけになれば嬉しいのだが。



全員で公子の「夕日」を歌う


パネリストの皆さん


公子の後輩・万田小学校3年生の皆さん


大庭照子さん


そがみまこさん


そがみまこと DOYO組の皆さん
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阿蘇の恋歌 ~ それは阿蘇復興の歌 ~

2016-08-26 20:14:58 | 音楽芸能
 今や阿蘇を象徴する歌となった「阿蘇の恋歌」。この歌が生れたのは意外と新しく、戦後間もない頃。しかも作ったのは作詞、作曲ともに熊本の人ではない。昭和23年に阿蘇を旅した福井県敦賀市の作詞家・松本芳朗さんが詩を作り、後にレコード化のため、青森県三本木村(現十和田市)出身の作曲家・陸奥明さんが曲をつけた。陸奥明さんは昭和30年に大ヒットとなった「月がとっても青いから」の作曲家でもあり、この曲を歌ったスター歌手・菅原都々子さんの実父でもある。
 「阿蘇の恋歌」が広く知られるようになったのは、観光バスのガイドさんたちによって盛んに歌われたから。戦後、進駐軍や外国人観光客だけに限られていた観光バス利用の制限が昭和24年に撤廃され、日本人も利用できるようになった。そして昭和30年頃になると高度経済成長期の始まりとともに観光ブームがやってきた。多くの観光客が阿蘇を訪れ、バスガイドさんの「阿蘇の恋歌」を耳にするようになり、「阿蘇の恋歌」は阿蘇旅行の思い出の歌として広く知られるようになった。ところが、経済成長とともにマイカーが普及すると、バスによる観光旅行ブームは徐々に沈静化して行った。それに伴い人々が「阿蘇の恋歌」を耳にする機会も少なくなり、いつの間にか忘れ去られようとしていた。しかし、この歌が埋もれてしまうことはなかった。多くの人々の心の片隅に残っていたのである。昭和後期から平成にかけて多くの音楽関係者がこの歌を再評価し、レコード化するようになった。そして今では、熊本地震で大きな痛手を負った阿蘇の復興の歌となっているのである。


▼歌謡曲バージョン



▼民謡バージョン
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リオ五輪ナンバーワン の ビューティーは?

2016-08-25 23:28:13 | スポーツ一般
 リオ五輪も当初心配したほどの混乱もなく終り、まずはめでたしといったところ。
 さてこの大会でも多くの美人選手が登場した。その中からナンバーワンを独断と偏見で選んでみた。どうしても僕が最も注目した陸上競技からになるのだが、まずスタイルが良いこと、アスリートとしての実力も兼ね備えていること、そしてマスクということになる。だから、ハンサムウーマンと言ったほうがいいのかもしれない。
 まず、アメリカの400m障害の金メダリスト、ダライラ・ムハマド(Dalilah Muhammad)。競技後のリラックスした表情からは女神のイメージが浮かんだ。また、ダライラという名前がいい。調べてみたらダライラ「Dalilah」という名前は、旧約聖書に出てくる「サムソンとデリラ」の「Delilah」と、もともと同じ名前だったらしい。そういえば僕の若い頃、イギリスのトム・ジョーンズが歌ってヒットした「デライラ」という歌があった。
 もう一人は、ニュージーランドの弱冠19歳、棒高跳びで銅メダルを獲得したイライザ・マッカートニー。こちらはフレッシュさが全身から溢れ出ているといった感じで僕らオジサンたちにはたまらない。そして彼女もまた名前が良い。イライザといえば「マイ・フェア・レディ」のヒロイン。おそらく次の東京五輪はもちろんのこと、しばらくは世界の陸上界でのヒロインであり続けるだろう。

 
ダライラ・ムハマド と イライザ・マッカートニー


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鹿本農高 山鹿灯籠踊り の 被災地行脚

2016-08-24 14:52:21 | 音楽芸能
 鹿本農業高校郷土芸能伝承部は、東日本大震災被災地との交流を続けていますが、この夏休み期間中にも、岩手県や宮城県などの被災地10ヶ所を訪問し、山鹿灯籠踊りを披露しました。
 今月1日には、震災後5年が過ぎ、復興計画に新たな局面を迎えている岩手県の大槌町を訪れました。この時の模様を、同町のaloha-spirits-yoshi 様がご自身のブログでリポートされていましたので、ご了解を得て下記に転載させていただきました。
 
 ▼aloha-spirits-yoshi 様のブログ
  「同じ空の下で ~ To you who do not yet look ~


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ 以下は転載です ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



先程、熊本県立鹿本農業高校の郷土芸能伝承部のみなさんが、大槌町役場前で山鹿灯籠踊りを披露してくださいました。
鹿本農業高校がある山鹿市鹿本町は熊本市から約25km、先の熊本地震の被災地でもあります。
「東北3県被災地交流」として、7月31日~8月4日の日程で、郷土芸能伝承部の生徒は校外活動をしているとのことで頭が下がります。








見慣れないピンクのバスから降りてきた郷土芸能伝承部の生徒さんたちが、震災から5年が経過してもなお盛土の風景が広がる町方地区を横目に見ながら、金灯籠を頭に掲げた女性が舞い踊る山鹿灯籠踊りを奉納演舞してくださいました。



山鹿灯籠は山鹿市の特産品で、第12代景行天皇が山鹿の地を訪れられた際に、里人が松明を持ってお迎えしたことに由来するそうです。
ゆったりとした踊りと調べに、居合わせた人々も見入っていました。

山鹿灯籠踊りが見られる「山鹿灯籠まつり」は、8月15日、16日の2日間に渡って開催されるそうです。
15日夕刻には大宮神社境内で奉納踊りが行われ、16日には千人の女性が光の渦をつくる千人灯籠踊りが行われるとのことです。また15日は、納涼花火大会も行われるそうです。



踊りを終えて素の表情に戻った彼女たちの笑顔に高校生らしさを感じました。
鹿本農業高校郷土芸能伝承部のみなさん、ありがとうございました。



山鹿市のみなさん、熊本県のみなさん、暑さ厳しい折ですから、体調をくずされませんよう、お元気でお過ごしください。
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南阿蘇村の応援歌

2016-08-23 13:30:04 | 音楽芸能


 熊本地震で甚大な被害を被った南阿蘇村。今から48年前、僕が社会人としての第一歩を踏み出した懐かしい地域。もっともその頃は、南阿蘇村などという名前ではなく、長陽村、白水村、久木野村に分かれていた。だから今でも南阿蘇村といわれてもピンとこない。もっと言えば、平成の大合併で各県に生まれた、耳ざわりはいいが、なんだかよくわからない名前の一つに思えてあまり好きではない。
 それはさておき、南阿蘇村の復旧復興の状況は新聞・テレビ等で断片的な情報は入るが、地震後、まだ1回も現地に行っていないので実態はよくわからない。いつもの年だったら、黄金色に染まった稲田の向こうに阿蘇五岳を望む最も美しい季節がやがてやってくるのだが、今年はどんな状況なのだろう。
 そんな南阿蘇村の応援歌のつもりで、下記の歌をアップしてみた。「火の国旅情」と同じく、作詞:中沢昭二、作曲:岩代浩一のコンビによる作品だが、阿蘇の方言満載のユーモラスな歌詞に思わず笑ってしまう。



2012年5月12日 熊本城本丸御殿 春の宴 ~阿蘇をどり~
振付:中村花誠
立方:こわらべ(あかね・ゆりあ・みわ)
地方:藤本喜代則と喜代則社中/中村花誠と花と誠の会
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熊本民謡になりそこねた歌 ~火の国育ち~

2016-08-21 20:10:38 | 音楽芸能
 先日終わった山鹿灯籠まつりで主に踊られるのは「よへほ節」。明治初期からお座敷唄として歌われていた「よへほ節」を、温泉町山鹿の唄として改作したのは、明治末期から昭和前期にかけて詩人、童謡・民謡作詞家として活躍し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた野口雨情
 昭和初期、「新民謡」づくりが一つのムーブメントになり、雨情も日本全国をまわって数百曲という新民謡を作った。熊本でも県内各地を回って20数曲を残しているが、代表作がおなじみ「五十四万石」。その作品の中には今日ではほとんど忘れられているものもあるが、その一つがこの「火の国育ち」。雨情の作詩に大村能章の作曲という「五十四万石」のコンビによる作品なのだが、国立国会図書館デジタルコレクションの歴史的音源として保存公開されている音源を聞いてみると、いかにも昭和前期という時代を感じさせ、今日では問題になりそうな言葉も含まれる珍品中の珍品である。

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リオ五輪を見ながら思ったこと

2016-08-20 22:12:06 | スポーツ一般
■水球強国のはなし。
 リオ五輪の水球男子の準決勝組み合わせを見て驚いた。セルビア対イタリア、クロアチア対モンテネグロだという。イタリア以外は旧ユーゴスラビアじゃないか!たしかに昔、分裂する前のユーゴスラビアは強かった。東京五輪の頃、世界の水球でトップ4といえば、ハンガリー、ソ連、イタリア、ユーゴスラビアだった。この当時のユーゴスラビアは現在、6つくらいの国に分かれていると思うが、それでもそれぞれが世界のトップクラスに君臨しているのは凄いことだなと思う反面、昔から水球王国といわれるハンガリーを始めとする他の国々にもっと頑張ってもらいたいものだ。

■ボランティアのはなし。

 リオ五輪では50,000人の人がボランティアとして登録されているそうだが、既にその30%が出て来ないという。原因はいろいろあるらしいが、どうも彼らを管理する体制がしっかりしていなかったり、手弁当であるボランティアの宿泊などの経済的負担が過重であることなどがあげられている。
 東京五輪(1964)の時、僕は水泳競技のアシスタント・スタッフをやったが、これはアルバイトであり日当が出た。雇われたのは東京在住の運動部学生ばかりだから、宿泊の問題などは基本的にない。当時、ボランティアという言葉すらまだ普及していなかったので、そんな人たちがいたのかどうか記憶にない。少なくとも水泳競技場でそういう人たちに出会ったことはない。当時は、今日のようなテロの心配など全くなかったのでセキュリティもゆるかったから、人手もあまりいらなかったのかもしれない。
 しかし、2020年の五輪ではボランティアなしの運営は考えられないだろう。となると、ボランティアの人たちの宿泊の問題などは早めに手を打っておかないといけないだろう。



東京五輪(1964)水球の優勝国ハンガリーのエース、ジョルジ・カルパティ
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日本のお家芸 「アンダーハンドパス」 でメダルを狙う!

2016-08-19 20:29:15 | スポーツ一般
 リオ五輪陸上男子400mリレー決勝が明日に迫った。予選で日本は2組に登場し、37秒68のアジア新記録で1着となり、5大会連続の決勝進出を果たした。「歴代最強」といわれる山県、飯塚、桐生、ケンブリッジというメンバーを揃え、2008年の北京五輪以来のメダル獲得を狙う。
 その鍵を握っているのが、日本のお家芸ともいえるバトンの「アンダーハンドパス」。予選のようにノーミスで行けば、メダルはより確実なものになるだろう。



▼ロンドン五輪の時の熊日新聞の記事を参照



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古典落語 「盃の殿様」

2016-08-18 22:25:27 | 音楽芸能
 今、話題の落語「山名屋浦里」。その原話は江戸時代後期、吉原随一の花魁と謳われた扇屋の花扇(はなおうぎ)の実話だという。
 その花扇が登場する古典落語が「盃の殿様」。六代目三遊亭圓生の十八番として知られるが、YouTubeにもいくつかアップロードされているようだ。「山名屋浦里」と聞き比べてみるのも面白い。

 ある西国大名の殿様が、参勤交代で江戸に来ますが、国元と違って気苦労も多く、気うつの病にかかってしまいます。臥せった枕元で茶坊主に花魁の錦絵を見せられ、その美しさに魅せられて、さっそく300人ものお供を連れて吉原見物に出掛けます。そして花魁行列で見初めた吉原一の花魁、花扇のとりこになってしまい、連日通い詰めるようになってしまいます。そうして病もすっかり治った殿様に、参勤交代で国元へ帰る日がやってきます。国元へ帰った殿様は、花扇からお別れにもらった盃を、300里も離れた九州と江戸吉原の花扇との間でやりとりをしようと思いつきます。そこで300里の道のりを10日で往復できるという速足の足軽に持たせて吉原へ走らせます。その意を酌んだ花扇が飲み干し、盃を返します。 それを持った足軽が一路国元へ走って帰る途中、箱根の山中で誤ってさる大名の行列の供先を切ってしまいます。手討ちになってもしかたのないところでしたが、事情を聴いた殿様が「それは粋な話だ。あやかりたい」とその盃で酒盛りが始まります。おかげで国元へ帰るのが遅くなった足軽が殿様にわけを話すと、意気に感じた殿様は「もう一献差し上げて来い」と申しつけましたが、足軽はどこの大名だったか聞き忘れたので、いまだにうろうろ探し回っている、というお話。
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今夏最高の思い出! ~佐渡裕とスーパーキッズ・オーケストラ~

2016-08-17 19:58:07 | 音楽芸能
 夏も終盤、今年の夏の僕の最高の思い出は、7月29日、熊本県庁新館1階ロビーで行われた「佐渡裕とスーパーキッズ・オーケストラ」のコンサート。もし、熊本地震がなければ、僕が彼らの演奏を見る機会はなかっただろうと思うと、複雑な思いはあるが、このコンサートを実現していただいた佐渡さん始め、関係者の皆さんのご尽力に心から感謝申し上げたい。
 とにかく衝撃的だった。佐渡さんや団員がセーラー服を模したデザインのTシャツというカジュアルな恰好で現れたこともあって、演奏前の会場はリラックスした雰囲気に包まれていた。しかも、演奏者は子どもだという油断もあったのだろう。それが、オープニングの「チャイコフスキーの弦楽セレナード」が始まった途端、格式高いクラシックのコンサートホールにいきなり放り込まれたような、一瞬どう反応してよいのかとまどった。おそらく会場の多くの観客が同じような気分だったに違いない。県庁ロビーのコンサート始まって以来という900人の観客が、ホンモノのクラシック音楽に酔いしれた。今度また機会があるならば、ちゃんとチケットを買ってコンサートホールでぜひ再見したいものだ。





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熊本地震本震から4ヶ月

2016-08-16 21:13:36 | 熊本
 夜半過ぎ、2度の地震で目が覚めた。そして本震からちょうど4ヶ月となることを思い出した。
 つい先日、唯一の行方不明だった大学生の大和晃さんの遺体が発見され、熊本地震による直接死は50人となった。そして昨日は、一連の熊本地震で被災した「災害関連死」が新たに7人追加され、一連の地震で死亡した人は80人となった。あらためて心よりお悔やみ申し上げたい。
 関連死はこれからもまだ増え続けるだろうが、犠牲となられたこれらの尊い命が無駄死にになることがないよう、この未曽有の大地震から何を学ぶのか、われわれに与えられた重い課題だ。

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「よへほ節」だけではない 山鹿灯籠踊り

2016-08-15 21:23:23 | イベント
 今日から山鹿灯籠まつりが始まった。このまつりの呼び物は何といっても、「よへほ節」の調べに合わせ、頭上に灯籠を載せた女性たちが優雅に舞い踊る「山鹿灯籠踊り」。しかし、このまつりで踊られる曲は「よへほ節」だけではない。
 一つは「米原長者口説き歌(よなばるちょうじゃくどきうた)」。これは鞠智城がある米原地区に1300年前から言い伝えられている「米原長者伝説」を歌にしたもので、歌詞は30番まである。
 もう一つの「山鹿盆踊り」は、作られた時代は不明だが、山鹿灯籠踊りが今日のような形になる前から、盆踊りで踊られていた曲。



米原地区の鞠智城と赤米(古代米)


▼米原長者口説き歌


▼山鹿盆踊り
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墓碑のない墓参り

2016-08-14 20:47:37 | 
 盆の入りを前に、先日わが家の墓掃除と墓参りに行った。7月の新盆の時にも行ったのだが、4月の熊本地震で墓が倒壊して以来、いまだ手付かずの状態。周囲のお墓も、倒れた墓碑を動かしたり、破損した石を整理したりしているところもあるが、ほとんどは手付かずのままのようだ。すでに石屋さんとは修復の打合せ済みなのだが、順番が回って来るのはまだまだ先になりそうだ。



墓碑のないお墓に手を合わせる



昨年9月、孫たちが墓参りした時
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阿波おどり のはなし。

2016-08-13 20:24:10 | イベント
 昨日から、徳島県の名物行事「阿波おどり」が始まったとNHKのニュースも伝えていた。
 僕は本場の「阿波おどり」は見たことがない。東京勤務の頃、同僚の女子の家が高円寺で、「高円寺阿波おどり」を宣伝するものだから、一度見に行った。たかが「もどき」だろうくらいの気持で行ったらとんでもない、なかなか本格的なまつりで驚いた。熊本でも何かのイベントに徳島から「阿波おどり」の一団が呼ばれて踊っているのを見たこともある。
 この「阿波おどり」の起源についてはいろんな説があるようだが、「阿波おどり」に限らず、各地(含熊本)の伝統行事の起源や由来といわれるものには、地域振興や観光振興のための創作された話もだいぶ含まれることが多いので、あまり鵜呑みにはしないようにしている。ちなみに、柳田國男とならび、日本民俗学に大きな足跡を残した折口信夫は、昭和4年に出版した「古代研究. 第1部 第1 民俗學篇」の「盆踊りの話」の中で次のように述べている。

――盆踊りの直接の原因はだから、念仏踊りであることは事実だ。行はれる時期も色々あり、踊り方にも色々あつて道を歩いて踊つて行く踊り、譬へば、阿波の徳島の念仏踊りは其代表的のもので、伊勢踊りと同様である。――

 つまり、今日「阿波おどり」と呼ばれるものは、道を歩いて踊って行く念仏踊りだったと言っているのである。
 その、盆に踊られていた念仏踊りが、海を往来していた人々によって伝えられた「牛深ハイヤ節」や、「潮来節」などの影響を受けながら、徐々に完成度を高めつつ、今日のような姿になってきたのだろう。
 ちなみに、「阿波おどり」の掛け声「やっとさ~」は、宮城県の「塩釜甚句」の掛け声「ハットセ~」と酷似しているが、実は「塩釜甚句」(あいや節)は、北前船で北陸や東北地方に伝わった「牛深ハイヤ節」が、さらに東廻海運によって塩釜に伝わったものといわれている。さらに「塩釜甚句」は江戸向けの物資とともに潮来に伝わり、「潮来甚句」となった。潮来節の影響も受けたというのは、こういうところからも言えるのかもしれない。

 下は「阿波おどり」のポスターの最も古い昭和9年版と、今年、平成28年度版の比較。昔は「阿波盆をどり」と呼んでいたり、実施時期も違うことなど、とても興味深い。

 


▼昨年の阿波おどり



▼牛深ハイヤ節
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