23日の沖縄県議会(写真左)で、異常な光景が見られました。代表質問に立った新垣哲司議員(自民)が、「天皇陛下万歳」と叫んだのです(写真中。県議会中継ビデオより)。
新垣氏は質問の最後約4分を「天皇・皇室」に充て、天皇がいかに「国民に寄り添っている」かを「東日本大震災の慰問」などを例にあげて強調したうえで、こう述べました。「日本は第1代の神武天皇から今上天皇まで125代続いている世界最古の王朝である」。その締めくくりが「天皇陛下、万歳」です。
新垣哲司氏が県議会の議場で「天皇陛下万歳」と叫んだのは実はこれが初めてではありません。1999年7月6日、同じく代表質問でも同じことをやりました。これだけなら、時代錯誤の自民党議員の愚行、で片づけられるかもしれませんが、そうはいかない問題があります。それは、17年前の前回と今回とで、新垣氏の愚行に対する議会の対応が変わったことです。
「当時(1999年)の野党は『議会の秩序が保てない』と反発し、丸1日議会が空転した。当時の議長が『このような行為は円滑な議会運営の面から慎んで』と注意したが、新垣氏は『万歳を唱えることが不適切とは思えず違反でもない』と反論。議長判断で議事が再開された」(24日付沖縄タイムス)
今回はどうだったでしょうか。
「今回の発言を受け、与党は代表者で対応を話し合ったが結論は出なかった。ベテラン議員の1人は『規則の想定外の行動なので扱いが微妙だ』と本音を明かした」(同)
17年前の「野党」とは、稲嶺恵一県政野党の「革新」党派です。そして今回の「与党」とは翁長雄志県政与党の同じく「革新」党派と保守の一部です。つまり、日本共産党、社民党、社大党、県民ネットなど「革新」党派は、同じ新垣氏の異常な行動に対し、前回は「反発」して「丸1日議会が空転」したけれど、今回は問題にしなかった、というわけです。
この違いは、いったいどこから生まれるのでしょうか。
新垣氏の「天皇陛下万歳」を、「規則の想定外」として見逃すことはできません。なぜなら、「日本は神武天皇から今上天皇まで125代続いている世界最古の王朝」という発言は「天皇統治」の考えであり、明らかに日本国憲法の前文(国民主権)、第1条(象徴天皇制)に反しており、それを議場で公言することは第99条(公務員の憲法尊重擁護義務)違反だからです。
まして質問内容とはなんの関係もない「万歳」パフォーマンスなどもってのほかです。それは「復帰後、新生沖縄県議会は、日本国憲法及び地方自治法に基づく議事機関として新たな一歩を踏み出し(た)」という「沖縄県議会基本条例」(2012年施行)の精神にも反すると言わねばなりません。
「革新」会派にとって前回と今回の違いは何か。自民党県政の野党から「翁長県政」の与党になったことです。
前回(17年前)の新垣氏の「万歳」は、「国歌・国旗法」の成立を前にして、同法成立時には、「(県議会の)議場に日の丸を掲揚すべきだ」という質問の中で、「その前祝として」(新垣氏)行ったものです。
当時、翁長氏は新垣氏と同じ自民党の県会議員(稲嶺与党)でした。そして翁長氏は翌年(2000年)那覇市長に転身します。那覇市長となった翁長氏が早々にやったことは何だったか。市役所の庁舎に初めて「日の丸」を掲揚したことです。
「翁長那覇市長は、国旗掲揚について『国歌国旗法の成立を受け、国はじめ県内でも掲揚が進められている。那覇市においてもできるだけ早い時期に設置すべく、条件整備したい』と述べ、1972年の復帰後初となる市庁舎への国旗掲揚を表明した」(2000年12月12日付琉球新報)
前回新垣氏の「天皇陛下万歳」を問題にした「革新」党派が、「翁長県政」与党となった今回は問題にしなかったのは、「日の丸」、「国歌国旗」、「天皇制」に対する翁長氏のこうした基本的立場と、はたして無関係だと言い切れるでしょうか。関係ないというなら、なぜ今回は問題にしなかったのでしょうか。
「翁長県政」の与党となったために、「議場の天皇陛下万歳」という異常を見逃すことになったとするなら、「オール沖縄」とはいったい何なのでしょうか。