自民党総裁選の投開票が29日行われ、NHKや民放は例外なく、午後1時から2時間半、その一部始終を延々と生中継しました。菅義偉首相の退陣表明(9月3日)以降、約1カ月にわたって繰り広げられた異常な「総裁選報道」の締めくくりを象徴する光景でした。新聞各紙は30日付で1面トップはじめ多くの紙面を割くでしょう(写真は各局の生中継)。
日本のメディアの「総裁選報道」は、ジャーナリズムの原則を大きく逸脱しているばかりか、政治的にきわめて重大な役割を果たしました。それは日本メディアの歴史的汚点というべきものであり、けっして終わったことにはできません。
「総裁選報道」がなぜ異常で政治的に重大なのか。改めて要約すれば次の3点です。
① 総裁選はあくまでも自民党の党内問題・派閥抗争であり、自民党員以外の一般市民にはなんの関係もない。特定政党の派閥抗争に多大の公共電波と紙面を使うことは、市民の立場に立つ報道とはまったく無縁である。
② メディアは「政策論争」なるものを演出したが、同じ自民党幹部の間で基本的政策の違いなどあろうはずがない。まして4人とも安倍・菅政権を支えてきた連中。にもかかわらず「新たな政策」が展開されるかのように報じることは、虚偽報道であるとともに、安倍・菅政権の失政・悪政を隠ぺいし、自民党を助けるものでしかない。
③ 本来の政治戦は衆院選である。それを間近に控え、自民党という特定政党の報道に狂奔することは、総選挙へ向けた自民党の広報活動に等しく、自民党への追従以外のなにものでもない。とりわけここに、今回の「総裁選報道」の歴史的汚点たるゆえんがある。
②に関し、菅首相は28日の記者会見で、「総理が1年で代わることはどうなのか」との質問を受け、「1つの政党(自民党)だから外交方針は変わらない」と答えました。これが自民党の本音であり、総裁選候補者らはもちろん、メディア関係者も百も承知のことです。にもかかわらず、「政策論争」を演出するのは、きわめて悪質なフェイク報道と言わねばなりません。
「一般市民にはなんの関係もない」と言うと、必ずメディアから返ってくるのは、「自民党総裁はイコール総理大臣であり、総裁選は事実上次の首相を選ぶもので、一般市民にも大きく関係する」という「反論」(言い訳)です。
しかしこの「反論」は正当ではありません。なぜなら、首班指名は国会が行うものであり、自民党が第1党だからといって自民党総裁=首相とメディアが断定するのは、国会の権能を無視したメディアの越権・横暴にほかならないからです。これは原理原則論です。
さらに、今回の総裁選の場合、この原理原則論に現実論が重なります。
衆院議員の任期は10月21日までです。つまりたとえ4日に開かれる臨時国会で岸田文雄氏が首相に指名されるとしても、その任期はたかだか半月。「自民党総裁は次期総理」といっても“半月総理”にすぎないのです(総選挙まで継続するとしても”1カ月総理”)。
日本のメディアの「自民党総裁選報道」の異常性・政治的重大性に弁解の余地はありません。
これでいいのか、現場の記者(とりわけ若手・中堅記者)、心あるメディア関係者は、惰性や組織の縛りから離れ、「総裁選報道」の実態を自己検証する必要があります。
一方市民は、テレビや新聞が垂れ流す異常な報道を唯々諾々と受け入れるのではなく、異議を申し立て・批判の声を上げる必要があります。
日本のメディアが抱える問題はヤマほどありますが、市民と心あるメディア関係者が協力して、その根深い病巣にメスを入れ、一歩一歩、メディアの再生(新生)をはかっていきたいものです。