アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「自民総裁選報道」は日本メディアの歴史的汚点

2021年09月30日 | メディアと日本の政治・社会

    

 自民党総裁選の投開票が29日行われ、NHKや民放は例外なく、午後1時から2時間半、その一部始終を延々と生中継しました。菅義偉首相の退陣表明(9月3日)以降、約1カ月にわたって繰り広げられた異常な「総裁選報道」の締めくくりを象徴する光景でした。新聞各紙は30日付で1面トップはじめ多くの紙面を割くでしょう(写真は各局の生中継)。

 日本のメディアの「総裁選報道」は、ジャーナリズムの原則を大きく逸脱しているばかりか、政治的にきわめて重大な役割を果たしました。それは日本メディアの歴史的汚点というべきものであり、けっして終わったことにはできません。

 「総裁選報道」がなぜ異常で政治的に重大なのか。改めて要約すれば次の3点です。

 ① 総裁選はあくまでも自民党の党内問題・派閥抗争であり、自民党員以外の一般市民にはなんの関係もない。特定政党の派閥抗争に多大の公共電波と紙面を使うことは、市民の立場に立つ報道とはまったく無縁である。

 ② メディアは「政策論争」なるものを演出したが、同じ自民党幹部の間で基本的政策の違いなどあろうはずがない。まして4人とも安倍・菅政権を支えてきた連中。にもかかわらず「新たな政策」が展開されるかのように報じることは、虚偽報道であるとともに、安倍・菅政権の失政・悪政を隠ぺいし、自民党を助けるものでしかない。

 ③ 本来の政治戦は衆院選である。それを間近に控え、自民党という特定政党の報道に狂奔することは、総選挙へ向けた自民党の広報活動に等しく、自民党への追従以外のなにものでもない。とりわけここに、今回の「総裁選報道」の歴史的汚点たるゆえんがある。

 ②に関し、菅首相は28日の記者会見で、「総理が1年で代わることはどうなのか」との質問を受け、「1つの政党(自民党)だから外交方針は変わらない」と答えました。これが自民党の本音であり、総裁選候補者らはもちろん、メディア関係者も百も承知のことです。にもかかわらず、「政策論争」を演出するのは、きわめて悪質なフェイク報道と言わねばなりません。

 「一般市民にはなんの関係もない」と言うと、必ずメディアから返ってくるのは、「自民党総裁はイコール総理大臣であり、総裁選は事実上次の首相を選ぶもので、一般市民にも大きく関係する」という「反論」(言い訳)です。

 しかしこの「反論」は正当ではありません。なぜなら、首班指名は国会が行うものであり、自民党が第1党だからといって自民党総裁=首相とメディアが断定するのは、国会の権能を無視したメディアの越権・横暴にほかならないからです。これは原理原則論です。

 さらに、今回の総裁選の場合、この原理原則論に現実論が重なります。
 衆院議員の任期は10月21日までです。つまりたとえ4日に開かれる臨時国会で岸田文雄氏が首相に指名されるとしても、その任期はたかだか半月。「自民党総裁は次期総理」といっても“半月総理”にすぎないのです(総選挙まで継続するとしても”1カ月総理”)。

 日本のメディアの「自民党総裁選報道」の異常性・政治的重大性に弁解の余地はありません。

 これでいいのか、現場の記者(とりわけ若手・中堅記者)、心あるメディア関係者は、惰性や組織の縛りから離れ、「総裁選報道」の実態を自己検証する必要があります。

 一方市民は、テレビや新聞が垂れ流す異常な報道を唯々諾々と受け入れるのではなく、異議を申し立て・批判の声を上げる必要があります。

 日本のメディアが抱える問題はヤマほどありますが、市民と心あるメディア関係者が協力して、その根深い病巣にメスを入れ、一歩一歩、メディアの再生(新生)をはかっていきたいものです。


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病床日記16・退院・「絶望してはいけない」

2021年09月28日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月28日(入院21日目、術後15日目)>

 今日午後、退院。

 これからは、がんと付き合いながら生きて行くことになる。
 それがどういうものなのか、何ができて何ができなくなるのか。
 いずれにしも、覚悟した生活を送らねばならない。

 退院にあたって、「病床日記」の1回目(13日)に書いたことをもう一度書きたい。

 <医療・介護従事者を大切にする社会に

 病院スタッフ(医師、看護師、調理、清掃、事務)のみなさんの笑顔、優しい言葉は、患者の救いだ。
 医療従事者、そして介護従事者のみなさんが、笑顔で働くことができる社会にしなければならない。そのために生活と健康が保障される体制がつくられなければならない。そういう政治にしなければならない。 

 医療・介護従事者が大切にされる社会は、きっと、あらゆる面で、人と環境に優しい社会になると思う。

 入院中にテレビで聞いた言葉から

☆「子どもたちを信じることは、未来を信じること」

 『ズッコケ三人組』などで知られる、先日亡くなった児童文学作家・那須正幹(まさもと)さん=広島市生まれの言葉。
 那須さんは、「子どもを子ども扱いしない」がモットーだった(25日NHK「らうんど中国」より)

☆「けっして美談ではありません。今の社会の弱さです」

 コロナ禍、食料品に困っている人々へ無償で届けるフードレスキューをSNSで始めたシンガーソングライター・七尾旅人さんが、自分が行っていることについて言った言葉。
 「互助、共助をしても、公助が不足している構造を許してはいけない」とも。こんな若者がいる限り、希望はゼロではない。(27日朝のNHKニュース)

☆「絶望的になっても、絶望してはいけない」

 被告人の権利を守り続ける弁護士・木谷明さん(元裁判官)の言葉。
 自分の病気に対して心に響いたのではない。自民党総裁選報道に狂奔するメディア状況の中で、日本はどうなるのか、と考えていたときに聞こえてきた言葉だから。(12日Eテレ「こころの時代」より)

 オマケ 入院中につくった川柳もどき。

 張り手なき フェアな立ち合い すがすがし

 大相撲秋場所で優勝した横綱・照ノ富士。そのコメント、振る舞いにはこれまでの横綱にない謙虚さがうかがえる。
 それはおそらく、もともとの性格に加え、大関からひざの故障で序二段まで落ち、そこから這い上がって横綱になった、人生の道程が培ったものだろう。
 どん底を経験した者の、優しさ、強さ…。

「病床日記」は一応、今日で終わりにします。再び「病床日記」を書く日が来ないことを願って。30日から従来の「アリの一言」を再開するつもりです。今後ともよろしくお願いいたします。


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病床日記15★認知症介護とジェンダー・独居

2021年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月27日(入院20日目、術後14日目)>

 明日、退院となった。
 退院はもちろん嬉しいが、今後のことを考えると、不安は拭えない。
 ステージ(今後の治療方針)がまだ確定していないので、すべてはそれが分かってからだ。
 それまであれこれ思い悩むのはやめよう。

★認知症介護とジェンダー・独居

 26日夜のNスぺ「認知症の先輩が教えてくれたこと」は、香川県・西香川病院の画期的な取り組みを紹介した。認知症患者が認知症患者の相談に乗るのだ。

 渡辺さん(78歳、男性)は6年前に認知症と診断。2年間ショックで立ち直れなかった。支え続けたのはパートナー(妻)だった。やがて、趣味の囲碁を再開し、半年で元の5段の腕前を取り戻した。その渡辺さんご夫婦が、自らの体験をもとに相談に乗っている。

 現在進行形の認知症の先輩からのアドバイスが、患者と家族の負担をどんなに軽減しているか。その力は計り知れない。

 番組を見ながら、2つのことを考えた。

 1つは、夫婦で暮らしている場合、夫が認知症になった場合と、妻がなった場合では、状況が大きく違う(場合が多い)ということだ。

 夫が認知症になった場合、妻の献身的で優しい介護で夫が救われるケースが多い(と思われる)。番組では、65歳でアルツハイマーと診断された高橋さん(68)が、「認知症になって良かったことは、妻の優しさに触れたこと」と書いた日記が紹介された。

 一方、妻が1年前に発症した田中さん(仮名・77歳)は、妻の変化を受け止められなかった。それは表情に表れ、「(妻には)人間としての人格がない」との発言さえあった。妻は辛くて涙を流した。
 そんな田中さんも、渡辺さんや高橋さんとの交流で変わっていった。

 だが、田中さんのように変わることができない夫の介護者は、おそらく少なくないだろう。家庭における認知症介護の悲劇は、このケースが多いのではないだろうか。

 これは個人の問題ではない。田中さんは、若いころから単身赴任が長く、その間、子育ても家のことも妻に任せっきりだった。その妻が認知症になり、自分が介護も家事もすることになった。受け止めきれないのも無理はないといえる。

 つまり、認知症のパートナーに対する夫(男性)と妻(女性)の対応の違い、落差の背景には、それまでの生活・人生におけるジェンダーギャップが反映しているということだ。
 男は企業戦士となり、家事や子育ては妻に任せるというジェンダー差別の社会に生きて来た夫にとって、妻の認知症を介護することは、きわめて大きなハードルとなる。

 そうなった時に狼狽し悲劇を招かないためにも、家庭、企業、社会におけるジェンダー差別は一掃しなければならない。

 もう1つは、介護者となるパートナーがいない独り暮らしの者が認知症になったら、どうなるのだろうか、という問題だ。

 施設に入れるのだろうか? どの段階で入れるのだろうか? それまでに徘徊が始まったら? 火を使って事故でも起こしたら?

 不安が募る。自分も含め、高齢者の独り暮らしが増加している(今後ますます増える)日本の社会で、これは切実な問題だ。

 軍備拡張・軍事同盟優先の政治から、医療・介護・福祉優先の政治に早急に抜本的に切り替えないと、日本が生き地獄社会になる日は遠くないだろう。


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病床日記14★組織に属する者の加害責任

2021年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月26日(入院19日目、術後13日目)>

★組織に属する者の加害責任

 25日夜のETV特集は、「東電の社員だった私たち 福島との10年」だった。

 「3・11」後、東京電力の社員として、賠償担当、除染担当にあたった3人の元男性社員。
 いずれも強い責任感と深い贖罪の思いで、福島の被害住民に向き合ってきた。
 異動で東京周辺に戻っても、自ら希望し、単身赴任で福島へ戻った。
 同じく賠償担当だった同僚の中には、異動後、自ら命を絶った人もいた。

 彼らはしだいに福島の住民に受け入れられ、自らも福島の地に愛着を持つようになった。
 3人とも定年前に東電を退職した。

 今、1人は関東に「福島の木材」を使った家を建て、毎月、110㏄のバイクで福島へ通い続け、草取りなど自分がきることを手伝っている。
 1人は、福島に移住し、農業団体に属して農業の再建にあたっている。
 もう1人も福島に移住し、福島産農作物を普及するNPOを立ち上げた。

 加害の責任をとる、とはどういうことだろう。
 自分が属する組織の加害責任に、構成員はどう向き合うべきなのだろうか。

 福島原発事故の主因(主犯)は、東電のトップたちであり、さらには「安全神話」を振りまいて対米従属の原発政策を推進してきた歴代自民党政権だ。
 社員であった彼らに主な責任はない。ある意味では彼ら社員も「被害者」といえるかもしれない。

 しかし、彼らは東電社員としての自らの責任を深く自覚し、そこから逃げず、しかもどうすればその罪を少しでも償うことができるか考え続けた。そしてそのために自らの人生を変えた。

 「安全神話」に安住して原子力発電の電気を使い続けてきたわれわれ消費者=市民に加害責任がないと言えるだろうか。

 彼らはどうして強い責任感、贖罪の思いを持ち続けることができたのだろう。

 それは「3・11」直後から、現場の最前線で、被害住民と相対し、住民の声を直接聴き、その生活を自分の目で見続けてきたからではないだろうか。
 それがもともとの感性・人間性と結びついた。

 被害者の声を聴くこと。直接聴くことが不可能なら、声の記録を読むこと。
 被害者の生活を自分の目で見ること。直接見ることが不可能なら、生活・実態の記録を読むこと。

 「3・11」と東電社員。
 「侵略戦争・植民地支配」と日本国民。

 組織に属していた、属している者の加害責任が問われているのは、東電社員だけではない。


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病床日記13★日米軍事同盟(安保条約体制)の総翼賛化

2021年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月25日(入院18日目、術後12日目)>

 手術で切除した患部の検査結果が、まだ送られてこないそうだ。連休のせいだろうと。
 そのため「ステージ」や今後の治療方針は未定。
 退院(来週前半)後に、知らされ、今後のことを話し合うことになるかもしれない。

★日米軍事同盟(安保条約体制)の総翼賛化

 立憲民主党が24日、総選挙へ向けた安保・外交政策を発表した。
 その基本は、「日米同盟を基軸とした現実的な外交・安全保障」である。

 「日米同盟」とは安保条約に基づく日米軍事同盟であり、それを「基軸」とするのは、自民党の結党以来の根本テーゼであり、日本をここまで廃退させた諸悪の根源である。

 立憲民主はそれと同じ道を進むと公然と打ち上げた。
 これは立憲民主の持論であり、驚くに値しないが、はやり黙って見過ごすことはできない。

 会見した枝野幸男代表は、さらにこうも言った。

「外交安全保障には継続性が重要だ。安倍・菅政権の9年近くの間に壊されてきたものを、従来の我が国の外交安全保障の王道に戻す」(24日朝日新聞デジタル)

 これは驚くべき発言だ。
 戦争法(安保法)はじめ安倍・菅政治の害悪は言うまでもない。しかし、ではそれ以前は良かったのかといえば、決してそうでないことは明白だ。

 中東へ自衛隊を派遣したのは小泉純一郎政権であり、沖縄・普天間基地の代替に辺野古新基地建設のレールを敷いたのは橋本龍太郎政権である。それだけをとっても、その害悪は安倍政権と大同小異だ。
 当然だ。日米軍事同盟を基軸とした同じ自民党政権なのだから。

 ところが立憲民主はそれを「王道」とし、そこへ「戻す」という。これは、同党の安保・外交政策は自民党と変わらない、いや、変えなと強調しそれを公約にしていることに他ならない。

 これが「野党第1党」の実像である。

 日本維新は言うに及ばず、国民民主が立憲民主よりさらに自民に近いことは言うまでもない。

 問題は日本共産党だ。

 共産党は公式には「日米安保条約廃棄」の政策を降ろしていない。しかし、選挙戦や日常の宣伝活動で、それを強調することはない。大雑把に言って1980年代から急速になくなった。

 なぜか。「野党共闘」のためである。

 立憲民主(前身の民主党)やその支持基盤の連合、さらに国民民主が、共産党の「日米安保廃棄」政策を目の敵にし、それがある限り「連立政権」はありえないとけん制し続けている。

 共産党はこうした連中との「野党共闘」「連立政権」志向を優先し、政策の要中の要である「日米安保条約廃棄」の旗を事実上降ろしているのである。

 こうして、日本の政党で「日米軍事同盟=安保条約体制廃棄」を主張し運動化する政党は皆無となった。
 日本の国会は、日米軍事同盟=安保条約体制総翼賛化の場と化している。

 これが、日本の政治の根源的で致命的な病巣である。


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病床日記12★会計検査院は東京五輪経費支出の調査を

2021年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月24日(入院17日目、術後11日目)>

4人部屋だとどうしても同室の方々の話が聞こえてくる。
がんで入退院を繰り返している人、抗がん剤で苦しんでいる人…。
自分もそうなるのか、という思いは禁じ得ない。
しかし、主治医からの説明を聴くまえに、あれこれ思い悩むのはやめよう。

★会計検査院は東京五輪経費支出の調査を

 TBS「報道特集」(18日)で、先の東京オリ・パラの経費・財政支出について特集した。“のど元過ぎれば熱さを忘れる”日本社会において、重要な報道だ。

 番組では、政府、東京都、五輪組織委員会による五輪経費支出の不当・不透明さが改めて示された。

  1. 大幅な予算オーバー…支出された経費は3兆円を超える。これは当初予算の4倍にのぼる。
  2. 赤字生む施設…ボート会場となった「海の森」をはじめ、今後維持費で巨額の赤字が必至の施設がいくつもある。
  3. 不透明な委託・管理費…無観客化など規模が縮小されたにもかかわらず、広告代理店などに支払われる委託・管理費は当初の契約のまま。
  4. スポンサー企業からの高額購入…使用した物品は、スポンサー企業から購入することに決められていた。そのため他の2倍もする高額なものを購入するケースもあった。
  5. モラルハザード…財源は国だという意識から、相場の3倍近い自給計算(アルバイト)を行うなど、「モラルハザードがあった」(元五輪組織委職員)。

 しかも重大なのは、こうした不透明・不当な実態が記録されているはずの資料が、焼却される恐れがあることだ。
 五輪組織委の元職員は、「不都合な部分は、組織の解散と共に闇に葬られると思う」と述べている。現に、長野冬季五輪の招致資料は焼却されたという。

 東京オリ・パラの財源はいうまでもなく市民の税金である。不正・不当・不透明な支出を見逃すことはできない。

 会計検査院は直ちに、政府、東京都、五輪組織委、広告代理店、スポンサー企業など関係機関の調査を開始すべきだ。会計検査院はそのための公的機関だ。

 民間の大学、研究所、法律組織なども、独自の調査を行ってほしい。

 東京オリ・パラの検証は重要な課題だ。それは「コロナ」との関係だけではない。そもそも今日(今回)のような五輪が必要なのか、存続していいのか、根本的に検討する必要がある。

 その際、五輪の国家主義的害悪とともに、経費・財政支出の問題は重要な要素だ。

 競技による「感動」だけで、「やってよかった」と言い、多くの問題が闇に葬られても、「私には関係ない」と関心を示さない。そんな日本人気質・日本社会を打ち破らなければならない。

 


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病床日記11★故・内橋克人さんの提言と遺言

2021年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月23日(入院16日目、術後10日目)>

経過は変わらず良好。
手術は4カ所に小さな穴をあけ、カテーテルで大腸と小腸を25㌢くらい切除し、中央をわずかに切開してそこから取り出す、というものだった。
傷口は今も時々チクチクするが、これももうすぐおさまるだろう。

★故・内橋克人さんの提言と遺言

 23日午前NHKで、先日亡くなられた経済評論家・内橋克人さんの追悼番組「未来への遺言」があった。わずか25分間だったが、その卓見、人間性にあらためて敬服した。

「人が働くことにどう向き合うか、それがその国の本質である」

 内橋さんの思想の根源だ。その視点から非正規雇用の増大による格差拡大、「貧困のマジョリティ化」に早くから警鐘を鳴らし、日本の政府・社会を厳しく批判した。

 そして腐敗した「マネー資本主義」に代わる新たな経済・社会モデルとして内橋さんが提唱したのがFEC自給圏」構想だ。
 F…農業・漁業を中心とした食糧(Food)自給
 E…自然を利用したエネルギー(Energy)の地域自給
 C…多くの雇用を生む介護・医療・福祉=ケア(Care)の自給

 出演した神野直彦東大名誉教授は、「FEC自給圏」構想こそ、「人間と人間の共生、人間と自然の共生という、市場経済が破壊した2つの共生を再構築する、ポストコロナのあるべき社会だ」と評した。まったく同感。
 コロナ禍の教訓を踏まえ、新たに目指すべき社会像が、まさにここに示されている。

 そして内橋さんは、日本人への警告・期待をこう述べた(発言は2011年)。

「戦前と戦後は違うという思い込みがあるが、お上、(国の)頂点に自分を合わせ、自らの主張をしない「頂点同調主義」は、戦前も戦後も変わっていない。このままでは百年後も変わらず、もっと厳しいものになるだろう。
 ひとりひとりが自分の足で立つ日本人になってほしい。それが熱烈な希望です」

 すぐれた先人はしだいに地上から消えてゆく。その「遺言」に学び、自分のできることをしなければならない。
 そして、次の時代の人々に、自分なりのバトンを渡していかねばならない。


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病床日記10★誤爆責任とらない米国、追随する日本

2021年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月22日(入院15日目、術後9日目)>

経過は順調。このぶんなら今週末には退院できるかもしれない。
それまでに、ステージと今後の治療方針が告げられることになる。
退院はもちろん嬉しいが、食生活はじめこれからの日常に不安がないわけではない。
三食、ちゃんとした食事が提供されることは、何と幸せなことだろう。

★アフガン誤爆の責任とらない米国、追随する日本

 バイデン大統領が22日、国連総会で演説し、大きく報じられた。
 だが、バイデンには国連で大言壮語する前にやるべきことがあるはずだ。

 それは、先のアフガン誤爆で多くの市民を殺害したことに対し、明確に謝罪し、しかるべき賠償を行うなど、加害責任をとることだ。

 アメリカの誤爆で3歳の娘と兄を殺された男性は、AP通信の取材(18日)に、「アメリカは何も責任をとろうとしていない。責任者を処罰し、被害者の補償をしてほしい」と涙ながらに訴えていた。

 米軍司令官は誤爆だったことを認めたが、最高責任者のバイデン大統領は、明確な謝罪も補償もしていない。まさに何も責任をとろうとしていないのだ。

 われわれにとって重要なのは、こうしたアメリカの理不尽に対し、日本政府が一言も苦言を呈することなく、黙認・追随していることだ。

 日本政府だけではない。日本のメディア、市民からも、アメリカの誤爆を批判し、加害責任をとることを要求する声は上がっていない(私の見聞の範囲)。

 「日米軍事同盟(安保条約体制)隠し」と、その市民への浸透ということをきのう書いたが、それは具体的にこういう所に表れているのではないだろうか。

 国際法上も人道上も許されないことが明白な誤爆殺戮に対しても、アメリカと軍事同盟を結んでいる日本政府は沈黙・容認・追随し、日本の市民も社会も、自分とは関係ないと見過ごして関心すらもとうとしない。

 体制順応メディアの責任が大きいが、知らず知らずに、市民もそれに馴らされ、思考停止していく。それが一番恐ろしい。

 この日本で、どうやって思考停止圧力に抗って生きていくか。それはもちろん、私自身の課題でもある。


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病床日記9★「9・11」20年と「日米軍事同盟隠し」

2021年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月21日(入院14日目、術後8日目)>

食事は三分粥と刻み食から、五分粥とやわらかい固形食に変わった。とても美味しい。
患者の症状に応じて幾通りものメニューを、栄養価を計算し、しかも美味しく作る苦労、そして技術はたいへんなもの。感謝にたえない。

★「9・11」20年と「日米軍事同盟隠し」

 「9・11」20年でメディアは、このかんのアメリカの政治・軍事を回顧した。それはそれで必要だが、肝心な問題がすっぽり抜け落ちている。
 「9・11」20年を機に日本人・メディアが検証しなければならない最大の問題は、日米軍事同盟(安保条約体制)がこのかんいかに深化したか、である。

 ブッシュ政権(当時)のアフガン攻撃に追随し、小泉純一郎政権は中東に自衛隊を派遣した。これを機に、米軍と自衛隊(日本軍)の従属的一体化がいっそう強まった。それは戦争法(安保法)による集団的自衛権行使という明確な憲法違反へつながっていった。

 その流れは今、沖縄諸島のミサイル基地化へ、さらに、日、米、韓からインド、オーストラリア、イギリスを含む軍事同盟の広域化へと、かつてなく危険な段階に入っている。

 日本人がいま検証しなければならないのは、日米軍事同盟によるこうした日本自身の政治・軍事の経過と実態である。

 ところが、私が見た限り、こうした視点からの検証・論評は皆無だ。

 これは、「日米軍事同盟隠し」にほかならない。そしてこれこそ、国家権力に順応する日本メディアの根本的で致命的な欠陥である。

 「日米軍事同盟隠し」はもちろん、「9・11」検証だけではない。

 巨額な軍事費(防衛費)の聖域化(削減議論の皆無)、自衛隊という憲法違反の軍隊の社会化、沖縄の軍事基地への「本土」の無関心などは、すべて「日米軍事同盟隠し」に根源がある。

 かつては、「菊(天皇制)タブー」、「鶴(創価学会)タブー」などとともに「星(星条旗)タブー」といって、日米軍事同盟をタブー視するメディアが批判されることもあったが、いまではそうした声すら聞かれない。

 それだけ「日米軍事同盟隠し」が常態化・日常化しているということだ。

 それはすなわち、日本がいっそう危険な軍事体制国家になってきているということであり、それと並行して、日本人の思考停止、国家権力への従順化が進行しているということに他ならない。
 これが日本人にとっての最大の問題だと思う。


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病床日記8★日本の「専門家」はなぜ金太郎飴なのか

2021年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月20日(入院12日目、術後7日目)>

今日の昼食から、やわらかい固形物のおかずが2品付いた。美味しかった。
退院まではおそらくこのまま順調に回復するだろう。
次の関門は、もうすぐ検査結果が出る「ステージ」の判明と、今後の治療方針だ。
早ければ今週末には退院できるという。

日本の「専門家」はなぜ金太郎飴なのか

 19日夜のNスぺで、尾身茂会長ら政府「分科会」のメンバー4人と、各分野の市民約10人がコロナ対策をめぐって討論した。

 「夜の街」に密着取材しているラーター、子ども食堂を運営している女性、ライブハウス経営者、飲食店オーナーなど、現場の声は切実で、共感できた。フランスから帰国した女性の話も貴重だった。

 尾身氏らは「市民のみなさんと直接話せて有意義だった」と語った。
 何をいまさら。これくらいのことさえ今までやってこなかったのか。政府の「分科会」がいかに現場から遊離した存在であるかを逆に露呈した。NHKのアリバイ作り企画という側面もある。

 とはいえ、現場の市民の声・批判がNHKで放送された意味は小さくない。

 だが、コロナ禍における「専門家」の役割、市民と「専門家」の交流というとき、昨年からずっと気になっていることがある。
 それは、メディアに登場する「専門家」が、金太郎飴、すなわちほぼ同じ顔ぶれになっていることだ。

 コロナ(感染症)の「専門家」といえば、「分科会」や厚労省の「専門家会議」のメンバーということになっている。その固定化はだんだん強まっている。

 日本に感染症・医学の「専門家」はこれだけしかいないのか。

 そんなことはない。児玉龍彦氏や、山中伸弥氏らはどうしているのだろう(ほかにも何人か顔が浮かぶが、入院中で手元に資料がない)。
 私はネットをほとんど見ないから、ネット社会では様々な人々が発言しているのかもしれない。
 だが、テレビや新聞など従来のメディアの力はいまだ大きい。
 多様な専門家の多様な意見・提言が、メディアで広く共有される必要がある。

 また、「ウイズ・コロナ」の社会のあり方を模索するには、憲法・法学、人権論、社会学、哲学など、人文・社会分野の幅広い専門家の知見が欠かせない。
 しかし、「コロナの専門家」といえば、尾身氏ら医療官僚や医師にほぼ限られている。これも日本の混迷を深くしている要因の一つだ。

 「コロナ禍」の教訓の1つは、各分野の専門家が多様な見解を自由に発表し、市民と共有し、学問的知見と現場の声・実感を結び付けて進路を切り開いていくことの重要さ。

 「専門家」の金太郎飴化は、学問的知見の国家独占・情報操作、学者・知識人の国家支配と裏腹の関係である。


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