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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

Nスぺ「封じられた“第四の被曝”」が示したもの

2024年09月16日 | 核被曝・放射能汚染と日米安保
   

 15日夜のNHKスペシャル「封じられた“第四の被曝”なぜ夫は死んだのか」は衝撃的でした。番組が明らかにした事件の概要はこうです。

 「第三の被曝」といわれる「第五福竜丸」の被曝(1954年3月1日ビキニ環礁)から4年後の58年7月12日、核汚染調査のために太平洋に出航した海上保安庁の測量船「拓洋」と巡視船「さつま」が、アメリカの水爆実験(ポプラ)で被曝した。

 乗組員は幹部以外アメリカが現地で核実験している事実すら知らされておらず、汚染された海水で船の“除染”作業をやらされた。

 「拓洋」「さつま」の被曝は、日米両政府にとって「きわめて不都合なタイミング」だった。岸信介内閣が日米安保条約の改定交渉をはじめたときだったからだ。

 米政府は、当時、共産党、社会党などの政党や労働組合などの反核運動が高まっている中、新たな被曝によって自民党が政権を失うことを恐れた。

 同年8月7日、「拓洋」は帰国。4日後の8月11日(被曝29日後)、日本政府は早々に乗組員の健康状態に「放射能障害の所見はない」との文書を発表した。

 翌59年8月3日、「拓洋」の首席機関士だった永野博吉さんが急性骨髄性白血病で死亡した。享年34。政府は直後に、永野さんの死と被曝は「関連がない」とする文書を発表。妻の澄子さんは政府から、「アメリカもかかわっていることだから」と口止めされた(写真左は永野博吉さんと澄子さん)。

 永野さんの遺体を鑑定した東京大学理学部は、永野さんの被曝は「微量」だったと報告した。しかし、今回の番組制作の中で、「拓洋」の別の乗組員の歯の検証から、被曝量は143ミリシーベルト(広島爆心地から1・8キロ地点の被曝に相当)であることが分かった。

 実は「第五福竜丸」の被曝から「拓洋」「さつま」の被曝の中間点の56年に重大な出来事があった。米政府は「ビキニ事件」の混乱を生まないために「被曝の基準」を導入して「日本市民を教育することが必要だ」と日本政府に圧力をかけていたのだ。

 それを受け日本政府は同年5月4日、東京大学の桧山義夫教授を中心に、被爆の「許容線量基準」を作成した。「拓洋」「さつま」の被曝を「微量」とした背景にはこの「基準」があった。

 讀賣新聞(60年3月29日付)は永野さんの死因は「“死の灰”と判断できぬ」という見出しで報じた。

 こうして「拓洋」「さつま」被曝事件は鎮静化され、60年6月16日、岸首相によって「新安保条約」が調印された(同年6月19日自然承認)。そして「第四の被曝」は約70年間闇に葬られ、タブーとされてきた。

 以上が概略です。

 「第五福竜丸」以外にも当時アメリカの核実験によって被曝した日本の漁船は多数あり、「第四の被曝」という表現は正確ではありませんが、以上の経過は多くの問題を提示しています。

 第1に、番組は昨年公開された米公文書が大きなきっかけになっています。日米間の戦後政治・外交史には明らかになっていない秘密がまだまだ多く残されていることをうかがわせます。

 第2に、米政府は「第五福竜丸」事件で高まった日本の反核世論・運動を鎮静化するために周到な計画を立て(「許容基準」策定圧力)、日本政府(自民党政権)はそれに忠実に従いました。政府の世論操作のお恐ろしさを改めて痛感します。

 第3に、その反核世論・運動の鎮静化に、日本の学者が積極的に協力・加担しました。東京大学は桧山教授を中心に「許容基準」を作成したほか、永野さんの遺体鑑定でも政府の意向通りの報告書を作成しました。学者・大学の政治的社会的責任が厳しく問われます。

 第4に、以上の経過の根底には、日米安保条約の改定(新安保条約)によって軍事同盟の一層の強化を図る日米両政府共通の利害がありました。
 核実験・核放射能被曝と日米安保条約は一体不可分です。反核運動は反安保条約運動と一体で行ってこそ本質に迫ることができる。この事件の経過はそのことを改めて示しているのではないでしょうか。

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G7サミット の本質示す「核のボタン」持ち込み

2023年05月20日 | 核被曝・放射能汚染と日米安保
   

 百聞は一見に如かず。百の文章より1枚の写真。左の写真は19日付京都新聞朝刊に載ったものです。
 記事(共同)の見出しは<「核のボタン」被爆地に>。写真のキャプションはこうです。「「核のボタン」とみられるかばんを運ぶ米軍関係者=18日午後、山口県岩国市の米軍岩国基地」

「「核のボタン」は軍から派遣された側近が持ち、大統領の行く先々に随行する。大統領は核使用に必要な暗号が書かれたカード、通称「ビスケット(BISCUIT)」を常に身に付けているとされる」(同記事)

 米大統領はいつでも核兵器使用・核攻撃ができるように「ボタン」を持ち歩いているのです。これこそ最大の「核の脅し」と言わねばなりません。

 「核のボタン」が19日に平和公園に持ち込まれた写真(映像)はまだ明らかになっていませんが、おそらく持ち込まれたでしょう。なぜなら、7年前に現職米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏は、「核のボタン」を持って平和公園に入ったからです。

 米大統領が「核のボタン」を被爆地・広島に持ち込んだ。このことは、G7広島 サミットの本質を端的に表しています。

「高校卒業後に地元広島を離れ、2005年に帰郷した。街の変貌に驚いた。…市民運動は影を潜め、人々は牙を抜かれたように物分かりが良くなっていた。
 最たる例が16年のオバマ元大統領の広島訪問だ。「核のボタン」を携えて平和公園を訪れたオバマ氏を、被爆者を含む市民は盛大に歓迎し、米国の核を容認してしまった。市民は米国が核軍縮に向かうと本気で思ったのだろうか。
 オバマ氏訪問への反省がないままに、G7広島サミット を迎える。原爆の惨禍を経験した広島は、他の地域より「核兵器や戦争は嫌だ」という空気が強い。そこにつけ込まれて官民一体の歓迎ムードがつくられている」(評論家・東琢磨氏、18日付京都新聞夕刊=共同)

 「オバマ氏訪問への反省がないまま」という東氏の指摘は、再び「核のボタン」を広島に持ち込ませたことに端的に表れています。

 そもそもG7 サミットは、NATO(北大西洋条約機構)と日米軍事同盟(安保条約)による「西側」軍事同盟結束の場にすぎません。核兵器禁止条約に背を向け、核保有・核の傘に固執する国々が集まって、「核廃絶」が1ミリでも前進するわけがありません。

 広島サミットは、核保有国の「核抑止力」論にお墨付きを与え、岸田首相が支持率を上げて解散戦略を練るために、「被爆地ヒロシマ」が消費されるものにほかなりません。
 「少しでも核廃絶に向かうなら」という“善意”による「期待」は、メディアと一体となってサミットへの注目を集め同盟の力を誇示しようとするG7 陣営に悪用されるだけです。

 一方でG7 サミットは、ウクライナへの武器供与強化を確認し和平に逆行します。また、多額の税金を使った「猫の子も入れない」(地元市民)過剰・異常な「警備」、平和公園・原爆資料館への数日間の一般市民立ち入り禁止など、市民の生活・営業に多大の影響を及ぼしました(新大阪駅のコインロッカーまで使用禁止)。
 G7 サミットは百害あって一利もありません。

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核兵器禁止条約批准要求に欠落している視点

2020年10月27日 | 核被曝・放射能汚染と日米安保

    
 核兵器禁止条約が発効に必要な50カ国の批准によって来年1月22日に発効することになったのは画期的です。それは確かですが、関係者のコメントや日本のメディアの論評には肝心な点が欠落しているのではないでしょうか。

 それは、同条約を批准しようとしない日本政府を批判し、「核抑止力」論を否定しながら、その根源である日米安保条約=日米軍事同盟についてはまったく触れていないことです。

 日本がアメリカの「核のカサ」の下に入り、「核抑止力」論に固執しているのは、アメリカとの軍事同盟があるからです。日本政府が同条約に背を向け続けていることを批判し、批准を要求するなら、当然日米軍事同盟からの脱却、すなわち日米安保条約の廃棄に言及すべきです。
 それがまったくないことは、「安保タブー」が核兵器廃絶運動にも浸透していることを示しているのではないでしょうか。

 日米安保条約はアメリカの核戦略に追随し、その覇権主義の片棒を担ぐことです。言い換えれば、アメリカとともに世界の紛争・戦争の加害の側に立つことです。日本が1945年の敗戦までの侵略・植民地支配の加害の責任を肝に銘じていれば、同じ過ちは犯さないはずです。 

 日米安保=日米軍事同盟に固執し、その廃棄をタブーにさえしていることは、日本が侵略戦争・植民地支配の加害責任をとろうとしていないことと一体不可分です。軍事同盟の廃棄と結合しない「核兵器廃絶運動」は、日本の加害責任を問わない運動の弱点を表しているのではないでしょうか。

 3年前の2017年7月に採択された同条約が、コロナ禍の今年発効条件を満たしたことは、意味のある歴史のめぐりあわせだと思います。

 コロナ禍は日本のみならず世界の政治・経済・社会のあり方を根本的に問い直しています。自然・環境を破壊し、紛争・戦争によって世界の貧困、経済格差を広げてきた人類の愚行に反省を迫っているはずです。その愚行を改めるには、なんといっても世界から兵器・軍隊・軍事同盟・軍事ブロックを一掃することではないでしょうか。

 ICANの川崎哲国際運営委員は先に、「防衛費」の一部をコロナ対策の医療費に回すべきだとして独自の試算を発表しました(7月26日付共同配信)。重要な指摘です。しかし、今必要なのは「防衛費」の一部を回すだけでなく、「防衛費」すなわち軍事費全体をなくする方向へ舵を切ることではないでしょうか。

 いまこそ日本は日米安保条約を廃棄し、日米軍事同盟を解消すべきです。そして、侵略戦争・植民地支配の加害の歴史の反省に立って、アジアの一員として、韓国、朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、中国と真の友好関係を結ぶことです。核兵器禁止条約の発効は、そのことを私たちに求めているのではないでしょうか。


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北朝鮮はダメでインド・イスラエルはOKという安倍首相の「核二枚舌」

2017年09月21日 | 核被曝・放射能汚染と日米安保

    

 安倍首相は21日未明(日本時間)の国連演説で、「対話ではなく圧力だ」などと、演説の大半を使って北朝鮮への敵意をむき出しにしました。

 ところが安倍首相は、その演説の2日前(日本時間19日)、ニューヨークでイスラエルのネタニヤフ首相と固い握手を交わしました(写真右)。イスラエルは周知のとおり、核兵器保有国であり、その数は80にのぼります(SIPRIストックホルム国際平和研究所調べ)。

 北朝鮮の核を批判するなら、当然イスラエルの核も批判すべきではありませんか。言うまでもなくイスラエルはNPT(核拡散防止条約)が核保有を認めている国ではありません(北朝鮮と同じくNPT不加盟)。

 北朝鮮の核はダメだが、イスラエルの核はいい。そんな理屈がどうして通るでしょうか。

 安倍首相の「核二枚舌」がより端的に表れているのは、インドとの関係です。

 安倍首相は国連へ行く直前の14日、昭恵夫人を同伴してインドを訪れ、モディ首相と抱擁を交わした後、「共同声明」を発表しました(写真中)。その中で、「日米インド3カ国による共同訓練や、防衛装備品などの防衛、安保協力を推進」(15日付中国新聞=共同)する、すなわち日米印3カ国の軍事協力体制の推進を確認しました。

 安倍政権はすでにインドとの間で「日印原子力協定」を締結しています(ことし7月20年発効)。「協定により、核拡散防止条約(NPT)未加盟のインドに核物質や原子力関連技術の移転ができるようになる」(7月21日付中国新聞=共同)。

 インドは120発の核兵器を保有しています(SIPRI調べ)。核実験も3回行っています。日本は「原子力協定」によって間接的にインドの核兵器開発・保有に手を貸すことになると言っても過言ではありません。

 このような安倍首相に「北朝鮮の核」を批判する資格があるでしょうか。

 「核」について、アメリカをはじめとする「保有5大国」やインド、イスラエルと、北朝鮮を差別する二重基準(ダブルスタンダード)は、けっして世界の常識ではありません。

 アメリカによるビキニ環礁水爆実験(1954年3月1日)で甚大な被害を受けたマーシャル諸島(1986年独立)は、3年前の2014年、核兵器保有国に対し、「国際法上の核軍縮義務に違反している」として国際司法裁判所(オランダ・ハーグ)に提訴しました。
 訴えた相手国は、アメリカロシアイギリスフランス中国の「核5大国」とNPTに加盟していないインドパキスタンイスラエル北朝鮮の計9カ国、すべての核保有国です。

 裁判は事実上門前払いに終わりましたが、この提訴は「1匹のアリが9頭のゾウに挑んだ」といわれ、今年7月に成立した核兵器禁止条約につながりました。(この項、18日付中国新聞・金崎由美記者の記事による)

 「(核兵器の)全廃こそがいかなる状況においても核兵器が二度と使われないことを保証する唯一の方法」(核兵器禁止条約前文)です。
 核保有大国(アメリカ=7000発ロシア=7290発フランス=300発中国=260発イギリス=215発。SIPRI調べ)の責任を棚上げして北朝鮮をやり玉に上げるのは、公平・公正でないばかりか、核兵器全廃に逆行するものと言わざるをえません。
 


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「核兵器禁止決議」に反対ーこれが日米安保条約の実態

2016年10月29日 | 核被曝・放射能汚染と日米安保

    

 国連総会第1委員会で28日(日本時間)採択された「核兵器禁止条約・2017年制定交渉開始」決議に、日本政府(安倍政権)は反対しました。
 これに対し、非核兵器国やNGO、そして広島、長崎はじめ国内の被爆者・団体、市民から、「裏切り行為だ」(長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会・川野浩一議長)など厳しい批判が相次いでいます。当然です。

 しかし、日本政府がなぜ核兵器廃絶の願いに逆行する態度をとったのか、その根源は何なのか。それが明確になっているとは言えません。

 岸田文雄外相は「核兵器国と非核兵器国の亀裂を深めるから」だと苦しい言い訳をしていますが、そのウソは見抜かれています。

 29日付中国新聞の社説は「被爆国の役割を果たせ」と題して、こう主張しています。

 「米国の顔色をうかがい、その圧力に屈したのは間違いない。危機感を強める米国が同盟国に反対と交渉の不参加を強く求める書簡を配っていたからだ。…力には力という発想で核で脅し合うのは冷戦時代の遺物でしかない。…日本は禁止条約への動きを米国の『核の傘』を脱する契機となすべきである
 
 共同通信の太田昌克編集委員は、アメリカがNATO加盟国に送った決議案反対要請書簡には「核の同盟」という言葉が使われていることを示したうえで、こう述べています。

 「日本政府当局者は、この書簡と同様の内容の文書が日本にも届いていたと明かす。…日米同盟も、米核戦力に依拠した『核の同盟』なのだ」(29日付共同配信各紙)

 日本の新聞の社説や解説の中ではいずれも注目されたものです。しかしそれでもなお、問題の核心に触れられているとは言えません。
 それは、「核の同盟」である日米同盟とは、日米軍事同盟であり、その法的根拠は日米安保条約だということです。「冷戦時代の遺物」という「抑止力」論も、「集団的自衛権の固有の権利を有していることを確認」(前文)するとして日米安保条約の基本になっています。日本政府が「米国の顔色をうかがい、その圧力に屈した」理由は、日本がアメリカと安保条約(軍事同盟)を結んでいるからに他ならないのです。
 しかし、上記の社説や解説に、「日米安保条約」の言葉はもとより、日米軍事同盟解消の主張はありません。ほかの社説や解説はおして知るべしです。

 日米安保条約の害毒は「沖縄の基地問題」だけではありません。核兵器廃絶に逆行する今回の日本政府の「反対」もまさに日米安保条約の帰結であり、その実像です。メディアはそのことをはっきり示す必要があります。こうした個々の具体的な問題で日米安保条約の本質を伝えていくことはメディアの責務です。そうでない限り、「8割が安保条約支持」というつくられた虚構を打ち破ることはできません。

 今回の決議案に関してもう1つ見落とすことができないのは、北朝鮮は決議案に賛成し、アメリカ、日本、韓国は反対したという事実です。北朝鮮に対する評価は、こうした具体的な事実によって公正になされるべきです。つくられた「中国・北朝鮮脅威」論に陥らないために。


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