アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

死刑制度と裁判員制度、その危険な関係

2024年04月20日 | 人権・民主主義
   

 日本では死刑囚に執行が通知されるのはその当日です。それでは不服申し立てもできず権利が侵害されて違法だとして、確定死刑囚2人が国に慰謝料などの損害賠償と当日通知の変更を求めた訴訟の判決が15日、大阪地裁でありました(写真左は死刑執行室)。

 横田典子裁判長(写真中)は、「死刑囚は現行の運用を含めた刑の執行を甘受する義務がある」として請求を退けました。違法性については判断しませんでした。きわめて不当な判決です。

 そもそも日本が死刑制度を続けていること自体、国際的に特異で異常です。アムネスティ・インターナショナルによると、2022年末時点で死刑を廃止している国が144カ国。先進国で存続させているのは日本と米国の一部の州だけです(16日付京都新聞=共同)。

 さらに、執行通知が当日というのは日本だけです。同じ死刑存置国のアメリカでは、十分な期間をとって通知されます(2022年10月11日付ブログ参照)。

 死刑制度を考えるうえで、もう1つ見過ごせないのは、裁判員制度との関係です。

 日本の裁判員制度は、最高刑が死刑か無期刑の刑事裁判に市民を参加させる制度です。その結果、市民裁判員も死刑判決に加わることになります。それは2つ問題があります。

 1つは、裁判員になった市民の精神的負担が大きいことです。

 今年初め、京都アニメーション放火殺人事件の青葉真司被告に京都地裁が死刑判決を下しました(1月25日)。その裁判員の心境がこう報じられました。

「「裁判に関わったことのない人間がこんな結論を出してよいのかな」と思う瞬間があった。事実関係に争いがなかったことで判決内容に納得できた自分がいたが、「もし、被告が否認し、少しでもえん罪の可能性があったとしたら違った心情が押し寄せたかも」と吐露する」(2月25日付京都新聞)(写真右は同裁判の裁判員=記事とは無関係)

 もう1つの問題は、市民が死刑制度に取り込まれ制度存続に利用されることです。

 京アニ裁判の死刑判決について、ルポライターの鎌田慧氏はこう指摘しています。

「(裁判員は)市民を代表して死刑の評決に加わる。それもプロの裁判官と一緒だ。映画「十二人の怒れる男」のように、裁判員としての市民が熱弁を振るって、死刑拒否の判決を決定するなど、まずありえない。
 ということは、死刑制度に疑問をもたない世論を背景に、市民を死刑判決に動員して死刑維持の世論強化にする。生と死の決定。なんと重い責任を市民に負わせたのか」(藤原書店発行月刊誌「機」24年2月号)

 この危惧は裁判員制度発足(2009年)の時からありました。木村晋介弁護士はこう述べていました。

「裁判員制度は、裁判所が国民を絡め取る制度なのか、それとも国民が裁判所を変える制度なのか。その評価は、制度の改善もさることながら、負担に耐えて裁判員を経験した人々の経験の重さを、日本の社会がどれだけ尊いものとして受け止め、自分たちの中に生かしていくかにかかっている」(木村晋介監修『激論!「裁判員」問題』朝日新書2008年)

 それから15年。裁判員に対するかん口令もあり、その経験は生かされることなく、重罰化はいっそう進みました。世論調査では約8割が死刑制度に賛成し続けています。
 裁判員制度は、市民が裁判所を変える制度ではなく、国家権力が市民を死刑制度に絡め取る場になっているのです。

 死刑制度、裁判員制度ともに、廃止へ向けて抜本的に見直す必要があります。自民党政権が日米軍事同盟の下で戦争国家づくりを急いでいるいま、それは喫緊の課題です。

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子どもの生存権としての学校給食無償化―国際学校給食の日

2024年03月15日 | 人権・民主主義
  

 イスラエルによるガザ攻撃で死亡した子どもは昨年10月から今年2月までの4カ月間で1万2300人以上。2019~22年に世界各地の紛争で死亡した子ども(1万2193人)よりも多い。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のラザリニ事務局長が12日そう発表しました(写真右)。

 言葉を失う現実です。イスラエルの蛮行を一刻も早くやめさせなければなりません。
 そのイスラエルを軍事支援し続けているのがアメリカであり、そのアメリカに追随しているのが日本であることを改めて銘記する必要があります。

 子どもたちの生存が脅かされているのはガザだけではありません。

 3月14日は国際学校給食の日でした。「給食のもたらす恩恵や、子どもの食を取り巻く環境への関心を高めるための日」(WFP国連食料支援機関)です。

 WFPが注力している事業の1つが世界の子どもたちへの給食提供です。2022年には59カ国、約2000万の子どもたちに届けました。しかし、それでも低所得国で毎日給食が食べられる子どもはわずか18%です。

 WFPは「学校給食支援で何が変わるか?」として4点挙げています。

空腹な子どもたちが、必ず1食食べられる―世界では給食が唯一の食事の子どもたちも
通学することで、将来の希望が見いだせる―学んで貧困の連鎖から抜け出す
給食支援によって、地域に活気が生まれる―地産地消型の学校給食
女の子も男の子と同じように学校へ通える―親に女の子たちの通学を促す動機付けに
(以上、WFPのリーフレットより。写真左も)

 弁護士の尾藤廣喜氏によれば、韓国は1993年にそれまで恩恵的だった「生活保護法」を国家の義務・市民の権利としての「国民基礎生活保障法」に変えました。そのレールを敷いたのは「子どもの医療費の無償化と給食費の無償化」でした(2023年11月14日付京都新聞)。

 「学校給食無償化」は日本においても切実な課題です。

 1954年に学校給食法が制定されましたが、そこでは食材費は保護者の負担と規定されています。それを根拠に、憲法26条で「義務教育の無償化」がうたわれているにもかかわらず、給食費が徴収され「隠れ教育費」となっています。保護者の年間給食費負担(2021年度)は、公立小で約4万9千円、公立中で約5万6千円にのぼっています(23年11月15日付京都新聞)。

 千葉工業大の福嶋尚子准教授(教育行政学)はこう指摘します。

「給食費の無償化は子育て支援策の一環として行われる例が多いです。でも本来は憲法の理念、子どもの生存権として保障されるべきもので、無料で利用できるトイレや保健室のベッドのように考えてほしい。安心して昼食を取って学べる環境は子どもの権利です」(同上京都新聞)

 世界の子どもたちに無償の学校給食を届けることは、思いやりや支援ではなく、「子どもの権利条約」に則った子どもの権利です。
 戦火と貧困が絶えない世の中、子どもの生存権を守るのはおとなの責任です。

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TBSが性暴力元記者(山口敬之氏)問題に「触れるな」

2024年02月21日 | 人権・民主主義
  
 
 19日付の琉球新報に「忖度ない取材、報道を メディア不信、記者ら議論」と題した記事が載りました。12日に那覇市内で行われた沖縄県マスコミ労働組合協議会などによるトークイベントの詳報です。

 この中でパネリストのお笑い芸人でユーチューバーのせやろがいおじさん(本名・榎森耕助、沖縄在住、以下榎森氏)の発言がこう紹介されています。

<せやろがいおじさんは、自身が出演したTBSの番組に関するエピソードを紹介した。元TBS記者による性暴力被害を公表したジャーナリストについて、番組で取り上げようとして断られ、その経緯も含めユーチューブに公開した。「仕事が来ないかもと忖度する選択肢もあったが動画を出した」と振り返り、「これを面倒くさいやつと思うのか、内部からこれはおかしいと捉えるのか。そこに組織の度量が問われている気がする」と話した。>(19日付琉球新報=写真左の記事中央が榎森氏)

 私はこのユーチューブを見ていなかったので、探して見ました。以下、動画を起こしたものです(抜粋)。

「僕は毎週金曜日TBSのグッドラックさんという番組で動画を流させてもらっているんですけれども、今回、伊藤詩織さんの提訴の件で扱いたいですって言ったら、ダメですっていう風な話になって、それは、元TBS局員の支局長の山口(敬之)さんが関わってくるからちょっと触れないで下さいっていうような事になったんですね。

 TBSさんの中で、もしこれがアンタッチャブルになって、この件について扱う機会が減っているんだとしたら、それは俺、おかしいと思うんですよね。

 僕はやっぱここはTBSさんおかしいと思うから、ここで黙ってしまったら、多分僕、こういう動画つくる資格を失ってしまうんですよね」(写真中)

 このユーチューブは3年前のものと思われますが、タレントとしてレギュラー番組を持っている局(TBS)の暗部をこうして告発するのは勇気が必要だったと思われます。全体で約20分の動画の中にも苦渋がうかがえます。

 一方、告発をうけたTBSの側は、当時から今にいたるも榎森氏の指摘に答えた形跡はありません。

 TBSが山口元記者に関する報道にブレーキをかけていると思われる事例はこれだけではありません。

 東京地裁が伊藤さん勝訴の判決を下した2019年12月18日の3日後の21日、TBSの看板番組の報道特集で、金平茂紀キャスター(当時)は、判決を「画期的な出来事」としたうえで、「今日は残念ながらできないが、いつの日か(この問題を)取り上げたい」と言明しました。
 しかしその公約は果たされることなく、金平氏は22年9月、同番組を降板しました(22年9月25日のブログ参照、写真右)。

 金平氏は現在、沖縄タイムスで定期連載を持つなどジャーナリストとして活動を続けていますが、伊藤さんに対する性加害者の山口元記者をめぐるTBSの対応(報道圧力)について、今回の榎森氏の発言も含め、真相を公表する責任があるのではないでしょうか。

 ことは「度量」の問題ではなく、メディアとしてのTBSの死活的問題です。

 ところで、上記の琉球新報の記事は伊藤詩織さんと山口敬之氏を匿名にしました。トークイベントでは榎森氏は実名を挙げたはずです。だとすればそれを匿名にしたのはなぜか。それはTBSに対する“忖度”ではないのか。疑念が残ります。

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女性記者への性暴力、もっと重大視を

2023年12月11日 | 人権・民主主義
  7日付京都新聞の第3社会面下の「雑報」欄に次の記事(共同配信)が載りました。短いので全文転載します。

記者にキス、元市議を不起訴処分 札幌地検は6日までに、北海道新聞社の女性記者に同意なくキスをしたとして、強制わいせつの疑いで書類送検された元石狩市議の男性(52)=9月に辞職=を不起訴処分にした。理由は明らかにしていない。処分は5日付。
 元市議は2月、タクシーに同乗していた記者の同意を得ないままでキスした疑いで道警に書類送検されていた。記者を含む数人と飲食店で会食し、帰宅する途中だった。>

 私が見た限り、沖縄タイムスも第3社会面でベタ(1段)、朝日新聞デジタル、琉球新報には掲載がありませんでした。NHKも報じませんでした。

 あまりにも軽視されていると言わねばなりません。

 加害者は取材対象の政治家か官僚。数人の記者と会食後、女性記者と2人になった状況で犯行に及ぶ。女性記者に対する性暴力の典型的なパターンです。

 だからニュースバリューに乏しい、と編集幹部は判断したのでしょうが、それは大きな誤りです。繰り返される典型的なパターンだからこそ重視しなければなりません。大変なことが常態化しているということですから。

 性暴力はもちろん、被害者、加害者がどのような職業でどのような関係にあるかに関わらずきびしく断罪しなければなりません。その前提の上で、女性記者に対する性暴力はとりわけ重大視する必要があると考えます。

 その理由は第1に、記者の取材は市民の「知る権利」の代行であり、それに対して性暴力を加えることは、被害者に対する犯罪であると同時に、市民の基本的人権を暴力で蹂躙するものだからです。

 第2に、性暴力の背景には常に権力の上下関係があります。女性記者に対する性暴力は、加害側の政治家・官僚と被害側の記者(メディア)の権力関係の反映であり、その固定化です。

 第3に、記者が所属するメディアの幹部・上司は、「それぐらい我慢しなければいいネタは取れない」などと女性記者に対する性暴力を軽視あるいは容認する傾向が強いことです。性暴力を根絶する先頭に立つべきメディアが女性蔑視の温床になっているのです。上記事件の場合、北海道新聞は社として加害の元市議にどう対処したのか問われます。

 第4に、女性の社会進出が阻まれているのはどの分野でも共通ですが、記者(メディア)はその典型の1つです。性暴力は女性記者の進出・活躍に対する最悪の妨害です(写真は女性記者が少ない官邸記者会見=性暴力事件とは無関係です)。

 第5に、女性記者への性暴力は、「夜討ち朝駆け」や取材対象と親密になって情報を引き出すという記者活動と無関係ではありません。社の方針あるいは慣習として行われているこうした旧態依然として記者活動は、権力との癒着の温床にもなり、取材方法として間違っています。記者の「働き方改革」にも反しており、根本的に見直す必要があります。

 以上のことを改めて痛感するのは、元長崎市議で「平和活動家」といわれていた故岡正治氏の性暴力事件も同様のパターンで行われていたからです(10月11日のブログ参照)。

 女性記者に対する性暴力をどれだけ重大視し根絶することができるか。それは社会の人権度を測るバロメーターといえるでしょう。



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「テロリスト」?「名称内戦」に苦悩する欧米メディア、日本は?

2023年11月07日 | 人権・民主主義
  

 4日付のハンギョレ新聞(日本語電子版)に、<ハマスは「武装勢力」か「テロリスト」か…「名称内戦」繰り広げる世界のメディア>と題した記事が載りました。以下、要旨です(太字、カッコ内は私)。

< イスラエル・パレスチナ戦争の混沌は、戦争関連の情報が流通する公論の場にも広がっている。最下層(報道の末端)で報道用語を合意するところから火花が散っている

 最も苦労をしたメディアは英国のBBCだ。BBCは先月7日、ハマスのイスラエル奇襲攻撃があった日から、ハマスを「パレスチナ武装勢力(militants)」と呼んできたが、これが災いの種となった。英国の政治家たちは与野党を問わず「ハマスはテロ組織であり、テロリストと呼ばなければならない」として公共放送に圧力をかけ、結局BBCは先月21日、表記の原則(「テロリスト」という単語は読者の理解を助けるよりも理解の壁になりうるとする編集ガイドライン)を撤回した。

 大多数の西側メディアは、テロリストという言葉からは距離を取るよう努力している。テロリストは政治的な定義であるためだ。ウォール・ストリート・ジャーナルの中東担当副局長のシャインディ・レイス氏は「テロリズムに関与してはいるが、ハマスはそれよりはるかに大きな政治組織」だとしたうえで、「私は常に詳細な文脈を説明しようとしている」と述べた。

 自国の政治家たちの叱責に苦しめられたフランスのAFPも、先月28日、「私たちは偏見なく事実を報道するという使命にもとづき、運動・個人・団体をテロリストと描写しない」とする長文の解説記事を出した。>

 ここに示されているのは、「テロ」「テロリスト」という用語が持つ政治性。だからこそハマスに対してその呼称を使用すべきだとする欧米政権・政治勢力の圧力。それに対して苦悩したたかっている欧米メディアの姿です。

 日本はどうでしょうか。

 毎日新聞は10月11日付の社説で「民間人を狙ったテロであり、絶対に許されない」と記述。朝日新聞は11月2日付社説で「ハマスの「テロ」を非難する米国」、読売新聞は11月5日付社説で「ハマスのテロ」と書いています。「テロリスト」とは規定していませんが、「ハマスのテロ」という表記に対するためらいは見受けられません(アメリカは一貫して「ハマスはテロリスト」と断じてイスラエルを支援。上川外相はイスラエル外相との会談で「ハマスのテロ攻撃」と言明=写真右)。

 ハンギョレ新聞が「名称内戦」と命名した、用語・表記をめぐる政権・政治勢力によるメディアへの圧力は、「テロ」「テロリスト」に限ったことではありません。

 たとえば東電福島原発が海に放出している「汚染水」の「処理水」への言い換えです。「処理水」という用語も極めて政治性の強い言葉ですが、日本のメディアはすべて、なんのためらいもなく政権が使う「処理水」という言葉に準じています(8月1日、9月2日のブログ参照)。

 メディアにとって言葉・用語は生命です。ウクライナや中東の戦争はじめ、重大事態が次々発生する今日、政権・政治勢力の圧力に屈することなく、自主的判断で正確な表記を行うことはメディアにとって死活的に重要な問題です。

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「NG記者リスト」問題の根源―記者会見はメディア主催で

2023年10月06日 | 人権・民主主義
   


 ジャニーズ事務所が行った記者会見(2日)で、会見の運営を置け負ったPR会社(「FTIコンサルティング」)が会見で指名しない「NG記者リスト」(写真中、右)を作成していたことが問題になっています。同社は5日、事実関係を認め「謝罪」しました。

 「NGリスト」に関連して、記者会見が2時間という短時間の設定で、「1社1問」と限定されていたことも問題視されています。
 また、リストを作成したPR会社だけでなく、ジャニーズ事務所の責任も改めて問われています。

 ここには「ジャニーズの記者会見」に限らない根源的な問題があります。

 「NG記者リスト」ですぐに想起されたのは、官邸における首相会見の“事前検閲”です(9月15日のブログ参照)。
 山田健太専修大教授は、首相会見に際し官邸が記者に「事前に質問を提出させ、それに従って質問者を指名」していると指摘しています。これは事前に指名しない記者を決めているという点で「NG記者リスト」作成とまったく同じことです。

 民間企業のジャニーズの記者会見と首相の記者会見では同列に論じられない点もありますが、問題の根源は同じです。それは、会見が質問を受ける側(ジャニーズ事務所、首相・政府)によって運営されているという問題です。

 そのため、会見の日時、時間の設定はじめ、「1社1問」(首相会見も)という不当な運営方法が主催者側によって決められ、質問者の指名も主催者側の司会者(首相会見では官邸の官僚)によって行われます。

 これは根本的に間違っています。

 第1に、質問を受ける(追及される)側が主催・運営することによって、記者・フリージャーナリストは質問者が限定され、指名されても十分な追及ができず、会見全体が不十分で無味乾燥なものになってしまいます。

 第2に、そもそも記者会見は、主権者である市民の「知る権利」のためのもので、記者が市民に代わってその権利を行使し、真実を明らかにする場です。この根本理念に立てば、会見が追及される側によって主催・運営されるのは本末転倒です。

 この倒錯した現状を改めるために必要なことは、記者会見をメディア主催で行うことです。それは首相会見など政治分野に限らず、ジャニーズ問題のような社会問題でも同様です。

 記者会見をメディア主催で行う具体的な方法は検討する必要があります。現在の記者クラブ(大手メディア)だけでなく、フリージャーナリストの代表も入り、記者会見運営に特化した組織をつくることも1つの案でしょう。

 具体的な方法は検討を進めるとして、今必要なことは、記者会見は市民のためのものであるという原点を確認し、その主催・運営をメディア(フリーランスも含め)が行うことへ根本転換することです。


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ミャンマー軍事政権を支え続ける日本政府

2023年10月05日 | 人権・民主主義
   

 クーデター(2021年2月1日)で軍事政権下に入ったミャンマー。事態はさらに深刻になっているといいます。
 そのミャンマーの実態(21年当時)を記録したドキュメンタリー映画「ミャンマー・ダイアリーズ」が京都でも先月末から公開されています。
 映画は、匿名の10人の監督が制作した短編映画とSNSに投稿された一般市民の記録映像によって構成されています(写真中、右はネットの予告編より)。

 全編息をのむ展開ですが、とくに軍と警察が民家を襲って市民を連行する場面、「不服従運動」を続けていいた市民が「デモでは何も変わらない」と言って軍事訓練を始める場面は印象的でした。

 映画の最後に、匿名監督の1人の音声メッセージが流れました。映画鑑賞料金が民衆支援に回ることへの感謝を述べるとともに、「日本でもさまざまな形で支援してほしい」と訴えました。

 日本人がミャンマーの民衆を「支援」する前提として、まず認識しておかねばならないのは、国際的に非難を受けているミャンマーの軍事政権を日本政府が支え続けているという事実です。

 先月24日、「ミャンマーと日本の繋がりを考える京都セミナー」(日本ビルマ救援センターBRCJなど主催)が市内でありました。

 その中で、木口由香氏(特定非営利活動法人メコン・ウォッチ事務局長)が講演で強調したのは、日本の政府開発援助(ODA)が軍事政権を資金面で支え続けているという重大問題です。「ODAは二国間の約束に基づくものだが、ミャンマー軍が選挙で選ばれた政府を倒した後も、日本政府はODAを継続している」(木口氏)のです。

 木口氏によれば、ミャンマーに対する日本のODAは「経済協力」によるインフラ整備に重点がおかれています。それによって国内産業が育成され、その利益が軍に流るという仕組みです。

 たとえば中心的存在であるティラワ経済特別区は、日本のODAによって、三菱商事、丸紅、住友商事などがかかわっていますが、クーデターによって特別区の委員長は逮捕され、軍が任命した人物に差し替えられました。同区の利益配当は軍の収入になっているとみられています。

 また、22年には岸田政権の経済開発担当内閣官房審議官がミャンマーを数回訪れ、軍が設置した国家統治評議会の高官と会談しましたが、その内容は非公開とされています。

 こうして岸田・自民党政権がミャンマー軍事政権を支え続けていることは、彼らがウクライナ戦争でしばしば口にする「法による秩序・民主主義」がいかにでたらめなものであるかを示しています。
 ミャンマー軍事政権に対するODAは直ちにやめさせなければなりません。

 「ミャンマー・ダイアリーズ」のチラシは最後にこう記しています。
「世界の話題から忘れ去られつつあるミャンマーで今なお生きる人々の“叫び”を伝える緊急性の高い作品である」

 ウクライナ戦争の陰で「忘れ去られつつある」のはミャンマーだけではありません。世界中の紛争・戦争・貧困・人権弾圧をなくするために、日本に生きる者として何を知り、何をすべきか、考え続けたいと思います。

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「記者会見」の危機とウクライナ戦争

2023年08月17日 | 人権・民主主義
   

 インターネット社会の中で、「「記者会見」を巡って深刻な問題が生じている」と山田健太・専修大教授(言論法)が警鐘を鳴らしています(12日付琉球新報の「メディア時評」)。山田氏の指摘の要点はこうです。

 深刻な問題の1つは、裁判を始める時の提訴会見で起きている。

 企業の不当解雇やパワハラを訴えた労働者が提訴し、代理人の弁護士とともに記者会見すると、その内容が名誉毀損だとして逆に訴えられる事例。会見時発言の真実が立証されていないとして名誉毀損を認めることが少なくない。

 この裁判所の判断の前提は、記者会見もネット書き込みも同じレベルの表現活動として、社会的評価を低下させる行為とする構図だ。これはジャーナリズム活動を否定することにつながる。

 警察や検察が記者発表と報道を同列と考え、報道を抑えるために発表をしない、という最近の行政機関の傾向とも似ている。結果として偏った情報だけが社会に流布されることになりかねない。

 記者会見とは社会に対する開かれた窓であって、弱い立場の者が隠された社会課題を多くの人に関心を持ってもらうきっかけにもなりうる

 こうしたジャーナリズム活動をスキップした情報の流れは、結果として送り手にとって好ましい情報だけが世の中を席巻することにつながりかねない

 ジャーナリズムとは、報じられる側にとって「都合の悪い情報」を報じることに価値がある。情報提供の自由が確保され、私たちにとって知識や情報を受け求め伝えるための権利が保障されている場が、社会に確保されていることが大切だ。

 山田氏は「記者会見」を2つの側面で捉えています。1つは、提訴した市民が行うように、弱い立場の市民が多くの人に問題を訴える場。もう1つは、記者が行政機関や企業など権力側をただして事実を究明する場。
 そして、そのいずれもが行われないあるいは形骸化という危機に瀕している、というのです。

 テレビで中継される首相記者会見(官邸記者会)も、参加人数、時間、質問がいずれも制限され、形骸化が進んでいることは周知の通りです。

 こうした記者会見の軽視・無視を常態化させたのが、トランプ前大統領だと言えるでしょう。記者会見ではなくSNSで重要問題を一方的に発信する手法を常習化しました。そのトランプ氏に倣うようにSNSを駆使したのが安倍晋三元首相でした。
 
 そしてもう1人、毎日のようにビデオメッセージで発信し続けているのがゼレンスキー大統領です。ゼレンスキー氏が記者会見で記者の質問に答えている映像・報道がどれほどあったでしょうか。

 こうした権力側からの記者会見をスキップした一方的な情報発信は、まさに山田氏が指摘する「報じられる側にとって「都合の悪い情報」を報じることに価値がある」ジャーナリズムの根幹を切り崩すものと言わねばなりません。

 もちろん、ロシアや中国が国家権力でジャーナリズムを抑圧していることは論外で、絶対に許されることではありません。

 毎日のように流されるゼレンスキー氏のビデオメッセージには今日版「大本営発表」の様相で、その一方的な情報発信を、何の疑いもなく垂れ流すNHKはじめ日本のメディアは、自らジャーナリズムの根本精神を投げ捨てる自殺行為を繰り返していると言わねばなりません。


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「ジャニー喜多川性暴力事件」反省ないメディア

2023年07月03日 | 人権・民主主義
   

 元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏がジャニー喜多川氏の性暴力事件を告発する記者会見(4月12日、写真左)を行って3カ月。性暴力事件自体の究明も遅々として進展していませんが、それ以上に進んでいないのが、この問題を報じてこなかったメディアの自己検証と反省です。

 朝日新聞はこのほどテレビ局と全国紙に、①当時の報道姿勢・判断は適切だったと思うか②メディアへの批判をどう受け止めているか―の2点を問うアンケートを行い、結果を6月28日付で公表しました。各メディアの回答(抜粋)は以下の通りです。

<朝日新聞>①問題の深刻さや影響の大きさが十分認識できておらず不十分だった②追及が不十分だったという指摘は真摯に受け止める。今後も取材を尽くした上で報じる。

<毎日新聞>①個別報道の編集方針には答えていない②批判は真摯に受け止める。今後も事案の内容をふまえて報道する。

<読売新聞>設問に回答せず

<産経新聞>①編集判断については答えていない②批判があることは承知している。今後も従来通り公正な報道に努める。

<NHK>自主的・総合的に判断している②指摘があることは真摯に受け止める。今後も伝えるべき情報はきちんと伝える。

<日本テレビ>①意見は真摯に受け止め今後に生かしていく②批判は真摯に受け止め、正確・公正に報道していく。

<テレビ朝日>指摘されていることは重く受け止めている。今後の取材・放送につなげていく。

<TBS>①当時の判断の評価は控えるが、今振り返ると性暴力は許さないという観点から放送するという判断もあった②批判は真摯に受け止め今後に生かす。

<フジテレビ>①個別事案は答えていない②様々な意見もきちんと受け止めている。必要があると判断したものを報じる。

 同業他社からのアンケートという制約はあるものの、いかにもおざなりな回答です。「真摯に受けとめる」という言葉だけが躍って、真剣な自己分析・反省には程遠いと言わざるをえません。それは朝日新聞自身も同じです。

 朝日新聞はアンケート結果とともに、識者のコメントを載せています。

 民放元プロヂューサーで筑紫女学園大の吉野嘉高教授(メディア論)は、週刊文春が報道した当時(1999年)、ニュース番組を担当していた立場から、「社内には性加害問題について触れるべきでないという暗黙の了解があると感じていた」「実態を報じて(ジャニーズ事務所に)出演してもらえなくなれば、会社に大きなダメージがあると自主規制していたと思う」と振り返ります。

 上智大の音好宏教授(メディア論)は、「テレビとは違い、ジャニーズ事務所とのしがらみの少ない新聞も報じてこなかった責任は重い。芸能の話題を政治・経済・社会の話題より優先順位が低いと見て軽視し、ジャニーズ事務所が一つの『権力』になっている認識が欠けていたのではないか」「警察や司法の判断次第で報じるかどうかを決める姿勢が市民感覚とずれていないか」と指摘します。

 東京大の田中東子教授(メディア文化論)は、ごく最近まで報道されなかったことについて、「メディアが男性中心の価値観に偏ったままで、性暴力への意識が低いためではないか」と指摘します。

 3氏の指摘はいずれも本質を突いています。メディアはこうした視点から自己検証しなければなりません。

 NHKは「クローズアップ現代」(5月17日、写真中)で、TBSは「報道特集」(6月17日、写真右)でこれまでの「不十分な報道」を「反省」しましたが、いずれも言葉だけで、核心に迫る自己検証はありませんでした(他局は見ていません)。

 とりわけTBSは、自社の山口敬之・ワシントン支局長(当時)の伊藤詩織氏に対する性暴力事件(2015年4月)についての自己検証・反省が不可欠ですが、同社(報道特集)はいまだに行っていません。

 厳しい自己検証を伴わない言葉だけの「反省」で過去の過ちの責任を回避する。その悪しき典型例は、侵略戦争・植民地支配に積極的に協力した新聞各社が敗戦直後に発表した「反省」の弁です(朝日新聞「国民と共に立たん」宣言=1945年11月7日付紙面など)。

 メディアが性暴力事件を見逃してきた責任を自己検証して明確な反省を示さない限り、メディアへの不信がいっそう深まることは明らかです。

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「ジャニー喜多川性暴力事件」と統一教会問題

2023年05月27日 | 人権・民主主義
   

 ジャニー喜多川氏の性暴力事件は、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモト氏の記者会見(4月12日)以降、告発が相次ぎ、事実の徹底究明と対策が急務になっています。NHKはじめ、当初オカモト氏の会見を無視・軽視したメディアも(4月15日のブログ参照)、被害者の相次ぐ勇気ある告発に押されて報道を行うようになりました。

 しかし、報道回数は増えても、根本的な問題は完全にスルーされています。それは、問題を知っていながら報道してこなかったメディアの責任、その経過と反省の自己検証が全くなされていないことです。

 NHKクローズアップ現代は5月17日にこの問題を取り上げました(写真左)。
 冒頭、桑子真帆キャスターは「永年問題が指摘されながら日本のメディアが大きく取り上げることはありませんでした。なぜ報道してこなかったいのか、私たちは重く受け止めています」と反省の弁を述べました。しかし、なぜ取り上げてこなかったのかという肝心な問題についての言及はありませんでした

 ゲストのジャーナリスト・松谷創一郎氏は、問題の元凶として、「事務所(ジャニーズ事務所)の体質」とともに、「メディア・社会の状況」を挙げ、次のように指摘しました(写真中)。

「これまで報道してこなかったNHKはじめメディアは今も抑制的だ。これが一番大きな問題。メディアはある種の共犯関係にあるといえる。各社は過去を振り返って検証すべきだ。逃げないで向き合わねばならない。この問題は社会として議論する必要がある」

 この問題を当初から追及してきた元文春記者の中村竜太郎氏(写真右=朝日新聞デジタルより)は、新聞やテレビが報じてこなかった「理由」について、こう指摘しています。

 「テレビ局とスポーツ紙について言えば、ジャニーズ事務所との商売上の利害関係が構造的に強かったためだと思います。NHKは公共放送ですが、やはりジャニーズにべったりでした」

「大手新聞が書けなかった理由は、深刻な人権問題だという認識が薄かったためでしょう。この問題は芸能ゴシップではないのだと私は訴えてきましたが、理解されませんでした。加えて、週刊誌が報道したことを新聞が取り上げるなんて恥ずかしいという意識もあったかもしれません。背景には『週刊誌の書いていることなんてウソだ』という偏見がありそうです」(5月22日付朝日新聞デジタルのインタビュー)

 松谷氏や中村氏の指摘ですぐに想起されるのは、統一教会問題です。

 事実を把握し、被害者らが苦しんでいることを知っていながら報道してこなかった(自己規制・責務放棄)。被害者の告発が相次ぎ(あるいは事件が起こり)、問題が大きくなって無視できなくなるといっせいに報道を始める。その根底には、権力をもつ加害者(側)(政界・芸能界の絶対権力者)への忖度があった―2つの問題と日本のメディアの関係はまったくの相似形なのです。

 松谷氏や中村氏が指摘する通り、今こそメディアの責任・体質に徹底的にメスを入れない限り、メディアの腐敗を食い止めることはできず、同様の問題は繰り返されるでしょう。

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