アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

1年かけ車で全国行脚。沖縄青年の熱い思い

2014年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 単身車で1年かけて全国を巡り、行く先々で沖縄の現状を訴え、平和について語り合っている青年がいます。
 沖縄キリスト教学院大4回生の知念優幸さん(22)です(写真右)。

 3月20日に那覇港を出発し、鹿児島、熊本、佐賀、長崎、福岡、山口を経て、4月28日、広島女学院大学で講演しました(写真左)。

 知念さんは沖縄キリスト教平和研究所所属の学生組織「Team琉球」の創設者兼代表。昨年8月に全国8大学の代表が沖縄に集まり「沖縄・広島・長崎から平和を考える学び合い」を行ったのがきっかけで、沖縄の現実を訴える全国行脚が企画されました。全国を回るのは知念さん1人ですが、Team琉球の仲間が沖縄から物心両面で知念さんをバックアップしています。

 講演はまず、「標的の村」の30分ダイジェスト版から始まり、自ら作成したパワーポイントで沖縄の歴史、文化、そして基地を中心にした現状を解説します。その内容は実によくできています。ポイントが的確に押さえられているだけでなく、「キャンプハンセンの広さは51平方㌔。39平方㌔の広島市東区がすっぽり入ります」などと、行く先々の地域に合わせて分かりやすく工夫しています。

 知念さんが、「加害の歴史」とともに、何度も問い掛けたのが、「平和とは?」。「沖縄の今」から「平和を思考」することです。
 長崎で出会った被爆者・田中安次郎さんは、「平和とは基本的人権が守られること」。山口・祝島で原発に一貫して反対している清水敏保さんは、「平和って自然と文化が守られることじゃないかな」。その言葉をさっそくパワーポイントに取り込んでいます。
 こうして行く先々の出会いによって、知念さんの講演の中身がどんどん膨らんでいく。考えただけでもワクワクします。

 講演は授業の一環として行われたものですが、約80人の聴講生のうち沖縄に行ったことがある人は十数人。映画「標的の村」を見たことがある人はゼロでした。聴講生たちは熱心にメモをとり、講演が終わると大きな拍手を送っていました。質疑・討論の時間がとれなかったのが残念でした。

 沖縄の青年がカンパで全国を回り、沖縄の現実を訴え、平和について本土の若者たちと直接考え合おうというこの取り組み、なんと素晴らしいことでしょう。知念さんたちの奮闘に大きな応援の拍手を送ります。
 
 同時に、沖縄の差別的現実はそれほど切迫しているということです。やむにやまれぬ沖縄の青年たちの行動を、本土の私たちはしっかり受け止める必要があります。
 知念さんたちの発信を一方通行にしてはいけない。問われているのは、本土の若者たちであり、大人たちです。


「大和ミュージアム」で900万人は何を学んだか?

2014年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

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Photo 以前から行ってみたいと思っていた「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)に24日、行ってきました。
 知らなかったのですが、前日の4月23日がちょうど開館丸9年でした。そしてさらに偶然ですが、夜のニュースで、同日来館者が900万人を超えたと報道していました。「地方の博物館としては異例の速さ」だとか。

 もともとは呉市の運営で設立されましたが、数年前から民間企業4社(印刷、旅行など)の共同経営の形をとっています。「自衛隊との直接の関係はない」と同館は言いますが、「900万人記念式典」に海上自衛隊幹部が7人も参列するなど、自衛隊の全面的後援は隠しようがありません。ちなみに、通りを挟んだ向かい側には、巨大な潜水艦の実物が鎮座している自衛隊館があります。

 入館するとまず1階中央にある巨大な戦艦大和の10分の1復元艦(写真左)が待ち受けます。平日でも来館者は結構いて、若い人が目立ちました。修学旅行の生徒たちは入口そばの部屋でDVDの説明を聞いたあと、ボランティアのガイドを受けます(写真右)。

 同館のコンセプトは、「呉の歴史と平和の大切さ」、そして「科学技術のすばらしさ」です。戸高一成館長は「科学技術創造立国を目指す日本の将来を担う子ども達」に「夢と希望を」抱かせたいと述べています。

 事実、4階まである館内は、戦艦やゼロ戦の展示とともに、「船の科学」の知識や体験が重視されています。なるほど「日本の科学技術」を強調した意図は伝わります。
 しかしそれとは対照的に、あまりにも貧弱なのが、「平和」です。そこには戦闘の歴史はあっても、戦争の歴史から学ぶ平和への道筋はありません。政府ですらしぶしぶ認めた「侵略戦争」の事実にも触れていません。

 もう一つ特徴的なのは、戦争のむごさ、悲惨さがないことです。あるのは、戦艦の「美しさ」とその技術の「素晴らしさ」です。同じ広島発でも、「はだしのゲン」とはまったく対照的です。

 そもそも同館に侵略戦争の本質、平和への道筋を求めるのがお門違いなのかもしれません。しかし、これからも「観光スポット」として集客する同館の影響は軽視できません。
 岩国市の男性(86)は、「大和ミュージアムは原爆ドームと並んで平和学習のスポットだと思った」という感想を投書しています(3月24日付中国新聞)。

 900万の来館者は「大和」の歴史から、何を学んだのでしょうか。

 ところで、同館では昨年7月から「特別企画展・巨大戦艦大和展」が開催されています。その入場者も2月に20万人を突破しました。
 その展示の中に「沖縄戦」についての記述があります。「米軍が首里を占領」とあったのには驚きました。さらに犠牲者は「日本軍(民間人を含む)約11万人」と。沖縄戦の戦没者は県の資料でも12万2228人、実際は15万人前後とみられています。
 沖縄戦についての知識の乏しさにあきれました。

 <私の介護メモ>

 「上手な介護の12ヶ条」<下>


 『改定認知症の理解と介護』(認知症の人と家族の会)から。

 第7条「仲間をみつけて、 心軽く」・・・普段から何でも話せる知人を一人はもつこと。家族会などに積極的に参加すること。
 第8条「ほっと一息、気は軽く」・・・ある介護者「すべてを忘れて好きなことのできる週1回の息抜きの時間が、私には貴重でした」。
 第9条「借りる手は、多いほど楽」・・・誰も助けてくれないと嘆かないで、自分のまわりをみて利用できるものは最大限利用して。
 第10条「ペースは合わせるもの」・・・介護の原則=認知症の人が形成している世界を理解し、大切にする。その世界と現実のギャップを感じさせないようにする。
 第11条「相手の立場でものを考えよう」・・・重要なことは認知症の人を「二度童(わらし)」として理解し受け入れる社会全体の雰囲気づくり。
 第12条「自分の健康管理にも気をつけて」・・・介護者の身体的・精神的・社会的(家庭的)健康が家庭介護の最も基本。

 こうしてみると、「上手な介護の12ヶ条」は「上手な人生」のそれにほかならないことが分かります。


カジノ導入―ギャンブル依存症の恐怖

2014年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

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22日の中国新聞に、日本にカジノを導入する法案=複合型リゾート施設(IR)整備推進法案の是非をめぐり、推進、反対それぞれの立場のインタビューが掲載されました(共同通信配信)。
 推進側からはIR議連(超党派)幹事長の岩屋毅衆院議員(自民)。反対側からは宇都宮健児元日弁連会長です。

 カジノ導入は沖縄でも大きな問題になっています。仲井真知事が「県民の理解を得てから」という公約を投げ捨て、多額の予算を付けて導入にまい進しようとしているからです。

 岩屋氏が主張するカジノ導入の狙いは、「外国人観光客を増やす拠点」にし、「5兆円程度の経済効果」を上げようとするため。これに対し宇都宮氏は、「光ばかりでなく影の部分にも目を向け、カジノ抜きのIRを考えるべきだ」と主張します。

 宇都宮氏が指摘する「カジノの影」の中でもとくに重大なのは、「ギャンブル依存症」です。「(日本は)すでにギャンブル大国だ。559万人の依存症患者が存在する…カジノまで手を広げてどうするのか」

 手元に1冊の冊子があります。4月12日に結成されたばかりの「全国カジノ賭博場設置反対連絡協議会」が作成した、「震える 許さない!カジノ賭博場合法化!~ギャンブル依存被害者と家族ら30名の告白集~」。当事者の生なましい体験談です。

 松山市のKさん(男性)は、社会人になってまもなく友人の誘いがきっかけで「パチンコ依存症」に。やがて消費者金融から借金。「お金を借りる恐さより、パチンコに通う快楽の方に浸っていた」。知らぬうちに消費者金融数社から300万円借金。妻に「二度としない」と約束して妻の貯金で借金を返済してもらいました。

 しかし転職先でのストレスからまたパチンコ通い。わずかな間に再び借金は480万円に。今度は父親と兄に返済してもらったものの、妻の知るところとなり、離婚(子ども1人)。「パチンコに狂った体は思うように動かず」、仕事は休みがち。またまた消費者金融と銀行のカードローンから借金。そして退職。失踪。親子絶縁。ホームレス。自殺寸前に支援団体に救われました。

 「私のたどってきた誤った人生、ギャンブル依存症の恐さは、必ずまわりの人たち、第3者を巻き込むこと」「私の体験を通して、一人でも多くの方がギャンブル依存症から抜け出してほしい」

 岩屋氏は「カジノ収益の一部を使ってギャンブル依存症について国が調査、ケアをする方策も検討する」と言っていますが、Kさんの体験は岩屋氏の言葉がいかに空疎なものかを教えています。ギャンブル依存症は「調査」や「ケア」などのレベルをはるかに超えた地獄なのです。

 カジノ導入の是非を「経済効果」の有無で判断するのは間違いです。ギャンブル依存症を助長する以上、カジノ導入は絶対に許してはいけません。人間の尊厳にかけて。

 <私の介護メモ>

 「上手な介護の12ヶ条」<上>

 「公益社団法人・認知症の人と家族の会神奈川県支部」が作成した『改訂 認知症の理解と介護』(杉山孝博著)という冊子を送ってもらいました。
 その中に「上手な介護の12ヶ条」が載っています。身につまされ、教えられることばかりです。2回に分けて紹介します。

 第1条「知は力なり、よく知ろう」…必要不可欠な知識が適切なタイミングで得られると、介護の混乱も介護負担も必ず軽くなる。
 第2条「割り切り上手は、介護上手」…介護に行き詰ったら発想の転換が大切。それは一人では難しい。家族の会などで話し合いを。
 第3条「演技を楽しもう」…本人を説得したり否定したりしているときが、介護がもっとも大変な時期。早くこだわりをとって上手に演技ができるように。
 第4条「過去にこだわらないで現在を認めよう」…過去にこだわりをもっているときこそ、介護が最も困難な時期。現実を認めないことで自ら介護を大変なものにしている。
 第5条「気負いは、負け」…本人を思う余りつい力み過ぎて介護者が消耗してしまうことが少なくない。
 第6条「囲うより開けるが勝ち」…「明日は我が身」「お互いさま」です。悩みを気軽に打ち明けて皆が一緒に考えていく、そんな真の福祉社会を。


環境汚染―「企業城下町」と「基地の町」

2014年04月22日 | インポート

PhotoPhoto_2 福山市内に新しい産廃施設が、市民に十分説明のないまま、建設されようとしています。その危険性を学ぶ学習会が21日ありました。
 福島第1原発の「汚染ガレキ」搬入の可能性も含め、見過ごせない問題が山積しています。

 土屋とものり市議(日本共産党)の報告によると、施設を建設しようとしているのは福山市に本社があるツネイシカムテックス株式会社。焼却灰やばいじん、汚泥などの一般廃棄物、産業廃棄物、それに水銀や六価クロム、ヒ素、ダイオキシンを含む特別管理産業廃棄物を1日300㌧、約1000℃で処理し、道路などに使う人工砂(写真右)をつくるというもの。

 同社はすでに埼玉県寄居町に同様の施設を持っており(写真左)、福山が2つ目。埼玉では住民運動によって搬入物の内容、放射線濃度などが厳しく監視され、行政も加わって「環境保全協定」が結ばれています。

 ところが福山では住民・市民に十分な説明もなく、まして「協定」などまったくないまま、建設が許可され、着工しようとしています。同社の幹部は、「埼玉は市民運動が強く、環境規制も厳しいので、(がれきなどを)福山へ持っていく」と“本音”を漏らしたといいます。

 学習会の中で、放射能汚染物質の処理は現在全国的には8000ベクレル/㎏以下なら認められているのに対し、広島県では被爆地ということで100ベクレル/㎏以下しか認めないという厳しい基準になっていることを知りました。この基準を同施設でも守らせることができるかどうかが、今後の焦点の一つです。

 幼い子を抱いたお母さんから発言がありました。「福山は今でもぜんそくやアトピーが多発している。このうえ空気を汚すなんて」。切実な訴えで、福山が大気汚染のひどい街だということが分かりました。

 その元凶の1つは、鉄鋼大手のJFE(日本鋼管)。同社は自民党・宮沢喜一元首相のバックボーンです。福山は大企業と自民党が癒着した「企業城下町」なのです。ちなみにツネイシも最大の宮沢後援会組織だといいます。
 JFEは工場周辺の町内会に「迷惑料」をばらまいて住民を懐柔しているとか。今回のツネイシの施設建設計画に対しても、地元町内会からは反対の声は上がっていません。

 住民の健康と命を脅かす危険な施設の建設、環境汚染を、カネのばらまきで強行する。この構造は、沖縄の米軍基地とまったく同じです。
 「企業城下町」と「基地の町」。ここでもその根はつながっています。

 ツネイシカムテックス問題はまだまだ市民に知られていません。運動はこれからです。

 <気になるニュース>

                   「軍艦カレー」と与那国の自衛隊配備強行
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20日、海上自衛隊横須賀基地に、1万人(主催者発表)の「一般市民」が集まりました。何があったのか?「第2回護衛艦カレーグランプリ」です。
 艦船14隻と潜水艦1隻の計15チームがカレーの味を競うというもの。参加市民は喜々として「軍艦カレー」を賞味。中には6時間待ちの列もあったとか。
 防衛省・自衛隊の「市民懐柔・取り込み作戦」は大成功というところでしょう。
 時あたかも前日の19日には、沖縄・与那国島で、島民の反対・抗議を押し切って、新たな陸上自衛隊配備の起工式が行われたばかり。
 「軍艦カレー」にうつつを抜かした1万人の中に、この事実を知っていた人は1人でもいたのでしょうか。
 「軍艦カレー」に群がる「一般市民」。それをおもしろおかしく報道しながら、与那国の事態には目もくれようとしないメディア。これが今の日本の姿です。


「『9条の会』が問われている」ものは?

2014年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

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Photo_3 「『戦争は秘密から始まる』それはイヤだ!STOP!『秘密保護法』福山緊急行動」が15日夜、福山市内であり、約60人が参加しました。
 石口俊一弁護士が「安倍政権の目指す改憲と壊憲に立ち向かうために」と題して講演しました(写真右)

 石口弁護士は、「秘密法」は公務員だけでなく、行政と関連する事業者や労働者も取り締まりの対象にするものだとして、「防衛産業に関わる民間企業」を例に挙げました。
 例えば、「90式戦車」の関連企業は、直接契約6社、1次下請け329社、2次下請け953社、合計1288社(「東洋経済」から)。その労働者が「秘密」取扱者となるのです。まさに「戦車は1000社」(石口氏)です。護衛艦に至っては2523社にものぼります。

 石口氏の講演で、気になる指摘がありました。「いま『9条の会』が問われている」というのです。
 その趣旨は、「9条の会」は「憲法9条の明文改憲反対」の一点で結集している。しかしいまや秘密法や集団的自衛権容認で、「9条は改正しなくてもが中身が変えられてきている」。その情勢に見合った一致点の確認が「9条の会」に必要ではないか、というものです。
 石口氏自身、「広島県9条の会ネットワーク」の中心として活動しており、自戒を込めた問題提起です。

 「9条の会」が必ずしも「明文改憲反対の一点」で結集しているとは思いませんが、「『9条の会』が問われている」という石口氏の問題提起は、時宜を得たものだと思いました。

 憲法9条は決して静止しているものではありません。日米軍事同盟(安保条約)の強化、自衛隊法「改正」などによる実質的な9条骨抜きの進行、さらに安倍首相の「積極的平和主義」のごまかしなど、“9条の現実”は動いています。
 それに見合った攻勢的な「9条擁護活動」、反基地・反安保、積極的な国際的平和活動、東アジア共同体形成へ向けた活動などが今こそ求められている。
 それが「9条の会」に問われているのではないでしょうか。

 また石口氏は、「今こそ口コミが重要。“どぶ板”活動をやっていかないと、改憲攻勢を押し返せない」とも強調しました。まったく同感です。

 <忘れてはならないニュース>

 「四国遍路の差別貼り紙事件」の深層


 四国遍路の休憩所(徳島、香川、愛媛3県の計21カ所)に、「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」という差別貼り紙があった事件(4月10日発見)は、誰が(どんなグループが)、どんな意図で行ったことか明らかにされないまま(追跡報道されないまま)、記憶から消えようとしています。
 
 しかし、この事件は絶対に軽視できません。先の「アンネの日記」破損事件ともつながり、在日朝鮮人に対するヘイト・スピーチとはまさに一体のものです。
 たとえそれが「個人的」な行為だとしても、こうした事件が続発し、国民がそれに鈍感であることは、今日の日本の危険な社会的風潮の表れにほかなりません。ファシズムはこうした社会的風潮に支えされて成り立つものです。
 
 この差別貼り紙は、ソウル在住の韓国人女性・崔象喜さんが、「韓国人もお遍路をすれば、日本の印象が変わる」と、ハングル文字で道案内するステッカーを貼ったことを攻撃したものです。思わぬ攻撃を受けた崔さんは、「ステッカーは余計なことだったのだろうか。たくさんの人に心配、迷惑をかけてしまい本当に申し訳ない」と戸惑いながら逆に自分を責め、それでもなお、「日本と韓国は仲良くなってほしい」「日本人を愛しているんです」と語っています(共同配信記事から)。

 崔さんに、「本当に申し訳ない」と謝らねばならないのは、私たち日本人の方です。


ヒロシマから照射する理研の“もう一つの顔”

2014年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

                                       
PhotoPhoto_4 今話題の理研(独立行政法人・理化学研究所)。その理研には戦争中、大変な過去がありました。
 中国新聞の岩崎誠論説委員がそれに光を当てています(4月10日付)。論稿のタイトルは「原爆開発と日本」。

 それによると、第二次世界大戦中、日本には原爆開発計画がありました。陸軍の要請でそれを推進したのが理研だったのです(海軍にも同様の計画があり、その舞台となったのは京都大学でした)。

 そのためにウラン鉱石の採掘が試みられたのが、福島県南部の石川町。「地域挙げてウラン鉱の採掘に協力し・・・旧制石川中の生徒たちが学徒動員によって厳しい作業に従事」させられたのです。
 岩崎氏は、「核兵器廃絶を訴え、非核三原則を掲げる日本。こうした経緯を過去のものだと片付けていいのか」と現代に警鐘を鳴らしています。

 この「日本の原爆開発計画」を詳細に明らかにしたのが、ノンフィクション作家・保阪正康氏の『日本の原爆』(2012年)です。この経過から、現代の私たちがくみ取るべき痛切な教訓が、少なくとも2つあります。

 1つは、理研に代表される科学研究機関の社会的責任、科学者の倫理です。
 保阪氏によれば、当時理研で原爆開発の中心的人物だった仁科芳雄は、当初から製造は無理だと考えていました。にもかかわらず陸軍の要求に応えたのはなぜか。保阪氏は「3・11」福島原発事故との関連からこう指摘します。

 「フクシマの原発事故の根本の原因には、かつての日本の原発製造計画と同じ構造が窺えるということだ。・・・仁科芳雄は原子爆弾製造計画を利用して、日本の科学者の予算とその研究の自由を保障した。戦後の原子力発電にしても科学者は自らの関心に終始し、予算と人員、そして自らの研究テーマを確保するだけに努めたのではなかったか」

 いま問題の「STAP細胞」発見の発表と、杜撰な調査。その背景に理研の「特定国立研究開発法人」化の動きがあったことは、けっして偶然ではないでしょう。

 もう1つの教訓は、わたしたち「一般市民」に突き付けられたものです。
 原爆開発計画は「極秘」裏に進められたはずなのに、「噂」は国民に広まっていました(軍部のリーク説もあります)。
 「戦局が悪化していくほどに、『今に日本はマッチ箱一個でアメリカ軍の戦艦を吹き飛ばす新型爆弾を作る』との噂が国民の間に広まり、それがやがて『神風が吹く』にまで昇華していった」

 日本国民は原発製造計画をうすうす知り、それに「神風」の期待をかけたのです。新聞もそれを助長した。天皇裕仁も当然それを知っていました。もしこの開発計画が「成功」していれば、日本が史上初の原爆使用国になっていたのでしょう。

 私たちはこの歴史を知らねばなりません。しかし多くの国民は(私の含め)それを知らされてこなかった。そして仁科の下で原爆開発計画に加わった湯川秀樹の「ノーベル賞受賞」を無批判に「誇り」としてきたのです。

 原発再稼働阻止、脱原発が焦眉の課題になっているいま、私たちは「日本の原爆開発計画」の黒い歴史、それを推進した「天皇の軍隊」の犯罪性、そしてそれに「期待」した「市民」の責任を凝視する必要があるのではないでしょうか。

 <気になるニュース>

 韓国旅客船転覆は潜水艦とは無関係なのか?


 韓国の修学旅行生徒を乗せた旅客船の転覆事故は、現在進行形です。1人でも多くの不明者が救出されることを祈るばかりです。

 船はなぜ転覆したのか。座礁説、積み荷爆発説などが指摘されています。真相解明はこれからです。ただ、気になることがあります。取りざたされている原因の中に、潜水艦との衝突の可能性が上がっていないことです。

 過去、民間の船が突然転覆した事故の中には、軍(自衛隊)の潜水艦との衝突が何件かありました。今回の事故現場の近くで、米軍や韓国軍の潜水艦は航行していなかったのでしょうか。

 相手が米軍や韓国軍であっても、徹底した調査と情報開示が求められています。


「アンネ・フランク展特別講演会」で考えたこと

2014年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 福山市にある「ホロコースト記念館」で3月15日から5月3日まで、「アンネ・フランク展『希望の未来』」が開催されています。12日には特別企画の一環として、アンネ研究家の篠光子さん(写真左)の講演「アンネの生涯とユダヤ人大虐殺の深層」がありました。

 篠さんはアウシュビッツ収容所の部屋で独り一夜を過ごすなど、アンネの足跡を追跡調査した日本研究者の草分け的存在です。その篠さんが強調したのは、「ユダヤ人大虐殺はヒトラーによって突然もたらされてものではなく、その根は深い」ということでした。

 篠さんはローマ帝国時代からの歴史をたどり、エルサレムを追われたユダヤ人が世界各国で、銀行家、弁護士、医師などとして活躍したこと、とくにアンネが生まれたドイツ・フランクフルトにはユダヤ人の金融家が多く、「ユダヤ人から借金をしたドイツ人の不平、不満が強かった」という背景があったと指摘しました。

 「アンネの生涯から私たちは何を学ぶべきか」として篠さんは、「闇から希望を。未来に希望を持つこと。そのためにくじけないこと」だと強調しました。

 宗教家でもある篠さんの話は、逆境にめげない人間の心の持ち方、生き方として感銘するものでした。でも、率直に言って、私には物足りないものがありました。
 アンネの生涯、ホロコースト(大虐殺)から、今、日本の私たちが学ぶべきことは何なのでしょうか。
 単純な二分法は禁物ですが、端的に言ってそれは、「迫害・虐殺された側(アンネなどユダヤ人)の精神力・生き方」ではなく、「迫害・虐殺した側の狂気・歴史的責任」ではないでしょうか。
 70年前、私たちの国は、アンネたちユダヤ人を虐殺したナチス・ドイツと同盟を結んで狂気に走った国だったという歴史を思い起こし、再びその過ちを繰り返さないという決意と行動が今、求められていると思うのです。

 戦争遺跡・遺品や語り部、講演はある意味で「中立」です。そこから何を教訓として学び今に生かすのかは、見る側、聴く側の責任にほかなりません。

 今回展示された大型パネル(180㌢×90㌢)29枚(写真右)と、フランク家の遺品など特別公開品は5月から来年3月まで貸し出されます(協力金要相談)。

 <気になる報道>

 「3・11」と「4・11」のこの落差は?


 東日本大震災から3年の3月11日は、数日前からテレビ、新聞などで特集され、大量に報道されました。ところが、1カ月後の4月11日はどうだったでしょう。被災地の報道はピタリと止まってしまいました。NHKはもとより、朝日、毎日、読売各紙も、4月11日付の紙面に被災地のことはまったく載っていませんでした。
 この落差は何なのでしょうか?
 もちろん、「3・11」が特別な日であることは確かです。しかし、「4・11」とのあまりの違いに、日本の「メディア・スクラム」(ブームに乗り遅れまいと群がる一方、潮が引くように手を引く)弊害を感じざるをえません。
 今なお続き、増す被災者の苦しみは、「3・11」も「4・11」も変わりません。
 提案ですが、新聞は毎月11日(月命日)には、1面に、「東日本大震災から〇カ月」の「えんとつ」(縦長の凸版)を立て、関連記事を掲載してはどうでしょう。
 せめて、被災者のみなさんの辛さ、苦しさ、そして私たちの責務を忘れないために。


大空襲―那覇と福山のもう一つの共通点

2014年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 「8・6」「8・9」「8・15」はよく知られた日ですが、「10・10」が分かる本土の人はそう多くないのではないでしょうか。那覇市を一瞬にして焼野原にした那覇大空襲の日(1944年)です。

 では、「8・8」はどうでしょう。私は福山に来るまで知りませんでした。1945年8月8日は福山大空襲の日なのです。

 8月8日夜10時25分から約1時間。B29爆撃機91機によって、福山は壊滅的な打撃を受けました。▼市街地焼失面積314㌶(市街地の80%)▼被災人口4万7326人(市民の81%)▼犠牲者354人▼重軽傷者864人▼焼失家屋1万179戸

 JR福山駅前の福山城公園の一角にある「福山市人権平和資料館」(1994年設立)。入って正面に大きな像があります(写真左)。2歳の女の子を抱きかかえ、5歳の男の子と逃げまどい、犠牲になった母子像です(同じ像が中央図書館前の公園にもあります)。

 人権平和資料館が来館者に配る資料の中に、「予告された空襲」として「伝単」のコピーが載っており、館内にもそのコーナーがあります。米軍が空襲の前に空からまいたビラです。その資料に福山にまかれたビラ(「日本國民に告ぐ」)とともに載っているのが、沖縄に米軍上陸前にまかれた「住民に告ぐ」(写真右)です。
 これ自体は沖縄の平和祈念資料館でも見たことがありますが、福山の資料館で「伝単」がかなり大きく扱われていることに少し驚きました。

 そして、「伝単」についてこれまでと少し違う角度から考えてみました。
 資料館はこれを「国民を厭戦気分にさせる(米軍の)心理戦」と説明しています。それはその通りでしょう。ただ、ビラを読んだであろう全国各地の日本国民の側はどう受け止めたのでしょうか。
 「アメリカの敵はあなた方ではありませんあなた方を戰爭に引っ張り込んでゐる軍部こそ敵です」とビラで言われ、それでも日本国民の中からは「反戦」「戦争終結」を求める声、運動は何も起こらなかったのでしょうか。

 福山に伝単がまかれた7月31日は、組織的な沖縄戦が終結(6月23日)してからでも1カ月以上たっています。遅くとも、8月6日に広島に原爆が投下された時に、「戦争終結」を求める世論が巻き起こっていれば、福山大空襲も、長崎への原爆投下も避けられたはずです。

 戦前・戦中、とりわけ終戦近くの「情報統制」「報道責任」、そして「国民責任」を検証し直す必要があるのではないでしょうか。

<気になるニュース>

 どう考える「憲法9条にノーベル平和賞を」


 神奈川県相模原市の市民らが呼び掛けて、「憲法9条をノーベル平和賞に」という運動が広がり、2万4000余の署名とともに申請。候補にノミネートされたというニュースが報じられています。ノーベル賞の受賞は個人か団体に限られるため、「日本国民」を受賞の候補にしているとか。これをどう考えればいいでしょうか。

 日本国憲法9条の素晴らしさはもちろん世界に誇るべきものです。もしノーベル平和を受賞できれば、安倍政権の改憲策動への打撃になる可能性もあります。
 しかし、私はどうしても手放しで共鳴・賛成できません。なぜなのか考えてみました。

 理由は日米安保条約(体制)です。
 憲法9条の下で、確かに戦後日本の国土が戦場になることはありませんでした。しかし、朝鮮戦争、ベトナム戦争はじめ、日本の米軍基地から戦闘機が飛び立ち、艦船から武器・兵士が輸送されました。日本は9条がありながら、アメリカの戦争に加担してきたのです。その元凶が日米安保条約です。そしてもちろん、沖縄の犠牲・不幸の根源もここにあります。

 本来相いれない憲法9条と日米安保を”併存”させてきたのが歴代日本政府であり、それを是としてきたのが「日本国民」です。そして今現在も、その日米安保条約を、世論調査では約8割の「日本国民」が「支持」しているのです。
 この現実から目をそらして、「9条にノーベル平和賞」とは言えないのではないでしょうか。


中沢啓治さんとカープと広島と沖縄

2014年04月10日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 プロ野球の広島カープは出足好調ですが、先日(2日)、沖縄市から「カープ沖縄協力会」の新垣直人会長が広島を訪れ、カープを激励しました。カープが沖縄市でキャンプを行っている縁です。

 カープといえば、「はだしのゲン」で知られる故・中沢啓治さんは大のカープファンでした。たんにファンであるだけでなく、中沢さんには『広島カープ誕生物語』という作品があります。先月その復刻版が20年ぶりに出版され、福山の本屋にも平積みされています。被爆まもなく、「樽募金」などで広島カープを誕生させた市民の心情、たくましさが生きいきと描かれています。

 中沢さんの最近の話題がもう一つ。未発表の詩に、アイドルグループの作曲などを手掛けている山本加津彦氏が曲をつけ、加藤登紀子さんが歌う「広島 愛の川」という曲が、6月に発売されるのです。7日そのレコーディングが東京でありました(写真右。左から山本氏、加藤さん、中沢夫人のミサヨさん)。「広島 愛の川」の全文を紹介します。

愛を浮かべて川流れ 水の都の広島で 語ろうよ川に向かって
怒り、悲しみ、優しさを
ああ、川は広島の川は 世界の海へ流れ行く

愛を育てた太田川 手取り駆けった川堤 伝えよう川に向かって
怒り、悲しみ、優しさを
ああ、川は広島の川は 世界の海へ流れ着く

愛する我が子に頬ずりし 姿川面に写す日々 誓おうよ川に向かって
怒り、悲しみ、優しさを
ああ、川は広島の川は 世界の海へ巡り行く

 中沢さんには、『オキナワ』という作品もあります(写真左)。「復帰」4年前の1968年の沖縄が舞台です。
 主人公の最愛の母が米兵の飲酒運転で殺されながら、米兵にはおとがめなし。B52の爆音と墜落・・・中沢さんは事実に基づきながら、「基地撤去」へたたかう人たちに温かいまなざしと連帯の心を注いでいます。
 「B52のばかたれ!おまえなんか日本の沖縄からでていけ!」と叫ぶ主人公の弟。「日本の沖縄」という言葉が何度か出てくるのが印象的です。

 広島の川と、沖縄の海。
 つながっています。
 「怒り、悲しみ、優しさ」が。


兵士5千人以上餓死・・・南洋メレヨン島の悲劇と謎

2014年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 メレヨン島という島を知っていますか?私は初耳でした。太平洋戦争で多くの犠牲者を出し、いまなお多くの遺骨が埋まっている南洋の島です。
 その慰霊祭と遺骨収集の報告会が7日、福山市内の備後護国神社であると新聞で知り、行ってきました(写真左)。

 メレヨン島は日本の南2800㌔、太平洋西カロリン群島の一部で、正式にはミクロネシア連邦ウオレアイ環礁。大小15のサンゴ礁の小島からなり、最大のフララップ島でも1辺約1㌔の三角形の島で、ここにかつて日本軍ゼロ戦の滑走路がありました(写真右)。

 1944年、「太平洋の防波堤」たるべく陸海軍合わせて6800人の将兵が上陸。その直後に米軍による大空襲に襲われ、食糧、医薬品などの物資を喪失。上陸3カ月にして食糧不足は極限に達しました。トカゲ、ネズミはもちろん草の根も食べつくし、サンゴ礁を砕いて芋を植えるなど文字通り必死の努力をするもむなしく、栄養失調と風土病で次々倒れていきました。

 結果、戦死者は5200人にのぼりました。しかし米軍との戦闘で亡くなった兵士は約100人にすぎません。約5100人(約98%)は餓死(政府公報では戦病死)だったのです。
 「戦争末期、各地で玉砕の悲劇が伝えられる中、軍人でありながら戦いらしい戦いもなく、飢餓に苦しみながら亡くなっていったメレヨンの戦士たちもまた、悲劇のただ中にあった」(全国メレヨン会)。

 戦後、生還者や遺族が「遺骨収集団」の派遣を計画しますが、政府は「太平洋地域の戦後処理は既に完了」との方針で門前払い。メレヨン会は独自に遺骨収集を行う一方、政府に粘り強く働きかけました。結果、これまでに15回の訪島団を派遣(政府主催7回、会主催8回)。今年3月、7年ぶりの遺骨収集となりました。

 今回は、ヤシの根元から頭蓋骨がきれいな形で掘り出されるなど、32体の遺骨を収集。現地の住民たちがたいへん好意的に協力してくれたそうです。

 69年たった今も、大量の遺骨が南の島に眠り、少し掘っただけで次つぎ出てくる現実を報告ビデオで見て、あらためて「戦後の歳月」の意味を考えさせられました。

 そしてもう一つ。たいへん驚いたことがあります。なぜ島民たちはこんなに協力的なのか。その理由を、全国メレヨン会ではこう説明しているのです。
 「戦時中、島には現地の住民が400名程度住んでいたが、6800人将兵が上陸するに当たり、島民全員を環礁の端の島に集め、将兵が飢餓に苦しむときも、島民に対しては一切手を出さずにこれを保護した。その結果終戦まで、島の人々は一人の犠牲者も出さなかった」

 これは本当でしょうか。信じがたいことです。なぜなら、沖縄における日本軍はこれと真逆のことを行ったからです。
 本当だとすれば、メレヨン島と沖縄の日本軍の違いはどこから生まれたのでしょうか。