アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記99・ブルーインパルス・命の重み・「アベノマスク」強要

2020年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

☆ブルーインパルス

 5月29日、東京の医療機関の上空を航空自衛隊・ブルーインパルスが飛んだ。医療関係者を「励ます」ためだという。多くの医師・看護師が屋上で見上げ、手を振り、感謝の言葉を口にした。すべてのメディアがそれを美談として報じた。

 心が重くなる光景だった。ブルーインパルスは自衛隊という軍隊の飛行隊だ。軍隊の存在をアピールするのが任務だ。複数の病院の屋上が映し出されたということは、報道させるために事前にメディアに告知されていたということだ。医療関係者の苦悩・苦闘を自衛隊・軍隊の誇示に利用する。安倍政権はどこまで無神経・悪辣なのか。

 軍隊は人を傷つけ命を奪うのが本分。命を守る医療とは真逆だ。その軍隊のデモンストレーション飛行を、感激して見上げていた人たちとは別に、快く思わなかった医師・看護師もいたのではないか。いや、きっといたはずだ、と信じたい。

☆「日本モデル」と命の重み

 5月25日、安倍首相は記者会見で「(コロナ感染を)ほぼ収束させることができた。日本モデルの力を示した」と自賛した。批判点は山ほどあるが、本質的な問題だけ書く。

 この時点で、コロナ感染による死亡者は、政府発表だけでも865人いた。この中には「自宅待機」という政府の誤った方針がなければ落とさずにすんだ命も少なくない。実際は感染が原因でも発表されない死亡者も多いだろう。たとえ、死亡者が1人だったとしても、ほんとうに救うことが出来なかったのか、胸に手をあてて対策を反省するのが為政者のすべきことではないか。

 人の命はだれもかけがえがない。その命をマスの数でとらえ、諸外国(いわゆる「先進諸国」)とくらべ、感染者・死亡者の数が少ないと自慢する。「日本モデル」と誇示する。そんな人物が国家権力を握っていることの恐ろしさを改めて思う。

☆「アベノマスク」強制

 5月30日、アパートのポストに「アベノマスク」が入っていた。安倍首相のアリバイづくりのための壮大な無駄遣い。見るのも不愉快だ。

 その「アベノマスク」を「必ず着用するように」と埼玉県・深谷市立の中学校が強要したというニュース(26日付各紙)に、暗澹たる思いだ。

 社会に得体のしれない不安が渦巻くと、人への攻撃と差別が広がる。それと表裏一体で、寄らば大樹の陰、権力へのおもねりが強まる。中学校の「アベノマスク」強要は、その氷山の一角だ。

 ことし3月、くしくも同じ埼玉県のさいたま市で、「マスク」配布の対象から朝鮮学校を排除する差別が発覚した。

 今や必需品となった「マスク」が、日本社会の現実を写し出している。


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沖縄県議選の無投票と東京都知事選

2020年05月30日 | 野党共闘

    

 沖縄県議選が29日告示されました(6月7日投開票)。全13選挙区中、4つの選挙区で無投票当選となります。由々しき事態です。そこには7月の東京都知事選(7月5日投開票)に通底する重大な問題があります。

 無投票になるのは、名護市区、石垣市区、浦添市区、うるま市区の4区。名護市は辺野古新基地問題、石垣市は自衛隊ミサイル部隊配備問題、浦添市は米軍軍港移転問題と、それぞれ基地をめぐる重大な問題を抱えている選挙区です。にもかかわらず当該有権者はそれについて選挙で意思表示することができません。

 どうしてこういう事態になるのでしょうか。玉城県政与党の「オール沖縄」陣営と、県政野党の自民が現有議席を維持することで“棲み分け”しているからです。
 例えば、名護市区も石垣市区も定数は2。辺野古新基地・自衛隊基地に基本的に反対の「オール沖縄」陣営と、賛成の自民党現職で議席を分け合っています。「オール沖縄」陣営はなぜ候補者を2名立てないのでしょうか。

 とりわけ姿勢を問いたいのは日本共産党です。共産党は全国の選挙で無投票を避けるため、勝利の展望とは別に、極力候補者を立ててきました。それは有権者に選挙権を保障するためだったはずです。なぜ沖縄ではそれをしないのでしょうか。なぜ名護市や石垣市に独自候補を立てて自民党の議席を奪いに行かないのでしょうか。

 それは、「オール沖縄」という“しばり”があるからではないでしょうか。県政与党(国政野党)の「共闘」という名の下に、独自の選挙活動の手を縛っているのではないでしょうか。

 同じことが危惧されるのが、東京都知事選です。

 自民党はすでに現職の小池百合子氏を支持する方針を固めています。「コロナ対策」でも安倍政権との共同歩調が目につきます。小池氏は来月上旬に正式に出馬表明するとみられています。

 これに対し、国政野党は「統一候補」を模索し、「5月中を目標に対抗馬選びを急ぐ」(25日付共同配信)と報じられていましたが、めどは立っていません。それどころか、国民民主の玉木雄一郎代表は「(コロナ対策の)最前線で取り組んでいる知事を代えることがどうなのか」(18日の記者会見)と、小池知事擁護の姿勢を見せています。もともと国民民主の前身は小池氏がつくった希望の党です。
 また、立憲民主のバックボーンである連合についても、「連合東京も小池氏と関係が良好で『対抗馬を立てる雰囲気ではない』(関係者)との声が上がる」(同共同配信)といいます。

 こんな国民民主や連合との「共闘」で小池氏に対抗する知事候補を立てようとしているのですから、まとまるはずがありません。このままでは小池氏の無投票再選という最悪の事態になる恐れがありました。

 そんな中、宇都宮健児氏が27日、正式に出馬表明しました(写真左)。その勇気に大きな拍手を送ります。政策・見識も素晴らしいです(後日詳述)。これで小池氏の無投票当選という悪夢は消えました。

 ここでも問われるのは共産党です。共産党は4年前の都知事選で、すでに候補者活動をすすめていた宇都宮氏を強引に降ろして、「野党統一候補」として鳥越俊太郎氏を立て、惨敗しました。

 共産党の志位和夫委員長は28日の会見で宇都宮氏の出馬表明について、「基本的な政治姿勢、基本政策は私たちと共有できると思います。日本共産党として、宇都宮さんの出馬表明を歓迎します。今後のたたかいについては、よく話し合っていきたい」(29日付しんぶん赤旗)と述べました。
 ところが志位氏は続けてこうも言いました。「この間、野党の党首間では、都知事選挙で統一候補を立ててたたかうことを何度も合意しています。わが党としては野党共闘でたたかう体制をつくるために努力したい」(同しんぶん赤旗)

 政党間の共闘とは、政策の一致点で行うものです。政策そっちのけで「とにかく一緒に」というのは共闘ではなく野合です。幻の「野党共闘」なるものに足を引っ張られて都知事選の大事な候補者を逃す―共産党は4年前の二の舞いを踏むつもりでしょうか。


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新型コロナと生態系、そして軍事基地

2020年05月28日 | 生態系・自然環境

   
 「コロナ後」の社会・世界のあり方を考える上で、たいへん示唆的な論考がありました。国際自然保護連合副会長などを歴任し霊長類学の世界的権威とされるラッセル・ミッターマイヤー氏(以下M氏)の「新型コロナと人間 生態系破壊まず止めよ」と題した論考(5月8日付中国新聞=共同配信)です。

 M氏はコロナ禍の背景には、「人類が地球上で1種の生物として極めて多くの個体数を誇るようになった事実」があり、「ある種が大量に増えることは、それに寄生する細菌、寄生虫、ウイルスにとっても非常に好都合」であること、ウイルスは「自然を破壊して数を大幅に増やした人類にとって強敵になりつつある」と考える視点が重要だと指摘します。

 「では、われわれは今、何をするべきだろうか」として、M氏は3点提唱します。

 「第一に、地球上の豊かな生物多様性を守る必要がある。多様性に富む生態系は、われわれの健康を守ってくれる

 「第二に、自然破壊を防ぎ、陸上の野生生物を生息地から捕獲して食べ物や薬、ペットなどとして利用する行為をやめること。野生生物の消費が、病原体に人間が直接、接触する機会を増やす

 「第三に、大量の肉の消費を減らし、植物ベースの食品への転換を図ること。哺乳類の生物重量の60%を占める家畜は病原体にとって好条件となる 」

 「新型コロナウイルスのまん延は、われわれへの警鐘である。当面の対策だけでなく、コロナ後の世界を展望する上で、病原体が将来、さらにたやすく宿主となるものを見つけることがないように、根本原因をなくする対策が求められている。
 良好な地球環境と、そこに暮らす人間の健康を守るためには、冷淡さと無自覚によって生態系を破壊する人々の行為を止めることは何よりも大切だ

 この指摘ですぐに想起されるのは、沖縄の辺野古(写真左)や高江、八重山諸島の基地建設です。
 日本で初めて「ホープスポット(希望の海)」(米国の環境NGO制定)に認定(2019年10月24日)された貴重な自然環境である大浦湾を、巨額の費用を投じて埋め立て、米軍基地(自衛隊との共同使用を想定)を造ろうとする辺野古新基地建設こそ、「冷淡さと無自覚によって生態系を破壊する」愚劣な行為の典型です(写真中は大浦湾に生息するジュゴン)。

 辺野古だけではありません。嘉手納基地や普天間基地(写真右)周辺の水源が有機フッ素化合物(PFAS)で汚染されていることが今大きな問題になっています。宮古島や石垣島の基地建設(自衛隊)は、生態系を破壊し、住民の飲料水の汚染を招きます。

 軍事基地はまさに自然環境・生態系破壊の拠点であす。新基地の建設を許さないことはもちろん、既存の基地を撤去することが環境・生態系保護にとっても中心的課題です。

 その点でも、「軍なき国」(5月18日のブログ参照)コスタリカは貴重な示唆を与えてくれます。コスタリカを訪れた沖縄県民間教育研究所の長堂登志子所長は、同国が「森林法改定」(1996年)や「生物多様性法」(98年)で法的に多様性を保護し、動植物や水、空気などの自然資源は公のものとの考えで、国土の25%以上を国立公園や保護地区に指定してきたことに触れ、こう指摘しています。
 「多様性に富んだ大浦湾、宮古や八重山の自然を破壊し、軍事基地のために膨大な金を使う日本は、子どもたちに豊かな未来が残せるのか」(14日付琉球新報「論壇」)

 ウイルスから人類を守るための生態系の保護と、軍事基地撤去・軍縮・軍備廃止は一体不可分です。


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コロナ禍で日米同盟・トランプ追従あらわにした安倍会見

2020年05月26日 | 日米同盟と安倍政権

    
 安倍晋三首相の無責任・厚顔無恥はもはやニュースではありませんが、25日の「緊急事態宣言全面解除」会見には、これまでのコロナ関連会見にない特徴がありました。

 午後6時から23分にわたる冒頭発言の最後に、安倍首相はこう言いました。
 「内向きであってはならない。こういうときこそ、自由・民主主義・基本的人権・法の支配といった普遍的価値を堅持し、こうした価値を共有する国々と手を携え世界の感染症対策に強いリーダーシップを発揮していくのが日本の責任だ」

 黒川東京高検検事長の「訓告処分」についてはあくまでも法務省に責任を転嫁し、世論調査の支持率が軒並み急落している政権末期症状の中で、「世界にリーダーシップ」とは噴飯ものですが、さらに問題はその前段です。

 唐突に持ち出した「自由・民主主義・基本的人権・法の支配」。抽象的な言葉を並べていますが、明らかに中国をけん制したものです。それをいち早く察知して(まるで会見前から知っていたかのように)、NHKはまだ会見が終わらない午後7時のニュースの冒頭で、「香港、台湾問題をかかえる中国に対し…」とコメントしました。

 NHKの会見中継は6時43分に打ち切られましたが、ユーチューブでそのあとを確認すると、会見終了間際に、ウォールストリートジャーナルの記者が冒頭発言のこの部分をとらえて質問しました。「アメリカと中国が対立しているが、日本はどっちにつくのか?」(こうした的を射た質問をするのはたいがい外国人記者です)。

 これに対し安倍氏はこう答えました。
 「コロナウイルスが中国から世界に広がったのは事実」「アメリカは日本の唯一の同盟国だ。アメリカと協力して国際的問題に取り組んでいく」「中国には責任ある対応を期待したい」

 コロナ感染に関してトランプ大統領が根拠を示さないまま中国を批判し、WHOへの拠出金を大幅に削減する挙に出たことは、ウイルスの世界的感染を防ぐために求められている国際連帯に逆行するものとして世界から顰蹙をかっています。安倍氏はこの日の会見で、そのトランプ氏を支持し追従していくことを明確に表明したのです。日本の不見識を世界にさらしたものと言わねばなりません。

 元凶は安倍氏自身が述べたように、日米同盟すなわち安保条約によるに日米軍事同盟です。
 「コロナ後」の政治・社会のあり方を考えるとき、重要な目標になるのは真の国際協力・国際連帯です。それを阻んでいるのがトランプ氏に代表される「自国中心主義」であり、武力で対立し軍備増強を競い合う軍事同盟体制です。軍事同盟体制の解消こそは、「コロナ後」の世界が目指すべき重要な目標です。
 安倍首相の会見を反面教師に、いまこそ日米軍事同盟・安保条約体制の解消へ向かって進まねばなりません。

 


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「コロナ」の陰で小池都知事がすすめる暴挙

2020年05月25日 | 差別・人権

     
 「コロナ」でテレビに登場しない日がない小池百合子都知事ですが、世の中の関心が「コロナ」に集中している陰でとんでもないことを目論んでいます。

 「毎年9月1日に東京墨田区の横網町公園で開かれる関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者追悼式の開催に、東京都が一種の「順法誓約書」の提出を要求して、物議を醸している。行事を主催する日本の市民団体は、追悼式の開催を萎縮させかねない内容だとして撤回を求める声明を出した」(19日付ハンギョレ新聞日本語電子版)

 「声明」(18日)を出したのは「9・1関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」。それによると、経過はこうです。

 昨年9月以降、都(小池知事)は、朝鮮人犠牲者追悼式典の公園使用許可申請の受理を3回にわたって拒否
 12月24日、都は「集会を開催する場合の占有許可条件」(以下「条件」)を文書で実行委に提示。
 今年2月、実行委は都に対し、これまでの追悼集会が「条件」に反していないことの確認を文書で要求。都は「今回設けた条件に概ね合致している」と文書で回答。
 にもかかわらず、いまだに使用許可申請は受理されていない。

 都が提示した「条件」の主な内容は次の通りです。

 「公園管理上支障となる行為は行わない」「(都主催の大法要と重なる時間は)拡声音量装置は使用しない」「(集会で使用する拡声器は)必要最小限の音量にする」。そして、こうした「条件」を「遵守する」旨の「誓約書」を小池知事に提出すること。「誓約書」には「(都が)必要な指示をした場合は、その指示に従います。…指示に従わなかったことにより、次年度以降、公園地の占用が許可されない場合があることに異存はありません」と明記。

 広島市が「8・6」平和公園での集会に音量規制をかけようとしていることを想起させますが、東京都の場合はもっと悪質です。小池知事の今回の所業には背景があります。

 実行委が追悼集会(写真右)を始めたのは1973年。朝鮮人犠牲者追悼碑が横網公園に建立され年からです。碑の建立実行委員会には都議会全会派の代表も参加していました。以後、追悼式典には毎年、歴代都知事から追悼文が寄せられました。
 ところが、小池氏は知事就任翌年の2017年から、式典に追悼文を寄せることを拒否。

 同じく2017年から、追悼式典と同時刻同じ場所で、右翼団体「日本女性の会 そよ風」が集会。「彼らは集会で、『日本人も(朝鮮人に)やられた』と主張し、朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典を妨害」(19日付ハンギョレ新聞)。

 「そよ風」は今年2月、都が「条件」を通知したことについて、「ブログに『誓約書を書けば…晴れてもう一つの慰霊祭の存在が認められる…40年間反日左翼だけの言論空間だった公園が、両論併記になったのです』と書いて」(同ハンギョレ新聞)、小池知事の措置を歓迎。
 小池氏は、「2010年に『そよ風』主催の集会で講演」(都への抗議・要請署名サイト)しています。

 小池氏はもともと、右翼団体「日本会議」と深い関係にあります。知事選に出馬するまでの自民党国会議員時代は「日本会議議連」の副会長を務めていました。
 知事就任直後には、「朝鮮学校が朝鮮総連の強い影響下にあると結論づけた都調査報告書」を都のHPにアップ(2016年9月20日付産経新聞)するなど、朝鮮学校敵視をあらわにしてきました。

 小池氏は、公園使用の「条件」を示し「誓約書」を取ることによって、朝鮮人虐殺犠牲者追悼集会に干渉・規制し、同時に、追悼集会を妨害する右翼団体の違法なヘイト集会(2016年6月3日施行の「ヘイトスピーチ解消法」違反)を取り締まるどころか、逆にそれに市民権を与えようとしているのです。
 「コロナ」の陰ですすめられている小池氏の暴挙を絶対に許すことはできません。

 


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日曜日記98・「コロナ禍」で生き方を考える<1>

2020年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

 「コロナ禍」は、われわれに、私に、命を守るだけでなく、新たな生き方を求めている。参考にしたい識者の言葉を書き留めていこう。(抽出、見出しは私)

◎ 愛情や共感を示すための武器 大野更紗さん(医療社会学者)(4月8日付中国新聞=共同)

 「このウイルスが社会的に脅威なのは、人間を孤立させてしまう強力な力があるからです。人と人が物理的な距離を取らないといけない。コミュニティーから離れ、家で独り仕事をし、家族にすら自由に会いに行けない。無症状でも感染の恐れはあり、誰が感染しているか分からない。相互不信をあおり、あらゆる社会的連帯を阻む。事態が長期化するほど、社会的孤立にどう対抗できるかが問われると思います。
 でも希望は見いだせます。連帯の可能性は、科学の知見や先端技術を、愛情や共感を示すための武器とできるかどうかにかかっています。」

◎ 身の丈に合ったグローバリズム 東浩紀さん(批評家)(4月9日付同)

 「新型コロナウイルスによって、グローバルなコミュニティが崩壊しかねない状況に追い込まれています。世界全体でどう対処するかという方針は誰も決められず、それぞれの国が自国民だけを守ろうとしている。
 今回、僕たちの社会が持っている弱点があぶり出されました。事態の収束後、この経験は大きな傷をグローバルコミュニティーに残すでしょう。歴史の転換点になっていくし、政治思想の大きな転機になる予感がします。
 その弱さを知った上で、身の丈に合ったグローバリズムをいかに再構築するかが求められていると思います。」

 問われているのは各個人 将棋面貴巳さん(ニュージーランド・オタゴ大教授)(4月11日付同)

 「日本を海外から見ていて気になるのは「日本人なら危機を乗り切れる」といった、ナショナリスティックな言説が散見されることです。問われているのは各個人が「善き市民」であるかどうかであり、日本人というアイデンティティと結びつける必要はない。
 こうした根拠のないナショナリズムは、相互監視と他人への不信を生み出します。その同調圧力に政府が便乗するようでは、もはや「暴政」でしょう。仮に感染拡大を防止できても、市民社会にとって危険な後遺症となってしまう恐れがある。
 重要なのは「他人はどうあれ、自分はやるべきことをする」という姿勢です。それを前提に個人同士が結束をしていかなくてはなりません。」


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「賭けマージャン」でなければいいのか

2020年05月23日 | 政権とメディア

    
 黒川弘務東京高検検事長の「賭けマージャン・辞任」は、懲戒処分でもない「訓告」でお茶を濁し、6000万円の退職金までつけて身を引かせようとするもので、市民を愚弄するにもほどがあります。責任があげて安倍晋三首相にあることは明白で、安倍内閣は即刻総辞職すべきです。

 同時に、今回の「賭けマージャン」問題がもつ重大な意味は、それだけではありません。

 新聞などメディアが今回のことで共通して問題にしているのは、①検察幹部が賭博という犯罪を犯していた②コロナ緊急事態宣言で政府が外出自粛を求めている最中だった③国会で検察庁法改正案を審議中だった―の3点です。マージャンの相手だった産経新聞の記者(次長と司法担当記者)、朝日新聞社員(元司法担当記者)の責任を問う声も、この3点が理由でしょう。

 上記3点が問題であることは言うまでもありません。しかし、問題はそれだけでしょうか。外出自粛要請中でなく法案審議中でもなく賭けマージャンでなければ、問題はないのでしょうか。「識者」らのコメントはそうなっています。

 たとえば、ジャーナリストの大谷昭宏氏は、「相手の懐に入って情報を取るのはメディアの常とう手段。きれい事では済まない。マージャンもゴルフも付き合いの中で必然的に出てくる」としてうえで、「懐に入るのと癒着は違う」と述べています(22日付共同配信各紙)。
 山田健太専修大教授(言論法)も、「取材対象に食い込むため、さまざまな方法で信頼関係を築く必要性に言及し『食事やマージャンは許されないことではない。…全て禁止されたら記者は困るだろうし、知る権利が損なわれる』」(同)としています。

 こうした考えはおそらくメディア関係者に共通するものでしょう。市民もそれを是としているように思われます。しかし、この考えこそが、権力とメディアの癒着を生み、メディアを劣化・退廃させている元凶ではないでしょうか。

 大谷氏や山田氏に代表される上記の主張には、解決不能な危険性と、根本的な問題の取り違えいがあります。

 解決不能な危険性とは、「懐に入る」ことと「癒着」の区別は不可能だということです。
 大谷氏はその「違い」として、「この記者たちは黒川氏に厳しいことも書けるのか」と問いかけていますが、きくまでもなく「厳しいこと」など書けるわけがありません。書くつもりもないでしょう。書かないからこそその関係が3年も続いてきたのです。
 マージャンや食事をしながら「厳しいこと」、相手の痛いところを記事にすることは不可能です。書いた時点で「懐に入る」関係は遮断されます。「懐に入る」ことと「癒着」は同義と言って過言ではありません。

 根本的な問題の取り違えとは、取材対象(国家をはじめとする諸権力)の「懐に入る」「食い込む」「信頼関係を築く」ことを記者としての取材の一環だとしていることです。
 取材対象(権力)とのマージャンや食事は取材などではありません。権力とのマージャンや食事でつくられるとする「信頼関係」とはいったいどんな「信頼関係」なのでしょうか。

 仮にマージャンや食事が「取材」だとすれば、それは相手が公式の場(会見など)では言わない(言えない)ことを、ふと漏らすことを期待することでしょう。それをリークと言います。リークで記者は他の記者が知らない情報を得た(場合によっては特ダネを得た)つもりになるかもしれませんが、それは相手(権力)から言わせれば、情報操作です。本来公表すべき情報を隠し、小出しにして記者を手玉に取っているのです。

 記者の本来の取材とは、相手(権力)が絶対に漏らすことのない核心的事実を地道な取材で調べ上げること、すなわち調査報道です。ロッキード事件もリクルート事件もそうでした。調査報道にマージャンや食事は必要ありません。
 マージャンや食事で「懐に入る」ことを「常とう手段」として肯定するのは、本来行うべき調査報道を行わないメディアの劣化の自己弁護にほかなりません。

 今回の「黒川賭けマージャン」問題で改めて教訓にすべきは(これまで何度もその機会はありましたが)、「常とう手段」「常識」として肯定されている権力の「懐に入る」関係、癒着の構造に今度こそメスを入れ、真の権力の監視者として調査報道を抜本的に強化し、メディアの再生を図ることではないでしょうか。

 


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甲子園中止・球児たちの意見表明権は?

2020年05月21日 | 日本の政治と民主主義

    

 高野連は20日、今年の「夏の甲子園」の中止を決めました。その評価には賛否あるでしょう。多くは、残念だがコロナ感染防止のためには仕方がない、かもしれません。しかし、その賛否以前に問わねばならないことがあります。高野連は、文科省は、中止決定の前に、当事者である高校球児たちの意見をきいたのでしょうか?球児たちに意見表明の機会を与えたのでしょうか?

 答えは、否です。中止の決定は球児たちの意見をきくことなく、一方的に、上(大人社会)から下されたものです。「意見をきけば、中止反対、実施せよと言うに決まっている」というのは何の言い訳にもなりません。どのような意見が出されようと、球児たちの意見を聞く必要がありました。それを踏まえて議論して決定は下す必要がありました。

 なぜなら、球児たちには、意見表明権があるからです。

 「子どもの権利条約」(1989年11月20日の国連総会で満場一致で採択、日本は1994年4月22日に批准。以下の引用は英語の正文を日本政府が訳したもの)第12条第1項はこう規定しています。

 「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」(引用者注・「児童とは、十八歳未満のすべての者をいう」同条約第1条)

 日本政府・日本社会は「子どもの権利条約」を順守する義務があります。高校球児たちの意見表明権を保障する義務があるのです。

 意見表明権が保障されなければならないのは、もちろん高校球児たちだけではありません。

 コロナ禍で一方的に決定され継続している学校休業。その決定において、当の児童・生徒に意見表明の場は保障されたでしょうか。否です。子どもたちにとってきわめて重要な権利である教育を受ける権利が奪われるとき、当事者である子どもたちの意見が求められることはありませんでした。

 それは安倍晋三首相が政府部内の議論さえないまま突然行った「全国一斉休校宣言」(2月27日、写真中)が皮切りでした。以後、「感染防止」の大義名分によって子どもたちから一方的に有無を言わせず教育を受ける権利が奪われてきました。これは「子どもの権利条約」に反しています。学校休業問題について、子どもたちに意見表明権が保障されるべきです。

 私がこのことに気づかされたのは、4月18日に放送されたETV特集「7人の小さき探究者」でした。PC4(ピーシーフォー)という対話重視の新たな教育法を実践している宮城県・気仙沼の小学校を紹介したものです。

 その中で、安倍首相の「全国一斉休校」を聞かされた1人の小学6年の女子が言いました。「勝手に決めないでほしい。私たちも意見を言いたい」(写真右)。その言葉に衝撃を受けました。

 コロナ禍は多くの社会的弱者に打撃を与えていますが、中でも様々な権利を奪われているのが子どもたち、世界の子どもたちです。
 「コロナ後」の新しい政治・社会を模索するとき、大きな指針にすべきなのが「子どもの権利条約」です。コロナ禍を奇貨として、私たちは改めて「子どもの権利条約」を座右におく必要があるのではないでしょうか。


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NHK朝ドラ・なぜ今「古関裕而」なのか

2020年05月19日 | 政権とメディア

    

 NHK朝ドラ「エール」は20%台の高視聴率のようです。主人公のモデルは、作曲家の古関裕而(1909~1989、写真左)。朝ドラが取り上げたことにより、古関に関する新刊本もいくつか発行され、新聞でも取り上げられ、ちょっとした「古関ブーム」の様相があります。
 なぜいま古関裕而なのでしょうか。昨年が生誕110年だっただけではないでしょう。古関裕而とはいかなる作曲家だったのか。4つのキーワードでみてみましょう

 第1に、「東京五輪」です。
 古関の代表曲の1つは、1964年10月10日の東京五輪開会式で流された「オリンピックマーチ」です。朝ドラの初回放送が東京五輪のシーン(写真中)から始まったことからも、古関を取り上げた意図に「東京五輪」への協賛があったことは間違いないでしょう。

 朝ドラと並ぶNHKのもう1つの看板番組である大河ドラマも、前回は東京五輪をテーマにした「いだてん」でした。しかし「いだてん」は大河史上最低の視聴率に沈み、「エール」は放送が始まる直前に「東京五輪1年延期」が決定しました。

 第2は、「軍歌(戦時歌謡)」です。
 古関の作曲した曲は約5000曲といわれていますが、その中の多くは軍歌です。「満州征旅の歌」(1931年)を皮切りに、「露営の歌」(37年)、「南京陥落」(同)、「麦と兵隊」(38年)、「暁に祈る」(40年)、「『戦陣訓』の歌」(41年)、「若鷲の歌」(43年)など、代表的な軍歌は軒並み古関の作曲です。

 「エール」の風俗考証も担当している刑部芳則氏(日大准教授)は、「日中戦争が起きなければ、古関は古賀政男や服部良一と肩を並べて、昭和の三大作曲家になることはできなかっただろう。…戦時中(は)古関メロディーの独壇場となったのである」(『古関裕而』中公新書2019年)と述べています。

 時代の潮流に迎合して軍歌を量産した古関の戦争責任は軽視できません。

 「一連の“飛行機もの”というべき軍歌は…予科練への憧れをかきたてた。なかでも映画『決戦の大空へ』の挿入歌『若鷲の歌』は大ヒットし、多くの少年を予科練志望へと駆り立てた。…戦争末期になると、予科練生は満足な訓練を受けることなく、その多くは特攻隊員となって戦死している。軍歌が若者を死地へといざなった顕著な例だったといえる」(小村公次著『徹底検証 日本の軍歌』学習の友社2011年)

 第3は、「自衛隊」です。
 東京五輪開会式(64年)で古関の「オリンピックマーチ」を演奏した中心は陸・海・空の自衛隊音楽隊でした。
 1961年、自衛隊は「創立10周年」(警察予備隊から数えて)を記念して、陸上自衛隊歌「この国は」「君のその手で」を、さらに71年には「創立20周年」を記念して陸自歌「栄光の旗の下に」、海自歌「海を行く」をつくりましたが、作曲はすべて古関です。このほかにも古関は「自衛隊関連の歌をいくつも作曲している」(刑部氏、前掲書)のです。

 戦争責任の自覚もなく、敗戦後も軍歌(自衛隊歌)をつくりつづけてきたのが古関裕而です。

 第4は、「天皇(制)」です。
 1928年11月10日、天皇裕仁の即位式が行われました。それに先立ち、古関は「御大典奉祝行進曲」なる曲を作曲しています。まだ19歳、銀行に勤務していた時です。
 1940年9月、皇族の北白川宮永久が中国侵略戦争に従軍して事故死したさい、「嗚呼北白川宮殿下」なる歌がつくられました。作曲を指名されたのは古関でした。
 前述の「オリンピックマーチ」について、古関はこの曲に「隠し味」を入れたと自ら述べています。それは、「曲の最後に君が代の後半のメロディーを入れた」(「サンデー毎日」1964年11月1日号、刑部氏前掲書より)ことです。開会式に名誉総裁として臨席する天皇裕仁を意識していたことは間違いないでしょう。

 「東京五輪」「軍歌」「自衛隊」「天皇(制)」―この4つが結合した作曲家が古関裕而だったと言えます。その古関をNHKが今年の朝ドラのモデルに取り上げたのは、安倍政権下の現在の政治情勢と決して無縁ではないでしょう。


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コロナ対策で証明された「軍なき国」の優位性

2020年05月18日 | 憲法と日米安保・自衛隊

    
 <「軍なき国」感染抑止成功>こんな見出しの記事(11日付沖縄タイムス=共同配信)が目を引きました。
 「中米コスタリカが新型コロナウイルスの感染拡大抑止に成功を収めている。政府の素早い対応に加え、1949年施行の憲法で軍隊を廃止した同国では、中南米の他の国々よりも保健や教育分野に多くの予算を費やしてきたことが背景にあるようだ」

 コスタリカ保健省によると、同国の感染者は780人、死者は6人(5月9日現在)。隣国のパナマ(感染者8千人以上、死者200人以上)と対照的です。
 コスタリカでは、国内初の感染者が確認された3月6日の直後から、大規模イベント禁止やテレワークを推奨し、同16日には国境を閉鎖、学校を休校にしました。

 ちなみに日本は、国内初の感染者が確認されたのが1月16日。しかし安倍政権は「東京オリ・パラ」開催に固執し続け、「感染対策基本方針」を決めたのはそれから1カ月以上経過し、国内感染者が150人を超えた2月24日でした。

 今年1月末にコスタリカを訪れた沖縄民間教育研究所の長堂登志子所長は、同国の現状をこう報告しています。
 「医療費は誰でも窓口負担はゼロ。夜間診療も全く同じ。旅行者も不法滞在者ももちろん移民も同じくゼロ。教育費も高校生までは国内の全ての子どもたちが無償。大学生も給付型奨学金が充実している。教育への権利は人権として確立している。500万の人口の中で100万人が主にニカラグアから移民としてやってきているが、全ての子どもたちに教育の権利を保障している」(14日付琉球新報「論壇」)。

 こうした政策がとれるのも、「憲法12条に『常設の組織としての軍隊はこれを禁止する』として、本当に軍隊を持たない国」であり、そのため「国家予算の3割を占めていた軍事費を主に『医療費』と『教育費』に充てている」(長堂氏、同)からです。

 軍隊を放棄した憲法に基づくコスタリカの政策の成果が今回のコロナ対策ではっきり表れたと言えます。コロナはじめ感染症との共存が不可避である限り、コスタリカの優位性は輝き続けるでしょう。

 一方、日本はどうでしょうか。軍事費は、2020年度予算で5兆3133億円、8年連続膨張し続け、過去最高です。一貫した軍拡政策の下で、医療はじめ福祉、教育予算は切り捨てられてきました。

 たとえば、全国保健所長会によると、いままさにコロナ対策の最前線で苦闘を続けている保健所は、1990年度に850カ所あったものが、2019年度には472カ所にほぼ半減しました(10日付毎日新聞)。軍事費膨張の一方で医療・福祉を切り捨ててきたツケが、いまコロナ対策の苦闘となって回ってきているのです。

 コスタリカと日本の根本的な違いがここにあります。しかし、そもそも軍隊を放棄したコスタリカの憲法12条は日本の憲法9条に倣ったものです。9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(第2項)と明記しています。本来、日本が「軍なき国」の模範になるはずだったのです。それが歴代自民党政権によって踏みにじられてきました。憲法9条、前文に照らせば、「自衛隊」という名の軍隊も、「日米安保」という名の軍事同盟も、明白な憲法違反です。

 「コロナ後」の新しい政治・社会のあり方が問われているいまこそ、憲法9条、前文の原則に立ち返り、「軍なき国・日本」へ向かうべきではないでしょうか。


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