アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

サッカーW杯・人権侵害に抗議広がる欧州、お祭り騒ぎの日本

2022年11月21日 | 差別・人権
   

 サッカーワールドカップが20日、中東のカタールで始まりました。日本のメディアは、「初のベスト8なるか」など「日本代表」の勝敗に焦点を当て、「国」を挙げたお祭り騒ぎを煽っています。

 しかし、欧州・豪州は違います。カタールのさまざまな人権侵害に対する抗議、観戦ボイコットが広がっているのです。

 W杯に直接関係しているカタールの人権侵害は、会場建設などに携わった外国人労働者の搾取・虐待です(写真中)。

 英ガーディアン紙は2021年2月に、W 杯開催が決まってからの10年間で、6500人以上の外国人労働者が死亡したと報じ、欧州に大きな衝撃を与えました。
 アムネスティ・インターナショナルはその根源に「カファラ」という搾取制度があることを指摘し、カタール政府やFIFA(国際サッカー連盟)に改善を申し入れてきましたが、事態は改善されていません。(2月3日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20220203)

 加えて問題になっているのが、LGBTQ(性的少数者)に対する人権侵害です。

 カタールでは同性愛行為が法律で禁じられていますが、国際人権団体は今年10月、「当局が性的少数者を不当に拘束、虐待している」として渡航に注意を促しました(18日付沖縄タイムス=共同)。

 10月27日には、オーストラリア代表の選手らがこの問題で、「効果的な改善策」を要求する異例のビデオ声明を出しました(17日付日経新聞)。

 欧州各地で起こっている抗議・ボイコットの動きは次の通りです(共同、日経、NHKの報道より)。

ドイツ プロリーグ「ブンデスリーガ」のスタジアムに「ボイコット・カタール」の横断幕が掲げられてきた(写真左)。
 ベルリンやミュンヘンでもパブリックビューイングの目立った計画はなく、横断幕を掲げる店も多い。
 11月1日にドーハを訪れたナンシー・フェーザー内務・スポーツ相は、「全ての人にとってW 杯は安全な祭典であるべきだ」と発言。
 選手団のチャーター機の機体に「多様性尊重を」のメッセージ。

スペイン バルセロナのコラウ市長は10月下旬、同国代表戦の観戦に公共施設などを提供しないと表明。提供すれば「人権を侵害する国の共犯になる」からだという。

フランス 人権問題などを理由にパリやマルセイユが観戦イベントを開催しないと宣言。

デンマーク 死亡した労働者を追悼する黒いユニフォームも。

オランダ 選手が外国人労働者に面会予定。差別に反対する腕章。

元代表選手ら 元ドイツ代表主将のフィリップ・ラーム、元フランス代表主将のエリック・カントナらが「ボイコット」の声を上げる。

 日本はどうでしょうか。選手や政治家からカタールの人権侵害に対する抗議やボイコットの声が出ているでしょうか。メディアは欧州の動きを伝えるだけで、自ら批判の論説・主張を掲げているでしょうか。そして、サッカーファンをはじめとする市民は、カタールW 杯の暗部、人権侵害の実態にどれだけ目を向けているでしょうか。

 人権侵害(差別)を見て見ぬふりをして、「勝敗」だけを眼中に競技に没入し、「日の丸」を振ってそれを応援し、メディアがそれを煽る。こんな人権後進国の実態から脱却しなければなりません。

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あふれる「排除アート」と無自覚の加害性

2022年10月21日 | 差別・人権
   

 渋谷区のバス停ベンチで休んでいた大林三佐子さんが殺害された事件(2020年11月16日、写真左は現場)をモチーフにした映画「夜明けまでバス停で」(監督・高橋判明、脚本・梶原阿貴、主演・板谷由夏)が8日から公開されています。

 五十嵐太郎・東北大大学院教授(建築史・理論)は、現場のベンチが手すりで仕切られて横になることができない仕様になっていたことに注目しました。

 五十嵐氏の調査では、こうしたベンチは近辺にあふれていました。ベンチだけでなく突起物をデザインした「アート」は珍しくありません。それらはホームレスが横になれないようにした「排除アート」です。

「何も考えなければ、歩行者の目を楽しませるアートに見えるかもしれない。…しかし、その意図に気づくと、都市は悪意に満ちている。私見によれば、1990年代後半から、オウム真理教による地下鉄サリン事件を契機に、日本では他者への不寛容とセキュリティ意識が増大し、監視カメラが普及するのと平行しながら、こうした排除系アートやベンチが出現した。ハイテク監視とローテクで物理的な装置である」(五十嵐太郎著『誰のための排除アート? 不寛容と自己責任論』岩波ブックレット2022年6月)

 五十嵐氏の本を読んで、自分が住むアパートの近辺を自転車で10分余ゆっくり走ってみました。すると、近所の中央公園に、バス停に、仕切りベンチをはじめ「排除アート」が随所にあることが分かりました(写真中、右)。

 五十嵐氏は、「排除アート」と「通常の市民」の関係についてこう指摘します。

「おそらく、通常の生活をしている人は、仕切りがついたことを深く考えなければ、その意図は意識されないだろう。言葉で「~禁止」と、はっきり書いていないからだ。しかし、排除される側にとって、そのメッセージは明快である。つまり、排除ベンチは、言語を介在しない、かたちのデザインによるコミュニケーションを行う。
 禁止だと命令はしないが、なんとなく無意識のうちに行動を制限する。これは環境型の権力なのだ」(同)

 アーティストの工藤春香氏は、「排除アート」と旧優生保護法による人権侵害の共通性に注目します。

<(工藤氏は)障害者らに不妊手術を強いた旧優生保護法には、「誰が『市民』で、誰がそうでないのかを線引きする」排除アートが重なると指摘。「誰しも無自覚のままに排除に加担するかもしれない怖さ」も感じている。
 「誰かが決めたルールを何となく受け入れ、倫理として内面化していないか。それにはじかれた人が何を思うのか。意識的に考え、疑問を持ち、地道に声を上げ続けるしかないと思います」>(4日付沖縄タイムス=共同)

 きわめて根源的な問題提起です。国家権力は「~禁止」と露骨な表現(命令)を避けて、結果として「国家」にとって都合の悪い人間(グループ)を排除する。「通常の市民」は「無自覚のまま排除に加担する」。

 ホームレスだけの問題でないことは言うまでもありません。障害者、在日朝鮮人、沖縄(琉球)、アイヌなど、日本社会で差別されている人々はすべてそうした「無自覚の排除」の犠牲者ではないでしょうか。

 そしてその「排除」は、やがて「国家」に従順でない人々に向けられ、戦時体制で頂点に達します。「通常の市民」は“非国民”の「排除」に無自覚のまま加担する…。

 そんな、排除・差別の社会をつくる国家権力の策動が、ますます強まっていると感じざるをえません。

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性風俗事業を「給付対象外」とした地裁判決は何が問題か

2022年07月02日 | 差別・人権
   

 性風俗事業者がコロナ対策の持続化給付金などの支給対象外とされたのは、憲法が保障する「法の下の平等」に反すると、関西地方のデリバリーヘルス(派遣型風俗店)運営会社が国などに未払い金など約450万円の支払いを求めた訴訟で、東京地裁(岡田幸人裁判長)は6月30日、対象外としたことは「合憲」だとし、請求を退けました。

 このニュースはそれほど大きく扱われませんでしたが、たいへん重要な問題を含んでいます。

 第1に、判決が原告の主張を退けた主な理由を、「(性風俗業は)大多数の国民が共有する性的道義観念に反し…公的に認知するのは相当ではない」としていることです。

 明らかな職業差別ですが、ただの差別ではありません。「大多数の国民が共有する性的道義観念」とは何なのか?その説明もなく漠然とした「性的道義観念」なるものを強調することは、特定の仕事に従事している人々に対する社会的偏見・差別を助長することにほかなりません。
 
 性風俗に従事している人々は、多くの場合、貧困など生活困難な状況に置かれている「社会的弱者」ではないでしょうか。そうした人々を蔑視し、「卑しい仕事」のレッテルを張ることは、近世以降、社会を分断して統治する差別支配の常套手段です。それが21世紀の今日、「コロナ禍」に関連して、司法によって公然と行われたことは、日本の司法・社会の人権意識の後進性を象徴的に示すものです。

 原告は判決後の記者会見(写真中)で次のようなコメントを読み上げました。
「性風俗産業はまともな職業ではない、裁判所までもがそう言った。『世の中から後ろ指をさされている、だからあきらめろ』と。職業をおとしめる判決だ」(6月30日朝日新聞デジタル)

 第2に、判決が「合憲」とした差別が、「公的給付」からの排除という形態をとっていることです。

 判決について、性風俗規制の研究もしている岩切大地・立正大教授(憲法)はこう指摘しています。

「行政が国民の自由を直接制限するのではなく、公的給付に条件をつけたり対象外にしたりすることで、国民の権利を実質的に制限することがある。今回の問題も一例と言える」「『裁量権の範囲内だ』で済ませようとする行政側に、根拠を問いただすことが権力監視のうえで重要だ。今回の裁判のように、一つひとつ司法に問う意義は大きい」(6月30日の朝日新聞デジタル)

 国・地方自治体は、ある人々・グループを「公的給付」の対象から排除することによって、「差別」を露骨に口にすることなく実質的に人権を侵害し、差別を生み、助長します。今回の訴訟で問われたのもその点です。

 想起されるのは、朝鮮学校が高校無償化という公的制度から排除された問題です。安倍政権から始まったこの差別は、朝鮮学校を「公的給付」の対象外にすることによって在日朝鮮人に対する差別、さらに朝鮮民主主義人民共和国に対する偏見を助長する差別政策の典型でした。

 これに対し、生徒や親たちによって全国5カ所で訴訟が起こされました(写真右)。すべて「敗訴」という結果になりましたが、そのたたかいの意義は今もたいへん大きいと改めて思います。

 「公的給付」の対象から除外すると言う差別行政とそれを追認する司法。これを見過ごす、黙認することは、単に差別行政を許すだけでなく、職業差別、民族差別など社会の差別構造を放置し助長することになります。

 日本社会に生きる私たちが、この問題をいかに自分事として捉え、勇気をもって訴えた原告らと怒りを共有することができるか。それが問われています。


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「不登校の子どもの権利宣言」に学ぶ

2022年05月05日 | 差別・人権
  

 憲法学者の木村草太氏は、1日付沖縄タイムスの定期コラムで、「不登校と心身症」と題して「不登校」について論じています。
 「もちろん、全ての不登校の原因が心身症なわけではない。ただ、「心身症が原因のこともある」ということを頭のどこかに入れておくことは大事だ」と述べています。「根性論を振りかざしてはいけない」という指摘には同意しますが、「不登校」を「心身症」の視点から論じることには強い違和感を禁じ得ません。「不登校」が「病気」であるかのような誤った認識・印象につながるからです。

 いわゆる「不登校」が問いかけているものは、子ども(もちろん「不登校」に限らず)の権利が保障されていない学校や社会のあり方です。

 「不登校」の子どもたちがそれを訴えている「宣言」があることを、沖縄県民間教育研究所機関誌「共育者」の最新号(第28号)で知りました。「不登校の子どもの権利宣言」(以下「宣言」)です。

 自身小学4年生から「不登校」で苦しみ、19歳のときに「宣言」づくりに参加した彦田来留未さん(「不登校の子どもの権利宣言」を広めるネットワーク代表)によると、「宣言」は東京のフリースクールで開かれた「子どもの権利条約」(1990年国際条約として発効)を学ぶ講座の中から生まれ、2009年8月、全国子ども交流合宿で採択されました(写真は採択のようす=「不登校新聞」のサイトより)。

 彦田さんは、「「ひとりひとりの声が社会を動かした歴史がある」ということをこの13年間の活動のなかで知ることができました。不登校の長い歴史を通して、自分の声もちっぽけではなく、周りの人と力を合わせれば社会は変えられるのだと、教えてもらえました」と語っています(前掲「共育者」)。
 まさに、「学校外」で、たいへん貴重なものを学んできたのです。

 彦田さんはまた、こうも話しています。
学校外で育つひとたちの姿を見て両親もだんだんと大きく変わっていきました

 30年前、私も子どもの「不登校」に戸惑い、右往左往しながら、多くのことを学ばせてもらいました。
 親は、おとなは、子どもから学び、子どもとともに成長し、一緒に社会を変えていかねばならない。「不登校」はそのこと教えてくれています。
 「宣言」を全文転載します。

「不登校の子どもの権利宣言」

前文
 私たち子どもはひとりひとりが個性を持った人間です。

 しかし、不登校をしている私たちの多くが、学校に行くことが当たり前という社会の価値観の中で、私たちの悩みや思いを、十分に理解できない人たちから心無い言葉を言われ、傷つけられることを経験しています。

 不登校の私たちの権利を伝えるため、すべてのおとなたちに向けて私たちは声をあげます。

 おとなたち、特に保護者や教師は、子どもの声に耳を傾け、私たちの考えや個々の価値観と、子どもの最善の利益を尊重してください。そして共に生きやすい社会をつくっていきませんか。 

 多くの不登校の子どもや、苦しみながら学校に行き続けている子どもが、一人でも自身に合った生き方や学び方を選べる世の中になるように、今日この大会で次のことを宣言します。

一、教育への権利
 私たちには、教育への権利がある。学校へ行く・行かないを自身で決める権利がある。義務教育とは、国や保護者が、すべての子どもに教育を受けられるようにする義務である。子どもが学校に行くことは義務ではない。

二、学ぶ権利
 私たちには、学びたいことを自身に合った方法で学ぶ権利がある。学びとは、私たちの意思で知ることであり他者から強制されるものではない。私たちは、生きていく中で多くのことを学んでいる。

三、学び・育ちのあり方を選ぶ権利
 私たちには、学校、フリースクール、フリースペース、ホームエデュケーション(家で過ごし・学ぶ)など、どのように学び・育つかを選ぶ権利がある。おとなは、学校に行くことが当たり前だという考えを子どもに押し付けないでほしい。

四、安心して休む権利
 私たちには、安心して休む権利がある。おとなは、学校やそのほかの通うべきとされたところに、本人の気持ちに反して行かせるのではなく、家などの安心できる環境で、ゆっくり過ごすことを保障してほしい。

五、ありのままに生きる権利
 私たちは、ひとりひとり違う人間である。おとなは子どもに対して競争に追いたてたり、比較して優劣をつけてはならない。歩む速度や歩む道は自身で決める。

六、差別を受けない権利
 不登校、障がい、成績、能力、年齢、性別、性格、容姿、国籍、家庭事情などを理由とする差別をしてはならない。
例えばおとなは、不登校の子どもと遊ぶと自分の子どもまでもが不登校になるという偏見から、子ども同士の関係に制限を付けないでほしい。

七、公的な費用による保障を受ける権利
 学校外の学び・育ちを選んだ私たちにも、学校に行っている子どもと同じように公的な費用による保障を受ける権利がある。
例えば、フリースクール・フリースペースに所属している、小・中学生と高校生は通学定期券が保障されているが、高校に在籍していない子どもたちには保障されていない。すべての子どもが平等に公的費用を受けられる社会にしてほしい。

八、暴力から守られ安心して育つ権利
 私たちには、不登校を理由にした暴力から守られ、安心して育つ権利がある。おとなは、子どもに対し体罰、虐待、暴力的な入所・入院などのあらゆる暴力をしてはならない。

九、プライバシーの権利
 おとなは私たちのプライバシーを侵害してはならない。
例えば、学校に行くよう説得するために、教師が家に勝手に押しかけてくることや、時間に関係なく何度も電話をかけてくること、親が教師に家での様子を話すこともプライバシーの侵害である。私たち自身に関することは、必ず意見を聞いてほしい。
 
十、対等な人格として認められる権利
 学校や社会、生活の中で子どもの権利が活かされるように、おとなは私たちを対等な人格として認め、いっしょに考えなければならない。子どもが自身の考えや気持ちをありのままに伝えることができる関係、環境が必要である。

十一、不登校をしている私たちの生き方の権利
 おとなは、不登校をしている私たちの生き方を認めてほしい。私たちと向き合うことから不登校を理解してほしい。それなしに、私たちの幸せはうまれない。

十二、他者の権利の尊重
 私たちは、他者の権利や自由も尊重します。

十三、子どもの権利を知る権利
 私たちには、子どもの権利を知る権利がある。国やおとなは子どもに対し、子どもの権利を知る機会を保障しなければならない。子どもの権利が守られているかどうかは、子ども自身が決める。
(2009年8月23日 全国子ども交流合宿「ぱおぱお」参加者一同)

明日金曜日も更新します。

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「黒人の命軽視」駐日大使・大統領に「人道」語る資格あるか

2022年03月29日 | 差別・人権

    
 岸田首相とラーム・エマニュエル駐日米大使は26日、広島市の平和公園を訪れ、「核戦力をちらつかせるプーチン大統領をけん制」(27日付共同配信記事)しました。

 エマニュエル氏は、「大使として広島に来ることが大事だった」と述べるとともに、ウクライナ情勢について、「第2次世界大戦以降、最悪の人道危機」と表現し、日本にも避難民受け入れ態勢が必要だと述べました(26日朝日新聞デジタル)。

 いかにも“平和の大使”という図ですが、果たしてエマニュエル氏に「人道」「平和」を語る資格があるでしょうか。なぜなら、彼はシカゴ市長時代、警察官による黒人射殺の事実を否定・隠ぺいし、遺族らから「黒人の命を致命的に軽視するシンボル」だと呼ばれ、駐日大使就任に反対する「声明」まで出されていた人物だからです。

 駐日大使への起用が内定した昨年6月の報道を引用します。

< ラーム・エマニュエル氏の駐日大使起用をめぐり、同氏が市長時代に警察官に射殺された被害者の黒人らの遺族ら28人が(2021年6月)10日、エマニュエル氏の駐日大使起用に反対する声明を発表した。

 声明を出したのは、2016年にシカゴ市警の警察官に射殺された16歳の黒人少年のおばや、14年に同じく警察官に射殺された25歳の黒人男性の母親ら。声明では、「エマニュエル氏はシカゴ市での警察官による無分別な殺害という事実の否定と隠ぺいに手を貸した」と非難。さらに同氏を「黒人の命を致命的に軽視するシンボルだ」とし、バイデン氏(大統領)に対してエマニュエル氏を駐日大使に指名しないように求めた。

 もともとエマニュエル氏の人事には民主党左派から強い反対論が出ている。14年に起きた17歳の黒人少年が警察官に射殺された事件をめぐり、警察当局は1年間にわたって事件状況を映したパトカーのビデオ映像を公開しなかったが、その「情報隠し」に関与したと批判されたのがエマニュエル氏だった。>(2021年6月10日の朝日新聞デジタル)

 遺族の痛切な訴えや民主党内の反対を無視して、バイデン氏はエマニュエル氏の駐日大使起用を強行しました。それは両氏が個人的にきわめて親しい関係だからです(写真右)。エマニュエル氏は26日の広島訪問の際にも、自らを「大統領の友人」(28日付ハンギョレ新聞)と誇示しました。

 このような人物が、何事もなかったような顔で駐日大使に就任し、平和公園で献花する姿は醜悪極まりないと言わざるをえません。

 日本のメディアは当然、射殺された黒人遺族の「声明」や民主党内外の反対は知っています。知っていながら、エマニュエル氏の駐日大使就任にあたってその事実・経過を報じ、大使としての資格を問い、バイデン氏の任命責任を追及したメディアはありませんでした。
 日本メディアの差別・人権感覚の乏しさ、アメリカ追随姿勢があらためて問われます。

 バイデン氏はウクライナ戦争でさかんに「人道」「民主主義」を口にし、その擁護者であるかのように振る舞っていますが、氏の実像はおよそ「人道・民主主義」とは無縁であることが、エマニュエル駐日大使問題にもはっきり表れています。


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駒澤大にみる日本の大学・社会の差別体質

2022年01月15日 | 差別・人権

    

 新年恒例の大学箱根駅伝は、正月の楽しみの1つですが、昨年、今年と2年連続で不快な思いをしました。それは、優勝を争った有力校である駒澤大学の監督が、監督車から選手を激励するさい、「男だろ」とジェンダー差別を露わにしたことです(写真左)。

 駒澤大監督の「男だろ」は今年だけではありません。優勝した昨年も連呼されました(2021年1月10日のブログ参照)。これについては一般紙の投書欄にも批判の投書がありましたが、駒澤大ではまったく顧みられることなく、今年も繰り返されました。

 実は駒澤大の差別体質はこれだけではありません。より深刻な問題があります。それは、在日コリアンの学生が本名(民族名)を名乗ることに大学側が障壁を設けてきたことです。

 在日朝鮮人人権協会が発行している「人権と生活」誌(2021年12月号)に、「駒澤大学における在日朝鮮人の名前使用問題について」と題したキム・ソンミョン(金誠明)氏(留学同東京委員長)の論稿が掲載されました。その要旨は次の通りです。

< 在日朝鮮人のユ・ジェホ(兪在浩)さんは2016年に駒澤大に入学。当時同大は、通名(日本名)を使用する学生に対し、登録名を途中変更しないことを誓約する「通称名使用願」を提出させていた。

 大学進学を機に本名を名乗るようになっていたユさんは、「朝鮮人として誇りを持って生きたい」と考え、2017年5月、登録名を本名に戻すことを決意。

 しかし駒澤大教務部は当初、「通称名使用願」を理由にユさんの申し出を拒否。ユさんがあきらめず交渉を続けた結果、同大は「深くお詫び申し上げます」という文言を含む「本名使用願」の提出を要求。ユさんは仕方なく提出(2018年3月)しましたが、「今はすごく屈辱的に感じます」と述べている。

 こうした経過が2021年3月に日本のメディアで報じられ、同年5月、「自身の民族的ルーツを積極的に表明できる環境づくりを求める大学連絡会」が結成。連絡会は3537筆の署名をもって駒澤大と交渉。結果、同大は21年6月30日付の「学長メッセージ」で、「学生の多様な価値観や歴史的背景に対する配慮を欠く対応」だったことを認めて謝罪し、名前使用に関する措置を撤回した。

 しかし駒澤大は、この事件の根幹に民族差別の問題があることを認めていない。ユさんに対するネット上での差別的誹謗中傷に対しても、同大は自らの対応によって起きた民族差別を防止する措置を取るどころか、黙認している。

 今回の事件を通じて問われていることは、本名、そして自主的に生きる権利を否定され続けてきた在日朝鮮人の現実といかに向き合うかということではないだろうか。
 駒澤大学の問題に矮小化するのでなく、植民地支配の未精算、民族差別が根幹にある大学全体の問題として、何よりもまず、日本の学生・教職員一人ひとり、そして日本社会全体の認識が変わる必要がある。>

 「通称名使用願」「本名使用願」なるものを提出させていたとは、驚くべきことです。ユさんらのたたかいによって駒澤大は謝罪・撤回しましたが、他の大学ではどうなのでしょうか。在日コリアンの「登録名」に関する差別はないでしょうか。

 抗議を受けたことには謝罪・撤回するけれど、その根幹にある民族差別については反省しない。これは駒澤大に限らず、日本政府をはじめ日本社会全体の特徴ではないでしょうか。

 「男だろ」も「在日朝鮮人の名前使用問題」も、駒澤大だけの問題ではありません。キム氏が論稿で強調しているように、問われているのは日本社会全体の差別体質です。


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画期的な犯罪「被害者」・「加害者」共同支援

2021年12月21日 | 差別・人権

    

 犯罪の被害者・家族を支援する活動・団体、同じく加害者・家族を支援する活動・団体はそれぞれ存在します。その両者を一体になって支援する団体がこのほど結成されました。画期的な活動として注目されます。

 支援団体を立ち上げたのは、加害者家族を支援するNPO法人「ワールド・オープン・ハート」代表の阿部恭子さん(写真左)ら。14日の結成記者会見で、「被害者と加害者の分断をあおらず、全ての人の支援を目指す」と強調しました(14日の朝日新聞デジタル、写真中)。

 共同代表の一人で、「被害者と司法を考える会」代表の片山徒有さんは、会見で、「次男(当時8)をはねたダンプカー運転手に次男と同い年の息子がいるとわかったとき、「加害者との『見えない壁』が壊れた」と説明。加害者と対話することで「疑問が解けた」という被害者は多いと述べ、「適切な仲介があれば同じ人間と理解できる」と話し」(同朝日新聞デジタル)ました。

 「修復的司法」という概念・実践があります。加害者が「罪」に正面から向き合うことで更生を図るもの(私の浅い理解)ですが、この支援団体の取り組みはその画期的な実践といえるでしょう。

 それは加害者だけでなく、被害者家族にとってもきわめて重要であることが、片山さんの話から分かります。

 加害者と同時に、その家族への支援は必要不可欠です。事件に直接関係がないにもかかわらず、社会的バッシングを受け、そのうえ、「加害者家族は当事者でないとして支援が想定されておらず、社会で孤立している」(阿部恭子さん、10月5日NHK「ハートネットTV」)からです。

 加害者家族へのアンケートでは、事件によって、「結婚が破談」39%、「進学・就職を断念」37%、「転居を余儀なくされた」36%にのぼっています(「ワールド・オープン・ハート」調べ2014年)。

 この背景には、「家族」をバッシングする「日本独特の家族人質社会」(浜井浩一・龍谷大教授、同番組)があります。

 それは、天皇・皇族を頂点とする日本の「家族制度」とけっして無関係ではないでしょう。

 今回立ち上げた団体(団体名は未定)は、今後、「死刑制度の是非を問うシンポジウムや被害者と加害者の対話などを企画していく」としています。

 折しも、12月15日は32年前の1989年、国連で「死刑禁止条約」が採択された日です。死刑は国家による殺人であるにもかかわらず、日本はそれを温存・実行している世界でもまれな人権後進国です。

 法務省は裁判員制度(私はこれ自体に反対です)で裁判員となる年齢を来年度から18歳に引き下げようとしています。そうなれば「市民」は18歳から「死刑」の判断を迫られることになります。

 阿部さんや片山さんらの活動は、死刑制度廃止の世論・運動を広げる上でも、たいへん重要な意味をもっています。


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岐路に立つ日本の「表現の自由」

2021年07月10日 | 差別・人権

    

 「私たちの『表現の不自由展・その後』」(6~11日、写真左)が行われていた名古屋市の「市民ギャラリー榮」(市の施設)で8日午前、郵便物が破裂する事件が起こり、展覧会が事実上中止に追い込まれる事態が起こりました。
 日本の「表現の自由」・民主主義は重大な岐路に立っています。

 同展覧会は、「あいちトリエンナーレ2019」(19年8月)で同じく妨害にあって一時中止した企画展「表現の不自由展・その後」の出展作品から、日本軍性奴隷(「慰安婦」)など戦時性暴力を象徴する「平和の少女像」や、天皇裕仁が映ったコラージュを燃やす場面を撮影した「遠近を抱えてPart2」などが展示されています。

 こうした展示が攻撃の対象になっていることは、侵略戦争・植民地支配、天皇制批判が日本のタブー・「表現の不自由」の中心になっていることを証明するもので、その意味でも今回の事態はさらに重大です。

 名古屋市の河村たかし市長は8日、「市民に具体的に危害が加えられた。漫然と続けていいのか。市は施設を管理する務めがあり、ストップするのは市民の安全確保のために当然だ」(8日朝日新聞デジタル、写真中も)と述べ、使用取り消しを正当化しました。

 しかし、郵便物の破裂で「市民に具体的な」被害は出ていません。河村氏は「トリエンナーレ」の時から「不自由展・その後」に敵意をむき出しにしてきました。

 「不自由展」主催団体は、「警備を尽くせば開催できる」「ぜひ一日でもいいので再開させてほしい」「暴力や脅しで表現の自由が潰されることは許されない」(同朝日デジタル)と訴えています。

 横大道(よこだいどう)聡・慶応大大学院教授(憲法学)も、「脅迫で表現の場を奪うことは言語道断だ。名古屋市はこれで展示を終わらせていいのか。公共施設の使用拒否は、明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見される場合に限られるという最高裁の判例がある。安全確保を理由に不許可にすれば、反対派に事実上の「拒否権」を与えることになるからだ。表現の自由を守るためにも、市には最大限の努力をしてほしかった」(同朝日デジタル)と話しています。

 同展覧会は、東京、大阪でも計画されていましたが、いずれも妨害があり、いったん決まった会場(公共施設)が使用許可を取り消したため予定通り開催できなくなっています。

 大阪では、府所有の施設「エル・おおさか」が使用を拒否し、吉村洋文知事(日本維新の会)がそれに賛同する見解を明らかにしていました。
 これに対し、「表現の不自由展かんさい」実行委員会は6月30日、「利用者に危険がおよぶ明白な危険があるとは言えない」として、使用承認を取り消した会場側(大阪府)の処分執行停止を大阪地裁に提訴していました。

 その判断が9日下され、大阪地裁は、「憲法の表現の自由は保障されるべき」として会場側の処分を執行停止とし、実行委員会に会場の使用を認めることを決定しました(写真右)。暗闇の中の一筋の光といえる決定です。

 「表現の不自由」とたたかっている表現者・市民に対し、右翼などが妨害行為を行う。警察(政府)は事実上それを見逃し(泳がせ)、会場を所有する右翼的首長が会場の使用許可を取り消す。こういうパターンの民主主義破壊が、名古屋、大阪、東京で起こっているのです。

 この現実を、自分とは関係ないと見過ごすことは許されません。こうした言論・表現の自由に対する攻撃は、日米軍事同盟体制がいっそう危険な段階に向かっていることとけっして無関係ではありません。言論・表現への攻撃は戦争国家の入口です。その歴史の教訓を今こそ肝に銘じるべきではないでしょうか。

 

 


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外国人「不法」就労者は「犯罪者」ではなく「被害者」

2021年07月06日 | 差別・人権

   
 三重県のHPに掲載された「外国人の不法就労・不法滞在の防止について」という告知に使ったイラストが、「差別的」だとSNSで批判を浴び、県があわてて削除したという出来事がありました(6月28日の朝日新聞デジタル)。

 問題のイラスト(写真左・中、朝日新聞デジタルより)の差別性は一見して明白です。作成したのは三重県警本部生活環境課だといいます。ツイッターなどで、「排他主義的な悪意が見える」「外国人への偏見をあおる」などの批判が相次いだのは当然でしょう。

 しかし、イラストを削除しても、「外国人の不法就労」問題は何も解決しません。

 外国人「不法就労」といわれるものの多くは、技能実習生が決められた職業以外に就労すること(「入管法違反」)です。はじめに監理団体を通じて契約した企業から姿を消し(失踪)、別の仕事に就くのですが、なぜこうしたことが後を絶たないのでしょうか。

 その背景について、岩下康子広島文教大准教授がこう指摘しています(抜粋)。

「技能実習生の失踪はここ数年増加し続けている。犯罪者になることがわかっていながら、なぜ失踪を選ぶのか。
 2019年の失踪者数は前年同様、約9千人を記録。失踪の理由として筆頭に挙がるのが低賃金だ。送り出し時点における日本の情報がまやかしであることも問題だが、最低賃金以下で働かせる現場であることはさらに問題である。

 今年保護した技能実習生は、残業が多く休みは日曜のみの建設現場で働いていたが、6万円弱の月給に耐えられず飛び出したという。彼の話はモノ言わぬ存在として据え置かれた技能実習生の実態を象徴する。

 犯罪者ではなく被害者であるはずの彼は、入管法違反となった一方、使用者は何の咎めも受けていない。

 失踪者の増加は、相当数の闇受け入れ先があるということにつながる。ここでは、住民登録もなければ一切の社会保険も発生しない。存在しない前提の人間が働くのであるから、何が起きても自己責任だ。命の危険にさらされて初めて自分の置かれた状態に気づく失踪者もいる。

 こんな裏社会を日本にはびこらせないためにも、失踪に歯止めをかけること、すなわち互いに納得ができる受け入れを行うことが何よりも肝心だといえる」(6月23日付中国新聞)

 こうして技能実習生の人権が踏みにじられている根底には、本来実習生を守るべき監理団体がその役割を果たしていない問題があります。

「技能実習制度では、監理団体に監理費(売上)を支払うのは、実習生を雇用している実習実施者(会社)であるため、監理団体は実習生を守るために指導するなど会社と対立するようなことができなくなる」(「日本における外国人・民族的マイノリティ人権白書・2021年」外国人人権法連絡会発行)という制度上の問題があるのです。

 こうした制度をつくっている元凶が日本政府であることは言うまでもありません。外国籍の人々を人として受け入れて多文化共生をすすめるのではなく、安価な労働力・雇用調節弁として使い捨てる。そして「法」の網で「犯罪者」をつくって弾圧・排除する。それが入管政策であり、日本政府の基本政策です(写真右は名古屋入管)。

 それは、朝鮮半島を植民地化し、朝鮮の人々を使い捨てにし、敗戦後も諸権利を奪い続けていることと深く関連しています。
 日本の植民地主義はいまも続いています。それが外国人「不法」就労問題の根源です。

 


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深刻な非正規公務員の「やりがい搾取」

2020年10月20日 | 差別・人権

   
 非正規労働者に対する差別についての最高裁判決が13日(写真左)と15日に相次いで行われました。非正規労働問題は、言うまでもなく当事者だけでなく日本社会全体の問題ですが、それが顕著に表れているのが、非正規公務員労働の過酷な実態です。コロナ禍で問題はいっそう深刻になっています。

 中国新聞は「非正規公務員の嘆き」と題した連載を行いました(9月16日~21日)。この中で、「やりがい搾取」といわれる深刻な実態があることが明らかにされました(写真中)。非正規公務員とりわけ女性労働者の仕事への使命感につけこんで、低賃金・重労働・不安定雇用を強いる。それが「やりがい搾取」です。以下、同連載から。

 非正規公務員の数は、国家公務員が約15万人(職員全体の36%、男性55%、女性45%、2019年)。地方公務員は約64万人(女性75%、男性25%、2016年)。
 地方公務員の平均月給は、正規職員=36万2047万円(2019年)に対し、非正規は、保育士が17万4287円、看護師が21万7965円、教員が25万7839円など(2017年)。

 非正規公務員の職場は、役所の事務(写真右)のほか、婦人相談員、保育士、教員、図書館司書、ハローワーク相談員、給食調理員など、まさに住民に直結した数々の現場に広がっている。
 なかでも婦人相談員は、全国に1447人いるが、その8割は非正規。
 広島県内の女性(52)は、勤務時間は週30時間だが、携帯電話は話さない。休日でも夜中でも「夫から逃げたい、助けて」などのSOSが入るから。
 時間外の相談はすべてボランティア。勉強会があっても経費は使えない。休日をつぶして自費で出掛ける。それで手取り給与は月約10万。飲食店のアルバイトなど複数かけもちして費用を捻出。
 「もう限界かなって。相談者を守るより前に、まずは自分自身を守る環境が必要です」。それでも踏ん張るのは、「(相談者が)わずかでも一歩を踏み出す後押しができて、私も胸をなでおろす」瞬間があるから。しかし最近つくづく思う。「これって『やりがい搾取』じゃない?

 夫の暴言などに悩む広島市内の30代女性は、連載を読んでこう投稿しました。「弱者の味方になる人たちを、こんなに安く使っていたなんて」「相談する方も申し訳なくて気が引ける。これは国からの暴力ですよ」(10月2日付中国新聞)

 もちろん、非正規公務員の過酷な実態は男性にもあります。しかし、その犠牲が女性により重いことも事実。ジャーナリストの竹信三恵子さんは、そこには「家事ハラ(家事労働ハラスメント)」と「ジェンダー秩序」が重なっていると指摘します(『官製ワーキングプアの女性たち』岩波ブックレット、2020年9月)。
 「家事ハラ」とは、「女性が無償で担ってきた家事やケア的な仕事の価値を貶め、家事や育児などを抱えた労働者を蔑視して職場から排除しようとするハラスメントの総体」を指す竹信さんの造語です。

 さらに、今年度から正規との格差をいっそう広げる「会計年度任用職員制度」なるものが始まりました。
 上林陽治氏(地方自治総合研究所研究員)は、「二〇二〇年四月一日を挟んで、非正規公務員は二つの惨劇に襲われる事態」になっているとし、「会計年度任用職員制度」と「コロナウイルス禍」をあげ、「非正規化が進展している相談支援員に、低処遇と業務量増による感染リスクのアンバランスが集中」していると指摘。こう警鐘を鳴らします。

 「コロナウイルスは正規・非正規を選びません。その点は公平です。ところが感染リスクの高い現場に非正規を選んで配置しているのは人なのです。ここに正規・非正規の処遇格差が加わると、非正規のモチベーションは下がり、離職へのドライブがかかります。「やりがい」だけでは仕事を続けていけない事態が目の前に迫り、非正規公務員に丸投げしてきた公共サービスは崩壊の危機を迎えています」(同上『官製ワーキングプアの女性たち』)

 非正規公務員の善意・使命感につけこむ「やりがい搾取」。いかにも日本的な支配方式ではないでしょうか。コロナ禍で家庭・職場内の困難な状況が増すなか、相談支援員はじめ公務労働はまさに市民のライフラインです。それがこうした実態であることは、公共サービスだけでなく社会全体の崩壊の危機ではないでしょうか。


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