アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「ガマフヤー」具志堅さんが告発する゛遺骨収集後進国・日本”

2017年05月30日 | 沖縄と戦争

     

 5月19日付の琉球新報にこんな記事が載りました。
 「沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」(具志堅隆松代表)が7月にも沖縄戦の戦没者遺骨のDNA鑑定を求め、厚生労働省へ集団申請する。…具志堅さんは「住民への対応が後手に回っている。待っていたら、いつになるのか分からない」と話し、民間人遺骨のDNA鑑定を促し、国の姿勢をただす」(写真左)

 具志堅さんは沖縄戦遺骨収集が今ほど注目されていなかった(今でも不十分ですが)35年前から、文字通り手弁当で、ひとりで遺骨を掘ってきました(「ガマフヤー」とは「ガマを掘る人」の意味。写真中は講演会のあと参加者に説明する具志堅さん=右側)。
 永年の活動で具志堅さんが痛感しているのがDVA鑑定の必要性と日本の遅れです。

 昨年12月、具志堅さんは韓国を訪れ、日本軍軍属として戦死した韓国人遺族と交流し、沖縄における遺骨収集・DNA鑑定の現状を報告しました。その際、韓国で朝鮮戦争の犠牲者遺骨の発掘とDNA鑑定・遺族への返還業務を行っている「韓国国防部遺骸発掘鑑識団」と懇談し、「戦後処理に関して、あるいは戦没者への対応については、日本は後進国である」との思いを新たにしたといいます。
 そのもようを具志堅さんは「沖縄恨(ハン)之碑の会」(安里英子代表)の機関誌(「ポンソナ通信」第19号)に寄稿しています。その中から、遺骨の収集・鑑定について日本と韓国を比較した部分を抜粋します。

 〇日本は2016年4月にようやく戦没者遺骨収集推進法が施行されたが、10年間の時限立法。韓国は「国は戦没者に対し永久的に責任を持つ」(鑑識団パンフ)。

 〇日本のDNA鑑定はいくつかの大学に分散発注する場当たり的対応だが、韓国には国営のDNA鑑定専門施設がある。

 〇日本ではDNA鑑定の対象は長らく「歯のみ」だった。今年3月にやっと「四肢骨」にまで対象を広げたが、「個体性があるもの」に限定されている。韓国は当初から「四肢骨」が主流。しかも1本の骨、あるいは骨片でも(個体性がなくても)鑑定の対象になる。

 〇日本ではDNA鑑定の対象遺族の範囲を国が狭く限定する(結果、実質的に軍人・軍属に限られている)が、韓国では全遺骨と全家族の照合が行われる。

 〇日本では遺骨をDNA鑑定前にも火葬しようとする(火葬するとDNA鑑定が不可能になる。具志堅さんによれば、沖縄県は国の意向を受け、2013年まで毎年度末に発見された戦没者遺骨を火葬していた。具志堅さんらの抗議で火葬はいったん中止されたが、2015年6月(=翁長県政)に火葬を再開すると表明。具志堅さんの抗議でふたたび中止されて今に至っている)。韓国では遺骨をどうするかは鑑定後も遺族が判断し国はそれに従う。

 〇日本では遺族や国民にDNA鑑定参加の広報は行われないが、韓国では保健所・墓地入り口に広報板があり広く知らされる。

 〇韓国ではDNA鑑定の結果が不一致だった遺族に対して毎年新たな遺骨との照合結果が通知される(日本はしない)。

 〇韓国では戦没者に対する事業はすべての遺骨が発掘されるまで永久的に続く

 具志堅さんはこう締めくくっています。
 「戦争犠牲者がたとえ遺骨であっても家族の元へ帰すのは、犠牲者を徴兵し戦地へ送った国の責任である。しかし国が責任を果たさないのであれば、国民が国を追及するのは当然である

 具志堅さんは著書『ぼくが遺骨を掘る人「ガマフヤー」になったわけ。』(2012年、合同出版)で、「遺骨収集活動の大きな転機」になった那覇市真嘉比地区の収集活動について述べた中で、こう言っています。
 「真嘉比での遺骨収集活動を実現させるため、ぼくは県や国の行政と向き合い、いろいろな不条理を目の当たりにしました。目の前に立ちはだかる行政という「壁」に個人が対峙することの限界を毎回感じながら、そのたびに、「土に埋もれたまま声すら上げることのできない戦没者のためだ。だれもやらないのなら、恥をかいてもいい、現場を知っているぼくがやろう」と自分にいい聞かせました

 具志堅さんは政府に要求・交渉するために年に何度も上京します。5年前に初めてお会いした時、「旅費は?」と聞くと、「自腹です」と、こともなげに言われた顔を思い出します。


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「加計学園問題」と「沖縄密約(外務省機密漏洩)事件」

2017年05月29日 | 沖縄・安倍政権・翁長知事

     

 加計学園の獣医学部新設をめぐる安倍首相の疑惑で、文科省の前事務次官・前川喜平氏が記者会見(25日)で「総理のご意向」とした文書は「本物に間違いない」と証言したことは、余人の「証言」とは比較にならない爆弾証言です。にもかかわらず、安倍政権は前川氏の証人喚問や文書の再調査さえ拒否し、逃げ切ろうとしています。

 なかでも聞き捨てならないのは、菅義偉官房長官の前川氏に対する個人攻撃です。
 菅氏は26日の記者会見で、午前、午後の2度にわたり、読売新聞(22日付)が報じた「出会い系バー通い」についての前川氏の釈明をとりあげ、「考えられない」「強い違和感を覚えた。多くの方もそうだったのではないか」などと述べました。

 「加計学園問題」と前川氏の「出会い系バー通い」が、何の関係もないことは言うまでもありません。にもかかわらず官房長官が再三これに言及したのは、前川氏のイメージダウンを図り、「加計学園」に関する会見の内容も否定しようとするきわめて愚劣なやり方です。

 菅氏の会見、さらにその呼び水となった読売新聞の記事(問題の「文書」の出どころは前川氏と察した読売あるいは官邸によるスキャンダル記事)で想起されるのは、「沖縄返還」をめぐる日米政府の「密約」事件。密約公電を暴露した西山太吉毎日新聞記者(当時)が攻撃された「外務省機密漏洩事件(いわゆる西山事件)」です。

 1972年の「沖縄返還」に際し、本来アメリカが負担すべき「軍用地の原状回復補償費」400万㌦(当時のレートで約12億円)を日本側が肩代わりするという「密約」が交わされました。同年3月の国会で追及されましたが、佐藤栄作内閣(当時)は頑として否定。そこに「密約」を証明する外務省の機密公電が明らかになりました。暴露したのが西山氏でした。西山氏に資料を渡した外務省女性事務官(当時)と西山氏は「国家公務員法違反」で逮捕。裁判では当初「密約」の存在や「国民の知る権利」「報道の自由」が争点になりましたが、途中から西山氏と女性事務官のスキャンダルに論点が大きく転換され、肝心の「密約」は後景に追いやられました。

 そのきっかけを作ったのは東京地検の起訴状。書いた佐藤道夫検事(当時。のち参院議員)はのちに、「『ひそかに情を通じて』という言葉を私が思いつくと、幹部は喜んでね。(中略)『これはいい』と(検事)総長が言ったのを、今でも覚えていますよ」(2005年5月15日付朝日新聞)と、国家権力による論点そらしを自画自賛しました。

 この問題を一貫して注視してきた作家の澤地久枝さんは、「問題の核心は、取材者が男女の仲となった情報源から機密を入手していたことではない。国家が国民を欺いて密約を結んだことにある」(諸永裕司著『ふたつの嘘ー沖縄密約』講談社より)と指摘しています。

 菅氏の前川氏に対する個人攻撃や読売新聞の「スキャンダル」記事は、「密約」事件の焼き直しです。国家権力(およびその゛手先”)が考えることは、40数年前も今も変わらないものだと痛感します。
 
 問題は「国民」の方です。「密約」事件の時、当初「知る権利」「報道の自由」を前面に掲げていたメディアは、佐藤検事の起訴状以後、一気に「男女のスキャンダル問題」へ傾斜していきました。当の毎日新聞自体、西山氏を最後まで守ることができませんでした。結果、肝心の「密約」はあいまいになり、国家権力(佐藤政権)の思うツボとなりました。
 この苦い歴史を繰り返すことはできません。国家権力のやることは変わらなくても、私たちは過去の教訓から学び、変わる必要があります。

 その後、「密約」の存在は米公文書などで明らかになりましたが、日本政府は一貫して認めようとしていません。これに対し、学者やジャーナリストらが原告となって、政府に情報開示を求める訴訟が起こされました(2008年)。原告の1人、奥平康弘氏(憲法学)はこう述べています。

 「沖縄における日本国主権の回復は…どのような経緯(交渉、駆け引き、妥協、決定など)を経て成立したのかという情報をわれわれ国民は、欠けることなく『知る権利』を有しています。なぜならば、こうした背景情報無しには全島基地化されている沖縄の原状が抱える諸問題を、われわれ市民は正しく理解できないからなのです」(諸永氏著前掲書より)

 「加計学園問題」と「沖縄密約事件」は、国家権力が「スキャンダル」で論点をそらそうとしている点で似ていますが、根本的な共通点は、いずれも本来公表されるべき「文書」・真実が、国民に隠されているということです。
 問題の核心は、「国民の知る権利」であり、その根幹の「主権在民」です。


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辺野古埋立1カ月ー許されない翁長知事・メディアの「撤回」風化策動

2017年05月27日 | 沖縄・翁長・辺野古・...

             

 安倍政権が辺野古埋立の護岸工事着工を強行して25日で1カ月になりました。辺野古の海はどうなっているでしょうか。
 琉球新報は、「波打ち際に砕石が敷き詰められ、海側に向かって石垣が線状に徐々に伸びている」(25日付、写真左)と報じ、共同通信も「護岸を形成する砕石の帯が波打ち際から沖に向かって約20㍍まで延び、海中が白く濁る様子が確認できた」(25日付中国新聞=共同配信)としています。
 まさに、「原状回復が困難になる前に『後戻り』できるのは今しかない」(26日付琉球新報社説)ギリギリの段階です。

 状況を「後戻り」させる、すなわち埋立工事を直ちに中止させ、断念させる最大の有効手段が、翁長雄志知事による「埋立承認の撤回」であることは、今さら言うまでもありません。

 ところが、「埋立着工1カ月」の今、「撤回」の実行どころか逆に、「撤回」を後退させる発言や記事が、翁長氏や一部メディアから出ています。「撤回」をこのまま風化させてしまおうとするかのようなこうした動きは絶対に黙過できません。

 翁長氏は26日の記者会見で、「撤回」についてこう述べました。
 「しっかりと視野に入れている。今の状況からすると、必ず撤回する機会は出てくるだろう」(27日付沖縄タイムス)、「法的な観点からの検討を丁寧に行った上で対応する必要がある」(27日付琉球新報)

 翁長氏は2カ月前、3月25日の県民集会での「あいさつ」(写真右)で何と言ったでしょうか。
 「国は岩礁破砕の許可も無視をして通り過ぎようとしている。私はあらゆる手法を持って(ママ)、撤回を力強く、必ずやる」(3月26日付沖縄タイムス)

 「撤回を力強く必ずやる」(断言・約束)と「必ず撤回する機会は出てくるだろう」「検討を丁寧に行った上で対応する」(予測)が違うことは明白です。翁長氏はわずか2カ月で、ちょうど中間に護岸工事着工をはさみ、「撤回」を明らかに大きく後退させたのです。

 こうした翁長氏の「撤回」棚上げを擁護する記事が、一部に見られます。

 共同通信は、「翁長雄志知事は工事を止める対抗策を模索しているが、違法性を訴える根拠が得られていない上、決定的な効果が期待できる方策も見つからず、手を打てずにいる」(25日付中国新聞)としています。これは安倍政権の埋立強行を正当化する一方、「決定的な効果」がある「撤回」については触れず、何もしないで工事の進行を事実上容認している翁長氏無作為を擁護する二重三重に問題がある記事です。

 また、沖縄タイムスは、「承認撤回 険しい道のり」との見出しで、「根拠が乏しいまま、伝家の宝刀(「撤回」-引用者)を抜くわけにはいかない」という「県」の逃げ口上をそのまま肯定的に報じています(25日付2面)。
 また同紙は、26日の翁長氏の会見報道でも、「会見の要旨」を一覧表にして7項目挙げていますが(27日付2面)、この中に「承認撤回」はありません。まるでもう「撤回」は焦点でないかのような報道です。

 一方、琉球新報は、「『後戻り』今しかできない」と題した26日付の社説で、「翁長知事が埋め立て承認を撤回できる環境にあるのは世論が示している通りだ」と指摘し、「豊かな海に取り返しのつかない被害を与えるまで待つことはできない」と結んでいます。きわめて妥当な論調です。

 辺野古新基地に反対する人々は、一日も早い「撤回」を切望しています。「護岸工事着手以降、県には知事が埋め立て承認を早く『撤回』するよう求める要請が相次いでいる」(25日付琉球新報)のです。
 「撤回」の棚上げ・風化を図る翁長氏、それを擁護する一部メディアが、こうした住民・県民の意思・願いに逆行していることは明らかです。


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「憲法尊重擁護義務」踏みにじる天皇・首相・統幕長

2017年05月25日 | 天皇制と政権

     

 「自衛隊の根拠規定が憲法に明記されることになれば非常にありがたい」。安倍首相の改憲発言(3日)に賛辞を送った河野克俊統合幕僚長の発言(23日の記者会見、写真右)は、「軽率すぎる」(25日付朝日新聞社説」で片づけられるような問題ではありません。

 「統合幕僚長は…憲法改正をめぐる特定の政治的主張に肩入れしたことになりかねない。憲法尊重擁護の義務がある公務員、しかも『(現行の)日本国憲法及び法令を順守し』と服務宣誓した自衛官トップとしての姿勢が問われる」(水島朝穂早稲田大教授、24日付共同配信)

 水島氏の指摘通り、河野氏の発言はまず、自衛隊法第61条や自衛隊施行令で禁じている「政治的行為」であり、「政治的中立」に反するにとは明白です。それだけでも重大ですが、それだけではすみません。河野発言の核心は、自衛隊制服組のトップが公然と「憲法改正」を支持したことです。これは明白な憲法第99条(公務員の憲法尊重擁護義務)違反です。

 重要なのは、河野発言は河野氏だけの問題ではなく、制服組トップが公然と憲法99条違反を犯してはばからない(政治社会)状況がつくられていることです。その元凶はどこでしょうか。

 第1に、安倍首相自身が率先して「憲法尊重擁護義務」違反を行っていることです。
 安倍氏の改憲発言について政府は、「自民党総裁としてのもので、首相の職務として行われたものではない」(16日閣議決定した答弁書)として99条違反ではないと言い逃れしようとしています。しかし、安倍氏が「熟読してほしい」とうそぶいた読売新聞(3日付)は、「安倍首相(自民党総裁)読売新聞のインタビューで、憲法改正の期限を『2020年施行』と区切り、9条改正に取り組むべきだとの考えを表明した」と明記しています。首相としての改憲発言であることは明白です。

 第2に、安倍首相よりもさらに明確に(主張だけでなく実行した点で)「憲法尊重擁護義務」を蹂躙している人物がいます。明仁天皇です。

 天皇は昨年8月8日の「ビデオメッセージ」で、生前退位の意向を表明するとともに、「摂政を置くこと」を拒否しました。天皇は「個人として、これまで考えてきたことを話したい」といいましたが、「個人としての発言でも、ある種の政治性を含んだメッセージであることは間違いない」(原武史放送大教授、2016年8月9日付読売新聞)のです。現にその後、天皇発言に沿って政府や国会が動き、新たな法律(特例法)がつくられようとしています。「天皇メッセージ」の政治性は否定しようがありません。

 天皇がビデオで政治的メッセージを発した行為、そしてその内容は、国政への関与を禁た憲法第4条、「皇位の継承」を定めた第3条、「摂政」を定めた第5条に明確に反しています。トータルで第99条の「憲法尊重擁護義務」に違反していることは明らかです。
 憲法第99条は、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と、憲法尊重擁護義務を負う筆頭に「天皇」を挙げているのです。

 ところが、河野発言に対しては「憲法尊重擁護義務を真っ向から踏みにじるもの」(24日、穀田恵二国対委員長)と批判している日本共産党を含め、天皇の「憲法尊重擁護義務」違反を指摘・批判する政党(国会議員)はただの1つ(1人)もありません。きわめて重大で深刻な問題です。

 安倍首相、河野統幕長の「憲法尊重擁護義務」違反の背景には、天皇の「憲法尊重擁護義務」違反は問題にしないで容認する政界(天皇の下で翼賛化した国会)、言論界、メディア、「世間」があると言わねばなりません。


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5年ぶりに東北被災地(宮城・福島)を訪れて

2017年05月23日 | 東日本大震災・東電福島原発事故

     

      

 先日、宮城県と福島県の被災地を訪れました。「3・11」直後にボランティアで2度、翌2012年に「観光」で2度行って以来です。以下、5年ぶりの東北被災地の雑感です。

 ◎広大な津波跡地に新たな問題…校長の判断で児童を屋上に避難させて助かった仙台市の荒浜小学校が「震災遺構」として今年4月30日から一般公開されていました(写真上左)。校舎の中は当時のまま遺されています。屋上に上がると、眼下に広い空き地が広がります。「集団移転」の跡地です。海岸から近いこの区域は居住が禁止され、跡地の使い方は未定とか。移転に最後まで反対していた人からは、「伊達政宗の時代から住んでいるのになぜ立ち退かねばならないのか」との声も出たといいます。住民の意見を十分聞くことなく市が勝手に決めてしまった、という不満もあるとか。住民がふるさとの土地を追われるのは、原発被災地だけではありませんでした。

 ◎語り・伝える努力と工夫…仙台駅から地下鉄で13分の荒井駅構内に「せんだい3・11メモリアル交流館」(市の委託事業)があります。常設の展示とともに、企画展があり、私が訪れたときは「それから、の声がきこえる」と題しさまざまな被災者の声を聴く企画がありました(7月2日まで)。
 今年2、3月に30回のワークショップを実施し、自主的に集まった方がたの声を集めたもので、ダンスや絵画を採り入れて被災者が話しやすい状況をつくりました。6年たって、やっと「話せる」ようになった人も少なくないといいます。展示方法が奇抜です。キャンドル風の置物を耳に当てると証言者の声が聞こえたり、いすに座って机の本を取ると聞こえてきたり、ベッドに寝ころぶと聞こえたり(写真上中)。「ゆっくり聴いてほしい」(会場のボランティア)ための工夫です。
 どうすれば被災体験を残すことができるのか、どうすればそれを伝えることができるのか。懸命な模索が続けられています。

 ◎「語り部バス」の決意…宿泊した南三陸のホテルは、宿泊客を対象に毎朝「語り部バス」を出し、約40分、被災地をめぐります。「3・11」当日、職員のえんどうみきさんが最期まで避難を呼びかけるマイクを握ったまま犠牲になった庁舎も含まれています(写真上右)。語り部の小野寺さん(ホテル従業員)は、「6年たって住民の間の格差がどんどん開いている」「出て行った若者たちは戻ってきてくれるだろうか」と顔を曇らせながら、最後にきっぱり言い切りました。「風化させないよう、語り部を続けていきます」

 ◎「黒い袋」が消えない原発被災地…南相馬を「被災地フクシマの旅」(NPO野馬土)の渡辺さんに車で案内していただきました。車窓から見えるのは黒い袋(フレコンバック)の山(写真下左)と何台ものクレーン車。「除染」した土のやり場がありません。「その上ため池の除染にはまったく手が付けられていません」と渡辺さん。この地域は農業用のため池が多く、その底に沈殿している放射性物質は除染の計画もないとか。知らなかった現地の実態です。

 ◎人影のない「避難指示解除区域」…浪江町は4月に「避難指示」が解除された地域ですが、平日の午後4時ごろだというのに、駅前の商店街には人影がまったくありませんでした(写真下中)。周辺を車で回りましたが、どこにも人の姿は見られませんでした。ゴーストタウンとはこのことでしょうか。

 ◎鉄道は地域の生活の柱…浪江駅の路線図を見ると、常磐線の浪江以南がいまも不通であることが一目瞭然でした(写真下右)。鉄道で相馬地域に行くには、仙台から東北本線と常磐線を乗り継いで南下するしかありません。地元の人が言いました。「相馬で結婚式を挙げる人はいなくなった。お客さんにわざわざ仙台経由で来てもらうくらいなら式は仙台で挙げる」。
 南三陸のホテルがある地域の鉄道(気仙沼線)もまだ不通で、開通のメドも立っていませんでした。「語り部」の小野寺さんは「80年かけて通した鉄道です。80年かけても必ず開通させます」と力を込めていました。鉄道がいかに地域の生活の柱であるかをあらためて知りました。その鉄道を民間に売り渡した「国鉄民営化」の愚をいまさらながら痛感します。

 ◎民宿が軒並みつぶれた原因は?…宿泊した相馬市松川地域は「3・11」以降民宿が軒並み店じまいしたといいます。放射能の影響、観光資源の破壊などによる観光客の激減。「それだけではない」と泊まった旅館のご主人。「パートがいなくなったんです」。民宿のパートで働いていた地域の漁業のオクサンたちが来なくなったとか。「避難で?」「いいえ、補償金をもらって、働く必要がなくなったんです」。それは一つに断面でしょうが、事実は事実でしょう。通り一遍の報道ではけっして表に出ない事実でしょう。「補償問題」の複雑さの一端を聞かされた思いです。

 「3・11」は途方もなく多くの、大きな問題を投げかけました。そして、今も投げかけ続けています。新しい問題も次々生まれています。
 私にはとても捉えきれません。自分の無力と怠慢を痛感するばかりです。でも、これだけはと言い聞かせ直しました。「『3・11』を忘れない。『3・11』を自分に問い続ける」


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安倍「改憲案」と小池都知事と日本会議

2017年05月22日 | 憲法と安倍政権

     

 小池百合子都知事は築地移転や五輪会場問題でメディアの注目を集めていますが、その実像の報道はあまりにも不十分です。

 小池氏は(いまだに自民党員ですが)自民党の中でもタカ派であり、その政治思想・信条は安倍晋三首相と酷似しています。それを証明したのが、今回の安倍改憲案です。安倍首相が改憲集会のビデオメッセージで打ち上げた「自衛隊明記・2020年施行」の改憲案に対し、自民党内からも戸惑いや反発の声が出ている中で、小池氏はいち早く「賛意・支持」を表明しました。

 「小池氏周辺によると、会談(5月11日の安倍・小池会談=写真中ー引用者)の申し入れは約10日前。憲法改正を巡る首相の一連の発言に賛意示した小池氏が『直接会って、支持を伝えたい』と要望したものだったという」(12日付日経新聞)

 なぜ小池氏は安倍氏の改憲案に早々に「賛意・支持」を表明したのか。両氏のあいだには強固な共通基盤があるからです。日本最大の改憲組織である日本会議です。

 憲法9条に「自衛隊」を明記するという突飛な改憲案は、安倍氏の発案ではなく、実は日本会議が書いた筋書きであった、といわれています。

 「しんぶん赤旗」(5月14日付)によれば、日本会議国会議員懇談会(日本会議議連)は3月15日に総会を開き、今年度の運動方針を決定しました。その中で「憲法改正の優先課題」として、緊急事態条項の創設と並んで、「憲法上に明文の根拠を持たない『自衛隊』の存在を、国際法に基づく自衛権を行使する組織として、憲法に位置づける」と明記しました。

 さらに「赤旗」によれば、日本会議の政策研究センター研究部長である小坂実氏は機関誌で、「速やかに九条二項を削除するか、あるいは自衛隊を明記した三項を加えて二項を空文化させるべきである」(『明日への選択』2016年11月号)とあけすけに述べていました。安倍改憲案のシナリオがまさにここにあったのです。

 日本会議は第3次安倍政権の誕生直後から、いまこそ改憲実行のチャンスと機会をうかがっていました。同会議の中心人物である椛島有三事務局長(写真右)はこう述べています。
 「憲法改正の機会は戦後七十年において初めて起こったことであると思えば、歴史的事件が起きているとの自覚に立たなければならないと思います。(略)与えられたチャンスは一度と定め、与えられたチャンスを確実にする戦いを進めていきたいと思います」(『祖国と青年』2015年5月号、青木理氏『日本会議の正体』平凡社新書より)

 安倍氏が日本会議の改憲集会で打ち上げた改憲案は、安倍氏の任期中になんとしても改憲(9条2項の空文化・自衛隊の明記)を行わせようとする同会議の強い意向を受けたものだったのです。

 そして小池氏は、国会議員在職中、菅義偉官房長官、下村博文自民党都連会長らとともに、日本会議議連の副会長の要職を務めた中心人物の1人です。

 都知事になっても小池氏の政治信条は、もちろん変わっていません。たとえば、小さなベタ記事でしたが、都議会(3月16日)でこう答弁しています。
 「小池百合子都知事は16日、首都大学東京と都立看護専門学校の入学式や卒業式で国旗を掲揚しているのに、国歌を斉唱していないことに関し『国歌斉唱も行うよう望みたい』と述べた」(3月17日付中国新聞=共同)
 入学式・卒業式での「君が代」斉唱への強い意向表明です。

 「森友学園問題」の陰の主役も日本会議です(3月18日のブログ参照)。安倍・自民党が年内にも提出しようとしている改憲案も日本会議のシナリオ。そして、一見「対立」しているように見える(「自民党をぶっ壊す」と言って選挙で大勝した小泉元首相の手法の模倣)小池氏と安倍氏や菅氏、下村氏をつなげているのも日本会議。これがいまの「日本の政治」の実態です。


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「国民」を憲法違反の道連れにする「天皇退位法案」

2017年05月20日 | 天皇制と憲法

    

 安倍政権は19日、「天皇退位」の特例法案を閣議決定し、国会に提出しました。この問題では、天皇制廃止へ向けた根本的議論こそが必要だと再三述べてきましたが、今日はそれはひとまず置いて、この法案自体の重大な問題点について述べます。

 与野党間ではすでにこれを成立させる合意(談合)ができており、メディアも基本的に容認したうえで今後の焦点は「女性宮家」問題だなどとしています。とんでもない話です。
 この法案は、多くの点で日本国憲法に反しています。そればかりか、「国民」をその憲法違反の道連れにしようとする稀代の悪法です。絶対に容認できません。

 ① 前代未聞、法律に「敬語」…中身の前に。同法案は第1条の冒頭から、「天皇陛下」「御活動」「御高齢」など、天皇に対する敬語のオンパレードです。敬語を使った法律など前代未聞です。もちろん憲法(第1章)も皇室典範も、天皇に敬語は使っていません。
 敬語は上下関係を表すものです。法律に敬語を使うということは、法律を決める国会、「国権の最高機関」(憲法第41条)である国会を天皇の下に置くものです。それは「主権が国民に存する」(憲法前文)主権在民の原則にも反すると言わねばなりません(ちなみに明治憲法ですら敬語は使っていません)

 ② 特例法で憲法の「皇位継承」ルールを変更…「皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」(憲法第2条)。「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」(皇室典範第4条)。これが「皇位継承」についての憲法・皇室典範のルールです。これを変えないで「特例法」で「生前退位」を認めるのは憲法に反する、というのが当初の野党の主張でした。その通りです。
 ところが結局、憲法も皇室典範も変えないまま「特例法」で「生前退位」を認めることになりました。政府・自民党に押し切られたのです。皇室典範の附則に「この法律と一体を成す」と書いたところで、皇室典範の改正にならないことは明白です。
 民進、共産など野党は、「憲法上問題」だと言ってきたことに対してどう釈明するのでしょうか。

 ③ 憲法にない「公的行為」を法律で公認…同法案は、「天皇陛下が…国事行為のほか…象徴としての公的な御活動に精励してこられた中…国民は…これらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し…」(第1条)としています。これは「国民」の名を使って天皇の「公的行為」を法律で公認しようとするものです。
 しかし、「公的行為」は、「天皇の権能」を定めた憲法第4条に照らして問題だと指摘する憲法学者は少なくありません。横田耕一九州大名誉教授は、政府見解(1973年)を念頭に、「公的行為」を認めるかどうかは「議論のあるところ」としたうえで、「天皇は他の公人と異なりもともと儀礼的行為を行う権能しか認められておらず、しかも憲法はそれを憲法が明記するものに限定していること、などから、二行為説(天皇がなしうる行為は国事行為と私的行為の2つとする説ー引用者)が合理的であるように思われる」(『憲法と天皇制』岩波新書)と述べています。今回の法案はこうした「公的行為」に対する批判を一掃しようとするものです。

 ④ ゛天皇二人体制”図る「上皇」制度…同法案は「退位した天皇は、上皇とする」(第3条)とし、第4条で詳細を規定しています。その基本は、「上皇」については「天皇の例による」(第3条、第4条)、つまり国事行為を除く「公的行為」の分担や経済的保障、官僚体制などは天皇に準じるということです。
 すなわち「上皇」とは゛第2の天皇”にほかなりません。「上皇」が存在する限り、「天皇制」は゛二人体制”になると言っても過言ではないでしょう。これは憲法の「象徴天皇制」の実質的変更です。

 ⑤ 天皇の「政治関与」という憲法違反を「国民の理解・共感」で隠ぺい…今回の法案の最大の特徴はこれです。そもそも発端は天皇明仁の「ビデオメッセージ」(2016年8月8日)であったことは否定しようがありません。しかし天皇の「メッセージ」を受けて法律を作ったことを認めると、天皇は「国政に関する権能を有しない」(第4条)という憲法の規定に反することが明白になります。政府の操り人形である「有識者会議」が最終報告(4月21日)で、「天皇の国政への関与を禁じている日本国憲法の規定にも留意しつつ…」とわざわざ書いたのはそのためです。
 そこで法案はどうしたか。「天皇陛下が…天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は…天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している」(第1条)ことを、特例法制定の理由に挙げたのです。
 天皇の「メッセージ」で法律を作ったのではない、天皇を「深く敬愛」している「国民」が天皇の気持ちを「理解」し「共感」し(いわば忖度<そんたく>して)、特例法を作るのだ、というわけです。あまりにも見え透いたこじつけです。天皇の「メッセージ」によって特例法が作られようとしていることは動かせない事実であり、それは天皇と安倍政権の明白な憲法違反です。
 この法案は、「国民」を天皇と安倍政権の憲法違反の道連れにし、隠れミノにしようとするものにほかなりません。

 以上は法律の門外漢である私の意見です。今こそ学者とりわけ憲法学者の出番です。この特例法は憲法に照らして許されるのか。明快な分析と勇気ある発言が求められています。
 すでに国会は、「天皇問題」では与野党が対立しない「翼賛化議会」となっています。このうえ学者・識者、市民も「天皇タブー」に侵されたのでは、前途は真っ暗です。

 ※当ブログは前身の「私の沖縄日記」から通算して、今回で1000回になりました(第1回は2012年11月26日)。読んでいただき、誠にありがとうございます。もし少しでも参考になると思っていただけるなら、「アリの一言」をお知り合いに薦めていただけませんでしょうか。私ももっともっといいものになるよう努めます。

 


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「秋篠宮長女婚約内定」はなぜリークされたのか

2017年05月18日 | 「日の丸」「君が代」「天皇制」

     

 16日夜から日本のメディアを席巻している秋篠宮家長女・眞子氏の「婚約内定」報道。またしても「皇室報道」の問題が浮上しています。

 この「ニュース」の出どころはどこでしょうか。メディアは「宮内庁は16日…明らかにした」(17日付朝日新聞1面)、「宮内庁の山本信一郎長官が明らかにした」(同中国新聞1面=共同)など、宮内庁が発表したかのように報じていますが、それはウソです。 

 「宮内庁の山本信一郎長官は16日夜、急きょ、宮内庁で報道陣の取材に対応し…『しかるべき時期に発表すべく、計画を進めようとしているところだ』と説明。『皇族方の気持ちに密接に関わることについて、発表を待たずに報道がなされたことは不本意であり、残念だ』と硬い表情で強調した」(17日付中国新聞社会面=共同)

 「婚約内定」報道のソースは宮内庁発表ではなく、同庁の意に反したリークだったのです。
 ではいったい、だれ(どこ)がリークしたのか。そして、なぜ16日だったのか。

 「第1報」がどこから出たのか、確たる証拠はありません。ただ、私が見聞きしていた限りでは、16日午後7時のNHKニュースの直前に「速報」のテロップが流れ、その直後のNHK「7時のニュース」では詳しく報じられました。NHKが発信元である可能性は小さくありません。山本宮内庁長官が取材に応じたのは、「同日午後8時半から」(17日付読売新聞)。NHKニュースの後です。

 問題は、なぜ16日(この時期)だったのかです。少なくとも次の3つの動きと関係があるのではないでしょうか。

 ★「天皇退位特例法」との関係…「退位特例法」は19日に閣議決定され国会に提出される予定です。その3日前の「婚約内定」報道(騒動)で、皇室に対する「親近感」は高まり、「女性宮家」への議論が改めて浮上しています。「政界からは…『女性宮家』創設の議論に影響するとの意見も出た」(17日付中国新聞=共同)

 ★「共謀罪」法案強行との関係…安倍政権・自民党は、「共謀罪」法案を「17日の衆院法務委員会で採決を強行する構え」(17日付中国新聞=共同)でした。結局この日は野党が金田勝年法相の不信任決議案を提出し、採決の強行は見送られましたが、「婚約内定」報道は安倍政権の最重要法案である「共謀罪」法案が最大のヤマ場を迎えるまさにその時に行われたのでした。

 ★加計学園をめぐる新疑惑発覚との関係…加計学園の加計孝太郎氏と安倍首相は無二の親友で、昭恵氏が同学園経営の子供施設の名誉園長であることから、同学園の獣医学部創設(今治市)疑惑は、「森友学園」とともに、安倍首相の行政私物化疑惑として当初から問題になっていました。
 民進党議員は17日の国会で、「総理の意向」と明記された「文科省の文書」を新たに示して追及。各紙はきょう(18日)付でそれを大きく報道しています。

 しかし、この「新事実」は、民進党議員の追及より早く、朝日新聞が17日付の最終版1面トップでスクープしたものです(写真右。最終版だけに載せるのは特に重要なスクープを他紙から守るための常とう手段)。
 朝日は18日付でもさらにスクープを続けており、「加計学園問題」が安倍首相の新たなアキレス腱になるのは必至です。

 その朝日のスクープを16日中に「安倍(官邸)周辺」がキャッチし、報道のインパクトを軽減するために「婚約内定」をリークした(報道させた)、と考えるのは、あながち荒唐無稽ではないでしょう。

 以上の3点は、もちろん私の推測です。リーク者の意図がどこにあったのか確たる証拠はありません(「女性宮家」創設の議論は安倍首相の意図に反しますし)。
 しかし確かなことは、16日夜以降のメディアの異常な(芸能誌顔負けの)「婚約内定」報道によって、結果として、天皇制(皇室)への「親近感」は強められ、「共謀罪」法案や「加計学園疑惑」の報道が相対的に薄められていることは否定できないということです。

 出所の分からないリークで世論を動かし、政治に大きな影響を及ぼす。それは昨年7月の「天皇退位」報道(このときも第1報は7月13日夜7時のNHKニュース)と同じパターンです。

 ここに権力とメディアが一体となって展開する「皇室報道」の政治的意味・危険性があります。それが、国家権力が「(象徴)天皇制」を温存している1つの重要な意味(狙い)だと言えるでしょう。


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「天皇制廃止」はなぜ議論にならないか-2つの対談から

2017年05月16日 | 天皇制と憲法

     

 天皇の退位についての特例法案が19日にも閣議決定され、この問題は1つのヤマ場を迎えます(法案批判は後日)。
 昨年の「天皇ビデオ」以降の「退位問題」の致命的欠陥は、再三述べて来たように、廃止を含む天皇制自体についての議論がまったくないことです。なぜなのか。それを考える手がかりとして、2つの「対談」を紹介します。

☆1つは、テッサ・モーリス・スズキ氏(オーストラリア国立大教授・歴史学)と吉見俊哉氏(東京大大学院教授・社会学)の対談です(『天皇とアメリカ』集英社新書、2010年より)

 テッサ 不思議なのは、たとえば憲法改正論議のときに、そろそろ共和制(天皇制廃止―引用者)にすべきだという提案があっていいはずなのに、それがマスレベルでは出てこなかった。外から見ていると、共和制の議論は当たり前に存在すべきですよね。ところがそれが全然ない。実際に共和制に移行するかどうかはまったく別問題なのです。しかし討論がないことは大変不健全だと感じました

  吉見 日本でも、戦後憲法ができるころにはそういう議論があった。でも、今はなくなってしまった。それはタブーだからとか、検閲があるからとかということよりは、この国では人々の想像力そのものが、もうそこまで及ばないのだろうという気がします。そして現在では、日本国民の約八割が、象徴天皇制が現在のまま続くことを望んでいるといいます。積極的に「天皇」に何か幻想をいだいているというよりも、特にネガティブな要素があるわけでもないので、天皇制は存続させるのが「自然」だろうという感覚だと思います。「安心・安全」の天皇制ですね。今では天皇は、積極的に求められているわけでも、積極的に拒否されているわけでもありません。むしろ日本人には、天皇制のない日本というものが、もはや想像することすらできなくなっているのではないでしょうか

 吉見 天皇の存在を根底から否定する議論は、右翼を刺激しますから、メディアも気軽に流すことができない。それで世論を醸成できない。…そうすると、人々の発想のなかから共和制論議ということがなかなか生まれなくなってくる。想像力の縮減ですね。

 テッサ 想像力の欠如こそ、危険なのです。おそらく現在の天皇制に関する議論、憲法に関する議論で、いろいろな難しい問題はあるのですが、最も大きな問題のひとつは想像力の欠如ではないかと感じます。天皇制がなくなっても、さほど世の中に変化はないはずです。いちばん変わるのは、想像力が解放される部分ではないでしょうか

 ☆もう1つは、奥平康弘氏(東京大学名誉教授、憲法学)と木村草太氏(首都大学東京教授、憲法学)の対談(『未完の憲法』、潮出版、2014年)です。

 木村 そもそもの話として、君主制―日本の場合は天皇制が、いったいなぜそんなにも強く日本人を惹きつけるのでしょう?その点に、私は素朴な疑問を感じてしまうんです。

 奥平 「天皇制は廃止すべきだ」という立場の議論は、残念ながら日本人一般の中でほとんど議論の土俵にすらのぼっていません。「天皇制はなんとなく日本の伝統に即している気がするし、日本人は調和を重んじる民族なのだから、いい国であるためには残しておいたほうがいいのではないか」という、まさに「なんとなく」の天皇制肯定が当然の前提となってしまっているんですね。

 木村 一つの合理的解釈として、人々が巨大な「惰性」「慣性」の中にいるのではないか、という推察が成り立つ気がするのです。…先生がおっしゃる「天皇制に対するなんとなくの肯定」を支えているのは、案外そうした「惰性」「慣性」かもしれません。

 奥平 理論的な根拠というものを示さないままで、いわば「慣性としての天皇制」ともいうべきものが、日本には成立している。しかし、それは慣性が根拠になっているからこそ、思いのほか強力なんですね。…そう考えてみると、敗戦後に天皇制を残すことに成功した日本の支配層のやり方というのは、ある意味ですごく巧みでした。

 2つに対談には、共通した指摘(問題意識)があります。「想像力の縮減・欠如」・「安心・安全の天皇制」と、「惰性」「慣性」・「慣性としての天皇制」。

 自分の「安心・安全」のために「惰性・慣性の天皇制」に安住していていいでしょうか。「天皇制」が日本の民主主義・人権・平和にとってどういう意味をもってきたのか、持っているのか、持とうとしているのか。いまこそ「想像力を解放」して議論しようではありませんか。


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「承認撤回」表明から7週間、翁長知事は何をしてきたのか

2017年05月13日 | 沖縄・翁長・辺野古・...

     

 「あらゆる手法をもって(埋め立て承認の)撤回を、力強く、必ずやる

 翁長雄志知事が県民集会でこう宣言したのが3月25日(写真左)。それから7週間。翁長氏はいったい何をしてきたでしょうか。

 安倍政権が辺野古埋立工事を本格的に開始したのが4月25日(写真中)。それから18日。進行する埋め立て工事に対し、翁長氏は何をしてきたでしょうか。

 沖縄平和市民連絡会の高里鈴代、真喜志好一両代表世話人らが9日、県庁を訪れ、翁長氏に「一日も早い撤回」(10日付琉球新報)を求める要請書を提出しました。しかし翁長氏は会おうともせず、対応した対策課の課長が「検討している」と繰り返しただけでした。

 この時、翁長氏は何をしていたか。
 翁長氏は9日、佐喜真淳宜野湾市長(辺野古新基地推進派)らと東京へ出張。翌10日には自民党本部で行われた自民党の会合に出席し、「沖縄振興について、政府が6月にも策定する経済財政運営の指針『骨太方針』に反映させるよう要請」(11日付琉球新報、写真右も同紙より。写真は自民党本部で記者会見する翁長氏)しました。「辺野古埋立強行」には抗議どころか一言も触れず、「振興予算」で自民党に頭を下げたのです。

 翁長氏とは旧知(沖縄自民党の永年の同志)の照屋守之沖縄自民党県連会長の記者会見(4月8日)の言葉が思い出されます。
 「(翁長)知事とは対立はしていない。知事は(辺野古新基地にー引用者)反対をしながら、実際は(基地を)造らせている。表面では反対・撤回と言っているが、知事の本質とわれわれは似ている」(4月9日付琉球新報)

 「名誉毀損」で訴えてもいいような発言ですが、翁長氏が照屋氏に抗議したという話(報道)はありません。

 「辺野古」に対して翁長氏がこれまでやってきたこと、そして現在の姿勢は、まさに照屋氏が言う通りです。翁長氏のメッキはすでにはがれています。「翁長幻想」から脱却し、「辺野古新基地阻止」、そして来年の知事選に向けた新たなたたかいを開始すべきときではないでしょうか。

 ところで、琉球新報(9日付)と沖縄タイムス(12日付)の「県民調査」によれば、「翁長知事支持」が新報で66・7%、タイムスで58%にのぼっています。
 一方、両紙の調査にはいずれも「承認撤回」についての質問項目はありません。たとえば、「あなたは『直ちに承認撤回すべき』との意見に賛成ですか反対ですか」「翁長氏は知事選で公約した「撤回」をいまだに実行していませんが、どう思いますか」という質問をして、そのあとに、「知事を支持しますか」と聞けば、おそらく数字は変わったでしょう。「世論調査」とはそういうものです。

 翁長氏への異常な(私にはそう思えます)「高支持率」の背景には、新報、タイムスの「翁長タブー(翁長支持)」があると言わねばなりません。それは、「安倍内閣の高支持率」と「本土メディア」の関係と相似形です。

 15日(月)のブログは休み、次回は16日(火)に書きます。


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