アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄・基地・歴史・人間・・・今年の3冊

2014年12月30日 | 沖縄

          

 今年読んだ(出版された)沖縄関連の本から、3冊をピックアップし、特に感銘を受けた言葉を振り返ります。

◎『オリバー・ストーンが語る日米史の真実 よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!』(オリバー・ストーン、ピーター・カズニック、乗松聡子著、金曜日)

 (知らされない歴史)
 「日本の人々は戦争の被害者であることに甘んじていないで、戦争を始めたのは誰なのか、そして戦時の日本軍によるアジア太平洋全域での加害行為や連合軍捕虜の虐待について子どもたちにしっかり教えるべきです。1931年に満州侵攻によって戦争を始めたのは日本なのです。日本の人々が自分の国の歴史を知っているのか大変疑わしく思います。日本の人々は、自らの政府によって歴史を否定されてきたようです。米国人も自らの歴史を否定されてきたのと同じように」(オリバー・ストーン)

 (日米同盟と沖縄)
 「米国は日本をパートナーとしては見ておらず、同盟諸国の一部にすぎず、とりわけ米軍基地費用のほとんどを払ってくれる都合のいい国です。そしてそれらの米軍基地の大半は沖縄にあります。・・・沖縄ではまだ戦争が終わっていないことを実感しました」(同)

 (沖縄知事選・辺野古)
 「11月の知事選で選ばれる人は前知事による埋め立て承認を撤回しなければならない。この基地は作ってはいけない基地なので、我々も作らせないために行動していくことが、米国人、日本人として、そして地球市民としての責任である」(ピーター・カズニック、乗松聡子)

 (安倍政権の軍拡・改憲策動に対し)
 「このようなことがどうしてまかり通ってしまうのかというと、根底には日本の日米関係至上主義のようなものがあるように思えてならない。・・・日本の人々はこのような見方を乗り越えて、アジアの一員として周辺諸国と平和的信頼に基づいた関係を築く必要がある。・・・それには何よりも隣国との確執の根源にある歴史認識問題に誠実に取り組む必要がある。日本の人々は自国の過去を正視し、否定はやめなければいけない。・・・『語られない日本史』は、日本の人々自身が語らなければいけないのである」(同)

◎『暴力と差別としての米軍基地 沖縄と植民地―基地形成史の共通性』(林博史著、かもがわ出版)

 
 (すでに日本は海外に軍事基地を設置している!)
 「二〇〇九年四月に日本政府と(東アフリカ―引用者)ジブチ政府の間で『自衛隊等の地位に関する』交換公文が交わされ、陸海空の三軍の自衛隊が派遣された。・・・日本政府は『活動拠点』という言い方をしているが、正真正銘の基地である。日本が戦後初めて海外に基地を建設したことを意味している。また交換公文の第八項により・・・派遣国が全面的に刑事裁判権を持つという植民地主義そのものの規定を日本が得たことになる。刑事裁判権の問題(「日米地位協定」-引用者)で米兵の犯罪を日本が裁くことができないという大きな問題を抱えている日本が、今度は他国にその矛盾を押し付ける立場になったのである」

 (日米同盟とは)
 「多くの国々への武力介入と侵略を繰り返してきて、それへの反省のない米国と、戦争責任・植民地支配への反省のない日本との同盟が日米同盟である。もし自らが過去におかした加害とおぞましい行為の数々の事実を直視し、二度と繰り返さないと決意して行動しようとするならば、今日のような日米軍事同盟はたちまちのうちに崩れ去るだろう」

◎『生きること、それがぼくの仕事 沖縄・暮らしのノート』(野本三吉=本名・加藤彰彦前沖縄大学学長著、社会評論社)

 (「六十歳で沖縄へ移り、沖縄大学の教員になった動機」は)
 「六十歳でぼくは大学(横浜市立大―引用者)もやめ、一人の市民に戻るつもりでいたのだが、その時に世界貿易センターの爆破事件が起こった。これまで人類が次々とつくりあげてきた近代文明が崩れていくような予感の中で、もう一度、生きものの原点、人類史の原点に戻って自分の生き方を問い直さなければいけない、そうぼくは直感したのだった」

 (「人間の能力」とは)
 「人間には共に生きる、あるいは支え合うということを通してはじめて真に生きることができるという叡智があるように思える。それが『人間の能力』だと考えている。これまでの長い歴史を人類が生きぬいてこれたのは、この支え合いの能力、共に生きる能力のためだとぼくは思う」

 「自分の暮らし、自分の場から考えることしかできないぼくら人間は、そうした自分の発想を絶対化し固定化して行動する。そうした限界を打ち破り、現実を知るためには、自分の世界から離れてもう一つの現実の中に身を置くことが必要である。・・・人間にとって『能力』とは何よりも生きぬく力であり、そのためには支え合う力、そして相手の立場を思う(感じる)力ではないかと思う」

 ☆今年の「日記」はきょうで終わります。次は1月1日に書きます。
 「敗戦70年」の来年はさまざまな意味できわめて厳しい年になりますが、今年よりも少しでもいい社会になるよう、「人間の能力」を信じて、生きてゆきたいと思います。
 1年間、ありがとうございました。


映画「バンクーバーの朝日」をどう観るか

2014年12月27日 | 映画

          

 20日から公開されている映画「バンクーバーの朝日」(石井裕也監督、妻夫木聡主演、フジテレビ開局55周年記念作品)を観ました。

 カナダに移住した日系人たちが、過酷な労働と差別・排斥の中で結成(1914年)した野球チーム「バンクーバー朝日」。弱かったチームがやがてバントと走塁で「白人チーム」を破り、リーグ優勝へ。フェアプレーもあってカナダ人からも賞賛。しかし、1941年の日本帝国による真珠湾攻撃で、日系人はすべて収容所に送られ、チームも自然消滅。60余年たった2003年、カナダ野球の殿堂入を果たした、という「史実」に基づく映画化です。

 人気俳優たちの熱演、感動的なストーリー展開、なによりも、あまり知られていなかった「カナダ移民」の歴史にスポットを当てたものとして、楽しめました。
 しかしこの映画には、「娯楽作品」として見過ごせない重要な問題が含まれています。

 「逆境を乗り越え、世界で活躍する日本人。これは、その先駆者たちの物語」。これが映画の最大のキャッチフレーズです。
 しかし、「朝日」の中心になった選手たちは、けっして「日本人」ではありません。「日系カナダ人」(中心は2世)です。
 移住者の家族はきびしい葛藤の中に置かれました。
 『バンクーバー朝日物語』(後藤紀夫著、2010年)はこう記しています。
 「家の中では日本語を話せと命令する一世の親たちに対して、二世の生活は英語である。年とともに両者の間には隙間が広がり、親子の会話が成り立たなくなっていく。日本という故国を忘れないでほしいという一世の思いは切実なものであったろうし、カナダ人として生きていかなければならない二世の立場もまた複雑だった」

 カナダ移住者には広島県人が多くいました。主人公の父親(佐藤浩市)も言葉から広島出身と思われました。日系3世のミチコ・ミッヂ・アユカワさんは祖父と父親をこう振り返ります。
 「主流社会から孤立していたため、移民たちは当初古い習慣を保ち、日本に帰還することを夢見て、子供の出生を日本政府に届け出た。・・・一世は子供を、日本で育った者と同じように養育しようとした。・・・(しかし)何十年も経つと、一世はやがて避けることができない現実を受け入れざるを得なくなった。どんなに努力しても、夢はかなわず、子供は西洋化されていった。・・・家族の将来をカナダに求めるよりしかたがなくなったのだ」(『カナダへ渡った広島移民』2012年)

 「バンクーバー朝日」の選手たちは、けっして「世界で活躍する日本人の先駆者たち」ではありません。過酷な労働と差別・排斥の中で、カナダ人として生きねばならない、生きようと努力した、苦悩の日系人たちだったのです。

 それを「“アリが巨像を倒す”痛快さ」(映画リーフ)、「差別する白人」を負かす「日本人」の「活躍」だと誇張するのは、事実に反し、誤った「ナショナリズム」を鼓舞するものと言わざるをえません。

 その誤った「ナショナリズム」と裏腹な関係なのが、カナダ移民が受けた過酷な差別・排斥(人種主義)を、観客である日本人が、ただ「被害者」としてとらえる危険性です。

 カナダ移民に対する差別は過酷をきわめ、1907年には「バンクーバー暴動」といわれる抗議行動も起きています。真珠湾攻撃に対しても、「カナダ政府は英連邦構成国のトップをきって日本に宣戦布告し、すべての日系人を『適性外国人』と規定した。日本国籍の一世だけでなく、生まれながらにしてカナダ国籍の二世やカナダに帰化した者をも含むという、明らかに人種に基づく差別」(『バンクーバー朝日物語』)によって収容所へ送ったのです。

 こうした「人種差別」が厳しく批判されるべきは当然です。同時に、そんな差別を憎めば憎むほど、日本が、日本人が同じような「人種差別」を、在日朝鮮・韓国人をはじめ東アジアの人たちに行ってきたことを想起しなければなりません。

 しかもそれはけっして過去の話ではないのです。日本人が嫌がる過酷な肉体労働を外国人にやらせ、賃金を低く抑え、選挙権どころか保険加入の権利すら奪っているのが、今日現在の日本政府であり、日本社会なのです。映画の日系カナダ人の姿は、そのまま現代の日本における外国人労働者の姿ではないでしょうか。違うのは、日本のプロ野球リーグには在日アジア人のチームはないし、これからもそれを認めることはけっしてないだろうということです。

 移民の背景には、そうせざるを得なかった日本の過酷な貧困があります。「経済的格差」のある国・地域のあいだで、どのような多文化・共生社会を築いていくか。移民の歴史は、今日、そしてこれからの日本の課題に重要な問題を提起しているといえるでしょう。

 ちなみに、歴史的に全国で最も移民が多かった県は広島県(1899~1937年に9万6181人)。そして2番目が沖縄県(同6万7650人)でした(『海を渡った日本人』岡部牧夫著)。何かが暗示されているような気がします。


福島と広島ーつながり続ける!

2014年12月25日 | 政治・選挙

          

 ☆衆議院選挙の投開票日だった14日、尾道の駅前商店街には、「さよなら原発・歌声パレードin尾道」の元気な声が響きました(写真左)。
 瀬戸内海から身を切るの寒風が吹きつける中、参加者は70人にのぼりました。毎回、シュプレヒコールと歌声、楽器の多彩なパレードですが、今回は参加者の1人が「ぜひ歌いたい」と、映画「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」も。
 パレード前後の駅前集会では、川内原発再稼働反対全国集会に参加した人からの報告や、中国電力のスラップ訴訟(沖縄・高江と同じ)とたたかっている岡田和樹さんからの訴えがありました。

 主催は福島などからの避難者を支援者する「フクシマから考える一歩の会」など。2カ月に1度のパレードはこれが9回目で、私が参加させていただくのは3回目です。

 ☆今月初め、同じく尾道で、フクシマを支援し続けている信恵(のぶえ)勝彦さんの「福島訪問報告」がありました(写真中)。
 信恵さんは新聞配達のアルバイトなどで生計を立てている“フツーの市民”ですが、福島からの避難者支援や子どもたちの保養招待、野菜の郵送など、心血をそそいで原発被災者を支援しています。
 その活動はドキュメント映画「スーパーローカルヒーロー」で紹介され、注目されました。この映画についてはこの「日記」でも書かせていただきました(6月3日)。
http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20140603
 この映画が福島で自主上映されたのを機に信恵さんが福島を訪れたのです。

 報告会では、福島から避難して尾道で飲食店を営んでいるご夫婦から、国の無策で一向に進まない「復旧・復興」に、「あきらめ」や「分断」も広がっている厳しい現実が、涙ながらに話されました。

 そんな福島で、信恵さんの映画が大変好評だったことが、紹介された観客の「感想コメント」からも分かりました。福島の人たちが何よりも、異口同音に喜んだのは、「信恵さんが福島に来てくれた」、そのこと自体でした。

 ☆24日の中国新聞に、「福島に寄り添う」という見出しの興味深い記事が載りました(写真右)。「福島ゆかりの民話や原発事故の体験を紙芝居に仕立て、古里を追われた人々に届けている」広島市の市民グループ「まち物語制作委員会」。その事務局長・福本英伸さん(広島市職員)のインタビューです。

 この委員会は「3・11」以前の5年前に、原爆からの復興と広島カープの歩みを記録することから発足しました。それが今はフクシマに活動を集中しています。その理由は?「被爆地に生きる者として、福島のことが気になって仕方がない、放っておけないと仲間の誰もが思ったんです」。

 紙芝居で支援するのはなぜ?「一方通行の支援には限界がある。福島の人々が主役になれるものはないかと考え、紙芝居にしました。物語には心を癒やし、人を動かす力があります。まちの元気をかき集め、まちおこしに夢や力を与えてくれる」

 報告会で信恵さんは言いました。
 「いろんな考えがある。答えは1つではないかもしれない。でもやることは1つ。(福島と)ちゃんとつながり続けること」

 今年ももうすぐ終わり。来年も、いや来年こそは、福島と、そして沖縄と、ちゃんとつながり続けたい!

<琉球新報、沖縄タイムスの「国内十大ニュース」に異議あり!>

 新聞は年末恒例で「今年の十大ニュース」を載せます。沖縄の琉球新報(25日付)、沖縄タイムス(24日付)も「国内」と「国際」に分けて載せましたが、その内容はまったく同じです。共同通信の配信をそのまま使っているからです(したがって例えば中国新聞も同じ内容)。

 その結果どうなったか。第1位に安倍政権の「集団的自衛権の行使容認を閣議決定」がきたのは妥当でしょう。ところが、「普天間飛行場の辺野古移設で国調査、反対の知事が当選」が、なんと第10位にやっと顔を出すだけなのです。共同通信は、この問題を「テニスの錦織」や「STAP細胞」などより以下と判断したのです。私は「トップ3」に入れるのが妥当だと思います。
 この共同通信の価値判断自体、もちろん問題です。本土のメディアとしての責任を果たしていません。
 同時に首をかしげるのは、新報、タイムスです。両紙はこの判断でいいのですか?いいわけがないでしょう。しかしこの紙面を見る限り、「辺野古・知事選」は沖縄でもこの程度のものと考えているのか、ということになってしまいます。

 両紙が共同電を安易に使う傾向はこれまでも気になっていましたが、今回はその弊害が如実に表れた形です。
 1年をしめくくる「十大ニュース」は、共同電ではなく、自社の見識でまとめてほしいものです。
 

 

 


天皇「81歳誕生日会見」の驚きのコメント

2014年12月23日 | 天皇・天皇制

            

 23日の明仁天皇81歳の誕生日にあたり、事前に用意された宮内庁記者クラブの2項目の質問に対する「回答」が、新聞・テレビで一斉に報道されました。
 被災地や戦争犠牲者に想いをはせる「温かい人柄」というイメージが振りまかれていますが、宮内庁のHPによって「会見文」を注意深く読むと、決して見過ごすことができない問題が、2項目それぞれにあります。

 「戦争犠牲者」は「300万超」か?

 「来年は戦後70年という節目の年・・・改めて先の戦争や平和に対するお考えを」との質問に、天皇はこう答えました。

 「先の戦争では300万を超す多くの人が亡くなりました。その人々の死を無にすることがないよう、常により良い日本をつくる努力を続けることが、残された私どもに課せられた義務であり、後に来る時代への責任であると思います」

 約310万といわれている「戦争犠牲者(死亡者)」は、日本人だけの数です。大日本帝国の大陸侵略による先の戦争で、アジア諸国の犠牲は、中国約1000万人、朝鮮約20万人、インドネシア約200万人、ベトナム約200万人、フィリピン約100万人、インド約350万人(その他諸国は不明)といわれています。
 こうしたアジア諸国の犠牲者は天皇の念頭にはないのでしょうか。

 天皇が「アジア諸国の犠牲」に言及しないのはもちろん今回だけではありません。しかし、「敗戦70年」に天皇は自らのたっての希望で、パラオを訪れようとしています。また今回の会見でも「近隣諸国はもとより、できるだけ多くの世界の国々と共に支え合って歩んでいけるよう、切に願っています」と述べています。
 であるなら、中国、韓国・朝鮮はじめ、日本が及ぼした「近隣諸国」の犠牲に言及し、さらには日本の「戦争責任」にまで、今こそ踏み込んで謝罪すべきではないでしょうか。

 「自分で責任を持って事に当たる」とは?

 よりいっそう驚いたのは、2番目の質問に対する答えです。
 昭和天皇について、「天皇としてのお姿から学び生かされていることをお聞かせください」との質問に対し(こういう質問自体が宮内庁記者クラブの体質を表わしていますが)、天皇はこう答えました。

 「人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事にあたるということは、昭和天皇の御言動から学んだ大きなことであったのではないかと思っています」

 言うまでもなくこれは公的な会見ですから、この言葉はまさか天皇の私的な日常生活における心構えを述べたものではありません。まさに天皇としての言動について述べたものです。
 天皇が「人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事にあたる」とは、とんでもない発言です。

 日本国憲法は第3条で、「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」と明記されています。そして、第6条と第7条において、天皇がなしうる「国事行為」は12項目に限定されているのです。
 天皇は「内閣の助言と承認」があってはじめてその「国事行為」を行なえるのであって、「人に言われたからするのではなく、自分で責任を持って事にあたる」ことなど一切できません。それは明確な憲法違反です。

 この発言は天皇が「昭和天皇の言動」に学んだとして述べていることですが、それは、天皇主権の大日本帝国憲法下における天皇の権限・言動と、国民主権の現行憲法下における天皇のそれとの重大な混同だと言わざるをえません。

 そして、この天皇の発言が今この時期に飛び出したことの危険性を凝視しないわけにいきません。なぜなら、この天皇発言は、今回の選挙で3分の2以上(与党)を占めた自民党が狙っている「憲法改正」に照応するものだからです。

 自民党の「日本国憲法化改正草案」(2012・4・27決定)は、第1条で「日本国の元首は天皇」だと明記するとともに、前述の第3条「内閣の助言と承認を必要とし」から「承認」をすっぽり削除し、「内閣の進言を必要とし」と改変しているのです。自民党の「改正草案Q&A」はその趣旨を、「天皇の行為に対して『承認』とは礼を失するから」だと説明しています。

 さらに自民党の改憲草案は、現行憲法が定める「国事行為」のほか、「天皇は・・・その他の公的な行為を行う」(第5条)とし、天皇ができることを事実上無制限に広げています。しかもこの「公的行為」には、「内閣の進言」が必要だとはされていません。まさに天皇が「人に言われたこらするのではなく、自分の責任で」言動できるようにしようとしているのです。
 自民党が狙う「天皇元首化」の具体的な姿がここに示されています。

 「敗戦70年」の来年は、「15年戦争」の意味とともに、それと一体不可分の天皇制、さらに戦後の「象徴天皇制」の歴史的意味と本質を、市民の側から問い直す年にしなければなりません。

 なお付言すれば、超タカ派の安倍首相に比べ、天皇・皇后の「平和主義」を称賛する声がありますが、天皇・皇后の「個人的な資質・性格」と、制度としての「天皇制」はまったく別であり、明確に峻別して議論しなければならないことは言うまでもありません。


早くも「後退」した初議会答弁、翁長知事は説明責任を

2014年12月20日 | 沖縄

                                       

  沖縄県の翁長雄志知事が、県議会で「所信表明」(12日)を行うとともに、代表質問(16日)と一般質問(17日)で答弁に立ちました。就任後初の県議会で、その発言内容が注目されましたが、辺野古新基地建設などをめぐって、早くも見逃せない発言が相次ぎました。

 辺野古埋め立て「承認撤回」が消えた所信表明

 翁長氏は所信表明で、「3つの施策」を示しましたが、選挙の最大争点だった辺野古問題は3番目の「平和創造プラン」の中でやっと言及。しかもその内容は、「この問題につきましては、埋め立て承認の過程に法律的な瑕疵がないか専門家の意見を踏まえ検証いたします。法的瑕疵があった場合は承認の『取り消し』を検討してまいります」(13日付琉球新報、沖縄タイムス)と、いまだに「検証・検討」の域を出ませんでした。

 そのうえ重大なのは、所信表明で承認の「撤回」にまったく触れなかったことです。
 そのことについて翁長氏は記者団に、「時間の関係上、割愛した」(13日付琉球新報)と述べました。「21世紀ビジョン」の焼き直しは延々と語りながら、最大焦点のこの問題を時間がなくて「割愛した」とは、信じられない言葉です。

 「撤回」でなく「話し合い」で日本政府に期待?

 一般質問への答弁で翁長氏は、承認「撤回」について、「撤回までいかなくても、日本政府との話し合いで、場合によっては(建設を)やめてくれるかもしれない。順序だててやりたい」(18日付沖縄タイムス)との述べ、安倍政権への「期待感を示した」(同)。
 できれば「撤回」したくない、「話し合い」で政府が「やめてくれる」(なんと卑屈な言葉でしょう)のを期待する。それが翁長氏の本音でしょうか。なぜ「取り消しないし撤回でやめさせる」と言えないのでしょうか。

 「県内移設容認」の「確認書」は「何の意味もない」?

 昨年1月の「建白書」作成時に、翁長氏は中山義隆石垣市長と、普天間飛行場の「県内移設」を容認する「確認書」を交わしていました。これについては11月13日付のこのブログでも書きました。
http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20141113
  翁長氏は代表質問答弁で、「反対する人もいたが、市長会で説得し、全員が了解してサインをした」と「確認書」の存在を公式に認めました。

 沖縄県紙はなぜかこの答弁を重視しませんでしたが、共同通信は同日、「翁長氏は11月の知事選で普天間の県内移設は『絶対に許されない』と繰り返しており、これまでの発言との整合性が問われそうだ」と配信しました。そして翌日の中国新聞は2面で、「翁長氏 県内移設否定せず 昨年1月に確認書」の見出しで大きく報じました。
 共同通信によれば、答弁後翁長氏は記者団に、「(確認書は)水面下の話で、何の意味もない」と語ったといいます。一方、「中山氏は共同通信の取材に『辺野古を含め県内移設を残すべきという趣旨で確認書を取り交わした。意味がないものではない』と反発した」(共同)。
 「何の意味もない」とほうかむりするのではなく、県民にその事実、真意を自ら説明する必要があるのではないでしょうか。

 基地建設阻止は「任期中」は無理?

 翁長氏は一般質問で、「基地建設阻止が実現する時期については『早く実現したいと思うが、必ず(任期の)4年間でそうなるとは言えない。一歩一歩前進させて近づけていくことになる』と述べた」(18日付琉球新報)。
 驚きました。任期中に辺野古の新基地建設は阻止できないかもしれないとは!いったいどういうつもりでしょうか。「基地建設阻止が実現する」とは何を意味しているのか明らかにする必要があります。もちろん承認の「取り消し」や「撤回」をしてもそれですべて解決するわけではありません。政府はおそらく訴訟に持ち込むでしょう。しかし、「取り消し」ないし「撤回」すれば、少なくともその時点で工事は止まります。それが「建設阻止」の始まりであり、そこから建設断念に持ち込むたたかいが続くのです。その「建設阻止」が任期中は無理かもしれないとはどういうことでしょうか。

 「高江ヘリパッド」は「反対」から「検討」へ

 代表質問答弁で翁長氏は、「東村高江の米軍ヘリパッド建設問題については『環境、住居生活への影響をめぐってさまざまな意見がある。地元の意見を聞き、検討したい』と述べた」(17日付琉球新報)。
 しかし翁長氏は知事選では、「オスプレイの専用的なヘリパッドになっている点もあり、『建白書』でオスプレイ配備撤回を求めていく中で、連動して反対することになる」(10月21日の政策発表記者会見。10月22日付しんぶん赤旗)と公約したのです。
 「反対」から「検討」へ。これは明白な後退(変質)ではないのですか。

 以上の検証は、琉球新報や沖縄タイムスなど新聞報道をもとにしたものです。記事では不十分さや不正確さがある可能性も否定できません。
 重要なのは、翁長氏が自ら、これらの「後退姿勢」について、その真意を県民と国民に明確に説明することです。翁長氏にはその説明責任があるのではないでしょうか。

 さらに、辺野古や高江の新基地建設阻止を願って、知事選で翁長氏を支持・応援した人たち・グループは、翁長氏に直接会い、その真意を確かめる必要があるのではないでしょうか。
 そして、翁長氏との意見交換の場(市民懇談会)を定期的に開催し、政策の実行を求める。翁長氏を擁立した人たちにはその権利と責務があるのではないでしょうか
 


沖縄選挙区「自民全敗」と「オール沖縄」

2014年12月18日 | 沖縄

        

 今回の総選挙で特筆すべきは、本土の小選挙区で222議席を獲得した安倍・自民党が、沖縄の4つの選挙区で全敗したことです。

 その最大の要因は、直前の知事選から継続して、「辺野古新基地建設」の賛否が争点として明確だったことでしょう。新基地建設反対を公約した翁長雄志氏を支持する、いわゆる「建白書」派(あるいは「オール沖縄」派)が4選挙区で自民党に勝った意味はきわめて重く、安倍政権は直ちに辺野古新基地建設を断念すべきです。

 同時に、「建白書」派も、今回の選挙結果をけっして過大評価することはできません。

 沖縄の4選挙区で、「建白書」派の4候補の合計得票率は53・4%。一方、自民党候補と1区の下地幹郎候補を合わせた「非建白書」派の合計得票率は46・6%。その差はわずか6・8㌽です。1区に限れば、自民党の国場幸之助氏と下地氏の合計が「建白書」派の共産党・赤嶺政賢氏を約20㌽上回りました。それでも4対0という結果が出るのが、小選挙区制の特徴です。

 さらに比例区で全県の合計得票率を見ると、「建白書」派の共産党、社民党、生活の党の3党合わせて34・1%。これに対し、安倍政権与党の自民党(25・4%)と公明党(15・9%)は合わせて41・3%。これに「辺野古推進」の民主党を加えると50・2%にのぼります。

 つまり、「辺野古新基地建設反対」という「沖縄の民意」は強固で揺るがないけれど、政党に対する支持では、「非建白書」派が「建白書」派を引き続き大きく上回っているのです。

 「建白書」派は「オール沖縄」を旗印に選挙を行ってきました。しかし、この選挙結果は、沖縄の「民意」はけっして「オール沖縄」という言葉ではくくれない複雑な様相を示しているということではないでしょうか。

 「建白書」派は、この総選挙が「知事選で共同したすべての政党と会派が協力したたたかいになっている」(共産党・志位和夫委員長、12月8日)と、「知事選の枠組み」は変わっていないと強調しました。しかし事実はそうではありませんでした。
 知事選で「自主投票」とし事実上翁長氏を支持した公明党沖縄県本部は、総選挙では自民党と共闘しました。連合も、2~4区では「建白書」派候補を「支持支援」しましたが、1区では「知事選の枠組みを尊重」というだけで「支持支援」はしませんでした。翁長氏の強力な支持グループであった新風会(元自民党那覇市議団)も、1区で「赤嶺支持」に1本化できず「自主投票」になりました。新風会はその後分裂状態です。

 「知事選の枠組み」は明らかに変わってきています。反共産党色が早くも表面化してきています。
 変わって浮上してきたのが、自民党を含めた「オール沖縄」です。
 あれほど県民が落としたかった自民党4議員が比例で復活したことに対し、翁長氏が「少し輪が広がった」と歓迎し、彼らに「オール沖縄の結束を呼び掛けた」(16日付琉球新報)のはその典型的な表れです。翁長氏はさらに、今後の辺野古問題に関し、「自民県連が知恵をつくってくれるかもしれない」(16日付沖縄タイムス)と自民党への「期待」を公言しています。

 いったい「オール沖縄」とは何でしょうか。

 共産党は1区の選挙で「共産党」の名前の連呼を封じ、赤嶺氏のたすきにも「共産党」ではなく「オール沖縄」と書くことまでして選挙に臨みました(写真右)。赤嶺氏は選挙後こう語っています。
 「建白書という一致点であらゆる問題に対処していくような共闘を尊重して進めていきたい」(16日付琉球新報)

 結局、「オール沖縄」とは「建白書」以外にないのです。
 しかしその「建白書」には、オスプレイ配備反対と普天間の県内移設反対はあっても、「高江のヘリパッド反対」も「嘉手納基地縮小・撤去」も、「自衛隊配備強化反対」もありません。もちろん、日米安保にはまったく触れていません。
 「建白書」はきわめて限定的なものです。その一致点だけで「あらゆる問題に対処」するのは不可能です。

 とすれば、沖縄はこれから、「オール沖縄」という抽象的なスローガンではなく、具体的な政策問題で、翁長県政の「枠組み」が問われることになります。沖縄は知事選と衆院選をへて、今大きな岐路に立っているといえます。

 沖縄県民が選挙区選挙で「辺野古新基地反対」を重ねて明確に示したことは、「犠牲強要を拒む意思表示」(16日付琉球新報)であり、それは、「『見たくない現実』から目をそらし・・・米軍が身近にあるのは困る、置くなら沖縄で、と無意識に考えている」(同)本土の日本人に対する厳しい抗議です。私たちはこれを真正面から受け止め、本土でも辺野古新基地反対の世論を高めなければなりません。

 目をそらしてならないのは、「辺野古問題」だけではないでしょう。沖縄が置かれている現実、直面している課題、岐路に立つ沖縄の進路。それは本土の自分たちとどうかかわるのか、自分は何をすべきなのかを考え続けることが、選挙で示された「沖縄の民意」に応えるわれわれの責務ではないでしょうか。


「戦後最低の投票率」の元凶・小選挙区制は廃止を

2014年12月16日 | 政治・選挙

            

 14日投開票された衆院選挙結果の報道で重大なのは、「与党圧勝」(NHK)、「自公圧勝」(「読売」)、(「自公大勝」(「朝日」)など、安倍政権が「圧勝」したかのように喧伝されていることです。
 これはまったく事実に反しています。公明党は確かに公示前の31議席から35議席にわずかばかり増やしましたが、自民党は公示前の295から290へ5議席減らしているのです。結果、自公合わせても公示前の326が325へ(自民は選挙後1人追加公認)。これでどうして「自公(与党)圧勝」などと言えるのでしょうか。
 おそらく325が過半数(238)や絶対安定多数(266)や、「3分の2」(317)を上回っているからということでしょうが、選挙の勝ち負けは、選挙(公示)前の議席と比較するのが常識です。

 安倍・自公政権は「圧勝」どころか、議席を減らして敗北したのです。これが事実に基づく評価です。

 このことは、安倍首相が「選挙で信任された」としてさっそく、憲法改悪はじめ暴走を加速させようとしていることと密接にかかわってきます。NHKなどが「与党圧勝」を連呼するのは、こうした安倍政権の暴走に道を開くきわめて政治的な報道だと言わねばなりません。

 選挙結果は、けっして安倍政権を信任するものではありません。

 そのこととも関連して、今回の選挙の最大の特徴(問題点)は、投票率が「52・66%」という戦後最低を記録したことです。
 「毎日」の社説(15日付)が「戦後最低の投票率の危うさ」を強調し、「投票率を回復するために何が必要か、今後政党が総力を挙げて取り組むべき課題である」と指摘していることは妥当です。しかし、その解決策は示されていません。

 「戦後最低の投票率」の原因は、大きく言って2つあると思います。そこで「2つの提案」をします。

 1つは、小選挙区制を廃止することです。小選挙区制こそ、「政治不信」と「政党の堕落」を助長し、「低投票率」を招く諸悪の根源です

 現在の小選挙区比例代表並立制は、小選挙区制の弊害をカバーするとして比例代表制が併用されていますが、小選挙区の議席が62%を占めており、中心は小選挙区制です。
  小選挙区制が導入されたのは1996年。それ以前投票率は60%台後半~70%台で推移していました。それがこの制度になってから70%台に戻ることはなく、どんどん「最低」を更新しています。もちろん、投票率の低下はそれだけが要因ではありませんが、小選挙区制の影響は明らかです。小選挙区制には次のような害悪があります。

①大量の「死に票」。今回その票は約1700万票(32・1%)にも達しました。投票しても約3分の1がまったく生かされない死に票になるのですから、投票所から足が遠ざかるもの無理はありません。

②「4割の得票で8割の議席」という不公正さ。これは小選挙区制の代名詞のように言われてきた問題点です。今回自民党の小選挙区での得票率は48・1%。それに対し議席獲得率は75・3%。代名詞通り、不公正は歴然です。「政治的不公正」は「政治不信」に直結します。

③「政策よりも地盤」を助長。小選挙区制は地方選挙並みに候補者の「どぶ板選挙」を助長します。有権者も政策よりも地縁を優先しがちになります。それは世襲議員が多い自民党に有利であり、前近代的選挙を温存します。小渕優子氏が疑惑にほうかむりしたまま断トツで当選したのもその一例です。

④「投票したい候補者がいない」「無風選挙区」を拡大。すべての小選挙区に候補者を立てるのは相当な金と人材が必要です。それができるのは自民党と共産党くらいです。野党第1党の民主党が多くの小選挙区で候補者が立てられなかったのはそのためです。結果、「投票したい候補者がいない」か、自民対共産の「無風選挙区」が多数生まれ、低投票率につながります。

⑤政党の政策抜き・離合集散を助長。小選挙区制は「二大政党制」のための選挙制度です。そこで野党は「自民党に対抗できる政党」ということで、政策の一致はそっちのけで数合わせの野合を重ねます。それは政党の退廃・腐敗の元です。今まさにその離合集散劇がまた始まろうとしています。

 メディアは小選挙区制が「不公平」な制度であることには触れながら、いずれもその見直しには言及していません。各メディアは、「二大政党制」をよしとして小選挙区制導入を支持した経緯があります。しかし、それが誤りだったと分かれば、率直に訂正すべきです。それがメディアの責任です。

 結論。小選挙区制を廃止し、全県1区(あるいはブロック)の単純比例代表制を導入すべきです。
 結果、国会は「二大政党制」ではなく、「多党制」となり、国民の多様な意見・政策が国会に反映され、国民の政治参加を促します。「二大政党制」の弊害は、アメリカを見れば明らかです。

 「戦後最低の投票率」の2つ目の原因は、国民(有権者)の無責任です。
 いかに弊害が多い選挙制度でも、投票に行かないのは国民としての権利放棄であり責任放棄です。
 こうした無責任が安倍政権の暴走を許していることが、もっとも重大な問題です。

 ただ、「政治的無関心」ではなく、関心はあるがどうしても投票したい候補者・政党がいない、という人が、現在の政治・政党に対する抗議の意思表示として棄権する場合も少なくないかもしれません。そこで2つ目の提案です。

 現在の政治・政党に対する抗議の意思を示すなら、棄権ではなく、投票用紙に×印を書いて投票しましょう。裁判官の国民審査のように。

 「白票」は棄権とは本質的に違う投票行動です。ただ「白票」では「白紙委任」と誤解されかねませんから、「×」を書きます。それは時の政権に対する不信任の意思表示でもあります。
 そして次の選挙までに、「×」を書かなくてもすむような政治の実現に向けて、自分ができることをやっていきましょう。

 ベストな政党・候補者がいなければベターな政党・候補者へ。それもいなければ「×票」を。
 棄権だけはやめましょう。それは国家権力の思うつぼです。

 次は、今回の選挙で特筆すべき沖縄の選挙結果を検証します。
 


長崎ー兵器産業城下町に咲く「黄色いバラ」

2014年12月13日 | 戦争と平和

                   

 長崎でもう1カ所、行ってみたかったのが、グラバー園でした。トーマス・ブレーク・グラバー(写真上左)の旧邸など幕末・明治の洋館と庭園が有名な長崎を代表する観光スポットです。
 でも私の目的はそれらではなく、高台から見下ろす長崎港でした。そこには三菱長崎造船所があるからです。

 そのグラバー園の目立たない所に、1つの石碑がありました(写真下左)。「ここグラバー邸および庭園は三菱長崎造船所創業百年を記念して同所より長崎市へ寄贈された」。三菱造船を見渡すこのスポット自体、三菱によって贈られたものでした。

 長崎はまぎれもなく三菱の企業城下町です。そしてその三菱こそ日本最大の兵器産業にほかなりません。被爆地であると同時に、最大の兵器産業の城下町。長崎はまったく相反する2つの顔を持つ街なのです。

 
 眼下の三菱造船をよく見れば、巨大な船が横づけされていました。自衛艦です(写真下中)。建造中なのか、修理中なのか。ここが「兵器産業の城下町」であることを見せつけられました。

 
 「長崎は三菱の企業城下町である。三菱を頂点として末広がりに中小零細企業連なる経済構造が長崎にはある。だから長崎の被爆者やその家族・親類縁者で、三菱および関連の中小零細企業に職を得ている人は少なくない。ここには平和の訴えをしながら生活のために兵器生産に従事するという大きなジレンマがある

 舟越耿一長崎大学教授は兵器産業の城下町である長崎の苦悩をこう語ります(『ナガサキから平和学する!』2009年)。その舟越氏が長崎が学ぶべきだとして思いをはせるのが、沖縄のたたかいです。

 「かつて『基地に働きながら基地を否定した』沖縄全軍労の闘いがあったことが想起される。『矛盾を積極的に生きることによって幅広い共感を得る』(沖縄タイムス2001年8月21日社説)と評された。同様に考えていいのではないか。沖縄だけで、長崎だけで解決できる問題ではないからだ。真正面から問題と向き合って生きることで、兵器を造らない都市づくりに広く国民の共感が得られるように努力すべきだと思う」(同)

 「真正面から向き合う」問題とは何か。舟越氏はそれは「日米安保体制」だと言います。

 「日本の平和と安全は米軍の基地と核抑止力に依存しているというのが日米安保体制の意味である・・・自らは核抑止力に依存して、それを顧みることなく他国には核兵器廃絶を迫るというのはまことに矛盾した態度であるということになる。であればまず、『核の傘』への依存態勢とその基礎になっている日米安保との対峙こそ広島・長崎の反核運動の最優先の根本課題ではないのか」(同)

 それはけっして広島と長崎だけの「根本課題」ではありません。日米安保体制の下で米軍基地が集中し、米軍との一体化が進む自衛隊の配備強化が計画されている沖縄にとっても、それは「最優先の根本課題」です。

 私が住む広島県・福山市も、被爆地広島でありながら、JFE(旧日本鋼管)という兵器産業の城下町です。原爆と軍事基地と兵器産業。長崎と多くの共通点があります。
 しかし、共通点はそれだけではありませんでした。

 長崎原爆資料館の庭に、寒風に吹かれながら力強く咲いている1輪の黄色いバラがありました(写真下右)。福山のホロコースト記念館から贈られた「アンネのバラ」です。
 アンネ・フランクにちなんで生まれたバラが、12年前にホロコースト記念館から原爆資料館に贈られ、資料館は「世界平和への祈りを込めて大切に育てている」(館長)のです。

 沖縄・金城実さんの「平和の母子像」。福山の「アンネのバラ」。長崎、広島、沖縄はいずれも軍隊と軍事同盟に対峙するという重く大きな課題を抱えながら、同時に、平和を求める人々によっても強く結ばれている。そんな思いで長崎を後にしました。

 「長崎紀行」は今回で終わります。明日はいよいよ、集団的自衛権・憲法9条・日米安保体制が問われる衆議院選挙です。  


長崎・平和公園ー沖縄と、世界とつながる

2014年12月11日 | 戦争と平和

                

 長崎の原爆資料館から近くの平和公園へ向かう途中、大きなレリーフに出合いました。「平和の母子像」です(写真上左)。
 見覚えのある作風。左下には「M.Kinjo」の文字。沖縄の彫刻家、金城実さんの作品に違いありません。
 そばの「平和の母子像を建てる会」の碑文には、こう記されていました。<それぞれの「あの日」を生きつづける女たちの、たぎる思いをひとつにあわせ、再びあの惨禍をくり返さない誓いをこめて、ここに像を建てる 1987・8・1>
 その思いに、怒りと慈愛を力強く表す金城さんの作品はぴったりです。このレリーフで、長崎と沖縄の「平和への誓い」がつながったような気がしました。

 平和公園の平和祈念像(北村西望作)はよく知られています。上に突き上げた右手は原爆を、水平に伸ばした左手は平和を、そして顔は戦争犠牲者の冥福を祈っていると言われています。
 しかし、平和公園にはそれ以外にも実に数多くの像が建っています。さながら野外美術館のようです。そしてそれらはいずれも、海外から寄せられたものです。

 例えば、「地球星座」(写真上中)は長崎の姉妹都市、アメリカ・セントポール市からのもので、7大陸が平和であるようにとの願いが表されています。「平和」(ソ連、同右)、「人生の喜び」(チェコ、下左)、「未来の世代を守る像」(オランダ、下中)など、その数は15カ国にのぼります。
 特徴的なのはその多くが母子像だということ。命を生む母が、未来を担う子どもを守る。万国共通の願いと祈りが静かに、そして力強く伝わってきます。

 長崎は出島、平戸、そしてキリスト教の布教・受難と、歴史的に国際性豊かな都市です。それが今日の平和の希求にもつながっていると感じました。
 そして、その国際性においても、長崎と沖縄は相通じるものがあるのではないでしょうか。

 平和公園には1つの目的をもって行きました。先に亡くなった本島等元長崎市長が建立に尽力したという「中国人原爆犠牲者追悼碑」です。1日目は、園内で作業中の人に聞いても分からず、2日目にゆっくり探してやっと見つけました。少し離れた目立たない所にありました(写真下右)。
 碑の前には本島氏による説明板があります。戦争中、全国では約4万人の中国人が強制連行され、1年余で6830名が死亡。そして長崎では、三菱鉱業高島炭鉱、同崎戸炭鉱など4事業所に計1042名が強制連行され、115人が死亡したと記されています。

 原爆の非人道性、犯罪性の告発において、日本人の被害だけに焦点を当てるのは、不十分であるばかりか、不当でさえあるでしょう。帝国日本が強制連行した朝鮮や中国の人たちの犠牲、そしていまだに差別されているそうした人々への補償問題を抜きには考えられません。

 そしてさらに私たちは、日本国内の戦争犠牲だけでなく、日本の侵略によってもたらされた東アジア諸国の膨大な犠牲に目を向けなければなりません。その加害責任を明確にすることによって、はじめて日本からの「平和のメッセージ」は力を持つことができるのではないでしょうか。
 「長崎の旅」は改めてそのことを教えてくれました。


長崎・原爆資料館の「朝鮮人被爆」

2014年12月09日 | 戦争と平和

         

 8日、時間を見つけて長崎を訪れました(1泊2日)。「真珠湾攻撃の日」と重なったのは偶然です。広島にいるあいだに、行ける時に行っておこうと思ったのです。
 長崎は中学の修学旅行以来。まともに「戦争資料」を見るのは初めてです。

 昼過ぎに長崎駅に着き、原爆資料館(写真上左)へ直行しました。
 広島の原爆資料館と比較しながらその特徴を見てみようというのが目的でした。

 すぐに感じたのは、原爆のむごさ、悲惨さを、ためらうことなく展示していることです。例えば被爆した鉄兜(写真上中)。内部には頭骸骨が付着しています。他にも「手の骨が付いたガラス」もありました。人骨が付着していることで伝わるものが違ってきます。

 さらに、放射能の内部被曝の問題がきっちり説明されていたことも、広島にはない特徴でした(写真上右)。もちろん「3・11」以前からの展示ですが、今日に通じるものになっています。

 しかし、こうした特徴を超えて、最も目を引いたのは、「原爆による被害の実相」コーナーの最後、出口付近にある「外国人被爆」の事実を伝える展示です(写真下左)。
 外国人被爆で最も多かったのは朝鮮人で、市の調査でも1万3000~1万4000人。「長崎朝鮮人の人権を守る会」の調べでは2万2198人(死者約1万人)にのぼります。日本帝国の植民地政策によって強制連行された人たちです。
 ほかに中国人約650人、オランダ、イギリス、オーストラリアの捕虜約200人と記されています。

 こうした数字とともに大きな衝撃を受けたのは、丸木位里、丸木俊作の絵画「からす」(1972年)でした(写真下中)。それには石牟礼道子さんの言葉が添えられていました。
 「原爆がおっちゃけたあと、一番最後まで死骸が残ったのは朝鮮人だったとよ。日本人は沢山生き残ったが、朝鮮人はちょっとしか生き残らんじゃったけん。どがんもこがんもできん。カラスは空から飛んでくるけん、うんと来たばい。それで一番最後まで残った朝鮮人たちの死骸のあたまの目ん玉ば、カラスがきて食うとよ。カラスが目ん玉ば食いよる」(「菊とナガサキ」より)
 「屍にまで差別を受けた韓国・朝鮮人。屍にまで差別した日本人」(丸木夫妻)

 資料館を出て、平和公園へ向かう途中、階段の下の目立たない所で、「追悼 長崎原爆朝鮮人犠牲者 1945・8・9」の碑(写真下右)を見つけました。こう記されていました。
 「私たち、名もなき日本人がささやかな浄財を拠出して、異郷の地長崎で悲惨な生涯を閉じた1万余の朝鮮人のために、この追悼碑を建設した。かつて日本が朝鮮を武力で威かくし、植民化し、その民族を強制連行し、虐待酷使し、強制労働の果てに遂に悲惨な原爆死に至らしめた戦争責任を、彼らにおわびすると共に、核兵器の絶滅と朝鮮の平和的な統一を心から念じてやまない。 1979年8月9日 長崎在日朝鮮人の人権を守る会

 資料館は「しおり」のほか、「資料館学習ハンドブック」を作成し、長崎市も『ながさき原爆の記録』という写真を中心にした立派な資料館ガイドブックを発行しています。しかしそれらには、内部被曝も、「外国人被爆」も、「からす」も、「追悼碑」も、一言も載っていません。