アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「3・1独立運動」100年から「韓国併合」110年・「朝鮮戦争」70年へ

2019年12月31日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

  

 2019年が終わろうとしています。この年が「3・1独立運動」(写真左)から100年目の年だったことは、ほとんど語られなかったのではないでしょうか。

  帝国日本の朝鮮半島侵略・植民地支配は、江華島侵攻(1976年)から本格化し、武力を背景に強制的に調印させた「日韓併合条約」(1910年)で確立されました。

 「日本帝国主義の、植民地統治の初期10年間を、憲兵政治または武断政治とよぶ。義兵を『討伐』して朝鮮を軍事占領した日本軍の軍政を、永続化したような体制であった。…1919年3月1日から始まり、およそ1年もの間朝鮮全土をおおった3・1運動は、ひとりの英雄的な指導者によって象徴されるような質のものではない。多くの無名の人々の、もちこたえてきた独立への意志が、ひとつに合流した民衆運動であった」(梶村秀樹著『朝鮮史』講談社現代新書)

  3月1日、33人の「民族代表」の名で「独立宣言文」が発表されました。
 「『独立宣言文』は、朝鮮民族の独立が単に正当な権利であるばかりでなく、東アジア、ひいては世界の平和にとって大きな意義をもつことを強調した格調高い文章で…民衆の心の琴線にふれて、自発的な集会とデモンストレーションの連鎖反応をよび起こした」(梶村氏前掲書)(写真中はソウルのタプコル公園のある「独立宣言文」の碑。写真右は起草した人々の像。「宣言文」については2月28日のブログ参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/m/201902

  それから100年。「多くの無名の人々の意志が合流した民衆運動」が、同じ東アジアの香港で起こり今も広がっていることは、たんなる歴史の偶然ではないでしょう。

  一方、日本はどうだったでしょうか。帝国日本による強制動員(「徴用」)の被害者への賠償を命じた韓国最高裁判決の底には、「3・1運動」以来の民衆の反植民地主義の意思が流れているのではないでしょうか。

 これに対し日本の安倍晋三政権は、反省を示すどころか逆に判決と被害者・支援者への敵対姿勢をむき出しにしました。重大なのは、その安倍政権の姿勢を日本のメディア・「市民」の多くが支持した(している)ことです。

 このことは、政府(国家権力)だけでなく日本の民衆・社会全体が、過去の植民地支配を反省するどころか、新たな今日的植民地主義に陥っていることを示しているのではないでしょうか。

 残念ながら、これが「3・1運動」から100年の日本の現実です。

 そして2020年。安倍・歴史修正主義政権の下で、「東京オリンピック・パラリンピック」を旗印に、天皇を頂点とする偏狭ナショナリズムの嵐が吹き荒れようとしています。

 2020年は明仁前天皇の即位礼(1990年)から30年、さかのぼれば大逆事件(1910年)で幸徳秋水が死刑に処せられて110年にあたります。

  一方、朝鮮半島との関係では、植民地支配が確立した「韓国併合」(1910年)から同じく110年です。また、日本の植民地支配が引き起こしたと言っても過言ではない朝鮮戦争の開始(1950年)から70年の年でもあります。

  2020年が新たな天皇制強化の年になるのか、それとも植民地支配の歴史的責任に向き合う年になる(する)のか、重要な岐路に立っています。

  2020年は日本の近現代史では稀に画期的な市民運動だった安保闘争(1960年)から60年の年でもあります。韓国や非暴力の香港の市民と連帯しうる市民運動を日本でも育てていかねばなりません。

  ※ 今年も「アリの一言」をお読みいただき、誠にありがとうございました。情勢は引き続き厳しいですが、巨大な堤も小さな穴から崩れることを信じ、自分にできることをやっていこうと思っています。来年もよろしくお願いいたします。


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雅子皇后は「公務」から離脱すべきだ

2019年12月30日 | 天皇・天皇制

    

 雅子皇后の56歳の誕生日に際し、東宮職医師団が次のような見解を発表しました(表記は不本意ながら発表通りとします)。

 「皇后さまは…治療を継続されている。…依然として回復の途上にあり、体調には波がある。…過剰な期待を持たれることは、今後の回復にとって逆効果となり得ることを理解してほしい」(12月10日付中国新聞=共同配信)

  もとより「期待」など論外ですが、この際、雅子皇后は皇后としての「公務」から離脱すべきです。主な理由は2つあります。

  第1に、彼女の健康破壊・心身の苦痛は、皇室・天皇制の女性差別の結果にほかならないからです。結婚当時から、いや結婚自体が、「皇位継承者」である男子を生むことを義務付けられ、結果、女子が誕生したことによる有形無形の非難・圧力が彼女の心身を蝕みました。これほど露骨な女性蔑視・差別はありません。

  彼女だけでなく、女性に生まれたがゆえに出生時からの特別の視線を浴びてきた愛子さんも差別の犠牲者です。今も続くその苦悩は想像に余りあります。

  これは重大な人権侵害であり、放置できません。雅子氏、愛子さんが差別から身を守り心身の健康を回復するためのとりあえずの手段は、雅子氏が「公務」から離脱することです。

 雅子氏が皇后になるにあたり、一部の「民主的識者」(女性)から、「外交官のキャリアを生かして活躍を」などと「期待」する声が複数出ましたが、とんでもないことです。

  より重要な第2の理由は、そもそも皇后が天皇とともに(天皇に追従して)「公務」を行う義務はまったくないということです。

  現行憲法は第1章(1条~8条)で、天皇の「象徴」としての地位と「国事行為」を定めています。したがって憲法を改正するまでは、天皇には「国事行為」を行う憲法上の義務があります(付言すれば、「地方行幸」や「皇室外交」などの「公的行為」の規定は憲法上一切ありません)。

  しかし、憲法は皇后については一言も触れていません。皇后は憲法上の存在ではないのです(皇族についても同様)。
 ちなみに皇室典範には「皇后」の文字は4カ所ありますが、このうち法的地位関するものは第17条で「摂政」の可能性の3番目に挙げられているだけです。

 憲法上も皇室典範上も、皇后が天皇に追従して「公務」を行う義務はありません。にもかかわらず「地方行幸」(被災地訪問)や「皇室外交」などで皇后がまるで「公務」のように天皇に従って同行しているのは、男尊女卑の日本的夫婦像を印象付けるものです。また「赤十字活動」など皇后の独自の「公務」は、天皇制を強化するために明治藩閥政府がつくりだしたプロパガンダにほかなりません。

 「モリ・カケ」問題で、安倍政権は「昭恵夫人は私人」だと閣議で確認しましたが、同様に、雅子皇后も憲法上は私人です。昭恵氏が安倍首相に同行する必要がまったくないのと同じく、雅子皇后も天皇に同行する必要はありません。

  繰り返しますが、憲法(法律)上、皇后にはいかなる「公務」も行う義務はありません。いや、さも天皇とセットであるかのように「公務」を行うべきではないのです。

 以上の2つの理由により、雅子皇后は「公務」から離脱すべきです。

 もちろん、これが問題の本筋でないことは承知の上です。本筋は天皇制自体を一刻も早く廃止する(憲法1~8条を削除する)ことです。
 そのためにも、雅子皇后が「公務」から離脱することは、天皇制がいかに女性差別・人権侵害の上に成り立っているかを明らかにし、天皇・皇后の憲法上の地位・義務を確認することになり、天皇制廃止へ向けた重要な一歩になるのではないでしょうか。


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日曜日記81・認知症の母の終末期の意思は?

2019年12月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 今年大きな刺激を受けた本の1つが、松田純氏(静岡大名誉教授)の『安楽死・尊厳死の現在―最終段階の医療と自己決定』(中公新書、2018年)だった。多くの本や映画がそうであるように、強い刺激を受けるのは、その時の自分の問題意識・思考状態とかかわっている。

  同書は「安楽死」を法的に認めているオランダやベルギーの例を紹介しながら、命の自己決定権について医療的・思想的に考察している。「安楽死」を認めている国の基本的考え方は(きわめて大雑把に言えば)、終末期医療を打ち切る自己決定権を認めるという思想だ(幾重もの条件を踏まえたうえで)。それは私が長年考えてきたことと一致する。

  しかし、そんな国々でも、基本的に容認していないのが、認知症患者の終末期の「自己決定」だ。オランダで「安楽死」容認の中心的存在になっている医師がこう語っている。
 「難しい点は、患者が精神的能力、判断力があった時点で記述した内容(終末期医療についての希望―引用者)を、認知症になった時点で患者がそのことを忘れてしまうことなのです。…認知症患者の安楽死は不可能だと思います」

 認知症患者だけではない。一般に、終末期医療について元気だったときの考え(意見表明)と実際にその状況を迎えた時の考え(思い)は変わり得るしそれは珍しいことではない、と松田氏は指摘している。認知症患者はその変化を自分で表明できない。

  母の介護に携わって1月で丸6年になる。当初、まだ認知症が進行していないとき、母は「延命治療まで受けて長生きしたいとは思わない。苦しまないように、迷惑をかけないように、延命治療(医療)はやめてほしい」と確かに語った。

  それが母の意思、自己決定であると信じ、それを尊重したいと思ってきた。その旨をグループホームの責任者にも、ホームの掛かりつけ医にも文書でお願いしている。そのことに迷いはなかった。これまでは。

  同書を読んで思う。はたして母のあの認知症進行以前の意思は、現在も続いているのだろうか?延命治療・終末期医療を打ち切ることが、はたして今の母の意思と考えていいのだろうか?

 この迷いには伏線がある。
 母の介護に関わり始めたころ、延命治療・終末期医療拒否は、私自身の考えだった。自分の命の終わりは自分で決めたいと、自殺さえ肯定していた。母も基本的に同じ考えだとわかって安心した。人(家族)に迷惑をかけてまで、チューブにつながれてまで長生きしたいとは思わない、と。

 それが、この6年間で少しずつ変わってきている。

 来年7月に94歳になる母は、徐々に徐々に身体の諸機能が低下(喪失)してきている。今では私が誰かはもちろん分からないし、「ウーウー」という声(音)は発するが、自分の意思(思い)を言葉にすることはほぼできない。

 しかし、そんな母だが、食事(刻み食から今では流動食)はいまも3食完食する。そして、私がホームの面会から帰るとき、「また明日来るからね」と言うと、悲しそうな顔をするときがある。半年くらい前までは、ときどき「もう?」と泣きそうな顔をすることがあった。

 そんな母を見ながら、日々、「生命」というものを考える。「生きるよろこび」とは何だろうか? たとえ、言葉を失い、思考すらもおぼつかなくなっても、ただ食べるだけの毎日でも、それが、食べることが「生きているよろこび」ではないだろうか? 「自分の命の最期は自分で決める」というかつての確固たる信念は、はたして妥当(正当)な考えなのだろうか? 母を見ながら、いつもそのことを考えている。

 答えはまだ見つかっていない。
 問いを持ちながら、迷いながら、考えながら、母と一緒に新しい年を迎える。


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朝鮮半島・「挑発」しているのはどちらか

2019年12月28日 | 朝鮮・韓国差別とメディア

    

 NHKはじめに日本のメディアは朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の金正恩委員長の言動や飛翔物発射実験を、「北朝鮮の挑発」と称することが常態化しています。安倍政権と歩調を合わせたものですが、事実を歪曲する偏向報道と言わねばなりません。

  「挑発」とは、「人を刺激して事件や欲情などを起こすようにしむけること。そそのかすこと」(国語辞典)ですが、朝鮮の言動のどこにそんな意味があるのでしょうか。
 日本メディアの朝鮮報道の特徴は、金委員長や発射実験などの背景、経過を一切捨象し、現象面だけを切り取って印象付けていることです。
 朝鮮がアメリカとの交渉のめどを「年末」においていることについても、メディアは「一方的な設定」と非難していますが、これにも経過があります。

 起点は2018年6月12日の金委員長とトランプ大統領の会談です(写真左)。その合意文書である「シンガポール共同宣言」はこううたっています。

 「トランプ大統領と金委員長は、新たな米朝関係の確立と、朝鮮半島における持続的で強固な平和体制の構築に関連する諸問題について、包括的で詳細、かつ誠実な意見交換をした。トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない約束を再確認した」(2018年6月13日付共同配信)

 さらにトランプ氏は会談後の記者会見でこう述べました。
 「米韓演習は挑発的。中止により多額の費用を節約できる」(同、写真中)

 「朝鮮半島の完全非核化」は、アメリカが朝鮮に「安全の保証を与える」ことと一体不可分、セットだというのが会談の合意内容であり、その重要な具体化が「米韓(合同軍事)演習の中止」でした。トランプ氏は「米韓演習」を「挑発的」だとさえ言ったのです。 

 ところがアメリカは、早くも会談から半年後の昨年12月、規模を縮小したり名称を変えたりしながら、韓国との合同軍事演習を再開しました。

 「合同参謀関係者は『韓米空軍パイロットの技量向上のために、大隊級以下では小規模な合同演習を並行する予定だ』…と話した」(2018年12月4日付ハンギョレ新聞日本語版)

  さらに今年の4月。「韓米空軍は今月22日から朝鮮半島上空で、連合編隊軍の総合演習を行っている」(19年4月26日付同上。写真右は合同演習のため釜山基地に入った米原子力空母。同紙より)

  次いで8月。「韓米両国は北朝鮮の激しい反発にもかかわらず…9日にマーク・エスパー米国防長官の訪韓を機に合同演習日程と名称などを公式発表する」(19年8月7日付同上)

 そして11月。「韓国と米国の軍当局が、今月中に大規模合同軍事演習『ビジラントエース』の代わりに調整された形で行う予定だった演習を延期(中止でなく延期―引用者)することを決めた」(19年11月18日付同上)

 こうしてアメリカと韓国は昨年6月の朝米会談後、今日まで少なくとも4回、合同軍事演習を行っています(うち1回は延期)。朝鮮はこれを「シンガポール共同宣言に反する」と批判し、再三アメリカに合同演習を取りやめるよう言ってきました。しかし、アメリカは耳を貸そうとしませんでした。

 どちらが「シンガポール共同宣言」に反しているか、どちらが「挑発」しているかは明らかではないでしょうか。
 「挑発」というなら、トランプ氏自ら「挑発」と言明した韓米合同演習を繰り返しているアメリカこそ挑発者です。そしてそのアメリカに追随し、朝鮮敵視の姿勢を露わにしている安倍晋三首相は挑発者の片割れです。 

 こうした事実を一切捨象し、「北朝鮮の挑発」という決まり文句を繰り返す日本のメディアの責任はきわめて重大です。メディアは事実に反する「北朝鮮の挑発」なる表記・表現を直ちにとりやめ、事実に基づいた公正な報道を行わなければなりません。


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「3カ国首脳会談」の内容偽る安倍首相の朝鮮敵視

2019年12月26日 | 安倍政権と日韓関係

    

 安倍晋三首相は24日、韓国・文在寅大統領、中国・李克強首相との3カ国首脳会談の後の記者会見で、「北朝鮮の完全な非核化へ向け、米朝プロセスを後押しすることが重要だ」「北朝鮮の弾道ミサイル発射が続いている。3カ国は強い懸念で一致した。北朝鮮はさらなる挑発行動は自制すべきだ。それが一致したメッセージだ」(テレビ中継)と述べました。朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)敵視に凝り固まった悪質な虚偽会見と言わねばなりません。

 韓国のハンギョレ新聞は3カ国首脳会談についてこう報じています。 

 「共同マスコミ発表で、文大統領は『我々は朝鮮半島の平和が3カ国の共同利益に合致するということで認識を共にし、朝米対話の早期再開を通じて非核化と平和が実質的に進展するよう、共に努力することにした』と述べた。

  李克強首相も『朝鮮半島の非核化と北東アジアの恒久的な平和実現が共同の目標であることを再確認した』と述べた。彼は『政治・外交的手段として朝鮮半島問題の解決に力を傾けることで、朝鮮半島と地域の長期的な安全を実現する』とし、『韓中日と第4国の協力を進める用意がある』と付け加えた。北朝鮮と協力したり仲裁する可能性に触れたものと見られる。

  ただし、安倍首相の発表文は韓中首脳とはかなり異なるものだった。安倍首相は『北朝鮮の相次ぐ弾道ミサイルの発射は国連安保理決議違反であり、地域の安全保障に深刻な脅威』だとしたうえで、『関連した安保理決議を完全に履行し、朝米プロセスの動力を維持することが日中韓の共通した立場であることを再確認した』と述べた」(25日付ハンギョレ新聞日本語電子版)

 発表された「共同文書」はどうなっているでしょうか。

 「われわれは、朝鮮半島の完全な非核化にコミットしている。朝鮮半島と北東アジアの平和と安定の維持は、共通の利益と責任だと再確認する。国連安全保障理事会の決議に従った国際的な協力と包括的な解決によってのみ、完全な非核化と恒久的な平和を達成できる」(25日付共同通信)

 文大統領、李首相の発表(ハンギョレ新聞の報道)と、安倍首相の会見内容と、どちらが「共同文書」に則しているかは明確です。

 文、李両氏の発表や「共同文書」に「北朝鮮の挑発行動」なる文言はありません。また、「完全な非核化」の主語は「朝鮮半島」であり「北朝鮮」ではありません。この違いは極めて重要で、前者には韓国に配備されているアメリカの核兵器の一掃も含まれます。その違いは以前から問題になっていることで、安倍氏は意図的に「北朝鮮の非核化」と繰り返しているのです。朝鮮が発射実験を行っている飛翔物が「弾道ミサイル」と確認された事実もありません。

 3カ国会談の直前に安倍氏はトランプ大統領と異例の長時間電話会談を行いました。安倍氏の3カ国会談や会見での発言がトランプ氏の意向を受けたものであることは明らかです。

 安倍氏の発言は、朝鮮敵視に韓国、中国も同調・一致したかのように偽り、朝鮮をさらに追い詰めようとするもので、「朝鮮半島の非核化」「朝鮮半島と北東アジアの平和と安定」に逆行するきわめて悪質な政治的プロパガンダ―です。

 日本のメディアはそれを無批判に垂れ流し、安倍政権に追随しています。そして相変わらず「北朝鮮の挑発」という決まり文句を連発しています。その責任は重大で、安倍氏と同罪と言わねばなりません。


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朝鮮高校・幼稚園差別の深化が問うもの

2019年12月24日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

    

 2019年は「天皇代替わり・新元号」キャンペーンはじめ多くの重要問題があった年でした。その中でも特に私たち日本人が見過ごしてはならない問題が、在日朝鮮人・朝鮮学校に対する差別の深化です。

  第1に、10月から始まった「幼児教育無償化」から朝鮮学校幼稚園が排除されていることです。

 安倍政権は消費税増税の懐柔策として「幼児教育無償化」を決めましたが、小手先細工のため予算不足はじめ開始早々多くのほころびが出て修正を余儀なくされています。

  しかし、そんな中でも安倍首相が頑として改めようとしないのが、朝鮮学校幼稚園を無償化から排除していることです。「各種学校は認可外保育施設に該当しない」として、朝鮮学校幼稚園40校、インターナショナルスクールなど外国人学校幼稚園48校、計88校ははじめから除外されています。

 こうした排除・差別が、憲法の「法の下の平等」、さらに「子どもの権利条約」はじめ国際的人権規約に反していることは明白です。それを安倍政権はあくまでも強行しようとし、日本のメディアは報道せず、多くの日本市民は無関心を決めこんでいます。

  第2に、高校無償化制度から朝鮮学校を排除している問題の裁判が、2013年1月の初提訴以来最大ともいえる重大な局面を迎えていることです。

  この問題の裁判は、朝高生・卒業生らによって大阪、愛知、広島、九州(福岡)、東京の5カ所でたたかわれてきました。このうち、大阪と東京の訴訟は、最高裁が今年8月27日に上告を棄却したことによって、原告(大阪朝鮮学園、東京朝高生61人)の「敗訴」が確定してしまったのです。

  11月29日の原告・保護者合同説明会で、喜田村洋一弁護団長はこう述べました。
 「最高裁決定を見ると、下村(博文)大臣(当時)や文科省がしたことがなぜ正しいのか、原告の訴えがなぜ間違いなのかが何も説明されていない。…われわれは(判決では)負けたが…法律論では完全に勝っている。私たちのたたかいは非常な意義があった」(「月刊イオ」2020年1月号)

  確かに、「敗訴」でも朝高生・卒業生や支援の人々のたたかいの意義が減じることは微塵もありません。しかし、私たち日本人は、この不条理な最高裁決定を許してしまったことの責任を直視しなければなりません。いやその前に、こうした最高裁決定が行われたこと自体を知らない、日本のメディアが報じないことの重い罪を自覚しなければなりません。

  日本のメディアや市民の無関心について、愛知裁判弁護団事務局長の裵明玉弁護士はこう指摘しています。
 「日本でこの問題が認知されない原因は、植民地主義の問題から目を背けているからではないか。朝鮮学校における民族教育は過去の歴史と切り離して考えることはできない。…日本社会が植民地主義の清算という意味合いをきちんと受け止められるようにならないと運動の広がりは生まれない」(同「月刊イオ」)

  日本は、日本人は、朝鮮半島を植民地支配した歴史的責任の清算(事実を認識し、謝罪・賠償し、過ちを繰り返さない教育などの措置をとる)をしていません。清算どころか、新たな差別・植民地主義を再生産しています。その端的な表れが在日朝鮮人に対する差別、朝鮮学校に対する差別だということを肝に銘じる必要があります。

 高校無償化裁判は、愛知が最高裁上告中、広島、九州がともに高裁で控訴審継続中です。その動向を自分の問題として注視し、たたかいを支援していきましょう。


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「聖火リレー」の隠された意図

2019年12月23日 | 五輪と政治・社会・メディア

    

 東京五輪聖火リレーの詳細が17日発表されました。121日間にわたり有名人を動員して全国を巻き込み、なんとか東京五輪の雰囲気を高めようとする安倍政権と五輪組織委員会(会長・森喜朗元首相)の政治的思惑がありありとうかがえます。
 しかし、「聖火リレー」の狙いは五輪の機運を盛り上げるだけではありません。そこには見過ごせない国家主義的意図が隠されています。

 第1に、「リレー」の出発点は福島Jビレッジ(3月26日)とされていますが、それは正確ではありません。ギリシャから空輸される聖火が最初に日本に降ろされるのは、宮城県の自衛隊松島基地です。民間の仙台空港ではなくあえて自衛隊基地にしたのは、「不屈の精神を示す象徴的な場所…一番理想的」(2018年7月31日付産経新聞)という森喜朗会長の意向によるものです。聖火は松島基地から東北各地を回ったあと、Jビレッジに運ばれます。「聖火リレー」の実質的スタートは自衛隊基地なのです。

  第2に、聖火がめぐる全国のルートには1つの特徴があります。
 熱田神宮(名古屋市、4月6日)→伊勢神宮(伊勢市、4月8日、写真右)→神武天皇陵(橿原市、4月12日)→高天原(宮崎県高千穂町、4月26日)→出雲大社(出雲市、5月17日)→京都御所(京都市、5月27日)→昭和天皇陵(八王子市、7月11日)→明治神宮(東京都渋谷区、7月23日)<日にちは予定>
 そしてゴールは五輪開会式(7月24日)の国立競技場。そこで聖火を待ち構えているのは、大会名誉会長の天皇徳仁です。

 聖火リレーは神道・天皇制の“聖地“をくまなく巡り、天皇に行きつくようになっているのです。

  五輪の聖火リレーを天皇(制)と結合させる発想には前例があります。
 帝国日本は1940年、「日本書紀」による「皇紀」(神武天皇が即位したとされる年を紀元とする)2600年を記念して、オリンピックを東京に招致しました。それは日本の侵略戦争によって実現しませんでしたが、この“幻の東京五輪”で有力な案とされていたのが、天皇(制)と聖火リレーの結合です。 

 「日本国内では、ギリシャからの聖火リレーではなく、天孫降臨の伝説地か神社で採火した神火をリレーすべし、という何とも矮小かつ国家主義的な『神火リレー論』が台頭していた」(橋本一夫著『幻の東京オリンピック』講談社学術文庫)
 日本陸上競技連盟編集の『陸上日本』(1937年7、8月号)に掲載された代表的意見は、「高千穂にて聖火を得、広島より出雲大社(文化発祥の地なれば)を経て岡山、兵庫、京都、大阪、伊勢大神宮、熱田神宮を回りて東京迄運ぶべし」でした(橋本一夫氏前掲書)。

  1940年の「神火リレー」は実現しませんでしたが、今回の東京五輪の「聖火リレー」にはそのリメイクの側面があるのではないでしょうか。
 2020年は「皇紀」で言うと2680年の節目にあたります。そのことが、「日本は神の国」と公言した森喜朗氏や安倍晋三氏ら天皇主義者の頭にあっても不思議ではありません。


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日曜日記80・TBS金平氏の不可解な“弁明”・ 「男女格差」最悪の根源

2019年12月22日 | 日記・エッセイ・コラム

 ☆TBS金平茂紀氏の不可解な“弁明”

  ジャーナリストの伊藤詩織さんがTBS記者(当時)の山口敬之氏から性的暴行を受けた事件で東京地裁が山口氏に損害賠償を命じた判決(18日)から3日。21日夕のTBS報道特集がこの問題をどう扱うか注目した。

  番組冒頭、キャスターの金平茂紀氏はやはりこの問題に触れた。ところがその内容は、伊藤さんの行動、判決を「画期的な出来事」とする一方、「今日は残念ながらできないが、いつの日か(この問題を)取り上げたい」というものだった。それだけだった。謝罪もなかった。

  これはいかにも不可解だ。「今日は残念ながらできない」とはどういうことなのか。なぜできないのか。突然起こった問題ではない。山口氏の性暴力事件は2015年4月に起きたことだ。18日に東京地裁で判決があることももちろん周知のことだった。
 「いつの日か」とはいつなのか。来週も別の特集らしいから来週でないことはたしかだが。

 そもそもこの事件は山口氏だけの問題ではない。事件当時山口氏は現職のTBS記者(ワシントン支局長)だった。金平氏は当時山口氏の上司だったはずだ。TBSは当事者だ。謝罪があってしかるべきだ。

  重要なのは、山口氏の性暴力事件が、フリージャーナリストの伊藤さんが大手メディアの記者だった山口氏に就職(仕事)の相談をすることがきっかけで発生した事件だということだ。
 そこには大手メディアの体質、大手メディアとフリージャーナリストの“上下関係”という構造的な問題がある。それは記者クラブ主催の記者会見からフリージャーナリストを排除する問題にも通じる。根は深く広い。 

 今回の事件はそこまで掘り下げて教訓を導く必要がある。それはメディアの在り方にとどまらず、現代日本の重要問題の1つである。当然報道特集が取り上げるべき問題ではないか。まして当事者のTBSの報道番組としては、真っ先に特集すべき問題ではないのか。
 「残念ながら」「いつの日か」は逃げ口上にしか聞こえない。

 ☆「男女格差」最悪の根源は?

  18日の報道によれば、世界経済フォーラム(WEF)が17日発表した今年の「男女格差(ジェンダーギャップ)報告書」で、日本の順位は対象153カ国中121位、過去最低だった。
 日本は他の労働・人権指標でも低ランクの人権後進国だが、その中でもこの男女格差=女性差別の突出は異様・異常だ。なぜだろうか。

  その根源は天皇制にあると断言せざるをえない。天皇制は皇位継承で公然と女性を差別している制度だ。今でこそ廃止されたが、「万世一系」と誇示するその体制は側室(妾)制度によってかろうじて継続されてきた。「行幸」などで常に女性(皇后)が男性(天皇)に従う姿を見せ続けている。どこから見ても、天皇制は女性差別の塊だ。

  天皇代替わりキャンペーンが繰り広げられた今年、ジェンダーギャップの順位をさらに下げて過去最低になったのはきわめて象徴的だ。

  天皇制を廃止しない限り、日本に真の男女平等が実現することはない。


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「元徴用工」賠償・韓国議長案に反対の声を日本からも

2019年12月21日 | 安倍政権と日韓関係

    

 韓国の「元徴用(強制動員)工」への賠償にかんする韓国国会・文喜相(ムン・ヒサン)議長(写真左)の提案が18日、国会に上程されました。同法案がどう扱われるかはもちろん韓国内の問題ですが、私たち日本人もけっして座視するわけにはいきません。
 それは日本企業に賠償を命じた韓国最高裁判決(2018年11月29日)をどう受け止めるか、ひいては朝鮮半島植民地支配の日本の歴史的責任をどうとるかという問題だからです。

 文議長案に対しては、当事者である韓国の強制動員被害者や市民団体から、「最高裁の判決を無力化し、70年以上闘ってきた被害者を侮辱するものだ」(19日付ハンギョレ新聞電子版)という強い反対・批判があがっています。そのことを日本人はまず知るべきです。

 文案の骨子は、①新たな「財団」をつくり、韓国、日本両国の国民・企業から募金を行って日本企業の賠償を肩代わりする②「慰安婦同意」(2015年)でつくられた「和解財団」の残余金60億㌆(約6億円)も充当する③「見舞金」を受け取れば「和解」が成立したとみなし最高裁が認定した賠償請求権は放棄される―というものです。

 そもそも文議長がこの案を初めて口にしたのは日本でした。11月4日に参院議員会館で行われた国際会議に出席した文氏は記者団に、「韓日両国の国民や企業を対象に募金を行い、強制動員の被害者に金を支給する法案を作成した」(11月5日付ハンギョレ新聞)と公言しました。

 これに対し、韓国内では直ちに反対・批判の声が上がりました。

 「勤労挺身隊女性と共にする市民の会」は11月6日会見を行い、次のように表明しました。

 「過去にも1995に日本軍慰安婦被害者らに対して、民間基金を支給しようとして反発を買った『アジア女性基金』と、2015に謝罪もなく10億円をうけとる方式で歴史問題を取り繕うとして国民が憤りを感じたことがあった。…被害者たちにお金さえ与えれば良いという発想は、過去と同じ過ちを繰り返すもので、遺憾極まりない」(11月7日付ハンギョレ新聞、写真中。写真右も同紙より)

  「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯(正議連)」をはじめ12カ国・44団体は12月4日、「『文喜相案』の即時破棄と被害者中心主義の原則に則った日本軍性奴隷制問題の解決を求める世界良心宣言」を発表しました。

  「『文喜相案』は、強制動員および日本軍性奴隷制問題のような反人道的な戦争犯罪を、政治的・外交的な立場にのみ基づいて、問題解決をするという美名の下に、日韓政府の財源、日韓の企業と国民の募金で財団を作り、見舞い金のみを支給しようとするものである。…今、大韓民国の国会と政府がなすべきことは…被害者中心主義の原則に則った犯罪の認定、公式謝罪と法的賠償の履行による問題解決のために…日本政府に犯罪の認定と責任の履行を求めることである」

  日本からも批判の声は上がっています。

 「強制動員問題解決と過去清算のための共同行動」は12月10日、「反対声明」を発表しました。

 「強制動員問題の解決は、①事実を認めての謝罪、②謝罪の証としての賠償、③次世代への継承の原則が貫かれるべきです。安倍政権が被害者に背を向ける姿勢をとり続けようと、日本政府は強制動員を行った不法行為責任から免れることはできません

  万一文案が韓国国会で可決され、文寅在大統領が承認すれば、安倍政権はこれに飛びつくでしょう。そうなれば上記の諸団体・声明が指摘する重大事態となります。それを許すことは日本国民の責任でもあります。文議長案への反対・撤回要求の声を、今日本からも上げていく必要があります。


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伊藤詩織さん勝訴で改めて問われる山口氏と安倍首相の仲

2019年12月19日 | 政権とメディア

    

 ジャーナリストの伊藤詩織さんが山口敬之氏(当時TBS記者)から性暴力被害(レイプ)を受けたことに対し、伊藤さんが損害賠償を求めていた民事裁判で、東京地裁(鈴木昭洋裁判長)は18日、伊藤さんの訴えを認め、山口氏に330万円の支払いを命じました。山口氏の「名誉毀損」との訴えについては、「不合理に変遷し、信用性に重大な疑念がある」と断じました。

  きわめて妥当・公正な判決です。性犯罪が明らかにされて裁かれることがきわめて少ない日本の実態に大きな一石を投じました。伊藤さんの勇気と苦闘の成果です。私たちはこれを今後に生かしていかねばなりません。

  判決後伊藤さんは、「勝訴したからといってこの事がなかったことになるわけではない。これからも自分の受けた傷とどう向き合っていくかということがある。これが終わりではない」とし、同様の事件が起こらないよう「構造的な問題」に目を向ける必要があると述べました。

  一方、山口氏も同日記者会見し、直ちに控訴する意向を示しました。反省の色はまったくありません。山口氏はこう言いました。「所詮、民事だ。民事でどういう判決が出ようと、私は(刑事で)不起訴になっている。それで完了している」(写真右)。厚顔無恥とはこのことです。が、語るに落ちる。この言葉は今回の問題の重大な特徴を自ら明らかにしています。

  それは、山口氏が安倍晋三首相ときわめて親密な関係にあり、「不起訴」は官邸筋(安倍氏)の圧力か、警察・司法の“忖度”によるものではないかとの疑惑が指摘されていたことです。

  山口氏は自著『総理』(幻冬舎文庫、2017年)で、「安倍氏と私は…出会った当初からウマが合った。時には政策を議論し、時には政局を語り合い、時には山に登ったりゴルフに興じたりした」と、公私にわたる親密ぶりを誇示しています。 

 また、同著巻末の「解説」で週刊文春編集長(当時)の新谷学氏はこう書いています。
 「週刊誌記者なら、親しい政治家のスキャンダルを書いて、その結果、相手に関係を切られたとしても、仕方ないと諦めるしかない。…それに対して山口さんは、おそらく、書く時期や書き方に細心の注意を払っているはずだ。だからこそ多くの政治家と継続的な人間関係を維持できているのだ」
 山口氏が安倍氏はじめ政治家の「スキャンダル」・弱みを握っている、だからこそ「継続的な人間関係を維持できている」、と受け取れる記述です。

 この疑惑は国会でも取り上げられました。2018年1月30日の衆院予算委員会で、「山口氏と親しい関係では」と質問された安倍氏は、「私の番記者だったから取材を受けたことはある」(2018年1月31日付中国新聞=共同)と認めながら、「それ以上でも以下でもない」と答えました。

 山口氏の18日の記者会見は、同氏が「不起訴」を盾に、「不起訴」になれば何でも許されると考えていることを示しています。だからこそ、その「不起訴」の背景、安倍氏との関係は徹底的に解明されなければなりません。

 それはたんに山口氏と安倍氏の個人的関係の問題ではありません。政治家と番記者の関係・癒着、政権とメディアの癒着の問題です。それは同時に、メディアの中でセクハラ・性犯罪が多発している根源に通じる構造的な重大問題です。

 


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