8月29日が何の日か知っている日本人が、何人いるでしょうか?
朝鮮半島(以下、朝鮮)の人々にとっては忘れることができない日で、「国恥日」とされています。
108年前のこの日、1910年8月29日、「韓国併合に関する条約」が公布されました(調印は同22日)。韓国(当時の朝鮮半島)が名実ともに帝国日本の植民地になり、朝鮮の主権が完全に奪われた日です。つまり日本が朝鮮の主権をはく奪し、本格的な植民地支配を開始した日であり、私たちこそ”日本の恥“として記憶しなければならない日です。
自民党などは「条約」という形をとっているため「国際法」にのっとったものだと強弁していますが、とんでもありません。「条約」調印に先立ち、同年5月以来、多数の日本陸軍部隊、とくに騎兵部隊がひそかにソウルに集められました。当時の参謀・吉田源次郎は「騎兵隊を集めたわけは、併合のため威力を必要とすることを予期したためであるのは明らかである。そしてこの目的のため騎兵は適当な兵種だったからである。なぜならば未開の人民をしずめるためには…見た目に威厳のある騎兵を必要とするからである」(『日韓併合始末』)と語っています(中塚明著『日本と韓国・朝鮮の歴史』高文研)。
さらに、調印の日には「ソウルの街を日本の憲兵が巡回し、朝鮮人は二人で話をしていても尋問されるきびしい警戒ぶり」(中塚氏、同前)でした。
朝鮮を蔑視し、軍隊・憲兵によって戒厳令状態をつくった中での「条約調印」だったのです。
「併合」によって朝鮮総督府が設置され、総督に支配権力が集中しました。初代総督は寺内正毅陸軍大臣(長州出身)(写真左)。重要なのは、朝鮮総督は天皇直属のポストだったことです。
「朝鮮総督府及所属官署制によれば、総督は天皇に直隷する親任官で、陸海軍大将から選任されることになっていた。総督は…法律に代わる命令である制令を発布するとともに、朝鮮総督府令を発して懲罰を課す権限をもった。…天皇に直隷する総督は、実際には総理大臣の指揮を受けなかった。その地位は…実は総理大臣と同格ともいえる政治的地位にあった。総督はまさに、軍事はもとより司法・行政・立法の三権を掌握し、天皇直属のもと小天皇のごとき存在として朝鮮に君臨した」(趙景達・千葉大教授著『植民地朝鮮と日本』岩波新書)
朝鮮に対する植民地支配が、首相をも飛び越えた天皇直属の朝鮮総督の絶対的権力によって遂行された事実は、植民地支配における天皇の責任を明確にするうえできわめて重要です。
こうした事実を日本人は(私も含め)あまりにも知りません。これから学び直す必要があります。
その点で、今年の「国恥日」は、日本人にとっても画期的な「8・29」となりました。それは韓国の民族問題研究所などが中心になって建設準備委員会から足掛け11年運動を続けてきた「植民地歴史博物館」がこの日ついにソウルにオープンしたからです。
同博物館は、地上5階地下1階(地下は駐車場)、延床面積約1570平方㍍、総工費約5億6000万円。常設展示のほか企画展が催され、「講義室」や「交流スペース」もあります(写真右は展示スペースのもよう=ハンギョレ新聞電子版より)。
大きな特徴は「日本帝国主義による朝鮮侵略と植民地支配の核心部であり、分断と独裁の歴史を生々しく伝えるソウル市龍山区」(同博物館ニュースレター)に立地していることです。
建設に向けて、日本に「『植民地歴史博物館』と日本をつなぐ会」(共同代表・樋口雄一氏ら)が結成されました。募金活動を展開し、約1030万円を集めました。私もほんとうに微々たる募金をさせていただきました。
「つなぐ会」の樋口共同代表はこう述べています。
「戦後、私たち日本人は植民地時代の朝鮮について学ぶことはほとんどありませんでした。…植民地支配の要であった農村からの米の収奪と食糧不足による餓死者が毎年数千人もいたのです。290万戸の農家の内、230万戸が春になると食糧がなくなる『春窮期』を迎え、野草で飢えをしのいだのです。こうした事実は朝鮮にいた日本人植民者、戦後に育った日本人の大半は学びませんでした。
一例に過ぎませんが韓国の人々は体験として知っています。これが日本人と韓国・朝鮮人の歴史認識の差になっていると思われます。植民地支配歴史博物館から日本人が学べる事実は多くあると思います」(「つなぐ会」リーフ=写真中)
地図で見ると龍山区はソウルの中心(地下鉄「ソウル駅」)の近くです。ソウルへ行く機会があればぜひ立ち寄ってください。私ももちろん行くつもりです。
そして、日本の侵略・植民地支配の歴史を学ぶこうした博物館を日本でこそ造っていきたいものです。